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Part4(2000・1)
・・・ここは、途中停車駅の金山駅です。なぜここに停まっているかというと、信号機が故障して青にならないからなんです。雪がひどくなってきたので雪のせいかと思っていたら、どうも電気系統のトラブルだったようですが・・・。
保線区の人が駆けつけるまでの間、この列車の運転士さんも、数百メートル先の信号機のところへ行って復旧作業に加勢しています。残されたワタシたち10人ほどの乗客は、とにかくここで待つ以外にありません。腹も減ってきたんですが、駅前に出ても、店らしいものは何もないし・・・。(^^;)
すでにここの駅に着いてから1時間くらいはたちますが、懸命の復旧作業も実らず、出発信号は赤のまま。「ま、しゃあないな〜身動き取れないし」と割り切って、こうしてキハ12-23の写真でも撮ってみたりしていました。(^^;)
富良野からの乗り継ぎ計画も、この時点で完全に狂ってしまったので、時刻表を見ながら再検討・・・。外は、ますます吹雪いてきていました。
結局、信号が復旧し、金山駅を発車したのは13時25分、定刻の1時間36分遅れということになってしまいました。
しかし、ここから吹雪の中を、運転士さんの猛烈な運転が始まりました。向かって来る猛吹雪をものともせず、必死にノッチを入れつづけます。この大雪の中だということが信じられないほどのスピードで、「ぽっぽや号」は先を急ぎます。
結果、列車は13時50分ごろ、無事に終点・富良野に到着しました。車両の後ろ側は、必死の走りのすごさを物語るように、写真のようにかなりの量の雪が付着していました。
この遅れがもとで、午後の1往復の「ぽっぽや号」は運休になってしまいました。午後に乗ろうとしていた方々、ご愁傷様・・・。(^^;)
さて、乗り継ぎの予定が大幅に狂ってしまったワタシは、とりあえず富良野駅の立ち食いうどん屋で昼食をとります。

駅の案内を見ると、乗り継ごうとしていた富良野線の列車も、金山駅の信号故障で遅れが出ていることが判明。30分遅れで走っているという13時44分発、快速「ホリデーあさひかわ」旭川行きに乗ることにします。
列車はキハ150形の単行で、結局定刻35分遅れで富良野を発車しました。このキハ150という車両、前から形がJR東日本のキハ110にそっくりだなぁと思っていたんですが、実際に乗ってみると中のシート配置までそっくりなので、びっくりしてしまいました。

列車は、新型の軽快なエンジン音を響かせながら、雪の富良野盆地を走っていきます。快速なので、富良野を出ると次は美瑛まで停まりません。
途中、美馬牛で運転停車した際に、待合室から列車の遅れを知らない男性が出てきて、列車のドアを叩いていましたが、もちろんこの列車の停車駅ではないので、運転士がドアをあけることはありませんでした。
「ホリデーあさひかわ」は15時ごろ、美瑛に到着しました。

今回、この美瑛でぜひ行きたかったところ・・・それは、日本を代表する風景写真家の故・前田真三氏のフォトギャラリー・「拓真館」でした。

美瑛駅から雪道をタクシーで20分ほど、たどりついた「拓真館」は、文字通り静かな木立の中にありました。この建物は、廃校になった小学校の建物を、美瑛町の協力で使っているとのこと。位置的にも、前田氏が撮影のライフワークとしてきた「美瑛の丘」の中心部にあるわけですが、そこに新しい綺麗な建物を建てるのでなく、廃校の小さな建物を再利用しているあたり、前田氏が本当にこの美瑛の自然を愛していたんだなという思いが伝わってくるようです。

館内の作品は、美瑛の美しい風景や自然、それも、一瞬のきらめきを逃さずに捉えたものがズラリ。目ばかりでなく、心も捉えて離さない作品ばかりです。皆さんもぜひ一度、写真集や絵葉書ではなく、この美瑛の土地で、この美しい美瑛の風景写真を堪能していただきたい・・・本当にそう思います。
美瑛駅へ戻ろうかとタクシーを呼び、その待ち時間のあいだ、少し周囲を歩いてみました。・・あるんですよね、すぐそばにこんな綺麗な木立が・・・。後世にぜひとも残していきたいありのままの自然が、そこにはありました。

かなり雪が降ってきたので、「拓真館」の入口付近へ戻ってタクシーを待っていると、スタッフの若い女性が出てきて、「中でお待ちになったほうが・・」と声をかけてくれました。すでに16時の閉館時間が迫っていたのですが、お言葉に甘えて中に入れてもらうことにしました。
まもなく、タクシーがやってきました。・・・あれ?ここに来るときと同じ運転手さん!・・・「ああ、ここでそのまま待っててあげればよかったねぇ」・・・。
なんとなく、人の暖かさを感じていた私でした。
約15分ほどで、タクシーは美瑛駅に到着。なんとか、16時20分発の旭川行きに間に合いそうです。
足早に改札を通り、跨線橋を渡って、これまたキハ150形で運転の1762D旭川行きに乗り込みます。さすがに、車内は空いていました。

旭川からは、17時発、札幌行きの785系特急「スーパーホワイトアロー22号」に乗り継ぎ、とりあえず札幌に戻り、夕食。グレ電からネットに繋いだりしながら、次の列車を待っていました。
時刻は21時半ごろ。ワタシは再び札幌駅の高架ホームに上がりました。
前夜に続き、この日も夜行列車利用です。夜行列車での連泊の経験のない私が、果たして大丈夫なのかという不安もありつつ、でしたが・・。
その夜行列車とは、札幌22時4分発、稚内行き急行「利尻」。宗谷線経由で稚内へ向かう4本の急行のうちの1本ですが、3月11日のダイヤ改正から特急になることが決まっており、現行のキハ400・480を中心とした編成で運転されるのも、まもなく見納めとなります。
では、以下に編成表をご紹介しましょう。

2000年1月10日22時4分札幌発・311D「利尻」編成

←稚内                                    札幌→
キハ
480-304
キハ
182-36
スハネフ
14-501
キハ
56-208
キハ
400-146
キハ
54-509
キハ
400-144
注・増号車、6号車は旭川まで。

・・・ってことで、編成はものすごい混結状態となりました。1両のみの寝台車は床下に電源エンジン搭載のスハネフ14なので、けっこう音がしていましたが・・・。さらに、4号車には国鉄急行色のキハ56が自由席として連結されていたほか、旭川までの増結車両としてキハ54-509まで繋いでいるという・・・。ファン的には非常に面白い編成ですね。

  さて、「利尻」は、遅れてきた快速「エアポート」の接続待ちで、定刻の8分遅れで発車。ワタシは疲れていたので、さっさと寝台を整え、眠りにつくことにします。

明けて1月11日朝5時ごろ、目がさめました。列車はまもなく豊富駅に着こうというところ。外はかなり吹雪いているようですが、ここまでは順調に走ってきたようです。ただ、豊富発は4分ほど遅れました。
そのまま列車は抜海の丘を越え、南稚内にさしかかります。・・・ところが、列車は駅の手前で突然停まり、動かなくなってしまいました。車内放送によれば、構内信号機の故障とのこと・・・二日続きでトラブルに巻き込まれた格好です。
結局、終点・稚内には25分遅れの6時25分に到着。外は、写真でもお分かりの通り、カメラのレンズにも容赦なく雪が叩きつけるような天気でした。
  到着した後、駅や近くのバスターミナルの待合室で時間をつぶします。天気がかなり荒れている状態だったので、ワタシとしては予定通りのスケジュールを実行すべきかどうか悩みましたが、結局予定していたとおりの行動をとることにしました。
バスターミナルから8時10分発、宗谷バスの大岬行きに乗り込みました。向かう先は、もちろん日本最北端の地・宗谷岬です。バスターミナルで往復乗車券(2430円)を購入してきましたが、これだと正規の片道運賃を払うより往復で270円もおトクでした。
  バスは市街地を抜け、国道238号を宗谷岬に向けて走りつづけます。窓を見るとあまりの寒さのためか、窓の内側の結露が凍ってしまっております。(^^;)
やがて、前方には宗谷湾の海が見えてきました。文字通り、大荒れです(^^;)。駅で仕入れた情報では、この日は稚内からの礼文島・利尻島行きのフェリーは欠航になっているとのこと。この荒れた海を見れば、それも納得です。
走りつづけること50分ほど、前方にそれらしきものが見えてきました。もうまもなくです。
  9時過ぎ、バスは5分ほど遅れて宗谷岬に到達しました。・・・というか、あの悪路をよくまあ5分しか遅れないで走ってきたな、というのが率直な感想でした。

バスを降りました。・・・ううっ、ものすごい北風だ〜(笑)。ほんと、全く障害物がないので、海からの風が容赦なく吹き付けています。あぁ〜飛ばされるゥ〜。(笑)
同じバスでやってきた青年と2人、とにかく写真を撮っていましたが、あまりの荒れ模様に呆然・・。気温計はマイナス3℃の表示になっていましたが、はっきりいって「それホントかい? もっと寒いんでないの?」(^^;)
公園内に立っていた間宮林蔵の銅像も、心なしか寒さに震えているようでした。
  極寒の宗谷岬をバスで脱出した私。今度はちょっとあったかいところへ・・・ということで、稚内温泉につかることにします。
バスの接続がないので、稚内駅前からタクシーで向かうことに。運転手のおじさん、ワタシの「稚内温泉までお願いします」の一言に、「あぁ、『ドウゴ温泉』だな」。私は「え、ドウゴ???」・・・よくよく確認してみれば、おじさんはどうも「童夢温泉」といっていたようで・・・どうも北国なまりに惑わされてしまったようです。(^^;)
運転手さんは「いやぁ、きょうは船も飛行機も欠航だっていうのに、よくきたねぇ。ほら、あの波、5mはあるよ」と感心しきり。ワタシも思わず「いやぁ、とんでもないときに来ちゃったみたいですねぇ」なんて応じていました。(^^;)

さて、駅前からノシャップ岬を経由して15分ほど、タクシーは稚内童夢温泉前に到着。とにかくそそくさと準備して、風呂に入ります。いやぁ〜あったかい。(笑)
途中、興味半分で露天風呂へと出てみました。強い風に雪が吹き込む露天風呂、首から上の冷たさと、下の暖かさ、なんだか不思議な感覚ですよね。(^^;)
  温泉からバスで稚内駅まで戻ってきました。時間は正午過ぎ。昼食をとることにします。
駅舎の一角にある食堂「ふじ田」に入りました。いろんなメニューがある中で、私はカニチャーハン(1000円)を注文。カニの身をはじめ具がたくさん乗ったチャーハン、そしてスープ・・・とにかく、カニの身がおいしくて、いいお味出してますね。(^^)

・・ということで、そろそろ稚内を離れる時間です。次なる列車は・・?
  ワタシが次に乗る列車、稚内12時57分発、急行「サロベツ」札幌行きです。
この列車も、3月11日改正から特急に格上げされてしまうため、現在の形での運転はこの冬が最後。特徴ある宗谷急行の大型円形ヘッドマークも、見納めの日が近づいています。今回の「サロベツ」乗車は、その宗谷急行乗り納めという意味合いも兼ねているんです。
改札前の駅待合室では、この3月改正から新型・キハ261系使用の特急「スーパー宗谷」2往復が設定されること、そして、現行の4往復の急行(「宗谷」「サロベツ」「礼文」「利尻」)がすべて廃止になることを、繰り返しアナウンスしていました。

さあ、発車時刻になりました。4両編成の「サロベツ」は軽い衝撃を発して、南へ向けて走り始めました。
  列車は抜海の丘を越えて行きます。天気がよければ右手には利尻富士が拝めるのですが、この大荒れの天気、そうしたことは望むべくもありません。
幌延から先、列車の右手には天塩川の雄大な眺めが見えてきます・・しかしながら、この厳しい気候の下、川面は凍りついているようで、その上に白い雪が積もっていました。

昼も過ぎて、そろそろ眠気が襲ってくるころ。MDを聴きながら、しばらくウトウトしていました。
  豊清水で下りの急行「宗谷」と離合。向こうもキハ56を連結した4連で運転されているようです。
「サロベツ」は美深到着時点で4分の遅れ。ま、この荒天の状況でこの遅れなら、全然かわいいもんでしょう。

15時45分、「サロベツ」は3分遅れで名寄に到着しました。ここで、列車の先頭に、キハ400形を1両増結します。実は、この名寄からの利用者も、けっこう多いんですよね。事実、自由席となるこの増結車の停車位置には、長い列が出来ていました。
列車はやはり3分遅れで名寄を発車。20‰(パーミル)の勾配区間を擁する塩狩峠越えにかかります。エンジンの音も、いっそう高鳴ります。

列車は峠を越え、坂を下って行きます。まもなく、旭川。ワタシは旭川で「サロベツ」を降ります。さらば、宗谷急行・・・。
「サロベツ」を降りたワタシは、旭川から17時発、特急「スーパーホワイトアロー22号」札幌行きに乗ります。・・・あれ、この列車、確か昨日も乗ってたような・・・。(笑)
この785系電車は最高速度130km/hの俊足の持ち主ですが、さすがにこの荒天下、時折徐行になることも・・・。
実は、北海道の特急はこの時期、ガラス窓の破損事故が相次いだために、速度を落として運転してまして、各列車とも1〜7分ほど遅れるという案内が各駅でなされていました。
よって、この列車も札幌駅では5分遅れの到着となりました。列車の前面には、雪との厳しいたたかいの跡が・・。
・・・ということで、この日は札幌駅近くのホテルに投宿。洗濯物をコインランドリーで洗濯しつつ、ゆっくりと過ごしました。
さて、明日は振り子特急が待っているぜ・・。(笑)
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