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Part5(2000・1〜2)
1月28日、朝7時半です。「グリーン豪遊券」の有効期間はきょうまでです。
熊本駅までやってきました。でも、なんか一風変わった建物ですね。もともとあった建物をリニューアルした結果がこれらしいのですが・・・。駅前の気温計は氷点・0℃でした。
まずは、腹ごしらえ、ということで、駅ビル内のモスバーガーに入りました。

さて、ちょっと早いですが、ホームへ入りましょう。
熊本駅には、783系「有明」や787系「つばめ」といった特急列車や、415系、815系などの電車、キハ200形などの気動車が次々にやってきます。列車が到着すると、多くの人たちが吐き出され、改札口へ殺到しています。・・・でもまぁ、東京での通勤地獄を思い浮かべたときには、かわいいもんだと思えてしまうから不思議ですね。

ワタシがきょう最初に乗る列車は、キハ185系3連で走る、特急「あそ1号」豊肥本線経由別府行き。特急「あそ」は、元を正せば九州横断急行「火の山」をルーツとする特急です。
ところで、ワタシが乗る先頭の指定席車・キハ185-6ですが、運転席外にかかれたロゴは「YUFU」、ヘッドマークは「JR」マークになっています。以前は、豊肥線の「あそ」と、久大線を走る「ゆふ」とは、同形式の車両を使いながらも完全に別運用だったんですが、最近は完全に混用されているようですね。

「あそ1号」は定刻1分遅れの8時30分、熊本駅1番線を発車。まもなく鹿児島線と分かれ、豊肥線へと進みます。
途中、肥後大津までは電化されているので、783系や815系といった電車との離合も見られます。
それにしても、熊本発車から20分内外でこんな車窓が見えてくるんですから、うらやましいですよねぇ、こちらの人が・・・。

肥後大津を出ると、立野まで最大33.3パーミルの急勾配が続き、列車はあえぐように登っていきます。車窓を見ていると、前方には阿蘇の外輪山がちらちら・・・。
列車は9時6分、阿蘇外輪山の入口となる立野に到着しました。
ドアが閉まり、発車・・・あ、バックし始めましたね。ここで車掌さんがすかさず車内放送。「このスイッチバックは、勾配が急で列車が一気に登ることがむずかしいため、少し離れた場所に駅を作り、そこからN字形に走行して山を登るもので・・・」。車掌さんは同時に、九州ではこのスイッチバックが肥薩線の大畑と真幸、長崎線の本川内にもあるということを紹介していました。
でも、この立野の場合、バックするための折り返し線の途中に踏切があったということが、ワタシには一番の衝撃でした。
スイッチバックを抜けたあとも急勾配を登りつづけた列車、しばらくすると、エンジンのうなりがおさまり、世界一の阿蘇カルデラの中へ入っていきます。
右手には、阿蘇の火山群が見えてきます。右側の、うっすらと噴煙の出ているところが、よくニュースなんかで出てくる中岳ですね。ここは「阿蘇五岳」といって、東から根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳という、5つの火山が連なっています。
列車はそうした火山群や外輪山の景色を眺めながら、赤水、阿蘇、宮地の順に停まります。熊本からやってくるSL「あそBOY」の終点となる宮地には、SL用のターンテーブルが備わっています。
宮地を出ると、列車はカルデラ東側の外輪山を登りはじめます。
外輪山の山肌を縫うように、右へ左へとカーブしながら登っていくと、その途中からはカルデラの景色がごらんのように望めます。
この先いくつかのトンネルを抜けながら、サミットを越えて波野駅を通過します。この波野が、JR九州線では最も高いところにある駅(標高754.9m)だそうです。波野を過ぎると、次の滝水からは大分県に入ります。
列車が豊後荻を過ぎてしばらく下っていくと、左手・北側の車窓には雪をいただいた九重連山の姿がちらちらと見えます。この線路の近くでも、日陰のところにはまだかなりの雪が残っていますね。
山下りを続けた列車は10時9分、「豊後の小京都」といわれる豊後竹田に到着しました。停車時間が1分と短いのですが、車掌さんは「この列車には車内販売がありませんので、ホームの売店をご利用ください」とアナウンス。ワタシも飲み物を調達しようと、ホームへ降りました。
すると、ホームでは♪春高楼の〜と、どこかで聞いたような曲が・・・。そう、この豊後竹田は作曲家・滝廉太郎の出身地で、流れている曲は、彼がふるさとの竹田城址をモデルに作った代表作の一つ「荒城の月」なんですねぇ。そういえばワタシ、中学校のとき音楽の授業で歌った記憶がありますが・・・。
売店でお茶を買い求めましたが、足元では猫が2匹、ひなたぼっこをしておりました。(^^;)
豊後竹田を出て緒方までの区間は、たびたび豪雨災害で線路が寸断された区間で、ご存知の方も多いでしょう。
列車は大野川やその支流の峡谷を見ながら、さらに高度を下げていきます。中判田のあたりからは、周囲に住宅街が広がってきます。滝尾を過ぎ、下郡信号場で大分電車区の入出区線と合流。大分川を渡ると、まもなく大分。ワタシは「あそ1号」を降り、ここから乗り換えとなります。
大分駅に着いたワタシは、地下通路を通って乗り換え先へ向かいます。
7番線から発車するこの列車、といっても、キハ31-23の単行ですが、11時21分発、久大線の4844D由布院行きです。すでにホームには、入線前から乗客の列がかなりできていました。

このキハ31形ディーゼルカーですが、実は1987年の国鉄民営化直前に、国鉄がJRへのいわば「置き土産」として増備したものです。北海道や四国にいるキハ54形も、同時期に同じ目的で投入されたものですが、なんか、顔がそっくりですよね。
で、このキハ31形、車内はオールロングシートと2+1列の転換クロスシートの2種類がありますが、この23号車は後者でした。・・・ということで、ワタシは一人がけの席を何とか確保しました。
  大分を発車した列車は、右手に鶴見岳の雪景色を見ながら、大分川沿いを山へ向かって登ります。
けっこう制服姿の高校生がたくさん乗ってますね。そして、買い物帰りのおばちゃんたち・・・まさに「生活列車」の風情です。
あえぐように山を登りつづけると、やがて由布院盆地へ。由布院到着直前には、右手に由布岳の姿がごらんのように望めます。

12時26分、4844Dは定刻どおり終点・由布院に着きました。
  さて、時間も時間だし、昼飯を・・・と思ってなんとなく街の中を歩いていると、左側にしゃれた感じのレストランを見つけました。洋食・・・まぁいいか、と思いながら、そのレストラン「ティンカーベル」に入り、シーフードカレーをいただきました。
で、メニューを見ていると・・・なになに、ここの同じ建物に温泉もあるの? 実はここ、「湯布院かほりの郷はな村」というお宿のなかにありまして、そこのお宿では日帰り入浴もできるとのこと。レストランのお会計のときに、レジにいた女性にそのことを確認すると、ご丁寧に宿のフロントへ案内してくれました。

さて、そういうことで食後の一風呂、と相成りました。露天風呂もあるというので出てみると、そこには檜づくりのお風呂がありました。
・・・あ〜気持ちいいです〜・・・そして、なんか肌もすべすべしてきたような感じが・・・え?!違うだろって?(^^;)

「はな村」を出てさらに街を歩きます。で、写真の場所は、ワタシが湯布院に来るたびに必ず立ち寄る金鱗湖。きょうも、湖面からは湯気が立ち上っておりました。
  由布院駅まで戻ってきました。
次の列車までまだ少し時間があるので、駅構内でのんびりしていると・・・ありゃ、猫がいますね。けっこう人なれしている様子で、口笛を吹くと寄ってきます。しまいには、ごらんのように寝そべってしまいました。(^^;)

大分へ戻るには特急「ゆふ3号」という手もあったんですが、ワタシはあえてやり過ごし、その次の普通列車にしました。その列車とは・・・?
  3番線で待っていた列車は、14時52分発4825D大分行き。・・・この列車、かつては同じダイヤで、客車列車(12系4両)として運転されていた列車なんです。それが、昨年12月4日ダイヤ改正で、久大線の客車列車が全廃となり、気動車に置き換えられたんですね。
その車両ですが、九州内各地から余剰となった車が集められて運用されており、この日の編成は大分寄りから、キハ65-36(ブルーの新急行色)+キハ47-89(九州一般色)+キハ47-9072(同)の3両でした。いずれも、所属区名の表記は塗りつぶされて消えていました。

列車は定刻どおりに由布院を発車。ワタシは午後のけだるさに巻かれて、うつらうつらとしていました。(^^;)
  16時3分に大分に着いた4825Dから降り立ったワタシ。大きな荷物をとりあえずコインロッカーに入れ、再びホームに上がりました。
5番線には、16時25分発、特急「にちりん18号」博多行きが、485系4連で入ってきました。ワタシはこの列車の自由席に乗り込みました。
結局、連絡列車の待ち合わせで5分遅れで大分を発車した列車、別府湾沿いを猛然と飛ばしていきます。そして、ワタシは・・・。
  ・・・次の停車駅・別府で降りました。(笑)
実は、2日前に「富士」で通ったときから気になっていたのが、この別府駅の中線にいた423系電車の保留車でした。813系、815系という相次ぐ新車の投入で、昨年10月にはとりあえず役目を終えたこの電車ですが、ワタシの子供のころ、故郷を走っていたのはおもにこの電車でしたから、懐かしさとともに、その境遇を知って寂しい思いもわいてきます。
  じゃあ、その新車・815系に乗ってみようじゃないか、ということで、16時50分発の下り639Mで大分へ戻ってみることにしましょう。
特急「にちりん17号」を先に行かせたあと、639Mは別府を発車します。「グゥィーン」・・・おっと、思ってたよりモーターの音、大きいですねぇ。もっと静かなのかと思ってましたが・・・。しかしながら、さすがに馬力はあるようで、加速はなめらか、かつ速い感じです。ロングシートなんで座り心地も気になりましたが、けっこう座面もやわらかいし、何より着席区分がはっきりついているんで、ふんぞり返るような輩もいません。
別府の遊園地「ラクテンチ」の灯りを見ながら別府湾沿いへ。西大分付近では、上り東京行きのブルトレ「富士」が、長い編成をくねらせて走っていきました。
  別府を出て15分で、639Mは大分に着きました。
さて、そろそろおなか空いてきましたねぇ・・・と、駅ビル内を歩いていると、「大分名物だんご汁」と書かれたちょうちんが・・・。ちょうどいいや、と思い、その「豊後茶屋」という店に入ってみました。
里芋や人参、あぶらげ、しいたけ、長ねぎなどが入っただんご汁と、ご飯、漬物の定食をいただきます。だんご汁には、小麦の生地を伸ばしてうどん状(平たいからきしめん状?)にした麺のようなものが入っています。白みそのだしも程よい感じで、あったまりますね〜。
  さて、いよいよこの「グリーン豪遊券」の旅のクライマックスを迎えました。ここでワタシが選んだ列車は、18時25分発、787系6連で運転の特急「にちりんシーガイア22号」博多行き。大分からだと、「ソニック」「にちりん」が30分に1本の割合で出ているのでそれらに乗るのは容易ですが、この時間まで待ってこの列車を選んだのは・・・この列車も、3月11日のダイヤ改正から使用車両が783系「ハイパーサルーン」に置き換えられ、この「つばめ型車両」の日豊線での運用がなくなってしまうからなんです。
最後の「つばめ型シーガイア」ということで、またも1号車のグリーン車に乗ります。

グリーン車に陣取ったワタシですが、なんとなく4号車のビュッフェへ向かってしまいました。そこで、なぜかたこ焼きを注文。さらに、炭焼きコーヒーを飲みながら、車内テレビの衛星放送の画面に見入っていました。
すると、ビュッフェ担当の「にちりんレディ」が、ワタシのカメラを見て「写真撮られるんですか?」。「なんか、今回の旅2度目だよな」と思いつつ、他のお客さんが少なかったこともあってしばらく話し込みました。
そして、席へ戻る直前、土産にしようと車内限定の「つばめワイン」(甘夏サングリア)をオーダーしたんですが、彼女は「どうします?割れないように包みましょうか?」といって、丁寧に包装してくれました。どうもありがとう!

結局、1時間半強の乗車時間のうち、約1時間くらいをビュッフェで過ごしていた計算になります。グリーン席なのに・・。(^^;)
  20時2分、「にちりんシーガイア22号」は定刻どおり小倉に到着しました。

今回の「グリーン豪遊券」の旅では、3月11日のダイヤ改正での大変動を前に、置き換えられていく列車を中心に乗り回す感じになりました。九州で育ちながら、これまで乗ったことのなかった線区にも乗り、今まで知らなかった九州の姿を、少しは目に焼き付けることができたように思います。

で、実家にいったん落ち着いたワタシですが、旅はまだ終わっていません。
次は3日後、九州から一度離れての日帰り旅が待っています。
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