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Part8(2005・8)
苫小牧からは、こちらの列車に乗って移動します。

15時42分発、2641D列車夕張行き。車両は、苫小牧運転所のキハ40-1701です。ここ苫小牧から、室蘭線を追分まで行き、そこから石勝線へ入るという運転経路。おそらく、夕張方面への車両の送り込みを兼ねた運用でしょう。
沼ノ端を出たところで、上空にはジャンボジェット・B747の姿が見えました。

このあたりは、新千歳空港に離着陸する航空機の飛行ルートになっています。

遠浅、早来、安平と停車。
ここは旅の初日にも通りましたが、きょうは晴れていますので、田園風景の緑がやはりきれいでした。
2641Dは追分に到着。

ここで、石勝線の上下の特急を通すために、19分の停車時間があります。

まずは、下りの帯広行き特急「スーパーとかち7号」が、追分に停車。
「スーパーとかち」といえば、キハ183系、ダブルデッカー車連結、というイメージがまだワタシの頭にはあるんですが、現在は札幌〜帯広間の「とかち」系統6往復のうち、2往復がこのキハ283系の「スーパーとかち」、残りがキハ183系の「とかち」ということになっています。
「スーパーとかち」から撤退したダブルデッカーのキサロハ182形は全車が保留車に・・・。

このあと、上りの釧路発札幌行き「スーパーおおぞら8号」が通過しました。
札幌〜釧路間の「おおぞら」系統は、昼行6往復のすべてがキハ283系の「スーパーおおぞら」となっており、以前「おおぞら」を名乗っていた夜行の1往復(キハ183系+14系寝台客車で運転)は、昼行の「おおぞら」がすべて「スーパー」化された2001年7月のダイヤ改正時に「まりも」の愛称に変更されています。
長い停車を終え、2641Dは追分を発車。

川端で目に入ったのが、こちら。
駅の横にあるパークゴルフ場の敷地内に、旧型客車・・・。

この客車、かつて、1988年から1995年にかけて函館線小樽〜倶知安・ニセコ間で走っていたC62-3牽引「SLニセコ号」に使用されていたものなんですね。C62-3による「ニセコ号」運行が終了したあとに、こちらに2両がやってきています。

ちなみに、C62-3の「ニセコ号」に使用されていた旧型客車5両のうち、カフェカーのスハシ44-1は現在もSL列車の一員として道内各地で活躍しています。私も「冬の湿原号」で2回ほど乗っています。
列車は夕張川の渓谷に沿って走り、17時13分、新夕張に到着。

しばらく停車後、17時20分に発車し、石勝線の本線と分かれ、夕張へ向かう線路(俗に夕張支線とも呼ばれます)を進みます。

新夕張発車直後、夕張川を渡ります。
右手奥に見えているのが、石勝線の本線ルートです。
追分から新夕張を経て夕張へ向かう線路は、もともと明治時代の1892年11月に、北海道炭礦鉄道により開業した、かつての夕張線。もちろん、夕張地域で採れた石炭を運び出すことが主要な使命でした。
その当時を思わせる、広い構内の駅が多いことも、この路線の特徴です。昨年まではタブレット閉塞・腕木式信号機も一部区間で使用されていました。

ここ清水沢も、かつては側線があった感じの構内ですが、いまや列車交換設備も撤去されており、さらにはバリアフリー対応もあってか跨線橋の使用が停止され、かつて線路のあったところに段差のない通路がつくられて駅舎とホームをつないでいました。
さらに進んでいくと、こういう感じの風景が見えてきます。

かつて、炭鉱の街として賑わった地域、ワタシの地元に近い福岡県の筑豊地域などもそうなんですが、やはり国のエネルギー政策が石油中心に移行し、上から火を消されるような形で炭鉱の相次ぐ閉山、そして人口の流出という形になってきた経過があります。
列車の中から線路敷や街並みを見ていても、そうしたエネルギー政策に翻弄された跡が随所に見られました。
17時47分、2641Dは終点の夕張に到着しました。

夕張駅ですが、かつては現在の位置からさらに2.1kmほど進んだところ、いまのテーマパーク「石炭の歴史村」のある位置に駅がありました。その後2回の駅移転を経て、現在の位置になったのは1990年のこと。

現在の駅の前には、スキーリゾート施設・ホテルが構えています。
石炭産業が衰退したいま、レジャー・観光に活路を見出そうというところなんでしょうが・・・。
ワタシは、折り返し18時発、2640D列車追分行きに乗車しました。

こちら、鹿ノ谷駅。
かつては、函館本線の野幌駅から、室蘭本線の栗山駅、さらにはこの鹿ノ谷駅を通って、夕張本町へ続く夕張鉄道の線路がありました。石炭輸送のみならず、旅客営業も行って賑わった路線のようですが、やはり石炭産業の衰退とともに輸送量が減り、1975年までに全線が廃止となっています。
こちら、左上写真は沼ノ沢駅。

もともとは炭鉱へつながる専用線もあり、貨物駅として開業した駅です。

夕張川の谷沿いに走る列車。
現在は1日9往復の普通列車が走るだけですが、かつてはここを、SLが牽引する石炭輸送の貨物列車がたくさん走っていたんですよね。
1975年12月、SL牽引による全国最後の貨物列車が走ったのも、夕張〜追分間でありました・・・。
18時23分、2640Dは新夕張に到着。
ワタシは、ここで列車を降りました。

ワタシ自身、この新夕張はいままで通過するだけでしたので、駅の前に出てきたのも初めて。

駅舎、そして駅ホームには、写真のような形で黄色い布が万国旗のようにつるされていました。・・・これ、ひょっとして、この夕張地方が舞台となった映画「幸福の黄色いハンカチ」にちなんだものなんでしょうかね?

ちなみに、映画「幸福の黄色いハンカチ」は、あの「男はつらいよ」シリーズを手がけた山田洋次監督の作品。「健さん」こと高倉健主演で1977年に製作されています。
ワタシは映画公開当時は小学生でして、作品自体はずいぶんあとにテレビで見ることになったんですが、ラストシーンで思わずホロッと涙してしまいそうになったのを覚えています。
駅舎の前には、こちら。
案内図の看板の隣に、「もみじやま」の駅名標。

この新夕張駅、石勝線の開通前、「夕張線」という路線名だったころは「紅葉山」という駅名でした。駅の位置も、石勝線の整備に伴って少し移動していますね。
では、そろそろ移動することにしましょう。

新夕張から19時10分発、「スーパーおおぞら10号」札幌行きに乗車。
車両はもちろん、キハ283系。基本は6両編成ですが、この日は3両増結されて9両編成になっていました。
この新夕張で、下りの帯広行き特急「とかち9号」のキハ183系編成と行き違いです。
列車は思ったほど混雑もしていませんでした。
さすがに、北海道、日が落ちるのも早いですね。すでに沿線は夜の闇に包まれていました。

20時15分、少し遅れて列車は札幌駅に到着しました。
さて、札幌駅では、旅の初日にも登場してくれた札幌在住のネット仲間氏が出迎えてくれました。

夕食を食べようということになり、連れて行かれたのは、北海道随一の歓楽街・すすきの。
ちょうど、「すすきの祭り」の最終日ということで、街は大勢の人でにぎわっていました。
すすきので、とある居酒屋に2人で入り、生ビールや地酒を飲みながら海の幸や大地の恵みに舌鼓を打ちました。

さすが、海のものがとにかく美味い!
毎度、北海道に来るたびに実感します。

ということで、札幌の夜は楽しく過ぎていきました。
明日は、いよいよ最終日になります。
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