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Part2(1999・10)
明けて10月15日、朝5時半起床。
やはり若干寝不足気味ですね。外は雨が降っています。

そそくさと準備を済ませ、早朝のひんやりとした空気のなかを松本駅へ。朝食は、キヨスクで買ったデニッシュパンが1つだけ。駅弁屋は開いてないので、苦肉の選択でした。
駅構内では、上りの「スーパーあずさ2号」新宿行きとなるE351系S5+S25編成が、運転所から1番線への入換を行っているところでした。
私は、3番線から6時25分発の篠ノ井線下り長野行き1221Mに乗り込むことにします。
車両は松本運転所の長野色115系6連(左写真)、私は先頭のクハ115-1242に乗り込みました。当然、車内はセミクロスシート。ボックス席の進行方向向きに腰掛けます。他の列車からの乗り換えもあったんですが、車内はまだ空いていました。
松本を定刻に発車した列車は、大糸線の北松本駅を左手に見ながら加速。
大糸線が左に分かれ、しばらく行くと左手には安曇野、そして犀川の流れが見えてきます。雨降りの天気なので、北アルプスの山並みを拝むことはできないですね。
次の田沢駅では、右手の民家の庭先の柿の木がオレンジの実をつけていました。

列車は、夜明け前に走る急行「ちくま」を除くと長野行きの始発列車となっています。学生、ビジネス客の乗車もちらほら見られますね。このあたりの田んぼではすでに刈り入れもすみ、あとは冬支度のみといった感じです。
明科〜西条間の第1〜第3白坂トンネルは、単線区間にもかかわらず複線用のトンネル。いずれ複線化するつもりだったんでしょうが、もう一本の線路が敷かれることは、この先あるんでしょうか。
6時47分西条着。出発信号が赤のため、ATSのチャイムがけたたましく鳴っています。やがて上り線を383系6連の「しなの2号」名古屋行きが駆け抜けていきました。
狭い谷間の水田地帯を進み、坂北、聖高原へ。周囲の山肌には雲がかかり、墨絵のような雰囲気を醸し出しています。右手にはこの篠ノ井線のライバルとなる長野自動車道が見えていますが、時間が時間なので交通量はまばらです。聖高原では、上り1番線にEF64-38(高崎運転所)の単機の姿が見られました。

やがて線路は長野道をくぐり、冠着を過ぎてサミットを越え、トンネルに入ります。
抜けると、まもなくスイッチバックの羽尾信号場。EF64重連牽引のタンク貨物列車を待たせて通過すると、やがて右手に千曲川、そして善光寺平が姿を現しました(左写真)。さすがにかすんでますけど、何度見ても圧倒される景色です。
7時9分、列車はスイッチバックの姨捨駅に到着。客扱いが終わるとすぐにドアが閉まり、列車はバックを始めます。ポイントを過ぎて引き上げ線に停車すると、また思い出したように前進を始め、本線に戻っていきます。
スイッチバックの駅は全国的にも数を減らしており、こうした運転形態はいまや貴重になってきています。

坂を下る途中、スイッチバックの桑ノ原信号場へ入り、上り列車の通過待ち。
何が来るのか・・・と見ていると、やってきたのは快速「みすず」上諏訪・飯田行きですね。車両は近郊型の115系、かなりの乗客が乗っているようです。
「みすず」には、以前は急行型の169系電車が使用されていたんですが、最近115系に置き換えられてしまったんですよね。長野地区の急行型電車は、いま急速に姿を消しつつあります。
停まっている間に周囲を見渡すと、沿線にはリンゴの木が多く、すでに実には色がつき始めています。「みすず」の通過を待ち、7時20分、こちらの列車も発車です。

次の稲荷山駅では、ホームに制服姿やスーツ姿の列ができていました。
やはりラッシュ時間帯、それでも東京にいるときのことを考えれば、まだかわいいもんだと思えてしまうくらいの状況です。席はすべて埋まりましたが、まだ車内スペースに余裕が感じられます。

しなの鉄道と合流する篠ノ井を過ぎ、列車は信越本線へ。次の今井は、長野オリンピックに際して開業した駅で、右手には、当時選手村として使われた建物があり、現在では市営住宅となっています。
川中島、安茂里と乗客は徐々に増えていきますが、まだギチギチの混雑にはならないですね。私の通勤も、いつもこの程度の混雑なら・・・なんて考えてしまいます。
右手に上沼垂色485系や383系などが休む留置線が見え、新幹線のホームが見えてくると、長野駅。7時41分に着きます。
駅構内のカフェで一服した後、再びホームへ。ここからは、飯山線へと向かうことにします。売店で長野名物「おやき」の野沢菜と丸なすを買い込み、お茶とともに車内に持ち込むことにしました。
ホームに降りると、そこにはしなの鉄道に所属する169系電車の姿。かつては長野総合車両所に所属し、前述の「みすず」などに使用されていたものです。1997年10月のしなの鉄道発足とともに、JR東日本から譲渡されています。
8時31分発、戸狩野沢温泉行き129Dとなるキハ110系編成は、すでに上り列車で到着していました。到着した上り列車の後ろより2両が折り返し運用となり、前よりの2両はここで切り離しとなります。
私は折り返しの先頭となるキハ111-210に乗り込みますが、この車両、もとはといえば秋田新幹線工事中に運転された北上線経由の特急「秋田リレー号」用に製造されたキハ111-301で、同列車の運転終了後に飯山線用として南秋田運転所から長野総合車両所へ転属。200番台化改造を受けたものなんですよね。

車内に入りボックス席に腰掛けていると、後から乗ってきた中年の女性に訊かれました。「景色のいいのはどちら側ですか?」・・・。私も初めて飯山線に乗るので「わからない」と答えたんですが、ま、乗ってるうちに分かることだし、いいか・・・。(^^;)

向かい側に、しなの鉄道から乗り入れてくる115系列車が到着すると、こちらは発車となります。しなの鉄道からの乗り換え客も一定あるようですね。私のいるボックス席の正面にも、制服姿の短大生とおぼしき若い女性が2人座りましたが、車内を見渡して、「きょうはいつもより少ないね」・・・。いつもはもうちょっと多いんだなぁ、じゃきょうはラッキーなのかな、とか思ってしまいました・・・。(^^;)

長野を出てしばらく走ると、右手に長野総合車両所が見えてきます。「あずさ」色の183・189系編成や、「しなの」用383系などが待機しているんですが、その片隅では、保留車となっている旧「あさま」色のモハ188・189-1521や、485系改造の「あずさ」色クハ182などの姿も見えますね。また、17日に行われる予定の一般公開に備えてか、「夢空間」車両が停まっているのも確認できました。
列車は豊野まで信越本線上を走っていきます。
北長野や豊野の構内には、あの「横軽」廃止直後、当面の仕事を失った旧「あさま」色」の189系グレードアップ編成(現在はすべて「あずさ」「かいじ」に転用)が、「あさま」のヘッドマークを掲げたまま疎開留置されているのが見られたもんでした。
このあたりまでくると、沿線のリンゴの実の色づきが姨捨周辺よりいいように感じますね。右手遠方には、E2系「あさま」の基地である長野新幹線運転所の施設が見えています。

8時46分に豊野を出ると、列車は信越本線と別れて飯山線に入っていきます。信越線は左へカーブし、山へ向かって登っていきます。こちらの線路はさすがに本線筋とは違って、細かいカーブが多くなり、列車のスピードは当然落ちてきます。立ヶ花付近からは、右手に千曲川が見え始めました。やっぱ右なのか、景色がいいのは・・・すでに反対の進行方向左側に座っていた私は、じだんだふんでいました。(笑)
列車は次第に山深く分け入っていきます。右手にはずっと千曲川が寄り添います。
人家も少なくなり、本当に「日本の田舎」の風景ですね。川の両側にたつ山々は、その頂を低く垂れこめた雨雲の中に隠しています。なんとも神秘的・・・。(^^;)
9時16分、飯山に到着。行き違い停車で8分停車です。乗客がかなり降りたようで車内の人影が少なくなりました。

やがて向かい側に上りの長野行きが到着。車内に戻って進行方向左手の車窓を見てみると、窓外には北陸新幹線の早期開業を求める看板が立っています。・・・そういえばこの飯山は、長野から上越方面へ抜ける北陸新幹線のルート上にあるんですね。
9時24分、列車は飯山を発車。すぐ右手には、C56型と思われるSLが静態保存されていましたが、ナンバープレートがすでになくなっている上、外板の傷みも激しく、かなり危険な状態になっているように見えました。
次の北飯山駅は無人駅で、ホームでは車掌が降りた乗客から切符を回収していました。
その次の信濃平駅は、車掌車の廃車体を再利用した駅舎でした。

列車は、さきほどまでと一転、田園地帯となったなかを走ります。
そうこうしているうちに、列車は終点の戸狩野沢温泉に9時35分着。写真の道祖神がホームでお出迎えです。
列車から外へ出ると、ひんやりとした空気が身体を包みます。息を吐いてみると、・・・なんと、白くなっています。
ここは野沢温泉への入り口に当たる駅。しかしながら、平日でもあり、駅周辺は閑散としています。もちろん、私はここからさらに列車に乗るつもりなんですが、なんといってもこの先へ向かう列車が、11時ちょうど発までないんですよ。この先、飯山線の終点である越後川口まで到達する列車は、実は1日に4本しかなくて・・・。(^^;)
私はとりあえず改札口を出て、駅の外に出てみました。この駅の近くに何か面白いものがあるわけでもないんですが、次の下り列車がくるまで、とにかく時間つぶしをするしかありません。(^^;)
まずは、近所のスーパーへ出向いて、昼食時用の食料を調達。さらに、家に忘れてきたものの代用として、電器屋でモジュラーケーブルを買い込みました。街は人も少なく、車通りも少なく、そして静かで・・・こんなのんびりした雰囲気というのは、心にも身体にもいいもんですね。でもちょっと寂しい感じです・・・。

少し寒くなってきたので、駅に戻り、待合室でバッグからトレーナーを取り出し、重ね着しました。気温が下がると予報で聞いて持ってきたんですが、やはり正解だったようですね。

あとは、のんびり座って次の列車を待つとして・・・。
やがて時刻は11時前。改札を入り、ホームへ移動します。
11時ちょうど発、131D越後川口行きとしてやってきたのは、長野総合車両所所属のキハ110-236です。この車両も、かつての特急「秋田リレー号」用キハ110-314からの改造車なんですが・・・。
この車両、長野へ転属後の改造で、眺望車「ふるさと」となり、飯山線の名物車両となっているんです。
とりわけ、眺望車両ということで、景色を見るのに都合のいい車内レイアウトになりました。越後川口に向かって進行方向右側の座席は、すべて窓側を向いていて、千曲川の流れと相対するようになっています。
走り出した列車の右側に、ほどなく千曲川が見えてきました。
席から見ると左写真のような感じ。それこそ、席から中腰になって覗き込むような感じで、景色に見入ることになります。
碧色の水の流れがずっと車窓を流れていきます。山肌にはまだ紅葉の気配はなく、緑色の山並みが続いています。
私も、さきほど戸狩野沢温泉駅の近くで昼飯がわりに買い込んだおつまみをぱくつきながら、しばし景色を堪能することにします。
やがて列車は森宮野原へ。「7.85m 日本最高積雪地点」の標柱が示すとおり、ここは駅としては日本最高の積雪地点です。ここを過ぎると、次は足滝。ここからは新潟県に入ります。
・・・「きょうはどちらへ行かれるんですか?」
そんな声が私の隣りからかかったのは、ちょうど県境を越えた頃でした。
私が振り向くと、その声の主のおじさんは、「いや、私は鉄道の日きっぷを利用して、山形から旅をしてるんですよ」とにこやかに話し掛けてきました。鉄道の日きっぷとは、10月14日の鉄道の日を記念して発売された切符で、JR全線普通列車3日間乗り放題というものでした。
話を聞いてみると、そのおじさんは、山形から米坂線経由で日本海沿いへ出て、そこから能登半島方面へ向かい、戻ってくる途中なのだということで、越後川口からは上越線で首都圏方面へ抜けるとのこと。
私が、この先只見線へ向かうつもりだと話すと、そのおじさんは「いいですなぁ」・・・。その人もかなりの乗り鉄ぶりの様子だったので、お互い時刻表を手繰りながら、しばらくいろいろ話し込んでいました。

列車は次第に山を下り、信濃川と名前の変わった川を鉄橋で渡っていきます。
12時13分、北越急行との接続駅・十日町へ。静かだった車内が、下校途中の高校生の一団の登場でにぎやかになりました。北越急行線が高架で右へ別れ、列車はさらに田園地帯を東進。やがて魚野川を渡り、左へカーブすると、そこに右から上越線の複線の線路が見えてきました。
いよいよ飯山線の終点、越後川口。12時42分に到着です。
ここからは、4分の乗り継ぎで12時46分発、上越線上り越後湯沢行き1736Mに乗り込みます。車両は長岡運転区所属の新潟色115系電車3連。私は先頭のクハ115-1049に乗り込みました。115系電車に乗るのはきょう二度目ですね。
車内はやはり、下校途中の制服姿で混雑していて、私はなんとかボックス席の通路側に座りましたが・・・さすがに、大きな荷物がもどかしい感じです。
12時59分に小出に到着。ここからは只見線に乗り換えることにします。
跨線橋を渡り、只見線ホームへ。乗車するのは上り434D会津若松行き、車両は会津若松運輸区所属の旧東北地域本社色キハ40・48型ディーゼルカー3連でした。私は最後尾となるキハ48-547に乗り込みます。
高校生や観光客の乗り換えがかなり混乱したため、列車は定刻1分遅れの13時4分、小出を発車しました。一応、各ボックス席はほぼ埋まっていますね。
なにせ、この只見線は列車本数が極端に少ないんです。小出から会津若松まで走りとおす上り列車は、一日に早朝、昼間、夕方の3本しかなく、この列車を逃すと、次の会津若松行きはさらに3時間後ということになってしまいます。(^^;)
小出を出た列車はまず大きく右カーブを切り、魚野川を渡ります。まずは、米どころ・新潟の田園地帯の風景を見ながらの走行です。
それにしても、さきほどまで飯山線のキハ110型の軽快な走りを味わっていただけに、この国鉄型キハ40・48の走りがどうしても重いものに感じてしまいます。そろそろこのキハ40グループも、車齢が20年に達する時期だけに、置き換え近し、という声がいつ聞こえてきてもおかしくない状況ですし。

魚沼田中を出たあたりから、はっきり山へ向かって登っていく態勢に。雨は先ほどから激しく降ってきています。黒い雨雲が低く垂れ込め、周囲の山肌を覆っていました。
車内はというと、小出から乗ってきた団体の中年客10数人ほどが宴会を始めてしまいました。これがうるさいのなんの・・・。
入広瀬を過ぎると、周囲はかなり山深くなってきました。かなり細い谷間を走っている状況です。大白川付近では、右手に細い川が寄り添っているのが見えます。
大白川を出ると、線路は上り25‰(パーミル)の急勾配。しかも、列車の運転士は駅員からタブレット(通票)を受け取っていました。ここはまだ、通票閉塞が残っているようですね。

やがて、列車は長い六十里越トンネル(6359m)に入りました。暗闇の中を息を切らして登っていくと、途中でサミットを越えたらしく、惰力走行に。すでに列車は新潟県から福島県に入ってきていました。
列車は六十里越トンネルを次第に下っていきます。
やがてトンネルと抜けると、川の流れが、トンネルに入る前と反対向きになっていることに気がつきました。しばらくすると、右側車窓にダム湖が姿を現します。田子倉ダムのダム湖ですね。

列車はほどなく、田子倉駅に到着です。この駅は1面1線のホームで、スノーシェードのなかに存在しています。外は相変わらず雨が激しく降っていました。
それにしても、ダム湖の水がかなり減っているのが気になりますね。ところどころ、かつての木の根が水面上に出てきているようです。
列車は坂をさらに下っていきます。ダム湖を過ぎると只見。写真には写っていませんが、左手にはスキー場のゲレンデが見えていました。
2分の停車時間の間に周囲の山々を見渡してみますが、まだ紅葉どころか、これから黄色い葉が出てこようか、という段階でした。残暑が厳しく長かったせいか、かなり遅れているような感じでした。
列車は山下りを続けていきます。
次の会津蒲生との間にある真奈川橋梁は、かなり急な右カーブを切っています。そこを列車はゆるゆると渡っていきます。只見線の名所の一つですね。

会津塩沢を出ると、列車はまた右側に川を見ながら進みます。横を走る道路の気温計は15℃を表示しています。きのうまで真夏のような暑さだった東京にいた身にとっては、やはり寒く感じます。

さきほどから宴会をしている中年団体客のご一行なんですが、次第に粗相が目立ってきました。食べ物を床に落とすくらいならまだしも、やがてはビールをこぼす、罵声が飛び交う、さらには、禁煙車内にもかかわらず堂々と紫煙を上げる輩まで・・・。(-_-#
さすがに煙が上がったときには、「いい加減にしろ!」と思って抗議にいったんですが、騒ぎはまだまだ続いています。・・・静かなところへ来たくてやってきたのに、いい歳したおとながこんなところで大勢で騒いだ日にゃ、ほんと、やってられませんよね〜。
15時ちょうど、列車は会津川口駅に到着しました。
5分停車なので車外へ出てみます。外の空気はひんやりしていていい感じですね。これまた写真ではあまり見えませんが、進行方向左側には只見川のゆったりとした流れが見えています。
やがて、反対ホームに下りの小出行きが姿を現しました。向こうからは、買い物帰りなのか、袋を下げたおばあちゃん達が大挙して降りています。
会津川口を出ると、若干車内が静かになってきました。朝からの疲れもでてきたので、ここで少しウトウトすることに・・・。
気が付くと、郷戸に着くところでした。周囲を見ると少しずつ山が開けてきているようで、谷のあいだが広く感じました。

16時ちょうど、会津坂本に到着。ここでは、廃車になった貨車・ワムハチ(ワム80000形)の車体を再利用して、駅舎の整備が進んでいました(左写真)。そろそろ車掌車というのも少なくなっており、今後の簡易駅舎としては、こうした貨車の改造が多くなるんでしょう。
会津坂下を前にして、列車はいよいよ山間部を抜け、会津盆地西側の平地に出てきました。
会津坂下からは学校帰りの高校生が大挙乗り込んで、車内は再び騒がしくなってきました。さきほどの中年ご一行も再び騒がしくなってきています。只見線、というと、もっとおとなしい車内風景を思い描いていた私は、ちょっと興ざめ気味・・・。

西若松で会津鉄道が合流。16時50分に終点・会津若松に着く頃には、すでに外はかなり暗くなっていました。
会津若松駅では、「歓迎 蘇った貴婦人 C57-180」の横断幕(左写真)がかかっていました。この春から磐越西線を走り始めたC57-180牽引のSL「ばんえつ物語号」が上々のスタートを切り、SLのダイヤに合わせた観光コースも設定されて、まさしくSL歓迎ムード一色になっていました。
とりあえず駅を出て、近くのホテルにチェックイン。その後、夕食を求めて外出することにしました。

さきほどから気になっていたんですが、駅付近一帯の道路上の電線の上に、黒っぽい鳥がたくさんとまっていました。その下にはたくさんの糞も落ちています。
いったいこれは何なんだろうと、信号待ちの間に上を見上げていると、横にスーツ姿のおじさんが通りかかり、やはり上を見上げていました。そのおじさんも「いやぁ、すさまじいなぁ」といっているので、「この鳥何なんですか?」と声をかけると、おじさんは「ああ、これね、百舌鳥だよ」と一言。

「なんでこんなところにいっぱいいるんですかね?」
おじさん「いや、なんかしらないけど、夜になると山から降りて来るんだよ。来なくてもいいんだけどなぁ」


・・・う〜ん、しかしこの糞害、早く何とかしないと・・・と私などは思いますが。

場所が会津若松なので、いろいろおいしい店はあるんだろうなーなどと思ってうろうろしていましたが、若松の中心街は駅から離れたところにあるため、駅周辺を歩いていた私には恩恵がない・・・。
それでもずっと歩いていると、歩道上の「おいしいコーヒーとカレーはいかがですか」という看板が目に入りました。店を覗くと、カレーのメニューがいくつか書いてあり、そして店内からは、よく煮込まれたカレーのおいしい匂いが・・・。気が付いたら、私は店内に入っていました。(笑)

その店は、駅前町にある「カフェ・ド・クール」というお店。店内におすすめの貼り紙がしてあった特製コロッケカレー(850円)を注文しました。
出てきたカレーは、最初は甘く、そして、次第に口の中に辛さがやわらかく広がるほどよい感じ。コロッケが2個乗っていますが、とにかくひき肉とコーンがたくさん入っている具沢山コロッケで、これもほんとおいしかった・・・。
そして、ここのカレーにはもう一皿、アツアツにゆであがったジャガイモがついてくるんですね。それこそスルスルっと皮がむけてしまうほどの状態で、バターを塗るとあっという間に溶けていきます。ほくほくのジャガイモの歯ざわりがなんともいえないですねぇ。

食事が終わって会計の段になり、店員の女性が「カレールーの辛さはあれでよろしかったですか?」と尋ねてきたので、「いやいや、とてもおいしかったですよ」と・・・。いきなり入った店でこれだけおいしいカレーを食べられたんだから、大満足ですよ。

さて、明日はこの旅も最終日となりますが、いったいどんなことが待ち受けているんでしょうか?
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