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Part2(2003・11)
4両編成の237Dはさらに先へ進んでいきます。

ここは坪野駅。
この駅から三段峡方へ500mほどのところに、「国鉄営業20000km」の記念碑があるということです。国鉄が敷設してきた路線の総延長が、その地点でちょうど20000kmに達したことを記念したものといわれます。
次は田之尻駅。
ホームで列車を撮っているファンがいました。

この駅は1969年まで、「筒賀」という駅名でした。
実は、同年に加計から三段峡までの路線が開業する際、その新規開業区間に新しく「筒賀」という駅が開設されました。
田之尻駅も、新しく開業した筒賀駅も、同じ筒賀村の村内。しかしながら、新しい筒賀駅のほうが、村の中心部を通るということで、駅名変更に至ったといいます。
津浪、香草と停車し、列車の行く手に街並みが見えてきました。
鉄橋を渡ると・・・。
・・・可部からおよそ1時間。237Dは加計に到着しました。

3分停車の間にホームへ出てきました。
向かい側ホームには、244D列車可部行きが発車を待っていました。
一方、側線のほうには・・・。

秋の紅葉シーズンということもあって、この時期、土・休日の可部線には臨時の快速「三段峡観光号」が、広島〜三段峡間に1日1往復設定されていました。
写真で見えるとおり、専用のサボ(表示板)も用意されていました。

広島から三段峡へ下った「観光号」の車両は、上りの時間までいったん加計に引き上げています。というのも、加計から先、三段峡までの線路には、列車が1本しか入れないようになっているんです。
237Dは14時7分に加計を発車します。

この加計から三段峡に至る線路は、1969年7月に開業しています。割と新しい区間ということもあって、線路設備などもあまり古い感じがなく、いわゆる昔ながらのローカル線、といった風情ではありません。
ここは、木坂駅。
ここの1日当たりの乗降人員は2人。先日訪ねたあの駅と同じ、ということになりますね。
上殿を過ぎて、さらに山あいへ。
山も少し色づきかかっています。
さきほど上でも触れた筒賀の駅を出たところ。
左手に、柿の木がオレンジ色の葉をつけているのが見えました。
列車は戸河内に到着しました。
駅横の駐車場から、テレビカメラが覗いています。
戸河内を出ると、次はいよいよ終点・三段峡です。

スピードが落ち、列車は駅へ入っていきます。
と・・・左手のホームには、折り返しの列車を待っている人の列が・・・。
14時38分、237Dは三段峡に到着しました。

折り返しは15時5分発の246Dとなりますが、列車が着いたとたん、ホームで待っていた人たちがわんさか乗り込んで、あっという間に列車の中はいっぱいに・・・。
ワタシたちはとりあえず、三段峡駅の前に出てきました。

この三段峡から先、山陰線の浜田まで、54kmの路線「今福線」という計画路線があり、1964年には工事線の建議もされていました。しかし、国鉄の赤字・財政難のなか、日の目を見ることはありませんでした。

ワタシが前回来たときは、本当に数えるくらいしか人の姿を見なかったんですが、今回は時期も時期。しかしまぁ、こうも違うものかと驚いてました。
前回のときも紹介していましたが、駅前にはSL・C11-189が保存されています。

この機関車は、戦時中の1940年の製造。鹿児島など南九州で活躍していた時期がけっこう長く、1975年の廃車時も志布志機関区所属だったというんですが、この可部線にも縁がある機関車ということで、この場所に置かれているのだとか。
なお、前回のときに機関車横につけられていた「可部線の存続を願う」と書かれた横断幕は、はずされていました。

破損などはないものの、雨ざらしのため状態はあまりよくなさそうな感じでしたが・・・。
駅前の風景。
土産物屋のところにも、多くの観光客の姿がありました。
なお、三段峡の紅葉を楽しむには、この駅前から、途中の出合橋までバスで30分、そこからさらに歩かないと、見所にはたどり着けません。

さすがに時間が時間だけに、そこまでは行けないと判断。
引き返すことにしましたが・・・。列車はすでに満員。どうしましょう??
ワタシたちはいろいろ考えた結果、あとになるほど混雑することも考えられたため、15時5分発の246D列車に乗ることにしました。

とはいえ、やはり車内はかなりの混雑。
ワタシたちが乗ったときには、すでに左下写真のような状態になっていました。
そんななかでも、まぁ一杯・・・。(笑)
キハ28-3014のデッキで、駅前の土産物屋で買い込んできたビールを開けました。
おそらく可部までは立ったままでしょうから、このくらい楽しみがあっても・・・。(^^;)
15時5分に246Dは三段峡を後にしました。

発車から25分、ここは、加計。
246Dはこの加計が終点で、通常なら車両は下りの241Dとして三段峡へ折り返していきますが、きょうは変運用で、246Dの車両がそのまま15時51分発、可部行きの248Dとなって上っていく運用になっていました。

写真真ん中、広島から下ってきた1239Dが到着しました。
さらに左に見えるのが、先ほど紹介した「三段峡観光号」の車両4両編成。
このあと、左の列車は転線して真ん中にいる1239Dの車両と連結され、ここ加計から三段峡行きの241Dとして下っていきました。
列車番号が248Dに変わった列車は、15時51分に加計を発車しました。

時刻はすでに夕刻にかかろうかという頃。
日は西へ傾き、もう山の陰に隠れようとしています。
太田川の流れはゆったりと、下流の広島市のほうへ向かっていました。
16時48分、248Dは終点の可部に到着しました。

改めてこの可部線の廃線予定区間を見てみると、鉄道ファン的にも非常に魅力的な路線であるのはもちろん、車窓風景としてもなかなかのものを持っていることが非常によく分かります。
地元では、もちろん通学や買い物の足となっていたわけですが、そこに、この車窓風景を売り物にした観光的な要素を付加し、ある程度の投資をしていけば、まだまだ鉄道需要は掘り起こせるのではないか、という気もしました。

なによりも、国民の財産である鉄道の線路が失われる、ということが、残念でなりません。
可部からは、広島まで電車になります。
海田市から先は呉線に入る784M列車広行き。車両は写真の瀬戸内カラー103系4両編成です。
朝夕のラッシュ時には、この可部線の電化区間では往路に乗った2両編成の105系だけでなく、通勤客を運ぶために103系や115系などの車両が乗り入れています。
103系の中には、関門海峡の観光キャンペーンで、このようにラッピングを施されている編成があります。
17時37分、784Mは広島に到着です。

おそらく今回が、廃線予定区間での最後の乗車になるだろうと思いましたので、乗り換え改札を通るときに、三段峡からのきっぷに無効印を押してもらいました。
広島からは、新幹線で帰りを急ぎます。

ちょうど11番ホームに、東京から広島止まりの「のぞみ55号」が到着。
「Rail Star」を除いて、「ひかり」はほとんど見かけなくなってしまいましたね。
ワタシたちは、17時49分発の「のぞみ21号」博多行きに乗車することにしました・・・というより、時間的に他にいい列車が見当たりませんで。

車両は、JR西日本の500系16両編成。
500系に乗るのって・・・ひょっとしなくても、もう2年ぶりの話でした。
久しぶりに乗った500系「のぞみ」。
乗車したのは2号車、ということは・・・。
・・・そうです、10月のダイヤ改正から「のぞみ」に3両だけ設けられた、自由席車だったんですねぇ。
「のぞみ」の自由席、というのも、もちろん初乗り。

広島を過ぎてから、ということもあってか、それほど混み合っているわけではありませんでした。
「のぞみ21号」は、広島を出ると、徳山、小倉、博多の順に停まります。
この徳山にも「のぞみ」が停まるようになったんですよねぇ。停車駅が増える分、東京〜博多間のトータルの所要時間は長くなるわけですが、全区間通しの乗車はそれほど多くない、という判断もあったんでしょうか。
東京〜福岡間といえば、航空便のほうもかなり本数が多く、割引運賃もいろいろ設定されていますから、確かに新幹線が太刀打ちするのは厳しいかもしれませんがね。
久々に体感する300km/hのスピード。
何度新幹線に、そしてこの500系車両に乗っていても、やはりこのスピードは特別です。営業列車最高速度ですから・・・。
徳山に停車しても、広島から小倉までは50分ほど。
0系や100系の時代の「ひかり」だと1時間はかかっていました。確かに、前回のとき乗車した100N系「グランドひかり」の「ひかり121号」は、広島17時56分発、小倉着は19時ちょうど(途中小郡停車)でしたから・・・。
途中でも書きましたが、外野から見たワタシの考えは、残念、の一言です。
ただ単に、路線が減ってしまう寂しさからだけでこのことを言うのは簡単です。それ以上に、鉄道路線の廃止、ということには、やはり重い意味があるんですよね。もともと国民の税金を使ってつくられた線路、しかも、いま現にその線路を日々の生活の足として利用している人たちがいるわけですから・・・。
さらに、この秋の時期には、三段峡という紅葉の名所を抱えていることもあって、もともと観光利用の多い路線。来年以降、その観光客が車やバスだけでまかないきれるのか、という懸念もあります。
路線を維持していくのも簡単ではありませんけどもね・・・。難しい問題です。

本当は、もっと早い時期にこの可部線の廃線予定区間にきたかったんですが、多忙だったこともありなかなかスケジュールが組めませんでした。
ただもう、背に腹代えられない時期にさしかかっていたので、無理やりやってきましたが、前回の訪問の時には気がつかなかったことにもいろいろ目が行って、日帰りでしたがけっこう楽しむことができました。
<おわり>