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Part2(2023・12~2024・1) | |
年が明けて、2024年元日を迎えました。 まだ暗い時間ですが、宿を出てきました。 この日、嫁さんと娘たちは別行動することになりましたんで、ワタシは単身、あちこち見て回ることにしました。 こちら、羽田の旧市街と空港エリアの間を流れる海老取川にかかる、天空橋。天空橋駅の名前は、この橋からとられています。もともとは、羽田の旧市街と空港方面とのアクセスの利便をはかるためにかけられた橋だそうで・・・かつては、ここから遠くないところに、羽田空港のターミナルがありましたからね。 |
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まずは、天空橋から京急の電車に乗ります。 5時44分発、急行(空港線内各駅停車)品川行きに乗車。車両は京急1000形1041Fの8連でした。 乗車してみて・・・あぁ、そういえばこの車両にはクロスシートがあるんだったなぁと。 空いていたので、のんびり座っていくことにしました。 |
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京急蒲田で急行を降り、2階から3階のホームへ上がってきました。 ここからは6時7分発の普通浦賀行きに乗ります。1500形1585Fの6連でやってきました。 各駅停車の普通電車とはいいつつ、ここは京急。一度発車すると、なかなかのスピード感です。 夜明け前の空を見ながら、多摩川を渡り、神奈川県に入ります。いい感じに晴れているようですね。 |
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6時20分に、京急鶴見に到着しました。 ワタシはここで電車を降り、改札を抜けて、京急の駅の正面にあるJRの鶴見駅へ向かいました。 このあたりのJRと京急の線路は寄りつ離れつしながら並走しているわけですが、ここ鶴見はこうして歩いてアクセスが可能でした。 |
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鶴見では、駅改札を入って、そのまま鶴見線のホームへ向かいました。 そこには、こちら。 鶴見線海芝浦支線の始発電車となる、鶴見6時30分発、普通605列車海芝浦行きが停まっていました。 車両は、鎌倉車両センター中原支所の205系T16編成3連。かつて山手線を走っていたモハユニットと、埼京線を走っていたサハ1両を組み合わせ、運転台取付を行って3連とした編成です。その関係で、乗降扉の窓の天地方向の寸法が短い車両と、長い車両が混在する形となっています。 ご存知のように、鶴見線には新型・E131系1000番台の投入が始まっていて、205系はまもなく職場を追われる運命にあります。 |
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どうやらワタシと同じ目的らしい人たちがたくさん乗り込んでいまして、605列車はかなり混雑していました。元日の早朝に工場地帯へ向かうなんて、仕事で行くのでなければ相当な物好きですよね、ってワタシもか。(笑) 定刻に発車した605列車は、東海道線などを橋で跨ぎ、東京湾の方向へ走り出していきます。 |
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こちらは、途中の弁天橋駅。 ここで、弁天橋始発で鶴見へ向かう608列車と行き違いますが、そちらが件の新車・E131系T3編成3連で運転されていました。 同じE131系でも、相模線や日光線などに投入されたものと違い、車体幅が狭く車体の裾絞りがないタイプのこの1000番台。これからはこの車両が、この工場地帯の足となっていくわけですね。 |
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浅野で鶴見線の本線から分かれ、電車は海芝浦支線を進みます。 6時41分、605レは海芝浦に到着しました。 海芝浦はご存知のように、東芝エネルギーシステムズ京浜事業所に通勤する人たちのために設けられている駅で、駅の改札を出ると、東芝グループの社員以外は立入不可のエリアです。 ただし、駅に隣接する形で、事業所の敷地内に「海芝公園」という一般公開エリアが設けられています。 駅ホーム上、そして海芝公園では、605レでやってきた人たちが鈴なりになり、海の方角を眺めていました。 ・・・そう、ちょうど初日の出の時間帯になるんですよね。みんな、ここで太陽が昇るのを待っているんです。 ただ、太陽が昇ってくる方向の地平付近には微妙に雲がかかり、日が差してくるのが少し遅れている様子。 折り返しの604B列車は6時56分発、このままだと発車には間に合わないかな・・・。 |
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あとの行程のことも考え、ワタシは日が差してくるのを待たずに、604B列車で鶴見へ出発することにしました。 海芝浦を発車して少しすると、工場地帯の向こうから、パッと明るい光が差し込んできました。 あぁ~なんとか、車内からご来光を拝めました。とりあえず、来た甲斐はあったようで。(^^; |
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こちらは、乗車している205系T16編成の2号車・モハ205-95の車内です。 かつて山手線で活躍していた車両。制御機器等は基本そのままとなっていて、足下からはMT61形モーターの音が響いてきます。 山手線での205系・・・かつて東京住みだった頃はよく乗っていましたんで、本当に懐かしいです。 |
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鶴見まで戻って、次はこちらの電車へ。 7時12分発、京浜東北線南行き615A列車大船行き、さいたま車両センター(旧・浦和電車区)E233系サイ116編成10連でやってきました。 この列車で、とりあえず横浜へ向かいます。 |
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横浜に到着後、JRの改札を出て、そのまま相鉄の乗り場へ向かいました。 相鉄横浜駅にやってきたのも、それこそもう30年近く前くらいに仕事で来て以来、ということになりました。 ただ、7時28分発快速(二俣川から各駅停車)海老名行きとして停まっている電車は、当時とは全然別物の21000系21106Fの8両編成。「YOKOHAMA NAVY BLUE」の塗色に包まれた、東急目黒線方面への直通用として投入された最新鋭の電車です。 |
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この21000系電車には初めての乗車でした。 まぁ、相鉄・東急直通線が昨年2023年3月に相鉄新横浜線・東急新横浜線として開業し、相鉄と東急東横線・目黒線方面との直通運転が始まってから、ワタシは初めてこちらへ来てるわけですから、当然ですが。 ワタシが座ったのは、こちらのシート。 ユニバーサルデザインのシートでして、座面が通常の座席より高く、立ち座りがしやすいのが特徴。下半身に負担がかからないタイプですよね。 今どきだなぁと思いましたね。 |
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そんなシートに身を委ねるのも、わずかに13分。 21106Fは、7時41分に二俣川に到着しました。 到着した横では、こんな並びが。 左、東急5050系4108Fの10連、右は相鉄9000系9704Fの10連。 2019年の相鉄・JR直通線開業で埼京線のE233系がここに乗り入れてくるようになって、さらに今度は東急の車両が・・・ということで、以前はガラパゴスだった相鉄線内が、各社の車両で賑わう状態となりました。 |
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さて、二俣川では、あわよくば何か朝食を、と思っていたんですが、さすがに元日ですからね・・・。 ということで、コンビニでおにぎりを調達してきました。まぁこれはやむを得ないでしょう。 ここでもやっぱり、パンよりはお米、ということで・・・。 |
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ここからですが、今度は相鉄・東急直通線のほうへ初乗り、ということにしました。 二俣川7時54分発、東急目黒線・東京メトロ南北線を通って、都営三田線西高島平まで走る電車(相鉄線内特急)がやってきました。車両は相鉄21000系21209Fの8連でした。 |
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8分後の8時2分、21109Fは羽沢横浜国大に到着しました。 この駅には、4年前の上京のときにも来ていましたね。 そのときは、相鉄・JR直通線を完乗して、JR旅客営業路線全線完乗のタイトルをここで回復したんでした。 |
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西高島平行きをここで降りて、しばらくホームの様子を見ていました。 西高島平行きが出たあと、同じホームに今度は、埼京線へ直通する大宮行きのE233系ハエ113編成10連がやってきて、逆に埼京線から相鉄海老名へ向かう相鉄12000系12106Fの10連と並ぶ光景が見られました。 先ほどの二俣川といい、ここ羽沢横浜国大といい、見られる電車の並びが、一昔前には考えられなかったようなものになっていて、本当にびっくりですね。 どんどんと直通運転が拡大し、事業者間の垣根が低くなっているのを実感します。 |
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そして、その埼京線大宮行きが出たあと、今度は東急3000系3110Fの8連で運転される、東急目黒線→東京メトロ南北線→都営三田線直通の高島平行きがやってきました。 今度は、こちらで新横浜方面へ向かってみます。 何気に、東急3000系も初めての乗車になりました。 8時16分、高島平行きの3110Fは羽沢横浜国大を発車。 列車はJR線へ向かう線路と分かれ、トンネルへ入っていきます。 |
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羽沢横浜国大から4分で、電車は新横浜に到着しました。 ここが、相鉄と東急の会社間境界となります。 乗務員引き継ぎの間にちょっとホームへ。 ここで、東海道新幹線へも乗り継ぎが可能になりました。これは、東横線や相鉄の沿線からはかなり便利になったんじゃないですかね。 |
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高島平行きの3110Fにそのまま乗って、日吉までやってきました。 ここで、東横線から東京メトロ副都心線・有楽町線に乗り入れる急行和光市行き(日吉8時31分発)に乗り換えができるということだったので、3110Fを降りて待っていると、そこへやってきたのは、西武6000系6154Fの10連。 西武の車両なんですが、小竹向原から西武池袋線方面へ向かうのではなく、東武東上線と接続する和光市まで行ってしまうという列車なんですよね。こんな運用もあるんだなぁ・・・。 |
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で、6154Fのほうに乗り換えて、東横線を進むことにしました。 乗車していると、目黒線へ向かう、先ほどまで乗車していた3110Fが並走していたりして・・・田園調布まではこのまま複々線の状態ですもんねぇ。 ほんと、このあたりも様変わりしました・・・実は東横線に乗るのも、かつての東京住みの頃以来でして、長らく乗っていませんでしたのでね。 |
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気が付けば、電車は武蔵小杉を過ぎて、多摩川を渡り東京都へ。 朝早く、ずっと下流の京急線で多摩川を渡って、今度は少し上流のほうでこうしてまた・・・なんか変な感じでした。 |
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学芸大学を出て中目黒へ向かうところで、ふと窓の外を見やると、雪をかぶった富士山が見えていました。 いやまぁ、今回はちょっと拝めただけでもありがたや・・・雪で白くなった美しい姿でしたね。 |
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8時51分、6154Fは渋谷に到着しました。 ワタシは東横線の渋谷駅も、かつての終端駅の頃しか知りませんので、こうして東京メトロ副都心線と乗り入れする姿というのは、初めて目の当たりにしたわけで。 あぁ~ほんと、変わっちゃったんですなぁ・・・。 |
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地下にある東横線・副都心線の駅から、地上へ出てきました。 ちょうど渋谷駅のハチ公口のあたりへやってきたもんで、ついつい、久々にハチ公像を見に行ってしまいました。 話には聞いていましたが、インバウンドの方々がこのハチ公像の前で、記念撮影の順番待ちをしている光景が・・・。 |
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さてここからは、次の目的地へ向かうために、JRの列車に乗ることにしました。 そういえば、渋谷駅では湘南新宿ラインや埼京線が使うホームが山手線と同じ場所に移動してきて、かつ、山手線のホームも島式ホームに改築されたんですよね。これも何だか、見慣れない光景ですが。 渋谷からは湘南新宿ラインから宇都宮線(東北線)へ直通する、9時4分発、2526Y列車小金井行きに乗ることにします。E231系付属5両+E233系基本10両の15両編成、前寄りの付属編成はE231系U51編成でした。 |
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渋谷を出ると、次は新宿。 新宿発車後、大ガードを渡っていきます。 新宿という街も、来るたびに何かが変わっている街ですよね。 ゆっくり、降りて歩いてみたいところですが、それはまたの機会に・・・。 |
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池袋、赤羽と停まって、列車は荒川を渡り埼玉県へ入っていきます。 東京住みの頃、西のほうから帰ってきて多摩川を、または北のほうから帰ってきてこの荒川を渡ると、「あぁ、帰ってきちゃったなぁ・・・」とブルーな気分になったもんでした。 都県境がこうして大きな川になっていて、その川を渡ることで気分が高揚したりダウンしたり・・・そんなことを思い出していました。 |
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列車は大宮を出て、高崎線と分かれていきます。 線路沿いには、JR東日本の大宮総合車両センター・JR貨物の大宮車両所があります。今は隣接して鉄道博物館もありますね。 前回鉄博を訪ねたのが、もう7年も前の話になります。EF58-61も収蔵されたことだし、また訪ねてみないといかんと思ってますが、ちょっと今回は時間が足りません・・・。 |
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宇都宮線(東北線)を進んで、こちらは栗橋。 栗橋構内には、JR線と東武日光線とを結ぶ連絡線が設けられています。新宿・池袋と東武日光・鬼怒川温泉とを結ぶ特急列車用に設けられたもの。JRと東武の乗務員の交替がここで行われます。 |
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栗橋を出た列車は、利根川を渡って、いったん茨城県に入ります。 この先の古河駅のところが茨城県で、その次の野木駅からは栃木県になりますので、ほんと一瞬だけの茨城県通過になります。 それにしても、利根川はやはり大河だなぁ・・・。 |
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水戸線・両毛線と接続する小山を過ぎると、次はこの2526Yの終点である小金井です。 小金井には、湘南新宿ライン・上野東京ラインを走るE231・E233系の基地でもある小山車両センターがあります。なので、この小金井止まりの列車もけっこうあるんですよね。 この旅のときに、上野から小金井止まりの列車に乗りまして、ここ小金井で宇都宮へ向かう列車を、雪の降るなか待っていた記憶があります。 |
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さて、小金井からは、あとから追いかけてきたこちらの列車に乗り換えます。 10時47分発、小山まで快速で走ってきた4520Y列車宇都宮行き、こちらも15両編成、前寄りの付属編成5両はE231系U118編成でした。 小金井から宇都宮までは、21分の乗車。 11時8分、宇都宮に到着しました。 |
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宇都宮駅で改札を出て、東口のほうへやってきました。 このあたりで思い出すのが、25年前の1999年4月に行われた「ワンダートレインフェスティバル」というイベント。当時のJR東日本の花形車両が、宇都宮で一堂に会するというもので、JTの「宴」「華」「ニューなのはな」や、EF65-1118が牽引する「スーパーエクスプレスレインボー」、24系「夢空間」、D51-498、EF55-1、EF60-19、さらには当時新型特急だったE351系「スーパーあずさ」、E653系「フレッシュひたち」もやってくるという、今から考えるとまさに夢のようなイベントでした。ワタシも朝早くに当時の自宅を出てきて、そのイベントに参戦していました。 そのときに車両が留置されていたのが、宇都宮運転区のあるこのあたりなんですが、今回訪ねてみると、再開発に伴って留置スペースは縮小してしまっていました。 さて、次の目的のものは、その駅東口のところにあるということなんですがね・・・。 |
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