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Part3(2019・1)
1月2日の朝になりました。

今回宿泊した「レガロホテル広島」は、太田川のデルタ分流である猿猴川のほとりに位置するリバーサイドホテル。家族連れやグループ向けの3人部屋を擁しており、しかもお値段も手ごろで、なかなかいい使い勝手でした。

朝7時から朝食があるというので、1階の食堂へ。
朝食バイキングでしたが、これもけっこういろいろなおかずが用意されていて内容も良かったです。
朝から程よくお腹も満たされました。
朝食後、ホテルをチェックアウト。ホテルから近い、広島電鉄市内線の銀山町電停に向かいます。

途中で、軌道上を広島駅方面へ、広電の最新型「GREEN MOVER LEX」1000形1005号が走り抜けていきました。やはり新型だけにかなり軽快な走りをしていました。
銀山町電停から、宮島線へ直通する2号系統の電車に乗車。
「ぐりーんらいなー」3800形3809号でやってきました。
対向の「GREEN MOVER」5000形5004号は、プロバスケットボールチーム・広島ドラゴンフライズのラッピング車両となっていました。

広電の市内線は、おとな180円の均一制。JRグループ各社などの交通系ICカードも使用できます。
銀山町から8分ほどの乗車で、原爆ドーム前電停に到着しました。
ワタシたちはここで降りました。

まず立ち寄ったのは、世界遺産登録も果たした原爆ドーム。
かつての広島県産業奨励館として建設された建物ですが、爆心地付近に存在したため外壁の一部を残すような形で崩壊し、ドームの骨組みが残された経過は、みなさんもご承知と思います。
さらに歩いて、平和記念公園へ。
年明け早々の時期にも関わらず、海外からの旅行客が見学に訪れているのが目に入りました。
今回ここにきた目的は、こちらの広島平和記念資料館。

前の旅行記でも少し書いたんですが、小2の娘が小学校の平和授業で原爆のことを勉強したようで、「原爆資料館に行きたい」と言い出したことが、ここを訪れたきっかけでした。
小2でそういうふうに言ってきたっていうことに最初は驚いたんですが、そういうふうに思った娘の気持ちを大事にしたいなと思いまして、連れてくることにしたのでした。
展示物には、見ていて胸が詰まるものも多々ありますが、そういう現実が実際にあったのだということを、娘も胸に刻んで、これから将来、その気持ちを大事にして育っていってくれればと思いました。

一方の5歳の娘のほうは、予備知識なくてやってきたので、少し怖がってはいましたが、それでも、時々「これなに?」と質問しながら、落ち着いて展示を眺めていました。5歳娘のほうも、これが原体験になって、いろいろ考えるようになってくれたらなと思います。

資料館を後にして、「原爆の子の像」の前に歩いてきました。
資料館で、この像のもとになった佐々木禎子さんの話を娘たちも見てきていましたので、外傷もないのに放射能による白血病で若くして亡くなった禎子さんのことを思い、神妙な顔つきをしていました。
原爆ドーム前電停に戻り、広電の電車で広島駅へ向かいます。

2号系統の広島行きが、3900形3908号でやってきました。

しばしの乗車で広島駅前に到着。
ワタシたちの乗った電車の後ろから、「GREEN MOVER MAX」5100形が追いかけてきているのが目に入ったので待ってみると、そちらは広島カープのラッピング車となっている5109号でした。
ここ広島からはJRの電車に乗車して、次の目的地へ。

駅構内に入ると、5番ホームに、岩国発白市行きの普通7520M列車が、下関総合車両所広島支所の227系A04編成3連で停まっていました。
側面の行先表示器は、「普通 白市」と交互に「がんばろう!広島」と表示していました。
広島地区を走る227系では、昨年10月1日の山陽本線全線復旧以後、この「がんばろう!広島」表示を掲げているとのこと。
西日本豪雨からの復旧・復興を目指す機運を高めようということなんでしょうかね。
ここ広島から乗車するのは、4番ホームから10時28分発、可部線普通773M列車あき亀山行き。227系S26編成2連での運転です。

227系はこれまでワタシ自身、下関総合車両所本所のイベントで見かけたことはありましたが、営業列車に乗車するのはこれが初めてとなりました。
広島界隈ではこれまで、115系をはじめとした国鉄型電車が幅を利かせていたわけですが、さすがに老朽化が進んできて、新型への取り替えが本格化。今年の3月ダイヤ改正では、広島近郊の電車運用は227系で統一されることになります。
773Mは定刻で広島を発車し、新白島、横川と山陽本線を進みます。
横川から分岐して可部線へ。太田川を渡り、そこから先は街並みを縫うように進みます。
このときにも書いていますが、この可部線、可部までの区間は、当時の私鉄・大日本軌道によって1911年までに開通したもので、当初は軌間762mmで敷設されていたとのこと。そうしたことの名残で、軌道敷が狭くかつ、急カーブの多い路線となっているのです。
10時50分、列車は緑井に到着。
緑井の駅前には、天満屋デパートや、複合商業施設「フジグラン緑井」があり、かなり賑やかな街並みになっています。駅ホームもお客さんで賑わっていました。
混雑時間帯には、ここ緑井で広島方面への折り返し運転を行う列車もあります。
さらに進んで、可部の手前まで来たところで・・・。

「この先、中島~可部間で、スピードを落として線路の確認を行います。異状があった場合は、その場で停車して関係個所との連絡を行います」との車内放送。何かあったのか?と思いましたが・・・。
ゆっくり走っていく列車、途中の踏切のところに、携帯電話を持ったJR西日本社員の姿が見えました。何やら、列車の下のほうを見ている様子・・・と、その踏切を通過すると列車の速度が上がりました。どうやら大丈夫だったようで。

列車は2分ほど遅れて11時7分、可部駅に到着しました。
向かい側のホームには、115系L-02編成4連が停車しています。ここまですれ違う列車は227系ばかりで、ようやく国鉄型と遭遇・・・それだけ、115は減っているということなんですね。

そして11時8分、列車は可部駅を発車して、一度廃線になりつつも復活した区間へ足を踏み出しました。
可部から先の廃線区間には、2003年11月の廃線直前にも乗車していました。そのときはまさか、この可部駅より先へ、再び列車で訪れる機会があるとは、夢にも思っていませんでした。
途中駅の河戸帆待川に停車し、773M列車は1分遅れの11時13分、終点のあき亀山駅に到着しました。

この駅に到着するとともに、ワタシ自身がしばらく棚上げにしていた、JR全線完乗のタイトルも無事に回復となりました。

駅構内には、1面2線の頭端式ホームと、2線の留置線、そして保線車両用の側線が1線あります。
駅舎の前に出てきました。
あき亀山駅は無人駅ですが、終端駅で夜間の車両滞泊もあることから、乗務員宿泊所を兼ねた駅舎が存在しています。

駅舎を出て、さらに先へ向かう廃線敷を見てきました。
もちろん、線路や道床は撤去済み。少し草生したまま、先へと続いていました。
ここを気動車に乗って、三段峡まで旅したのは、もう15年以上前の話なんですよね。

とりあえず、来た道を戻るとしますか。
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