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明けて、8月4日の朝です。 時刻は5時半。 駅近くの朝市のあたりを少し歩きました。 朝食もここで、と思っていたんですが、昨夜が遅かったせいか、いまいち食欲がわきませんで・・・もったいないことをしました・・・。(^^;) |
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函館駅にやってきました。 函館駅も、2年前に新しい駅舎になりました。 青函連絡船の時代の面影を残していた先代の駅舎のほうが、ワタシは個人的に好きでしたが・・・。 |
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ところで、きょう最初に乗るのは、こちらの列車。 函館6時6分発、函館本線長万部行き2841D列車。 車両は、函館運輸所所属のキハ40形2両編成。 オリジナルモケットのボックスシートが並ぶ車内。 寒冷地仕様の車両ですので、窓は小窓。さすがに夏場なので、二重窓の内側は上げられた状態になっていましたが。 |
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列車は、函館を出て、五稜郭に停車。 ここで江差線と分かれ、内陸へ進みます。 七飯の先、函館線の線路は二手に分かれます。 渡島大野、仁山と進む線路は、基本的には上り列車と、一部の下り普通列車が利用。 ワタシの乗った2841Dは、その仁山まわりの線路をコンクリート高架橋でオーバークロスし、大沼まで途中駅がなく、より勾配が緩やかな通称「藤城線」経由で大沼へと登っていきます。 |
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やがて、列車は小沼のほとりへ抜けてきました。 さきほど七飯で分かれた仁山まわりの線路とここで合流です。 それにしても、きょうも天気悪いですねぇ・・・。 |
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6時41分、列車は大沼に到着しました。 いまご紹介したように、ここ大沼までの函館本線は2つのルートに分かれていますが、ここ大沼から先、森までの函館本線も、2つのルートに分かれています。要するに、七飯から大沼を経由して森までの函館本線は、「8の字型」に敷かれていることになります。 ワタシが函館本線完乗に向けて残していた区間は、ここ大沼から森へ向かう2つのルートのうち、渡島砂原を経由するルートでありまして・・・。 今回乗車している2841Dに森まで乗車すれば、函館本線の完乗を達成できる、という寸法でした。(笑) 2841Dは、2両編成のうち後ろの1両を切り離し、この先は単行となります。 |
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列車は大沼を出て、大沼公園へ向かうもう一方のルートと分かれます。 このあたりを通る優等列車は、上りの「トワイライトエクスプレス」「はまなす」を除いて大沼公園経由のルートを通りますので、こちら渡島砂原まわりのルートでは、旅客列車はほとんど普通列車ということになります。 と言っている間に、列車は鹿部へ。 市街地からは少し離れた立地です。 鹿部といえば、間欠泉で有名な鹿部温泉・・・。 このあたりは、温泉多いんです。もちろん、火山から近いですからね。 |
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鹿部の次は、渡島沼尻。 ここはもともと、信号場として開設され、JR化とともに駅になったところです。 駅舎もなんだか、駅というよりは職員詰所というような感じに見えます。 |
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列車はさらに先へ進みます。 ここ、掛澗では、DF200-51が牽引する上りコンテナ貨物列車との行き違い。 上りの貨物列車は、勾配の緩やかなこの渡島砂原まわりのルートを走っていきます。 |
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次第に高度を下げ、列車は東森へ。 この、地面近くまで伸びている赤い三角屋根の建物が、駅舎です。 いまはホーム1面1線しかありませんが、かつてはいろいろあったんでしょう、構内が広かったんだろうということが偲ばれる風情でした。 |
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東森を出るとすぐ、左手に、大沼公園まわりで山を下ってきた線路が寄り添ってきました。 7時43分、2841Dは森に到着しました。 これで、函館本線の完乗は達成・・・。 森駅前に出てきました。 この場所なんで、駅舎内のキヨスクの店員さんに「『いかめし』は何時ごろに出ますか?」と聞いてみたんですが、さすがに9時ごろにならないと出ないとのこと。ちょっと早すぎましたかね・・・。 |
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9時まで待っていると後の行程に差し支えますので、残念ですが移動することにします。 朝食がまだですので、駅前のコンビニでおにぎりを買い込んできました。・・・と、そのコンビニ、ちょうど新規開店のオープニングセール中だったりして。 森8時19分発、2840D列車函館行きに乗車して、いったん函館へ戻ります。 列車は、長万部始発でやってきたキハ40形単行。ここ森で、前寄りに1両を連結し、この先函館までは2両編成となります。 森を発車してすぐ、海を見ると、あらまぁ、ウミネコがいっぱい・・・。(^^;) |
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大沼まではもときた道を戻っていきます。 こちら、往路の列車では通過した流山温泉駅。2002年に新しく開設された駅です。駅近くの日帰り温泉施設は、JR北海道が運営しているもの。 ここには、かつて東北・上越新幹線を走っていた200系新幹線車両が3両、ホーム横に鎮座しています。北海道新幹線の開通を願って置かれたものだそうですが・・・。 |
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さて、列車は大沼を過ぎ、今度は仁山まわりの線路を通って函館へ向かいます。 こうして、牛がのんびりくつろいでいる横を走りながら、高度を下げます。 やがて、往路で通った「藤城線」の高架が見えてきました。 車内は、函館方面へ向かうお客さんでだんだん混みあってまいりました。 |
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9時49分に函館に到着。 すぐさま、向かい側に停車していたこちらの列車に乗り継ぎです。 函館10時7分発、江差線122D列車江差行き。 こちらも、函館運輸所のキハ40形。単行ワンマンですが、この日はどうやら新人の運転士さんの乗務だったようで、指導役の運転士さんが一緒に乗り込んでいました。 |
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列車は函館を出て、通るのはきょう3度目になる五稜郭へ。 五稜郭駅のすぐ横には、五稜郭車両所。JR北海道の車両整備工場ですが、函館市電の車両更新工事の実績もあったりしますね。 車窓から見える構内には、この車体。すでに現役を引退して久しい国鉄急行形・キハ56形気動車が置かれていました。 |
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五稜郭を出ると、函館本線と分かれて左へカーブしていきます。 五稜郭の次は、七重浜。 この駅の名前にもなっている七重浜というところは、1954年、青函連絡船・洞爺丸が台風による暴風のため遭難した現場となったところ。 僚船も含め1430人もの犠牲者を出し、あのタイタニック号遭難に次ぐ規模の海難事故になったこの大惨事が、青函トンネル建設の機運を一気に高めたといわれますが・・・。 駅西方の海岸近くには、この洞爺丸事故の犠牲者を悼む慰霊碑が建てられているとのこと。 |
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列車は、上磯を出て矢不来信号場を通過すると、左手に海を見ながら走ります。 写真は、まもなく渡島当別というところ。 トラピスト修道院の最寄となるところですね。 |
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11時14分、木古内に着きました。 ここ木古内は、本州へ向かう海峡線が分岐する駅。 こちらの列車が停車している間に、上りの「白鳥18号」八戸行き、そして下りの「白鳥71号」函館行きが短時間停車し、あわただしく発車していきました。 |
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そして、ワタシにとっては、この木古内から先の江差線が、未乗線として残っていたわけで・・・。 列車は海峡線と分かれ、非電化単線の区間をゆっくりと走ります。 渡島鶴岡、吉堀を過ぎ、やがて列車は山間部へ。 吉堀から、次の神明までの区間には、まさに未開の山間、といった感じのところもありました。よく、こんなところに線路を敷いたなぁ、というふうに思ってしまったくらい・・・。 吉堀から13.2kmを走り、ようやく神明へ。一駅間、21分かかります。 人家も少なく、この神明駅の一日の乗降客数も1桁台、という話です。駅も、この木造の小さな待合室があるのみ・・・。 |
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列車は天野川に沿って下ります。 次第に、周囲が開けてきました。 木古内〜江差間唯一の列車交換可能駅・湯ノ岱から先は、スタフ閉塞区間となっています。 写真は、かつての車掌車の廃車体を待合室に流用している中須田駅。 このあたりまでくると、周辺は完全に田園地帯です。 |
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上ノ国を出ると、左手には海が見え始めました。 日本海です。 曇って天気が悪いせいか、なぜか冬場のような物悲しい風景に見えてしまいました。(^^;) |
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12時37分、122Dは終点の江差に到着しました。 これで、江差線も完乗です。 江差駅は、江差の中心街から少し離れたところにありますが、駅前には商店もありましたので、昼食はそちらで調達してきました。 ここ江差からは、奥尻島へ渡る航路もあります。122Dから降りたなかにも、奥尻島へ向かうと思われる人の姿がありました。 |
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ワタシは、折り返し列車となる江差13時8分発、125D列車函館行きに乗り、木古内までUターン。(^^;) 1時間ちょっとで、列車はまもなく木古内というところ。 江差方面は曇っていたのに、一山越えてくると、なんだか青空が見えています。 いよいよ、これから本州へ渡ります。 |
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