<Part5へ>
Part6(2000・1〜2)
実家に到達してから、実家の母親と買い物に行ったり、いろいろやってるうちに、3日がたちました。
きょうは1月31日、時刻は朝9時過ぎです。

きょうは、前々から行ってみようと思っていたあるローカル線に乗りに行きます。で、まずは新幹線へ・・・。

小倉駅の新幹線ホームにやってきました。時刻は9時20分ごろ・・・11番線には、3月11日から営業運転を始める予定の700系7000番台「ひかりRail Star」編成が停まってます。もう、今を盛りと試運転が繰り返されているんですね。

転じて13番線。9時33分発「ひかり354号」新大阪行きが入ってきました。車両は、その「Rail Star」編成に置き換えられて消滅する予定の、0系7000番台「ウエストひかり」Sk19編成です。
・・・この列車、実はワタシが昨年末に「ウエストひかり」の乗り納めのつもりで乗車した列車と同じなんですよ。まさかもう一度乗る機会が得られるとは・・・。
それでは、自由席の1号車に乗り込み、出発です。
「ひかり354号」は、途中小郡で700系「のぞみ12号」の通過待ちをしながら、東へ進みます。
写真は、1号車自由席の室内です。この「ウエストひかり」では、自由席車もこのような2+2列の幅広シートが採用されていますが、「ひかりRail Star」では、指定席は2+2列になるものの、自由席では一般的な3+2列シートになってしまいます。ま、編成が短くなる関係上、仕方ないのかもしれませんが。
「ひかり354号」は10時48分、広島駅に到着しました。ワタシはここで列車を降りました。
駅の外へ出てみました。・・・と、そこにはこんなものが・・・。実はこの日、駅前で「ひかりRail Star」試乗会の公開抽選会が行なわれることになっていたんです。運転開始へ向けて、すでに秒読み段階です。

さて、お腹がすいてきたので、少し早いですが昼食にします。どこか、広島名物が食べられる店はないかな・・・と探してみると、駅ビルの中にありました。
駅ビル2階の広島風お好み焼き屋「麗ちゃん」に入り、ベーシックな豚玉そばのお好み焼き(650円)を食べました。ワタシ、大阪風のお好み焼きも好きですが、このそばの入った広島風も、好きなんですよねぇ。学生時代からけっこう食べつけてますんで・・。
そろそろその目的の路線へ向かうことにしましょう。
広島駅から乗車するのは、横川から可部線に入る、11時31分発753M可部行き。車両は写真左側の105系電車です。
この可部線という路線は、横川から可部を通り、紅葉の名所・三段峡へ至る60.2kmの路線ですが、この電車が走れるのは可部まで、その先は非電化という、なにやらいわくありげな路線です。
ちなみに、電車は買い物客などで席がかなり埋まっていました。
定刻に発車した列車は、横川で山陽本線と別れ、単線の可部線へと進みます。
横川を出ると、太田川の放水路を鉄橋で渡り、そのあとは太田川に沿って内陸へと入っていきます。
電化されている可部までの区間は、当時の私鉄・大日本軌道によって1911年までに開通。建設当時は軌間が現在のJR在来線の1067mmではなく、762mmだったといいます。電化は1928年、現在の1067mm軌間になったのは1930年のこと。国有化されたのはさらにあとの1936年のことでした。
そうした歴史の反映なのか、軌道敷も狭く、カーブもかなり急です。

ベッドタウンとなっている住宅街を通り、中島のあたりからは緑が目立ち始めます。
終点・可部に着きました。なんだか空は暗く、時折雪が降っています。
電車の入るホームは、ごらんのように行き止まりです。駅構内には一本だけ、可部から先へいけるようになっているホームがありました。
そのホームに、やがて折り返し13時6分発537D三段峡行きとなるキハ40-2047が単行で現れました。このころには雪もやみ、青空が見えてきました。
ボックスシートに身をゆだねました。ドアが閉まり、エンジンの高鳴りが聞こえてきます。
可部から先も、線路は太田川沿いに山へ向かって進んでいます。広島市街では一大デルタ地帯を形づくっている太田川も、ごらんのようにかなり細くなってきました。
平日の昼間ということもあり、乗客数は多くはありませんね。

可部から先の線路は、可部〜安芸飯室間が国有化と同じ1936年、その先、現在の終点となる三段峡までの区間が全通したのは、戦争をはさんで1969年のことでした。実は、その先山陰線の浜田までの路線建設計画が存在したんですが、国鉄の赤字増大の中で日の目を見ることはありませんでした。
可部を出て約1時間。14時5分、列車は加計に到着しました。ここで、3分の停車の間に運転士が駅員からタブレット(通票)を受け取っていますね。そうなんです、ここから三段峡までの間には、列車は1本しか入れないようになっているんです。このタブレットを持っている列車しか通れない、というわけです。かつてはこの先にも列車交換設備を持った駅があったらしいんですが、すでに撤去されているとか・・・。

さらに山奥へ進むと、雪がつもっているところが目立つようになりました。こりゃぁ、終点ではどうなっているやら・・。
14時39分、537Dは終点・三段峡に到着しました。
ひょっとしたら・・・とは思っていましたが、やはり雪景色。しかも、靴が埋まるほど積もっています。

折り返しは15時5分発546D。少し時間があるので、駅の外へ出てみることにしましょう。
これが三段峡駅舎です。駅前には旅館が数軒ありますが、さすがに三段峡の峡谷もこの時期通行止め(危険個所調査のため)になっており、駅前は閑散としていました。

ところで、駅舎の前にある保存蒸機・C11-189の車体には、「JR可部線の存続を願う!!」と書かれた横断幕がかかっています。
この可部線のうち、電化されていない可部〜三段峡の区間について、JR西日本が廃止の検討をしていることで、いま地元は大揺れになっているんです。駅舎内には「のってよ!かべせん」と書かれたポスターも貼り出されているんですが、果たしてその効果は・・・。

ホームへ戻り、ここから折り返すキハ40形の車内に入りました。外ではしんしんと雪が降っています。聞こえる音は、エンジンのアイドリング音だけです・・。
  折り返しの546Dに乗り込んだワタシ。もと来た道を広島へ向け戻ることにします。
この546Dは途中の加計止まり。そこから先は、可部方面から下って来た列車の折り返しとなる15時46分発、548D可部行き(キハ40形2連で運転)に乗り換えとなります。

引き続き、太田川沿いに下っていきますが、やはり外では雪が舞っています。
なんだか、ここが広島県だとはとても思えないワタシでした。
  可部から16時52分発784M広島行き(105系2連)にのんびり揺られ、17時35分に広島駅まで戻ってきました。
ここから北九州へ戻るわけですが、ここでもまたひとつのもくろみがありました。それは、新幹線食堂車での「最後の晩餐」・・・。新幹線に残された最後の食堂車・100N系「グランドひかり」の食堂営業が、3月10日限りで取りやめとなってしまうということで、その食堂車での「食べ納め」をすることにしていたのです。
列車は、東京始発でやってくる「ひかり121号」博多行き。「グリーン車 7・9・10(号車)の2階」という表示が、この列車がダブルデッカーを4両つないだ「グランドひかり」編成で運転されている証です。
  17時55分、その「ひかり121号」が広島駅12番線にやってきました。きょうの編成は、「グランドひかり」のトップナンバーであるV1編成です。
この「グランドひかり」編成、3月11日ダイヤ改正で余剰が発生すると、編成短縮のうえ「こだま」に使用される編成も出るとかという話を聞いています。ワタシが初めてこの「グランドひかり」に乗った10年前は文字通り、いまの「500系のぞみ」と匹敵するような花形列車だっただけに、その凋落ぶりに胸が痛むというか・・・。

乗車したワタシはすぐさま、8号車の2階にある食堂へ向かいました。
  席に着き、まずワタシが注文したのは、写真の「ビーフカレーライス」(870円)でした。非常にベーシックなメニューでしたが、まさにワタシが初めてこの「グランドひかり」の食堂車で食べたのがこれでしたので、やはり締めくくりもこれしか・・・という思いでした。
そうしている間に、列車のスピードはどんどん上がっていきます。この食堂に設置されたデジタルの速度表示は、新岩国を通過する時点で230km/hに達していました。

やがてカレーを食べ終わりましたが、もう少し食堂車にいたい気分・・・。そこで、お初となる「洋梨ケーキ」(440円)と、コーヒー(320円)を注文。のんびり車窓を眺めることにします。
車窓、といっても、すでに暗闇の中なんですが、徳山付近ではあの石油化学コンビナート群の灯りが・・。何度も眺めた思い出の景色を見つつ、ぼんやりと思いに耽っていました。
  「ひかり121号」は19時ちょうど、小倉駅に到着しました。
1時間強の乗車でしたので、ほんと、あっという間でした。

最後にもう一度、ホームから食堂車を見上げてみました。
この食堂車でもう食事ができないなんて・・・まだ信じられない、というのが、率直な実感でした。

さて、次はまた3日後に、日帰り「乗り鉄」の旅に出ることに・・。
<Part7へ>