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Part3(1999・10)
明けて10月16日。午前6時に起床。前夜はわりによく眠れたような気がします。さすがにきのうは一日ローカル線に乗りっぱなしで、疲れていたんでしょう。

ホテルのレストランで朝食をとりました。窓越しに外を眺めてみますが、雨はなんとか上がっていて、傘がいるような事態にはならなさそうですね。

朝8時過ぎ、ホテルを出発。歩いて会津若松駅に向かいます。昨夜電線にとまっていた百舌鳥の大群は、さすがに姿を消していました。

駅前には、SL「ばんえつ物語号」の空席状況案内が貼り出してありますが、なんと、きょうの「ばんえつ物語号」新津行きは、12日現在で105席も空きがあると表示されていました。団体のキャンセルでも出たんでしょうかね?
・・・ということで、まずは、今日中に磐越西線の乗り潰しを完結させる目的で、郡山へ向かうことにします。
乗車するのは、8時55分発、特急「ビバあいづ2号」郡山行き。仙台電車区に所属する、「ビバあいづ」専用の485系6連が使用されます。
この「ビバあいづ」編成は1編成しか存在しないため、検査などで運用を離脱する際には車両が455系に置き換えられた上、快速列車に格下げされて運転されるという珍しい列車です。
列車は発車の25分ほど前には、すでに1番線に姿を現していました。私は、指定席・4号車(モハ485-1053)の17番A席に腰掛けます。進行方向右側の窓側ですね。

駅構内には、会津鉄道から乗り入れてくるトロッコ車両や、赤を基調にした磐越西線カラーの455系、あるいはDD51牽引のタンク貨物列車などが出入りしています。
「ビバあいづ2号」は定刻に会津若松を発車。左手には磐越西線・只見線を走るDCの基地、会津若松運輸区が見えています。
磐越西線は、この会津若松でスイッチバックする配線になっているので、会津若松を発車する磐越西線の列車は、郡山行きも新津行きも同じ方向に向かって発車する格好になっています。
その新津へ向かう線路がやがて左手に分かれていきます。右手には磐梯山が見えるはずなんですが、さすがに雲がかかっていて、山の全容を拝むことは不可能でした。

この磐越西線の郡山へ向かう線路はかなりの急勾配区間を抱えており、かつてはスイッチバックを各所で使っていました。東長原、磐梯町、中山宿などには、その名残がいまでも見て取れます。
登り坂途中にはかなりきついカーブもあります。こうしたところを、今年からは「ばんえつ物語号」とともにC57-180が使用されるSL「磐梯・会津路号」が郡山まで走っているわけですが、この区間はかなりの見せ場になるはずですね。
それにしても、かなりの勢いで高度を上げているとみえて、耳ツンがし始めました・・・。(^^;)

列車は9時20分、猪苗代に到着。右側には磐越自動車道の築堤が見えています。その向こう側に、おそらくは猪苗代湖が広がっているはずですが、列車の位置からは見えることはありませんでした。
川桁を通過し、磐越道の下をくぐってしばらくすると、右手に猪苗代湖の湖面のようなものがちらりと見えるんですが、期待していたほどよく見えるというわけではなかったですね。

そろそろ列車は下り坂にかかります。スピードが上がり、単線区間特有の横揺れが車体を包んでいます。
列車は中山宿を通過します。ここは割と最近の97年3月までスイッチバックの駅だったんですが、現在は本線上にホームが移っています。かつての駅ホームは駅名標も外され、草生す廃墟と化していました(左写真)。・・・JR東日本のエリアでいまでもスイッチバックが残っているのは、私が今回の旅で通ってきた篠ノ井線の姨捨と、信越本線の二本木の2ヶ所だけになったと、聞いたことがあります。

やがて右手にホテル街が見えてくると、磐梯熱海に停車、9時39分。ここからは、国道49号に沿って山を下っていきます。次第に山が遠ざかり、視界が開けてきて、郊外っぽい家並みが目立ち始めます。
築堤に駆け上がり、新幹線の高架を見ながら右にカーブすると、終点・郡山、9時52分着。1時間足らずのシャトル特急の旅は、あっという間でした。
郡山からは時間の関係で、すぐにきた道をとって返すことにします。
戻りの列車は、10時15分発、快速「ばんだい5号」会津若松行き。車両は、仙台電車区に所属する「磐越西線カラー」の455系6連。私は最後尾となるクハ455-37に乗り込みます。元・急行型の車両ではありますが、車内は近郊化改造を受けており、車端部はロングシートになっています。もちろん、私は好んでボックスシートに腰掛けますが・・・。
駅構内には、東北線筋を走る701系(仙台支社色)や、あるいは青森から遠征してきたオリエントサルーン塗色のED75-766の姿もありました。
とにかく、戻りはのんびり構えることにしました。郡山を出てから、磐梯熱海に着くまでしばらくウトウト・・・。目が覚めると、まさしく磐梯熱海に停車中でした。
列車はやがてサミットを越えていきます。
会津盆地へ下る頃、雲の切れ間から青空が顔をのぞかせました。この3日間で初めて見る青空ですが、まぁ切れ間からちょこっと見えるだけでしたからねぇ・・・。
11時26分、「ばんだい5号」は会津若松着。私はホーム階段を上り、2番線から5番線へ移動します。そこには、会津鉄道から乗り入れてきたAT150+AT100のDC2連で運転の11時48分発会津田島行きが発車を待っていました。この列車で、只見線から会津鉄道が分岐する西若松まで行くことにします。会津鉄道からの列車は、すべてが西若松から会津若松まで只見線に乗り入れています。

天気予報では聞いていたんですが、この日は強い寒気が入ってきてさらに寒くなるということでした。私は長袖のデニムのシャツを着ていたんですが、確かに肌寒い・・・。
上に重ね着しようと衣類を入れてきた大型のバッグは、会津若松駅のコインロッカーに入れてきてしまっていました。トレーナーだけでも持ってきておくべきだったかな・・・。
狭い街並みの間を縫うように列車は走り、7分後には西若松に到着。跨線橋のところに会津鉄道の改札口がありますが、そこには女性の係員が待っており、きっぷを回収していました。
私は、駅舎とは反対側の出口から出てきました(左写真)。土曜日ということもあり、そろそろ小学生の下校姿が見られます。私も、食事をしなければ・・・。

とりあえず、鶴ヶ城の方向へ歩いてみました。
しばらく行くと、左手に古びた食堂の建物が・・・。よくよく見ないと、そこが食堂かどうかも分からないたたずまいだったんですが、とにかくなかに入ってみました。
その食堂の名は「美由希食堂」。「会津味の会」会員で、会津ラーメンを出すお店です。
座敷席に座り、チャーシューメン(750円)を注文。しばらくすると、チャーシューがたくさん乗ったラーメンが出てきました。そのチャーシューのまた分厚いこと、しかもよく味がしみててですねぇ・・・。スープはだしがよく効いていて、無駄な味はいっさいしませんでした。
・・・ということで腹ごしらえを終えた私は、その足で鶴ヶ城へと向かいます。

城内では、ちょうど会津若松の市制100周年を記念して、「会津歴史フェア」が開かれていました。さまざまな歴史展示、あるいは天守閣の内部でも特別展示をおこなっており、また、本丸内の特設会場では、地元の名産品の直売や、大道芸人によるアトラクションがおこなわれていました。着物姿の女性、あるいは「かわら版」売りに扮した女性が気軽に写真撮影に応じるなど、お祭り一色の状況です。

天守閣を見学したあと、しばらくそのお祭りムードにひたっていました。・・・とそこに、茶髪の若いカップルさんがやってきて、「すみません、お城をバックに写真をとってくれませんか?」と使い捨てカメラを差し出してきました・・・。やっぱり、一眼レフを首からぶら下げてると、声をかけやすいんでしょうか?

時間もそろそろ14時になる頃。バスで会津若松駅へ戻りました。
私は、コインロッカーから荷物を取り出し、すぐさま改札を通って駅構内に入りました。ここから、この春から磐越西線に復活したSL列車、「ばんえつ物語号」に乗車します。

すでに、駅構内には入換作業のために牽引機のC57-180が姿を現しており、左写真のような格好で作業が始まるのを待っていました。このあと、同機は専用客車6両編成を牽引して一度駅を出て、その後バック推進運転で1番線に入線してきました。すでにホームには、かなりのギャラリーの姿が見られました。
1番線に入線してから発車までしばらく時間があり、乗客による記念撮影が機関車周辺で繰り広げられています。私もその中に入り込み、キャブの助手席に上げてもらって、機関助士さんに写真を撮ってもらってたり。・・・ふだんはこんなことやらない主義なんですけど・・・。(^^;)
このC57-180、ご存知の方も多いと思いますが、現役引退から30年を経て復活した機関車です。1946年に製造されたこの機関車は、ずっと新潟地区を中心に活躍し、1969年に引退したあと、新津市立第1小学校で大切に保存されてきました。その保存状態がよかったことが幸いして、復活の白羽の矢が立ち、今日に至っているわけです。
このSL「ばんえつ物語号」は全車指定席。私は、編成の前から3両目になるオハ12-316の一角に陣取りました。
車内は左写真のような感じですが、シートモケットがオリジナルの青から赤に変わっているほか、床や妻面などが木目調の柄になっています。大正時代を意識したということらしいのですが・・・。
15時13分、列車はひときわ長い汽笛とともに、会津若松を発車しました。
車掌さんの車内放送が始まります。チャイムがなった後、いきなり「いらっしゃいませ!」と始まったのには少々面食らってしまいましたが・・・。(^^;)
郡山に向かう線路が右側に遠ざかり、列車は会津盆地の田園地帯を進みます。沿線では、老若男女が列車を見つめ、手を振っています。
なかには踏切待ちの車の中から出てきて、熱烈に手を振っている中年女性の姿も・・・。

右手に見えるはずの磐梯山は、やはり雲の中に隠れています。
この列車では、C57-180についているマイクで集音したSLの走行音を車内で流すサービスもありまして、懸命に走っている息遣いが車内でも聞こえる、という趣向になっています。
喜多方を前にして、少し上り勾配にかかってきました。客車列車独特のカクンカクンという衝撃が車体を包んでいます。
ラーメンで有名な喜多方を過ぎると、すぐにトンネルがあります。車掌さんのアナウンスでみな窓を閉めていますが、それでもすすの匂いが車内に入ってきます。トンネルを出ると、蒸機のだす蒸気で窓ガラスが白く曇っているのがわかります。

このあたりで、1号車と6号車に設置されている乗車記念スタンプを押しにいきます。編成をひととおり見てきたことになるわけですが、団体客の利用がやはり多い様子。それと、朝見かけた会津若松駅での残席表示じゃありませんが、けっこう空席も多いようですね。

左手には、阿賀野川の流れが見えています。この先、ずっとこの川の流れとともに旅をしていくことになるわけで・・・。まわりには緑深き山々。そしてSL列車・・・この線路につけられた「森と水とロマンの鉄道」という愛称、実はハマリだったり・・・。
途中、野沢の駅で8分の停車。「記念撮影はいかがでしょうか?」の放送案内に、ドアが開くと同時にわっと車内から乗客が駆け出していきます。
機関車ではごらんのように、係員による足回りのチェックがおこなわれていました。

駅ホームには、土産店が出店していましたが、これも、この列車の停車時間が長いことを意識してのことなんでしょうね。

発車のとき、左側の道路の上から、地元のお年寄りと子どもたちが手を振って見送ってくれていたので、こちらも車内から手を振り返していました。
山間を行く列車の心地よい揺れと、旅の疲れからか、少しウトウトしているうちに、列車はすでに新潟県に入っていました。
17時8分に到着する津川の駅で、14分停車。ここに到着するときの車掌さんのアナウンスがふるっていました。
『ばんえつ物語号』は坂を下ってのどが渇いているため、ここで水分を補給します
この津川駅には、この「ばんえつ物語号」のために給水設備が新設されていました。

ホームに下りてみると、すでにあたりはかなり暗くなっていました。さすがに10月も中旬で、日が暮れるのも早いようです。
しばらく外で列車の様子を眺めていたんですが、やはり暗くなってきて、灯りが外に洩れている客車列車を外から眺めるというのは、雰囲気もよく、なかなかオツなものですよね。
17時22分、列車は津川を発車。ここからは谷にそって山を下っていきます。
「ありがとうございました。『ばんえつ物語号』は水分の補給が終わって元気になりました」とは、ほかならぬ車掌さんのアナウンスです。

左側には阿賀野川がひきつづき寄り添っていますが、もはや写真を撮れるような明るさではありません。
私自身、このように日が落ちてからのSL列車というのは初めての体験なんですが、とてもいい雰囲気だと思いますね。
闇の中を、長い汽笛を鳴らしながら走る列車、窓の外を見やると、客車から洩れた灯りが地面に映っていて・・・遠くには街灯りが流れています。まさしく、夜汽車の風情というのはこれなんだろうなぁと思いながら、列車の揺れを楽しんでいました。

途中、咲花では、近くの温泉旅館の浴衣を着たおじさま、おばさまが大挙してホームに繰り出し、この列車を迎えていました。わざわざこの列車の時間をチェックして出てきたんでしょうか。
外が寒くなってきたからでしょうか、窓が曇ってきました。外を流れる街灯りがぼんやりとした感じに見えています。
相変わらず、列車はいい雰囲気に包まれていました。銀河鉄道ではないですが、ほんとにこのまま、星空の向こうまでも行ってしまいたいような気分に駆られますね・・・。

やがて車掌さんが車内をまわり、「SL C57-180共々、またのご乗車をお待ちしております。本日はご乗車ありがとうございました」と肉声で新津到着を告げています(車内ではこのとき拍手まで起きた!)。列車はやがて右に大きくカーブを切り、左手から信越本線の線路が見えてきました。
18時24分、SL「ばんえつ物語号」は定刻に新津駅5番線に到着。ゆっくり走ってきたはずなのに、その時間の長さをまったく感じませんでした。

到着した車両は、最後尾にDE10-1701(シルフィード専用機)を連結し、新津運輸区に引き上げていきました。
かわって4番線側には、新潟で新幹線に連絡する快速「SLリレー号」が停まっています。「ムーンライトえちご」に使われている上沼垂運転区の165系M編成6連を使用して、SLが発着する新津駅と新潟駅との連絡輸送をおこなっているわけです。私はクモハ165-76に乗り込みました。
私、実は、この「えちご」用165系に乗るのは初めてだったんですが、やはり元・グリーン車のシートをコンバートしてきているだけあって、すわり心地はこの上ない感じです。これなら、寝つきの悪い私でもよく眠れそうな気がしますね。

列車は新津を発車して左カーブを切りながら加速。途中、越後石山を過ぎると右手には上沼垂運転区が見えます。編成から外された初期型485系の留置されている姿も見えていますが、なんとも痛々しい感じですね。
以前は廃車待ちの165系がつながれて置かれていた新幹線高架下の上沼垂信号場のあたりには、新潟色の国鉄型DCが置かれていました。

新津を出て13分後、列車は新潟駅5番線に到着。しばらくホームに立っていると、係員が車両のサボを交換しています。
よく見ると、交換されたサボは、「新宿-新潟-村上」、つまり、「ムーンライトえちご」用のサボなんですよね。どうやら運用上、この「SLリレー号」の運用を終えた後に村上へ送り込まれ、「えちご」となって新宿まで走ることになるようで・・・。知らんかったなぁ・・・。
・・・さて、いよいよラストコース。弁当を買い込んだ私はその足で3階の新幹線ホームへ。14番線には、東京行き「あさひ6号」となるE2系N4編成がすでに停まっていました。
編成番号でもお分かりのとおり、この車両は長野新幹線運転所の所属で、ふだんは長野新幹線「あさま」として走っているんですが、「あさひ」の速達列車にE2系の投入が始まり、上越新幹線も走ることになったわけで・・・。
この「あさひ6号」は、新潟を出ると大宮まで停車しない速達列車です。指定席の5号車(E225-410)にそそくさと乗り込みますが、かなり空席が目立ちます。

弁当を開いてぱくついているうちに、列車は新潟駅を後にしました。燕三条、長岡、浦佐、越後湯沢・・・新潟県をあっという間に行き過ぎ、大清水トンネルを越えると、すでに関東、群馬県内です。

今回は、多忙な仕事の息抜きのつもりでこの旅を思い立ったんですが、結果としてかなり盛りだくさんな内容になってしまいました。体としては疲れてしまったんですが、また気分一新、仕事も、普段の生活もがんばらないと・・・。流れる家々の灯りを見ながら、そんなことを考えていました。

20時55分、「あさひ6号」は定刻どおり、東京駅に到着。気ままな旅も、終焉です。
しかし、自分でも後から気が付いたんですけど、思わぬところで上越新幹線完乗を果たしてしまっていたとはね・・・。(^^;)
<おわり>