(2023・4)
今回は、西戸崎駅スタート・ゴールで行われたJR九州ウォーキングに参加した際の記録です。
ゴールデンウィーク初日のウォーキングとなったんですが、本当に生憎の空模様でですねぇ・・・。そういえば、1年前の同じ日にはこちらのウォーキングに参加していたんですが、そのときも雨でしたね・・・「雨の特異日」だったっけなぁ?
まぁ多少天気が悪いくらいなら問題なく歩いてきてるんですが、雨で風が出てくるとちょっと大変は大変ですわな・・・。

なお、ウォーキング部分についてはこちらも参照ください。
4月29日朝。
同行の中1娘と2人、箱崎8時48分発、普通2136M列車海老津行きに乗車します。
813系RM2+RM2210+RM2207編成計9両での運転でした。
2136Mを香椎で降りて、乗り換えます。

香椎からは8時58分発、宇美始発でやってきた普通728C列車西戸崎行きに乗車します。
BEC819系ZG5306+ZG5302編成計4両での運転でした。
728Cは雨が降る中を走っていきます。

こちらは、福岡空港(奈多地区)のあたり。
先日、このウォーキングのときには、ここを歩いて海ノ中道駅まで行ったんでしたね。
列車に乗るとあっという間に通り過ぎてしまいますが、歩くとけっこう長く感じるんですよね・・・。
こちらは、海ノ中道。
海浜公園に行くのか、それともマリンワールドに行くのか、親子連れがここで降りて行くのを見かけました。この天気のせいか、数は少なかったですけどもね。
9時19分、香椎から20分ちょっとで、728Cは終点の西戸崎に到着しました。
やはりここで、たくさんの人が降りて行きます。多くはワタシたちと同じ目的でしょうね・・・。
駅の外に出ると、既にスタート待ちの参加者がずらりと並んでいて、駅前広場を出て道路の歩道まで伸びていっていました。
とりあえずその列に並んで、9時半の受付開始を待ちます。

時間が来て、徐々に列が動き出しました。
マップを受け取り、雨のなか歩きだしていきます。
まずは、西戸崎の街なかのこちら。

地元商工会が企画し、九産大造形短大部の学生さんが描いた絵がシャッターを彩るシャッターアート。
第二次大戦後、1972(昭和47)年まで「キャンプハカタ」に米軍が駐留していた歴史があるこのあたりで、そういうアメリカ的な文化とのかかわりを今に伝えるものとなっています。
さらにコースを進むと、こちら。

ここは、かつて米軍人の家族向け住宅だったところを宿泊施設にしたという、米軍ハウスです。
以前、2年前にここを歩いた時に、中を見せてもらったことがあります。当時の雰囲気を残しながらの再利用ということで、当時の暮らしぶりも垣間見ることができます。

今回は足元の悪い中でもあり、上り込むと汚してしまうかもな~という気もしたので、見学は遠慮して通過しましたが。
コースは県道59号海の中道を進んでいきます。

ここは、「金印ドッグ」が名物になっている、やすらぎ丸というお店。
ワタシたちが開店前でしたので寄ることはしませんでしたが、営業時間中は、駐車場でホットドッグの出来上がりを待つお客さんが絶えることはありません。
そのまま進んでいくと、いよいよ志賀島へ渡る砂州のあたりまできました。

生憎の天気、しかも風もけっこうありまして、傘をうまくさしていないと飛ばされてしまうかもな~という状況でした。
しかも、砂州上の歩道には大きな水たまりができているところもあり、足をもって行く場に困る場面も。これはちょっと考えもんですな。
砂州を歩いている途中で、こちら。
どこからどうやってきたのか分かりませんが、ヒトデがいました。
道路はけっこう海面から高さがありますんで、波か風で飛ばされてきたのかなぁと思いましたが、それにしても、こんなところに上ってくるとは・・・。
志賀島橋を渡って島へ入ってきました。

島の入口にある、志賀島センターへ立ち寄りました。
ここではウォーキングマップを見せると、先着500名にちょっぴりプレゼントがあるというので、お店でマップを提示したところ、いただいたのはこちらのフリーズドライのもずくスープ。お湯で戻すタイプのものです。
おそらく、自宅でのご飯のときに使うことになるでしょうね。
コースはさらに進んで、折り返しポイントとなる志賀海神社へ。

娘と2人、お詣りしてきました。
雨に濡れた新緑がなんだかいい雰囲気でした。

参道から海の中道方面を見渡すこともできます。
参道を戻っていく途中でこちら。

1971(昭和46)年に福岡市に編入されるまで、この志賀島エリアは糟屋郡志賀町という自治体の管轄でした。ここはその町役場があった跡地だそうで。
そういう歴史があるんですね。
さて、ちょっと早いんですが、そろそろお昼にしましょうかね。

志賀海神社の参道を戻ってきたところにある、こちらに行ってみることに。
中西食堂、1969(昭和44)年創業の、いかにもな昭和の雰囲気を残す食堂です。
ここは、地元産のさざえを玉子とじにしたさざえ丼(900円)や、さざえのつぼ焼きをいただけるということで人気があります。ちょうど11時の開店時間に訪ねてみると、すでにけっこうお客さんが入っていて、ワタシたちはどうにか席にありつけた、というところでした。
娘のほうは玉子丼(700円・税込)、ワタシは、さざえ丼のさざえが2.5倍入っているという曙丼(1200円・同)をいただくことにしました。

この曙丼、という名前ですが・・・。
大相撲の元横綱・曙太郎氏(その後総合格闘家、タレント)が力士時代によくこのお店にさざえ丼を食べに来ていて、その曙氏のリクエストでさざえ丼の大盛り版を出すようになり、その曙氏から許諾をもらって、その大盛りさざえ丼に「曙丼」という名前をつけたんだとか。

ワタシ自身は1年半ぶりくらいにこの曙丼をいただいたんですが、変わらぬ優しいお味と、さざえの食感、大満足でした。(^^;
お昼を食べ終わって、ここからは西戸崎駅に戻る道のり。

今回のコースでは、志賀島から西戸崎まで、市営渡船で戻るという選択肢も用意されてはいたんですが、この悪天候で船に乗る人が多くなるだろうと予想して、今回は歩いて西戸崎まで戻ることにしました。

相変わらずな悪天候、悪路のなかではありましたが、傘をしっかり持って、砂州を渡っていきました。
博多湾の向こう側には、ペイペイドームや福岡タワーのあるエリアがよく見えますね。
砂州を渡り切り、さらに県道59号沿いを進んでいきます。

いくつか飲食店が点在する、志賀中学校から大岳にかけてのエリアを行きます。
このあたりでお昼をとるという選択も考えてはいたんですが、なにぶんスタート時間も遅く、この悪天候ですので、島で食べてきたのは正解だったかなと思いましたね。
西戸崎の街へ戻ってきました。

こちら、老健施設の敷地内に置かれている、西鉄北九州線最後の二車体連接車・1000形1024号です。(公道上より撮影)
昨年歩いたときにも様子を見てきていましたが、そのときは色褪せや車体裾部の錆が気になるような状態でした。
今回訪ねてみると、再塗装が施されていて、いまにもまた走りだしそうな風情になっていました。
こうしてきれいにしてもらえるというのは、ありがたいことですね。
12時39分、ようやく西戸崎駅まで戻ってきました。
ゴール手続きを済ませます。

・・・っと、そのゴール手続きをしている間に、12時39分発の普通2745C列車香椎行きが発車していってしまいました・・・。
仕方ないので、30分後に発車する、13時9分発の普通2747C列車香椎行きに乗ることにしました。
車両はBEC819系ZG309+ZG106編成計4両。自動運転対応でない車両ばかりの組成でした。

海ノ中道で少しお客さんが増えましたが、大きな混雑もなくそのまま香椎へ・・・。
2747Cは13時29分に香椎に到着。

乗り継ぎのためにホームを移動してきました。
ちょうど、上りの貨物8052列車を牽引して、EH500-65が上り本線を通過していきました。

ワタシたちは、13時37分発、普通2151M列車二日市に乗車して、箱崎へ戻ります。811系PM2108編成4連・・・またこの休日の昼間、博多へ向かう列車が4両というのは・・・。
本当に雨風が時折強くなる、生憎の天候でしたが、どうにかコースを歩ききってきました。
晴れていれば、とてもいい眺望が期待できるコースなんですけどもね。天気さえ悪くなければね、という感じでした。
そんななかでも、久しぶりの曙丼も食べられたし、いいペースで11kmしっかり歩いて、いい運動になったかなと思います。
春編のウォーキング参加、まだまだ続きます。
<おわり>