Part1(2021・7)
コロナウイルス禍のなかで迎える2回目の夏がやってきました。
緊急事態宣言も解除されていた梅雨明けの時期。前月にワタシは腰の骨の不具合で入院・手術を経てきたんですが、半月ほどの入院中に家族にいろいろ迷惑をかけたんで、その罪滅ぼしも兼ねて(笑)近場で旅に出ることにしました。
温泉地に行きたい、というのが第一希望となって、それに基づいて計画を立てて行ったら、こうなりました。
7月22日朝。

地元・箱崎駅3番ホームから8時36分発、普通1155M列車荒木行きに乗車します。
南福岡車両区813系+817系の合計9両編成、ワタシたちは先頭の813系RM224編成に乗車しました。
隣の2番ホームには、香椎から竹下へ回送されるBEC819系4両が停車中。

一応、「海の日」ということで祝日ではあったんですが、電車には通勤客のみなさんもけっこう乗ってましたねぇ・・・。
博多へ着いて、ここで乗り換えます。

博多駅6番ホームから8時56分発、快速3181M列車荒尾行きに乗ります。南福岡車両区811系8両での運転で、ワタシたちは前寄りのPM8105編成「RED EYE」に乗車。
ここでまさかの、営業列車検測装置搭載編成の登場となりました。
3181Mはそれほど混みあうこともなく、順調に南下。
途中の二日市で、先に博多を発車した1155Mを追い越し。二日市でも乗り継ぎはできたわけなんですが、やはり博多で乗り継いだ方が、座席着席の確率が高いのでですねぇ。(^^;

写真は久留米手前、筑後川を渡るところです。
9時31分に3181Mは久留米駅3番ホームに到着しました。

ふと、下り方にある欠き取り式ホームの2番ホームを見ると、久大本線の1837D列車筑後吉井行きとして発車を待つ、キハ220形2両編成が停車中。
手前のキハ220-1101は青い塗色、そう、以前は大村線系統で走っていた車両でした。塗色変更はおそらく次回の工場入場時ということになるんでしょう。
こちらが、ワタシたちが乗り継ぐ列車。
久留米駅1番ホームから9時34分発、八代行き普通5331M列車。
熊本車両センターの817系VT112編成2連での運転です。

先ほど乗っていた3181Mは荒尾まで行くので、そのまま荒尾まで行ってもいいところ、ここで乗り継いだのも、やはり座席着席の都合でした。
9時50分、5331Mは筑後船小屋へ。

駅に隣接するタマホームスタジアム筑後ではこの日、プロ野球2軍ウエスタンリーグのホークス対カープの試合が組まれていました。
そういえば、先ほどの3181Mに、カープのレプリカユニフォームを来た男性が乗ってましたが、この試合を見に行くところだったんでしょうね。
10時14分、5331Mは荒尾に到着。

ここで、さきほど3181Mとして乗車した811系8連が折り返しを待っていました。
こちら5331Mには、その3181Mからの乗り継ぎ客が大挙押し寄せてきまして、車内は瞬く間に立客の出る混雑に。
やはり、久留米で乗り継いで正解だったようです。
5331Mは順調に南下を続けていきます。

ここは田原坂駅。この駅から少し離れたところに、西南戦争の古戦場として知られる国指定史跡・田原坂があります。
実は昨年秋、JR九州ウォーキングの機会に、その田原坂の戦跡をあちこち歩いてきました。隣の木葉駅スタートで、丘陵地帯なうえにけっこう距離も長く、なかなかハードだったのを覚えています。
田原坂を越えると、熊本盆地へ向けて高度を下げて行きます。

崇城大学前を過ぎると、新幹線の高架が寄り添い、こちら在来線も高架へと上がっていきます。
嫁さんは、「あれこの辺高架やったっけ?」と言ってました。高架になってからこのあたり乗ってないのでまぁねぇ・・・。
5331Mは、定刻の10時58分に、熊本駅3番ホームに到着しました。

ここでいったん改札を出て、大きな荷物をコインロッカーに入れ、きっぷを買って再びホームへ。
とって返す形で、上りの4番ホームへ。11時11分発、鳥栖行き普通5340M列車に乗車、熊本車両センターの817系VT21編成2連での運転です。この編成、製造当初は長崎エリア用に投入された車両で、2年前の2019年3月に佐世保車両センターから熊本へ移っています。
815系のほうが多い熊本エリアで、珍しくまた817系に当たりました。
そして、一駅乗った上熊本駅で、ワタシたちは5340Mを降りました。

上熊本駅の外へ出てきました。
ここで駅の外に出てくるのもかなり久しぶり。高架駅になってすでに6年になりますが、それ以降初めてかも。

で、JRの駅を出てきたワタシたちは・・・。
・・・向かい側にあるこちらへ。

熊本電鉄の上熊本駅。
相変わらず、ホーム一面一線の小ぢんまりとした佇まいです。
今回、久々に熊本電鉄の列車に乗ろうと思い立ったもんで・・・。
ワタシ自身、前回熊電を利用したのは、まだ「青ガエル」こと5000形が現役だった頃ですからねぇ。
それからだいぶ、車両も入れ替わっていますんで、一度訪ねておこうと。

上熊本11時21分発の北熊本行きとしてやってきたのは、かつて東京メトロ01系として銀座線を走っていた、01-136F、2両編成。
くまモンのラッピングをされていますが、かつて第三軌条方式で狭小トンネルを走っていた当時の面影はまだ残されています。
01-136Fの車内です。
車内もやはり、くまモンの装飾がされていまして、なかなかににぎやかな様子ですね。
台車交換やパンタグラフの装着、2連化、ワンマン対応化などさまざまな改造を施されていますが、座席などの車内設備はそれほど変わってはいませんね。
列車は定刻よりやや遅れて上熊本を発車。単線の線路をゆっくりと進んでいきます。
途中にある踏切では、電子音ではなく昔ながらの鐘の音が鳴り響くスタイル。味があるなぁ・・・。

写真は途中の打越駅。
ホームにはかつて木造の待合所が存在しましたが、3年前の2018年5月の火災で焼失してしまい、今は写真のような状態になっています。
11時32分、列車は定刻より2分遅れて北熊本に到着しました。

駅の3つのホームはこの時間、満線状態。
写真奥、3番ホームには、ここまで乗車してきた01-136Fが停車中。
中央、2番ホームには、御代志行きの6000形6211F。
そして手前の1番ホームに停車中なのが、これから乗車する藤崎宮前行きの03-137F、2両編成です。

それにしても、この三並びは熱いわぁ・・・いずれも元は、東京で地下鉄車両として活躍していた車両たちですからね。それがここで顔を揃えるっていうのは・・・。
で、03-137Fに乗車しました。
11時31分発の予定が、乗り継ぎ列車の遅れでやはり2分遅れでの発車となりました。

熊電では、東京メトロ日比谷線を走っていた03系のうち、031F・037Fの2編成、両先頭車のみの計4両を譲り受け、改造のうえ運用しています。
乗車した03-137は、日比谷線では8両編成の8号車として使用されていた関係で、「8号車」の表示がそのまま残っていました。
この表示が残っていることでも分かるように、客室内はほとんど手をつけられていませんでした。(^^;
黒髪町~藤崎宮前間には、全国の鉄道ファンに知られる併用軌道区間があります。
東京のまさしく都心の地下を駆け巡っていた03形が、路面電車のように、こうして車道に敷かれたレールの上を走っているっていうのは、にわかには信じがたい光景でしたね・・・。
11時38分、やはり2分遅れで、列車は藤崎宮前に到着しました。

あぁ、ここに03形が停まってる・・・本当に不思議な感じがします。
久々の熊電を満喫したところで、そろそろお昼が近いので、昼食を求めて歩くことにしました。

上通のアーケード街に入ったところにある、熊本ラーメン「こむらさき」上通中央店にやってきました。やっぱり、熊本らしいものを食べたいと思ったもんでね・・・。
ワタシ自身、ここへ来るのは13年ぶり、ということになりました。
今回ワタシがいただいたのは、特製チャーシューメン。麺を大盛りにしてもらいました。(通常一人前が1000円・税抜、大盛りは+100円・同)

このお店のラーメンは、ローストしたにんにくチップをまぶしてあることが特徴。とにかく、このにんにくの香りが食欲をそそりますね。白濁しているスープはアクと余分な脂分をカットしてあり、すっきりとした味わい。
特製、というだけあって、チャーシューはかなり分厚くスライスしてあり、しかも脂身がトロットロ! これはたまらん!(笑)

多分、麺を大盛りにしてなかったら足りなかっただろうな・・・博多みたいに替え玉の文化はありませんから、先に増量するしか手はありません。
おいしかった~!(^o^)/
ラーメンをいただいて、移動再開。
上通のアーケード街も、なんか垢ぬけた感じになりましたねぇ。

ここを抜けて、向かったのは・・・。
・・・熊本城です。
せっかく熊本まで来たんだからと、やはり観光名所には行ってみようということでね。

国の重要文化財に指定されている長塀を見ながら、しばし歩きます。
この長塀、熊本地震で被害を受け、今年復旧が成ったばかりでした。
熊本城ではまだまだ地震被災の影響で立ち入りが制限されているエリアが多く、かなり大まわりをしながら、天守閣までたどり着きました。
天守閣も地震で大きな被害を受けましたが、6月28日から5年ぶりの内部公開に踏み切っています。感染対策として見学は1時間以内に制限され、人数が多くなったときは入場制限するとの予告がされていましたが。

熊本城の天守閣に上るの何年ぶりなんだろう・・・。
久々に上がってみると、展示内容がかなりブラッシュアップされていて、きれいになってましたねぇ。
天守閣から見下ろしてみると、城内にはシートで覆われたところが多く、地震からの復旧がまだまだ途上であることを思い知らされました。
ワタシたちの支払った入場料の一部も、こうした被害の復旧に充てられることでしょう。一日も早く、美しい姿を取り戻せるよう祈っています。
熊本城の見学を終えて、市電の花畑町電停へ。
ここから、熊本駅へ戻ることにします。

A系統の熊本駅・田崎橋行きとして、低床車両の9700形9704号がやってきました。らくのうマザーズの広告車両になってるようですね。
熊本市電も久々に乗ったなぁ・・・。
熊本駅まで戻ってきました。

2年前に新しくなった駅舎ですが、いまだに慣れませんね・・・。
ここ熊本からは、さらに南下します。

熊本駅3番ホームから14時54分発、八代行き普通4327M列車。熊本車両センターの815系NT12編成2連での運転です。
ホームではかなり多くのお客さんが待っていましたが、電車は2両・・・これはかなりつらいなぁ・・・。
結局座ることはできず、しばらく立ったままで過ごしました。

川尻付近。
ここには、先月まで大村線系統で使用されていた、キハ66・67形、計6編成12両が疎開留置されていました。
なかには、国鉄色の1・110番ユニット、ハウステンボス塗色の12番ユニットもおりました。
先月のこのときに撮ったり乗ったりした車両たちが、活躍の場を失って留置されている姿は、やはり見ていて物悲しさを覚えますね。
続いて、富合~宇土間。
新幹線の熊本総合車両所には、出番を待つ新幹線車両とともに、フリーゲージトレインの試験車両・FGT-9000が置かれていました。
すでに走行試験の中止から4年以上が経過。西九州新幹線や北陸新幹線でのフリーゲージトレイン採用見送りが決まって久しいなかで、この試験車両の去就も気になるところですね。
さらに進んで、千丁~新八代間。

先のFGT-9000の試験走行で使用されていた、新幹線ホームへのアプローチ線。ここも使われなくなって久しいですが・・・「リレーつばめ」運行終了後にいったん架線を外しておいて、再度整備しなおされていますもんねぇ。
沿線のいろいろもろもろを眺めながら、15時31分、4327Mは終点・八代駅2番ホームに到着しました。
途中、わずかな時間だけ雨が降っていましたが、八代に着くころにはあがっていました。

ここからは、肥薩おれんじ鉄道に乗り継ぎます。
1番ホームから15時35分発、川内行き普通6147D列車。HSOR-110Aの単行ワンマン運転です。
それにしても、電車の着いた2番ホームから、この肥薩おれんじ鉄道乗り場の1番ホームまではかなり距離が・・・これ、何とかならんもんですかねぇ・・・。
さて、6147Dは定刻に八代を後にしました。
席がなかったので、車両の最前部に立っていましたが・・・。

前面展望、こちらの列車が走っているのが肥薩おれんじ鉄道線(旧・鹿児島本線)、そして右の線路が肥薩線です。
肥薩線は、昨年7月の豪雨災害で八代~吉松間が現在も不通のままとなっています。路盤流出や橋梁の流失など被害も甚大で、復旧できるのかどうかも不透明なまま・・・。
15時47分、6147Dは日奈久温泉に到着。
ここでワタシたちは下車しました。

そう、今回は、ここ日奈久温泉を投宿地にしていました。
ワタシ自身はJR時代も含め、列車で何度も通っていますが、下車したのは今回が初めてでした。
日奈久温泉駅から、温泉街へは歩いて10分ほどの移動。
駅前を走る国道3号を少し歩き、途中から旧薩摩街道の街道筋へと入っていきます。
いかにも、な古くからの街並みが出迎えてくれました。
そして、たどり着いたのがこちら。

今回の宿「あたらし屋旅館」です。
いろいろとお宿を調べていまして、良心的なお値段で料理が充実してそうな感じがしたのと、あとはWi-Fi対応済み(笑)なのが目に留まりましてね。昭和初期の創業だそうですが、新しいものにもしっかり対応してそうな雰囲気があったので。
お宿に入って、さっそくお風呂をいただきました。

他に誰もいないのを確認して(笑)、ゆっくりと入らせてもらいました。
ここ3階の展望風呂は、檜の板が張られ、明るく開放感があります。源泉かけ流しのお湯はやわらかく、浸かっているとお肌がつるつるに。いやぁ~いいお湯だわ。(^^;
しばし休憩したあと、夕食の時間になりました。

夕食会場は大広間。本来は50人ほど収容できて、ステージにはカラオケマシンも置いてあるんですが、さすがにこのご時世だけに、カラオケは使用停止になっているとのことでした。

で、肝心の食事の方ですが・・・。
・・・こちら。

旬の地元食材にこだわっているというこの「あたらし屋旅館」。お造りには太刀魚、そして上の煮魚も太刀魚、やはり近海で採れるからですねぇ。
太刀魚って焼き魚のイメージが強くて、煮魚は初めていただいたんですがうまくてですねぇ。これは発見でした。
お吸い物にはタイの身が入っていましたが、ちゃんと骨がとってありましてね。手間もかかっています。

あ、ちなみに、ちびさんたちにはお子様定食のような別メニューが用意されていましてね。(^^;
こちらは蓮根をすりおろしたものをまるめて揚げ、餡をかけてある蓮根饅頭。このお宿オリジナルの一品です。
海老やキクラゲ、ニンジンなども練り込まれています。濃すぎず薄すぎずの餡が、とてもいい感じでした。
そして、天ぷら。
揚げたてアツアツで提供されました。衣サクサクの揚げたて天ぷらは、やはりおいしいですね。
最初は生ビールをいただいていましたが、やはり熊本に来てるんで、米焼酎でしょ、ってことで、ロックでいただきました。
クセがなくて吞みやすい米焼酎。前回呑んだのは、2年前の人吉でのことでした・・・。
さらにこちら。

最後に出される白飯を、馬のスジ肉を煮込んだ「馬カレー」に変更可能ということで、迷わずカレーにしてもらいました。
馬肉のいいおだしが出ているんで、美味くないわけがありません。

締めのデザートは、スイカ。
これも程よい甘さでおいしかったです。
ところで、食事会場の大広間には、これが掲げられていました。

しづけさは 死ぬるばかりの 水がながれて

この句、流浪の俳人として知られた種田山頭火(1882-1940)が、1930(昭和5)年に九州を旅した際に記した「行乞記(一)」の冒頭に記されている句です。
この旅の際、山頭火は日奈久温泉の「織屋」という旅館に三泊していますが、その「行乞記(一)」のなかで、そのときのことを「温泉はよい、ほんたうによい、こゝは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが」とまで記していました。よほど居心地が良かったんでしょうね。
その「織屋」の建物は、2016年の熊本地震で被災したものの復旧を果たし、今では山頭火が宿泊した全国の宿のなかで唯一現存する建物となっています。
この日奈久温泉が、山頭火に「一生動きたくない」とまで言わせるような所縁のある温泉とは知りませんで、これを機に勉強させてもらいました。(^^;

さて、夜はそのまま宿でのんびりと過ごしました。
一泊旅行なので、あくる日は戻りの行程となるわけですが、その様子は次のページで。
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