(2022・9)
西九州新幹線武雄温泉~長崎間の部分開業まで、いよいよあとわずかとなりました。
愛称が新幹線へ移行することになる在来線特急「かもめ」、1976年の長崎線(鳥栖~市布~長崎間)電化開業以降、長崎線を走り続けてきたわけですが、その歴史にまもなくピリオドが打たれようとしています。
これまで何度も、長崎線を特急で旅してきたワタシですが、やはりここは最後にもう一度、乗っておこうということで、コロナウイルスの感染者数が下降局面に入るのを待って、実行に移すことにしました。
9月4日。
同行の小6娘と、箱崎駅にやってきました。

ご存知のように、博多~香椎間の鹿児島本線では7月22日から、クレジットカードのタッチ決済による鉄道利用の実証実験が行われています。
自動改札機に、タッチ決済に対応するユニットの取り付けが行われていました。
このところコロナウイルス感染者が多かったこともあって、しばらく鉄道利用を控えていましたんで、この状態も初めて見ることになりました。
ホームに上がってみると、こちらの列車が通過。

門司港発で佐賀へ向かう「かもめ101号」。通常は787系6両での運転なんですが、代走がかかっていまして、この日は783系CM33+CM3編成の計8両での運用に。
CM33編成といえば、昨年2021年春にいったん運用離脱して熊本へ疎開となったものの、CM15編成が水害で廃車になったことでの車両不足もあり、疎開先から舞い戻って予備役的に運用されている編成ですよね。
で、ワタシたちは、こちらの列車で博多へ。
箱崎8時12分発、813系9両で運転の普通133M列車鳥栖行き。前3両はRM301編成でした。
博多駅に到着して、いったん改札外へ。
再び入りなおしたところに、このカウントダウン表示。
もう3週間を切っているんですね。気が付いたらあっという間に日が経っていました。
博多からは、特急「かもめ」乗車です。

3番ホームから8時52分発、「かもめ9号」長崎行き。
車両は787系BM4編成7連、竹下方から回送で入線です。

隣の2番ホームには、長崎から「かもめ4号」で到着した885系SM10編成6連が停まっていました。
この間、「かもめ」の主力を担ってきたのがこの787系と885系なわけですが、この両系列が通い慣れた長崎へ行くのも、もうあとわずかな期間になりました。
「かもめ9号」は定刻に博多を発車。
3番ホームからポイントをいくつか渡って、鹿児島線の本線へ進みます。
長崎線の特急が博多を発車するときって、この転線がある意味、旅立ちの儀式みたいなもんですからねぇ。
9時14分、「かもめ9号」は鳥栖に到着。

写真奥の方では、中央軒のうどん屋さん・売店が営業しています。
また近いうちに、ホームで風に吹かれながらかしわうどんを食べたいなぁ~。(^^;
鳥栖から長崎本線に入ってきました。

新鳥栖、佐賀に停車し、写真は嘉瀬川河川敷のあたり。
そう、バルーンさが駅のあたりです。

今年はバルーンフェスタが有観客開催の予定だそうですが、コロナウイルス禍のため海外選手の参加は見送りとのこと。
どんな感じになるんでしょうね・・・。
「かもめ9号」は定刻1分遅れの9時42分、肥前山口に到着しました。

写真に写っている駅名標、国鉄時代の様式のものですね。
9月23日以降、駅名が「江北」へ変わる同駅、この駅名標も、駅名変更で引導を渡されてしまうんでしょうか・・・。
肥前鹿島に停車し、「かもめ9号」は肥前浜を通過していきます。

9月23日以降、この肥前浜から先の長崎本線は非電化になります。
もともと、電車の運転は肥前鹿島以北の予定になっていたものの、肥前鹿島駅がホーム1面2線しかなく、折り返し列車の設定が大変なため、ホーム2面3線の肥前浜まで電化を残すことになったわけで。

「かもめ」はこうして肥前浜を高速で通過していきますが、そんな場面も、ダイヤ改正後は見られなくなるということになります。
そんな、ダイヤ改正後は非電化になる区間を、列車は進んでいきます。

こちらは途中の多良駅。「かもめ9号」の停車駅ではありませんが、列車はここで、上りの885系「かもめ12号」と行き違います。

多良駅のある太良町は、竹崎カニで有名なところ。
一度、ゆっくり訪ねてみたいなぁ・・・。
多良を出てしばらく進むと、里信号場を通過。
ここは入り江になっていて、明媚な光景が広がります。

それこそ、この里信号場のあたりを走る国道207号沿いに、「川した」というレストランがあり、そこも竹崎カニを使った料理で有名なお店なんだとか。以前から車窓を見るたび気になってます。(^^;
里信号場からさらに進むと、白浜海水浴場が見えてきます。

このあたりは、列車撮影地としても有名なところで、海水浴場から線路を挟んだ高台のところが、昔から撮影地として知られていました。
ワタシ自身も、かつてそこから、ブルトレ「さくら」や、885系や783系の「かもめ」を撮ったことがありました。

ここを走る列車も、気動車での普通列車がメインになりますのでねぇ・・・あと被写体となるのは、週末などに運行される「ふたつ星4047」とか、あとは「ななつ星」とかになってしまうんでしょうかね。
肥前大浦を通過して、こちらは土井崎信号場。
何か行き違いがあるようなので見ていると、そこにいたのは、YC1系。
どうやらこの日、YC1-1+1001のトップナンバー編成が試運転していたようでした。
着々と準備が進んでいるようで・・・。
海沿いの区間を走り抜けたあと、列車はまもなく諫早へ。

本明川を渡ります。
今年、このウォーキングのときには、川沿いを歩いてこの鉄橋を見上げたもんでしたけどもね。
諫早を出ると、あとは浦上、長崎・・・。

ふと、乗車していた4号車の天井を見上げてみました。
4号車・サハ787-204の天井、ビュッフェ時代の名残であるエッグラインが残っていますが、その端に、塗装の剥げを補修したような跡が見られました。

787系も既に、デビューから30年が経過しています。
登場時はJR九州のフラッグシップトレインとして注目を浴び、その後も幹線系を特急として走り続けてきた787系ですが、このところは車両の傷みがあちこちに・・・痛々しいなぁ・・・。
喜々津から、市布経由の新線を走る「かもめ9号」。
写真は現川通過の場面。
山間を高速で走り抜けるべく作られた線路ですが、ここも電車が走らなくなるんですよね・・・なんかまだ信じられないです・・・。
定刻の10時51分に、「かもめ9号」は浦上に到着。

浦上を発車しようとしたところで、いきなり車内灯が落ち、非常灯に切り替わりました。
列車は構わず発車して長崎へ向かいますが・・・なんでここで、車内灯落ちちゃったんでしょうね。結局、長崎に着くまでそのままでした・・・。

左手から、トンネルを抜けた新幹線の高架が寄り添ってきました。
定刻1分遅れの10時55分、「かもめ9号」は終点・長崎駅5番ホームに到着しました。
すぐ隣には、新幹線ホームが見えています。

長崎駅在来線ホームが高架になったのは、2020年3月のこと。
わずか2年半で、ここから電車はいなくなります。
まさかそんなことになるなんて、想像もしてませんでしたね。
ホームから改札へ降りてくると、こちら。

新在乗り換え改札も準備万端、という感じでしょうか。
駅の東口へ出て、電車通りのほうへ。

以前の駅舎があったこの場所も、面影がなくなってしまいましたね。
長崎駅を出たワタシたちですが、とりあえず11時を過ぎましたんで、ランチを求めて歩き始めました。

どんどんと歩いて、出島のあたりまでやってきました。
もう少し歩けば新地中華街もあるしな~なんて思いながら歩いていると・・・。
出島の南東端に近いあたりに、何やらおしゃれなお店があるのを見つけました。
おやまぁ、いつの間にこんなお店が・・・。

ということで、やってきたのは「Branch OTTO DEJIMA」というお店。
ビルの1階に、屋外テラス席も備えたカフェ風の佇まい。店頭にあったメニューを見るとランチもいろいろあるようでしたんで、娘と相談して入ってみることにしました。
やはりこういうお店なんで、置いてるだろうなと思ったら、やはりありますね、長崎名物・トルコライス!

ということで、カツトルコライス(1920円・税込)をいただいてみました。
ライスの上にトンカツが載って、そこにデミグラスソースがかかっています。さらにナポリタンパスタ、野菜も載っています。
サクサクのトンカツとデミグラスソースとライスを、ひとすくいで口の中に入れてみると、これがやっぱり美味いんですよね。トルコライスを「おとなのお子様ランチ」と呼ぶこともありますが、まさにそんな感じで、口に入れると幸せな気分になれるメニューかなと。

ちなみに娘は、鉄板焼きナポリタン(1480円・税込)を食べていました。そちらもなかなか美味そうでした。(^^;
お腹いっぱいになったので、少しまた散歩しようということで、出島に寄ってみることにしました。
出島は、1996年から長崎市が進めている復元事業で、多くの建物の復元が成っています。今後はさらに、かつての出島の輪郭を復元し、19世紀初頭ごろの状態を再現するための事業にとりかかろうとしています。
こちらは、旧・長崎内外倶楽部の建物。
この建物は、1903(明治36)年に建てられたもの。長崎に在留する外国人と日本人の社交の場として設立された「長崎内外倶楽部」があったところ。2階を覗いてきましたが、明治期に外国人居留地となっていた出島の、当時の雰囲気が色濃く残っていました。
なお、1階には、現役のレストランがあり、長崎の食材を使った洋食メニューを扱っています。そっかぁ、ここで食事する手もあったんだな・・・。(^^;
こちらは、江戸時代にオランダ商館長が使っていた「カピタン部屋」の2階。復元された建物の2階には、当時の食卓を再現した広間や客間などがあります。
写真の大広間に再現された食卓は、クリスマスディナーの様子を再現したものなんだそうで・・・商館長やオランダからやってきた人たちは、異国・日本でのこうしたディナーを、どんな気持ちで味わっていたんでしょうね。
同行の娘が、公開されているすべての建物を見て回るというので、ひととおり見て回ってから、出島を後にしました。
で、出島の中を回っているときから、出島の外にあるこちらのお店が目に入りましてね・・・「日本のパフェ発祥の店」って書かれた幟が立ってるもんで。(^^;

ということでやってきたのがこちら、出島町にある「ハワイ」というお店。1960(昭和35)年創業、もともと大村市に店を構えていましたが、2016(平成28)年にこの出島町に移ってきたとのこと。
時間の関係か、それほど混みあってなかったので、娘と2人、すぐに席へ案内されました。

メニューを見ようとすると、オーナーさんがいろいろとパフェの説明をしてくださいました。聞けば、このお店でパフェに使っているジェラートは、まったく水で薄めず果汁100%で作られているということ。さらに、ソフトクリームも、砂糖や乳脂肪に頼らず濃厚な味に仕上げてあるとのことで「罪悪感なく食べれます」との話も。
さらに、「抹茶好きですか?」と問われて「はい」と答えると、抹茶を使ったパフェもあるとのこと。使用している抹茶も、食用に加工したものでなく、飲用と同じものだという話。

ということで、抹茶大好きな娘はその裏千家抹茶づくし(1300円・税込)のパフェを注文。ワタシは、さちのかいちごのジェラートを使ったセレブパフェ(1100円・同、写真)を注文することに。
それだけ素材にこだわっているパフェなんで、美味しくないわけがありませんよね。娘と2人、最後まで美味しくいただきました。
美味しいパフェを食べ終わり、出島電停から長崎電軌の電車に乗って、長崎駅前まで戻ってきました。
1番系統赤迫行き、地元のサッカーJ2、V・ファーレン長崎の応援企画電車となっている1200A形1205号でした・・・あ、1200A形って、西鉄北九州線600形の廃車発生品の足回りを使ってるんでしたね。(^^;
長崎駅に戻ってきました。
帰りの列車のきっぷをまだ手配してなかったんで、ネット予約で検索をかけ、予約したら即発券・・・。

で、自宅へのお土産を買おうと、駅高架下の「長崎街道かもめ市場」へ寄ってみたんですが・・・実は、ここにあったはずの、「まるなか本舗」のお店がなくなっていたんですよね。
「まるなか本舗」は、魚のすり身の天ぷらで地元では有名だったお店なんですが、まさかこの時期に長崎駅から撤退なんて・・・と思って、帰宅してから調べてみたら、なんと、8月中旬にお店をすべて畳み、会社の破産手続きの準備を行っていたんだそうで・・・これはかなりショックでした。

ここのちゃんぽん天(ちゃんぽん麺を練り込んだ天ぷら)を家族みんな好きだったもんで、長崎へ来るたびに買って帰っていたんでですね・・・楽しみが一つ、なくなってしまいました。
在来線5番ホームにやってきました。

帰りの列車は、長崎14時46分発「かもめ92号」博多行き、「8002M」という列車番号、季節運転扱いの列車です。この日は787系BM3編成7連での運転でした。
BM3編成といえば、ワタシにとって在来線特急「つばめ」最後の乗車も、この編成だったなぁ。
乗車して、さっそくこちらを。

改札を通る前にコンビニで、ビールとつまみを買い込んできました。
ささやかではありますが、在来線特急「かもめ」の最後の乗車ということになるので、最後の「居酒屋かもめ」といきましょう。
ちょうど、新幹線「かもめ」の開通記念缶がありましたのでね・・・。
定時に長崎を発車した「かもめ92号」は、浦上に停車し、そのあとは市布経由の新線を走り諫早へ。
市布では、普通2851M列車長崎行きの817系VN30編成2連と行き違い。向こうの車両も、23日以降は長崎へ来ることはなくなりますね・・・。
15時11分、「かもめ92号」は1分遅れで諫早に到着。
見ると、817系とYC1系の列車が並んで停まっています。
23日以降は長崎本線の諫早以東にも進出するYC1系、片や817系はこの諫早にも来なくなります。
諫早駅では、新幹線駅の整備にあわせて橋上駅化された際に、在来線駅構内の電化設備も新しくなっているわけですが、それも用なしになるなんてね・・・。
「かもめ92号」は諫早を出ると、次の停車駅は肥前鹿島、ということになります。

写真の場所は肥前長田~小江間。2004年7月に、885系SM3編成「かもめ46号」が落石に乗り上げ脱線・転覆した事故現場です。脱線して大破した同編成の4~6号車が廃車となり、400番台として3両が代替新製されたことを、鉄道ファンならご存知でしょう。
あれから18年もの月日が流れたんですね。もうここを、特急が走ることもなくなってしまいます。
こちらの写真の場所は、小長井駅。
「かもめ92号」はもちろん通過ですが、車窓からは雲仙普賢岳を望むことができます。
この明媚な区間も、新幹線になると通ることはありません。
疲れからしばしウトウトしているうちに、「かもめ92号」は肥前浜の一つ手前・肥前七浦駅にさしかかっていました。

ここには味のある木造駅舎が残されています。
特急が走らなくなり、電化施設がなくなったあとは、文字通り、一ローカル線の駅、ということになってしまうんですね。
YC1系の試運転列車が停車していた肥前浜を通過し、15時55分、「かもめ92号」は定刻に肥前鹿島に到着。
ここでは、787系BM1編成7連で運転の「かもめ25号」長崎行きと行き違いです。
このときにも書きましたが、ここ肥前鹿島で特急同士が行き違いをするシーンも、過去のものになって行くわけです。
列車は肥前鹿島を出ると、佐賀の穀倉地帯を進んでいきます。
まだ稲は青々としていますが、もうしばらくすると稲穂が頭を垂れ、黄金色に輝く季節になります。
もう9月、季節は確実に移ろっています。
肥前山口を通過し、佐賀に停車したあと、「かもめ92号」は16時28分に新鳥栖に到着しました。
西九州新幹線の部分開業後、この新鳥栖で九州新幹線から在来線特急へ乗り継ぎ、武雄温泉で西九州新幹線に乗り換える、という人も多くいるんでしょうね。特に熊本・鹿児島中央方面との連絡では、そういった乗り継ぎになってきますね。

西九州新幹線がこの新鳥栖駅まで辿り着くには、やはり佐賀県内の在来線の引き続く安定した運行ができるかどうかが、鍵になりそうです。新鳥栖以遠~長崎間の通過需要が多くなる新幹線のために、地元の足が不便になるということを、佐賀県や地元の方たちは警戒していると思いますし、ワタシもそれはよろしくないと思います。
鳥栖に停車し、あとは終点の博多をめざすのみです。

この帰りの「かもめ92号」でも、乗車したのは4号車・サハ787-203でした。
このBM3編成は2002年7月、787系の7連口のうちで最初に「リレーつばめ」化のリニューアルを受けた編成でした。
その当時からの「TSUBAME」のロゴが、シートにはまだ残っています。

南福岡車両区の787系は引き続き、「リレーかもめ」(博多~武雄温泉間)や「かささぎ」(博多~肥前鹿島)といった特急で使用されることになりますが、ここまで出てきている情報を見ると、これまでの7連という組成はなくなり、8連または6連での運用になる模様です。おそらくは、現在7連になっている一部の編成で、3号車に組成されているサハ787形100番台の組み換えを行うことになるものと思いますが・・・。
16時53分、「かもめ92号」は終点・博多駅3番ホームに到着しました。

ここから長崎まで電車特急一本で行けなくなってしまう、っていうのが、まだまだ信じられないですね。「その日」が来て以降、現実を思い知らされることになるんでしょう。
博多駅で一度改札を出て、夕食用に駅弁を買い込み、そのまま帰宅の途に就きました。
博多16時59分発、普通2336M列車小倉行き。811系8両での運転、後ろ4両はPM2009編成でした。
おそらくこれが、ワタシにとっては在来線特急「かもめ」への最後の乗車になると思います。並行在来線として上下分離される区間があり、さらに電化廃止となる区間があり、という複雑な路線事情がからむなかでもあるので、ダイヤ改正後の当該区間の状況は注意して見ていきたいし、ワタシ自身、「その後」の当該区間に乗らなきゃな、という気持ちが強くなりつつあります。
そうしたことも含め、今回はいろいろな要素がありながらの日帰り行でしたが、同行の小6娘と2人、しっかり楽しめました。

これからしばらく、開業日を挟んで喧騒に包まれることになるんでしょうが、ワタシ自身はJR全線完乗のタイトルがかかっていますので、西九州新幹線の部分開業区間にも、早々に乗りたいと思っています。
本当に、西九州の鉄道はこの先、どんな感じになるんだろう・・・。
<おわり>