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Part3(2000・1〜2) | |
おはようございます。1月27日、朝5時です(爆)。泊まったホテルを4時半に出てきました。 ここは西鹿児島駅の1番ホーム。停まっている列車は、快速「なのはな」カラーのキハ200形4連で運転される、5時10分発、指宿枕崎線指宿行きの始発列車1321Dです。上り輸送力列車の送り込みを兼ねているので4両もつないでいますが、乗っている人はわずかですね。ちなみに、私の乗ったキハ200-1009の運転室背面には、鉄道友の会の1992年度「ローレル賞」のプレートが・・・。 それでは、日本最南端のJR線・指宿枕崎線の旅へ、いざ参りましょう。 西鹿児島を出た列車は、出区前の787系「つばめ」編成や485系「きりしま」編成が待機する鹿児島総合車両所の留置線の横をかすめながら、南下を始めます。まだ街は眠ってるような感じですね。真っ暗です。 それにしても、このキハ200、加速がいいんですよ。エンジンはかなりうなっているんですけど、きのう「えびの」で乗ったキハ58のような「グイグイ」という加速感ではなくて、「スルスル〜ッ」という感じでスピードが上がっていきます。 そんな走りを体感しているうちに、列車はあっという間に指宿に到着。ここから、まだ先があるんですが・・・。 |
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ここから乗り継ぐ列車は、6時29分発5323D枕崎行き。車両は・・・おぉ、キハ28+58の2連ですねぇ。室内は近郊化改造されセミクロスシートになっていますが、きのうにつづいてこの形式に乗れるんで、ちょっとごきげんです。 でも、こうやって外で撮影していると、なんか手がかじかんできちゃって・・・ここ、鹿児島でしょ!?(笑) 車内に制服姿の高校生をたくさん乗せた列車、ひときわ大きいエンジンの響きとともに指宿を発車しました。 |
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指宿を出てしばらく、左手に見える東の空が赤らんできました。 大山付近、左手前方に円錐形の山のシルエットが見えてきました。まさしく、「薩摩富士」の異名を持つ開聞岳でしょう。いや、やはりその異名をいただくだけのことはありますねぇ。思わず見とれてしまいます。 6時46分、列車は西大山に到着しました。ホームには「日本最南端の駅」の標柱が・・・。そう、北緯31度11分、まさにここが最南端の駅です。ちなみに、ワタシが先日行ってきたばかりの日本最北端の駅・宗谷本線稚内駅は、北緯45度25分の位置にあります。それにしても、同じ月のうちに、最北端と最南端を制覇してしまうとは・・・。(^^;) しばらく走っていくと、畑の上になんだか白いものが見えます。それを見ていた乗客の高校生たちが「あれなんだ?」「雪じゃねーか?」「いや、霜だろ」なんて話しています。 ところが、さらに進むと、やがて空から白いものが・・・。「やったー、雪じゃ〜」・・・鹿児島で雪といえばやはり珍しいんでしょうけど、それにしても高校生たち、無邪気ですよね。しまいには、持ってきた使い捨てカメラで車窓の景色を撮り始めてるし・・・。(^^;) |
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7時38分、列車は終点・枕崎に到着しました。ここも、ご覧のように雪景色です。本当は、ここの駅前からバスで西鹿児島へ戻る計画でしたが、この折り返しの列車に乗って戻っても、次の列車への乗り継ぎが可能であることが分かったので、そのまま列車で戻ることにしました。折り返しの発車は、7分後です。 この枕崎から先、線路ののびていたような跡がありますが、実は、ここ枕崎から鹿児島線の伊集院まで、鹿児島交通の鉄道線がのびていたんですよね。というより、正確には鹿児島交通(当時は南薩鉄道)の開通が1931年、指宿枕崎線の延伸開業が1963年。1984年に鹿児島交通線が豪雨被害の復旧をあきらめて廃止になる前は、この枕崎駅は国鉄の駅数に計上されてなかったとのことです。 鹿児島交通線のあったころは、この枕崎から同線経由で西鹿児島へ乗り入れる列車もあったんですよね・・・。 発車までのわずかな時間、列車の車掌さんと話すことができました。「このあたりでこんなに雪が降ることって、そうないんでしょ?」と問いかけたところ、「いやぁ、年に一回くらいですかねぇ・・・」。そっか、そういうときにきてしまったのか、ワタシは・・・。(^^;) |
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折り返しの列車・3334D西鹿児島行きは、定刻どおり発車しようとしましたが、慌てて駆け込んできた高校生を待ったため、2分遅れとなりました。 しばらくは雪が降っていましたが、やがてそれもあがり、開聞岳のそばを通るころには青空も見えてきました。 日本最南端の有人駅・山川に8時47分着。ここから列車は快速「なのはな2号」となります。温泉観光地でもある指宿からはそれなりの乗客もあり、需要もけっこう高い様子がうかがえます。 |
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山川からは、右手に薩摩湾を見ながら北上します。途中には、喜入の石油備蓄基地が見えたり、あるいは大隅半島が見えたり・・・。 鹿児島市内に入ってくると、写真のように市街地の向こうには桜島の姿が・・・。坂之上から先は、快速とは言いつつも各駅停車。やがて右手には、鹿児島市電の軌道が寄り添ってきます。 さ、まもなく西鹿児島です。乗り継ぎ時間は7分・・・。 |
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西鹿児島に到着したワタシ、1番線から跨線橋を通って4番線へ移動します。 待っている列車は、10時5分発「つばめ10号」博多行き。787系7連での運転です。もちろん、乗るのは1号車です。 定刻に発車した列車は、東市来まで複線の線路を飛ばしていきます。途中で下り寝台特急「なは」とすれ違ったりして・・・。 |
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阿久根の手前、「つばめレディ」の車内放送でも「鹿児島線随一の眺望」と案内される東シナ海の海岸線沿いの区間に差し掛かります。このあたりでは雪雲がかかっており、時折雪が降っていました。しかも海は荒れています。 と、海のほうを見ていると、なんか人影が・・・ありゃ!?「波乗り」さんですかぁ〜!! 何もこんなときまで、と、グリーン車に乗っていたビジネス客たちが苦笑しています。ま、こちらの土地の感覚で言えば、雪の降る日にまで、ということなんでしょうけどねぇ。 |
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さて、朝が早かったのでそろそろ腹が減ってきました。今回は弁当ではなく、ビュッフェに行って温かいものを、と考え、4号車に向かいます。 考えた末に選んだのは、「地鶏照焼チャオセット」(980円)。文字通り、鶏の照り焼きに、炒飯、そしてスープ(ふかひれorコーン)という組み合わせです。 「お席へ持ち帰りですか?」と尋ねる「つばめレディ」に、「いや、食べていきます」と答えると、すぐとなりにあるセミコンパートメントの席(自由席扱い)の空きを確認してくれ、にこやかに「空いてますね。こちらへどうぞ」と案内してくれました。 席で待つことしばし、さきほどの「つばめレディ」が温かい「チャオセット」を持ってきてくれました。温かいうちにさっそくいただきます。・・・う、「温かい」を通り越して「熱い」くらいですねぇ(^^;)。でも、列車の中で車窓を見ながら温かいご飯を食べられる・・・うれしいですね。 いったん席に戻ろうと再びビュッフェを通りかかると、この列車に乗務している3人の「つばめレディ」が、車窓を見て「いるかなぁ・・・」と話し合っています。ちょうど列車が走っているのは出水付近。そう、この時期、この出水平野にはマナヅルやナベヅルといったツルが越冬のためにやってきてるんですよね。 ワタシも一緒になってしばらく見ていると、「レディ」の一人が「あ、いたいた!」・・・どれどれ、と見ると、ちょっとくすんだ色のツルの親子が! 「ちょっと色があんな感じなんで、よくカラスと間違われちゃうんですよね」とは、「レディ」の一人の弁です。 |
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席に戻ったワタシ・・・ただ、朝が早いのと、食後の満腹感でかなりの眠気が襲ってきました。 こりゃ、車窓の見せ場を見損なう・・・と思った私、再び4号車へ。実はこの時期、「つばめ」のビュッフェではコーヒーフェアをやってまして、時期を区切ってオリジナルのコーヒー数種を出すサービスをしていたんです。この日は、炭焼きコーヒー(350円)を出していたので、それをいただくことにします。「お代わりもお気軽に・・・」とのことだったので、遠慮なくいただきました。(^^;) そうしている間にも、列車は北上を続け、この列車の車窓の見せ場の一つである八代海沿いの区間に差し掛かります。ご覧のようにビュッフェの車窓からも、八代海、そして天草の島々が見えてきます。 コーヒーを飲んでいると、ワタシのカメラを見てビュッフェ担当の「つばめレディ」が話し掛けてきました。「先日北海道を回って、今度は最南端へ、と思ってやってきた」んだと話すと、さすがに驚いた様子。今朝、枕崎で雪が積もっていたと話すと、さらに驚いてました。 |
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「つばめ10号」は八代に3分遅れで到着。ここからは複線の線路となるので、列車は遅れを取り戻すべく、ものすごい勢いで飛ばし始めます。 次の熊本では、西鹿児島から一緒に乗っていたビジネス客の大半が降りていきました。グリーン車、けっこうビジネス需要も高いんですねぇ。 雪の降る古戦場・田原坂を走り抜け、あっという間に福岡県へ。そして13時35分、佐賀県の鳥栖に到着。 ワタシは乗り継ぎのため、ここで下車。デッキで見送りにたってくれたグリーン車担当の「つばめレディ」に礼を述べ、列車を降りました。・・・いや、本当に楽しいひと時でした。 ここでは約40分の乗り継ぎ時間で、次の列車を待ちます。 |
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