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電車は電鉄出雲市からわずか10分ほどで、川跡に到着しました。ワタシはここから乗り換えです。 乗り換える電車は、写真左側の出雲大社前行きの電車。この電車は3000形といって、この一畑電鉄に来る前は南海電鉄で活躍していた車両です。 地方のローカル私鉄に来ると、こうしてかつては大都市圏で活躍していた車両が元気に第二の人生を歩んでいる姿を見ることができて、なかなか楽しいんですよね。 |
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乗り換えるとまもなく、3000形は走り始めました。 田園地帯のなかを、ほぼまっすぐに走っていきますが、それにしても、よく揺れるんですわ。写真は走行中の車内ですが、これを撮るの、実はけっこう大変でした。 途中には、「遥堪」という駅がありました。「なんて読むのかな?」と思っていたら「ようかん」だそうです。へぇ〜。(笑) |
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川跡からまた10分ほどの乗車で、電車は終点の出雲大社前に到着しました。 駅舎の前に出てきました。意外ですよねぇ、ステンドグラスまで使ってます。 さて、ここにはもう一つ、この出雲大社前とは対照的な「駅舎」建築が見られるところがあります。では、そちらへ行ってみましょう・・。 |
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歩くことしばし・・・その場所に着きました。 おぉ、これこれ!1990年3月で廃止になったJR大社線の終着駅・大社駅の建物が、廃止当時のほぼそのままの姿で残っているんですね〜。1924年完成のこの建物、全国でも珍しい神社様式の建築を採用しています。ま、出雲大社への参詣客輸送を主たる使命としていた路線ですから、なるべくしてなったのかもしれませんけどね・・。 |
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駅の構内へ出てみました。 この位置から後ろ側の線路敷は道路になってしまっているんですが、駅ホームの部分は線路も残り、駅舎のほうとあいまって、なんだか最盛期の雰囲気が伝わってくるような感じもします。車両がないのが残念ではありますが。 この大社駅には、その昔、夜行の急行「だいせん」がブルートレインの始祖・20系客車で乗り入れてきたりして、非常に賑やかだったらしいんですよね・・・。 |
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で、まぁここまで来たら寄らないわけにも・・・ということで、「神話の里」出雲大社へやってきました。 実は、ここの敷地内に、意外にも鉄道に関するものが置いてありました。その正体は・・。 |
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それは、SLでした。D51-774号機、機関車横にあった説明板によれば、1974年11月30日に本州を最後に走った機関車とのこと。晩年の1970年に福知山機関区に転属し、最終的には浜田機関区で廃車になるまで、山陰路、あるいは陰陽連絡の路線で活躍したようです。現在は大社町が旧国鉄(・・・ということは、現在は継承法人のJR西日本ということになりますが・・・)から無償貸与を受けてこの場所に展示していますが、外観はなかなかきれいな状態になっていました。 さ、そろそろいい時間ですね。引きあげるとしますか・・・。 |
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とりあえずは出雲市まで戻ることにしましょう。 一畑電鉄出雲大社前駅まで戻ってきました。こちらの人は、この一畑電鉄のことをみんな「一畑電車」と呼んでいるようで、駅構内や周辺の看板類にも、「一畑電車」の文字が目立ちます。 まずは、17時3分発川跡行きで川跡へ。そこから乗り換え、17時半前には出雲市へ戻りました。高架のJR駅を見上げて見ると、そこには東京行きブルトレ「出雲」が発車を待っているのが見えました。 このあと、駅前で食事を済ませ、東京へ向かうために高架ホームへ・・・。 |
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今回の旅を締めくくる列車・・・それは、19時5分発、285系寝台特急「サンライズ出雲」伯備線経由東京行きでした。この日の編成は、書類上はJR東海大垣電車区に所属し、実際はJR西日本出雲運転区をベースに運用されている3000番台のI4編成でした。 ワタシ自身はこの「サンライズエクスプレス」、デビュー直後以来2度目の乗車ということになります。今回は、1号車のB寝台シングル(寝台料金7350円)を選択しました。 発車時刻、ドアが閉まり、スムーズに列車は走り始めました。 |
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列車が走り出すとすぐ、ワタシは3号車にあるミニラウンジへ向かいました。 ロビーカーなどと違って小ぢんまりとしたスペースですが、何よりもうれしいのは、ここが禁煙スペースになっているということ。それは単にワタシ個人が嫌煙派であるということからだけでなく、基本的に不特定多数の人が利用するスペースは禁煙であるべきだという考えからです。理由は・・・いわずもがな、ですよね。 しばらく、ここに座って、外を眺めています。 松江が近づくと、手前に見える宍道湖の暗がりの向こうに、松江市街の街灯りが見えてきます。実はこれがけっこうきれいで・・・写真でお見せできないのが残念なくらいです。 松江からそう時間をおかずに、列車は山陰地方の鉄道の拠点・米子に着きます。この先、伯耆大山から伯備線へと入りますが、列車は山陽線と合流する倉敷まで行き違いを除けばノンストップ。最初は左手に大山のスキー場のナイターの灯りが見えていますが、次第に山の奥へ。かなり雪の積もっているところも目立つようになりました。 |
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鳥取・岡山県境の分水嶺を越え、今度は高梁川沿いに山を下り始めます。新見、備中高梁、総社といった、特急「やくも」であれば停まるような街でも、「サンライズ出雲」は見向きもせず通過していきます。 22時8分に倉敷着。駅の北側には「倉敷チボリ公園」なる洋風のテーマパークがありますが、聞くところによるとここも人出は芳しくないようです。・・・もともと地元では、「城下町・倉敷の景観とイメージを損ねる」などの反対意見もかなり多かったということで、ワタシから見れば当然の帰結かも。どうせなら、駅前みたいな市街地中心部に洋風のテーマパークでなく、街の機能を維持しつつ、城下町の風情を再現するほうがよかったんではないかと思いますが・・・そのほうが観光客も喜ぶような・・・。 22時20分を過ぎ、列車は岡山にさしかかります。・・・と、高架で合流してくる宇野線(←瀬戸大橋線)の線路上に、もう一本の「サンライズ」編成が・・。それはまさしく、岡山で合流し併結となる、高松からの「サンライズ瀬戸」なんですね。 こちらの「サンライズ出雲」が駅手前で信号停車している間に、「〜瀬戸」のほうが先にホームへ入り、そして「〜出雲」がおそるおそるホームへ入ってドッキング。ここからは14両の長い編成で東京へ向かいます。 さて、そろそろ寝ることにしましょうかねぇ。1号車の自分の部屋に戻ります。写真はワタシが一晩過ごしたシングルの部屋。ダブルデッカーの2階で、窓が車体上部のアールに沿って曲面になっているので、室内灯を消すと、上空には吸い込まれそうなくらいのきれいな星空が・・・。 |
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翌朝、2月8日です。目がさめたのは5時前。列車は東を目指して走りつづけています。 車窓を見ると、まだ暗い中ですが、静岡県の由比海岸付近を走っていることが分かりました。・・・っと、沿線の家から窓を開け放って、この列車を見送っている人の姿が見えますね。こんなにまだ朝早いのに・・・。 ちょっと車内を歩いて、「〜瀬戸」の10号車にあるミニラウンジまで行ってみました。「〜瀬戸」は「〜出雲」に比べると利用率が高いようですが、さすがにラウンジに人はいませんでした。 5時42分に熱海に到着。見慣れたJR東日本タイプの駅名標が見えてきました。 相模湾の向こうの明けゆく空を眺めながら、自分の個室でのんびりしていました。夜はけっこう激しい横揺れのためにあまりよく眠れてないんですが、不思議と眠気は感じませんでした。 やがて、横浜が近づき、朝の車内放送が始まります。空もだいぶ明るくなってきました。 旅の終わりは、もうすぐです。 |
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7時8分、「サンライズ瀬戸・出雲」は東京駅9番線に到着しました。 長い旅を夜行で締めくくると、もちろん疲れも出ますが、ワタシには軽い爽快感がありました。その軽い爽快感が、たまらなくよかったりします。 |
東北・北海道に続いて今回の西国編。なんだかいろんなことがありすぎて、内容を整理するどころか、今回の旅行記も果てしなく展開する方向へ行ってしまいましたが、なんとか書き終えてホッとしています。 ・・・そういうことで、今回も長い文章をここまでお読みくださった皆さんに、厚くお礼を申し上げます。 では、今回九州で撮影してきた列車写真を、番外編としてお届けすることにしますので、そちらのほうもごらんください。 |
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