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Part2(2001・1)
1月14日の朝を迎えました。
私は5時過ぎに起床。身支度を済ませてホテルを出ます。朝飯を食べたいな〜と思って青森駅へやってくると、駅舎内のうどん屋さんがすでに開店していました。ここで温かいうどんを食べ、大きな荷物をコインロッカーに入れて、改札を通りました。
この日はまず、青森7時発の特急「スーパーはつかり4号」盛岡行きに乗車する予定にしていました。
・・・ところが、その列車が発車する3番線で発車を待っていたのは、所定のE751系編成ではなく・・・なんと、485系3000番台の編成ではないですか!

実は、この日の同列車は車両変更がかけられていたんです。
先日、東北線上野口で走っている普通列車用のE231系編成で、運転中の連結器故障のために車両間の連結が開放されてしまうという事故がありましたが、「スーパーはつかり」のE751系でも同種の連結器を使用している車両があったために、この時期運転をとりやめて連結器の交換をおこなっている編成がありました。
同時に、氷塊によるガラス破損事故も重なって、E751系編成の通常3編成運用のうちの2運用が、485系に置き換えられるという、超異例の事態になっていたのでした。
この485系3000番台編成も、屋根の上は雪だらけですね。夜の間にもまた降ったんでしょう。この3000番台車の改造種車のほとんどは、485系の耐寒耐雪強化バージョンとして登場した1000番台車なんですが、そのデビューからはすでに20有余年。見た目は新車同様の外観ですが、よくがんばっているもんだと思いますね。

で、ホームでは駅弁売りのおじさんと、キヨスクのおばちゃんが話をしています。「この列車、スーパーじゃないの?」「そうだよ、でも新型じゃないべぇ〜」・・・。「スーパーはつかり」のE751系編成には予備車がないため、通常でも検査の関係で運用が485系に置き換えられる場合があるんですが、この「スーパーはつかり4号」は485系で走ることが想定されていない列車ですし、不思議に映ったんでしょうね。
で、自由席の車内に乗り込むわけですが・・・さすがに、この時期、しかも日曜日、ということもあって、空いていますねぇ。

車内では、車掌さんが放送で「本日は、車両の都合によりまして、『スーパーはつかり』ではなく、普通の『はつかり』の車両で運転いたします」という案内を繰り返していました。
この485系は、E751系とは最高速度が10km/h違う(485系は120km/h、E751系は130km/h)ので、所要時間も変わってくるはずですよね。盛岡での新幹線との接続などに影響が出ると思うんですが・・・どうだったんでしょうか。
さて、7時ちょうどの定刻に「スーパーはつかり4号」は青森を発車。明け行く空の下を猛然とダッシュしていきます。かなり雪が積もっているせいもあって、揺れもいつもより大きいような気がします。
やがて、空に赤みが差し始めました。
雪煙を上げながら走ってきた「スーパーはつかり4号」は、ほどなく野辺地に到着。私はここで下車しました。
駅の跨線橋から走り行く列車を見送りましたが・・・朝日が反射して、非常にきれいでしたねぇ・・・。
ここからなんですが、目的があって、大湊線の列車に乗り換えます。
8時ちょうどに野辺地を発車する723D列車は、写真のディーゼルカー・キハ100形で運転されます。
・・・それにしても、雪がびっしりついてますねぇ。これはすごいなぁ・・・。
しばらくすると、上野から走ってきた青森行きの寝台特急「はくつる」が、15分ほど遅れて滑り込んできました。
私の乗っている大湊線の列車も最初は空いていたんですが、まもなくこの「はくつる」からの乗り換え客であっという間に席が埋まっていきました。
723Dは定刻に野辺地を発車し、下北半島方面へと歩を進めていきます。
ここで、私はパソコンを取り出して車内からの更新。またしても再起動をする羽目になりましたが、なんとか無事に更新を終えました。
で、写真の駅は、陸奥横浜。そうです、青森にも「横浜」があったんですよね。(笑)
最初こそ空は曇っていましたが、途中からご覧のように青空が雲の間から見え始めました。
なんとか、この昼の間だけでも、天気が持ってほしいなぁ、と思っていました。
この大湊線、とにかく線形はいいので、キハ100形の走りもなんとなく軽い感じに見えます。この系列の気動車は、けっこう山岳部など厳しいところを走ることが多いんですが、ここは例外の部類に入るんでしょうか。

列車はまもなく下北に到着です。ここで私は乗り換えをすることになるんですが・・・ここで、思ってもみなかったアクシデントに見舞われることになってしまいました・・・。
下北で大湊線の列車を降りた私は反対ホームへ。そこは下北交通大畑線の乗り場になっています。
私にとっては未踏の地だったこの路線へ、今回は乗ってみることにします。9時10分発、大畑行きに乗り込むことにします。

ところが、このカットを撮ろうとしたところでアクシデント! なんと、デジカメのピントが合わなくなってしまったのです。いくらスイッチの入り切りをして 回復を図ろうとしてもダメ。レンズの収納も思うように出来なくなってしまいました。
最初は電池切れか、と思ったんですが、電池を換えても症状は変わらず。 結局、レンズの故障、ということで、この先デジカメは使用不能になってしまいました。
仕方なく、今回はサブ的に使おうと思っていた銀塩一眼レフのEOS5を取り出して、ネガフィルムでの撮影に切り替えることに。
・・・正直言って、これは参りました。(^^;)
デジカメ故障のショックが癒える間もなく、キハ85-2の車内へ進みます。

この車両は、もともと国鉄が使用していた寒冷地用のキハ22形ディーゼルカーを譲り受けて使用しているもの。・・・この大畑線は現在でこそ下北交通の経営ですが、1985年6月30日までは国鉄の線路で、「本州最北の国鉄線」として全国に知られた線路でした。
大湊に軍港があった第2次世界大戦ごろまでは、大湊線とともに軍事輸送でも使われていた路線ですが、戦後は衰退の一途をたどりました。
国鉄は結局この大畑線の運営をあきらめましたが、地元のバス路線を中心に交通事業をしていた下北交通(当時は下北バス)が経営を引き受け、今日までなんとか列車が走りつづけてきました。

その後、利用客の減少に歯止めがかからなかったこともあって、下北交通はこの大畑線の経営に見切りをつけました。
この3月31日をもって、大畑線は消えていくことが決まっているんですよね・・・。ですから、今回の私の乗車は、最初で最後、ということにおそらくなると思います。
キハ85-2は9時10分、低いエンジン音を響かせて、ゆっくりと下北を発車しました。
むつ市の中心街田名部を抜け、郊外へ向けて走ります。ほどなく、こうした雪原が見えてきます。この日は青空ものぞいていましたが、天気が悪いと、この時期はこのあたり、荒れるんでしょうねぇ・・・。
ここは、途中の樺山駅。なんですが、列車は停まらずに通過していきます。
・・・というのも、この樺山駅は4月1日から11月30日までの季節営業になって いて、冬場は停車しないんですよね。

・・・そんなわけで、駅としての籍は残っているものの、路線は3月31日限りで廃止になるということで、何もなければこの樺山駅に列車が停まることはもう二度とない、ということになります。
こちら、樺山の次の陸奥関根駅です。
写真で見てお分かりの通り、かなり雪が積もっていますが、さきほどの樺山と違ってここは人家も多いもようで、列車から降りていく人の姿もありました。
列車は丘陵地帯を抜け、下北半島の北側へ出てきました。右手車窓には海が見えますね。津軽海峡、海の向こうは北海道です。

この日は私のほかにも、鉄な感じの人たちが乗っていました。
9時40分、キハ85-2は終点・大畑に到着です。下北からちょうど18km。ここが、本州最北端の鉄道駅です。
右手に見える車庫内には、予備で休んでいるキハ85形の姿があります。この下北交通大畑線には、元・国鉄キハ22形のキハ85形が3両所属しています。

キハ85形、というと、JR東海が所有している「ワイドビュー」特急用の車両を頭に思い浮かべる人がほとんどだと思いますが、こうした車両があったということも、ぜひ忘れないで記憶しておきたいものです。
列車を降りてきてびっくりしたんですが、この大畑駅改札横では、なんとこの大畑線の廃止日をカウントダウンする絵入りの看板が出ていました。
鉄道路線の廃止、というと、人間で言うところの死亡、なわけですから、私としては、ここまであかぬけたカウントダウンをやっていることに、若干違和感を覚えるわけですが・・・。廃止当日はさよなら列車が走り、お祭り騒ぎにはなってしまうんでしょうけども・・・。
駅の前に出てきてみました。駅の前にはバス乗り場と、スーパーが一軒。食堂みたいなものがあるかと思ったんですが、どうやら駅の近くにはないようでして・・・。
少し腹が減ってきたので、駅舎内の売店でパンを買い、待合室のストーブで暖まりながら食べました。
折り返しは、到着から1時間後。同じ車両が、再び下北へ向かいます。
乗り込んで、車内を見てみますが、このキハ85形、形式名や塗装は変わっていても、車内は国鉄時代の雰囲気を色濃く残しています。
この、どこか時間が止まったかのような世界も、まもなく歴史の波のなかへ消えていくわけで・・・。
大畑〜下北間18kmの所要時間はジャスト30分。のんびり走っているように見えても、乗車時間はあっという間に過ぎていきます。
11時10分、下北着です。バスを介した北海道への船便の連絡もあることから、「みらい海峡ライン」の愛称を持つことにもなった大畑線。その役目は、4月以降、バス便へと引き継がれます。しかしながら、味のある路線・車両を抱えていただけに、廃止はやはり残念ですねぇ・・・。

大畑線に別れを告げ、私は青森へ戻るわけですが・・・
下北へ戻ってきた私は、いったん大湊へ向かおうと、大湊線下りの大湊行きに乗り込みます。
やってきたのは青森から走ってきたキハ100形快速「しもきた」3725D列車。東北線遅れによる接続待ちのため10分ほど遅れていました。
大湊までは一駅です。降りた私は改札を抜けて、すぐにまた折り返しの列車に乗ろうとしますが・・・やはりこの列車、昨年4月に乗ったときにもそうでしたが、改札前にはすでに乗車待ちの長い列が・・・。
「こりゃ座るの無理やねぇ」ということで、今回も前面かぶりつきを楽しむことにしたのでした。
  折り返しの大湊11時28分発、快速「しもきた」青森行き3728D列車は、若干遅れて発車しましたが、所定6分の折り返し時間をかなり切り詰めて発車、ダイヤ回復を優先しての措置でした。
さきほどからまた風が出てきたようで、線路の上には飛ばされてきた雪がかなりかぶって、レールの表面が見えなくなっているところもあります。それでも、遅れている列車はスピードを落とすことなく走りつづけます。

北野辺地通過直前、運転士さんがタイフォンを立て続けに鳴らし始めました。
ふと前方を見ると、なんと線路の上で犬の散歩をしているオッサンの姿が・・・後 からタイフォンを鳴らされても、振り向くことなく線路上をまっすぐ走っているじゃないですか!
「おい、逃げる方向が違うぞ〜」とか思っていると、列車がブレーキをかけながら100mくらいのところへ迫った段で、やっと線路敷から外へ出ました。
運転士さん、思わず窓を開けて「何やってるんだ〜!」と大声で怒鳴っていましたが、そりゃもっともですわ。・・・でも、ここが見通しのいい区間じゃなかったら、と思うと、ぞっとしました。
  さて、快速「しもきた」で青森までなんとか戻ってきました。
列車から降りようとふと向かいホームを見ると・・・あれぇ?!583が停まってるよぉ〜、ということで、降りると早速カメラを構えました。
この583系寝台電車9両編成、どうやら、東京ディズニーランドまで往復する団体臨時列車の「わくわくドリーム号」のようで、青森へ帰ってきてこれから車庫へ入ろうとしているところでした。
それにしても、なんか珍しいものを見られて、うれしいですわねぇ・・・。(^^;)
  駅構内で昼食をとったあと、私は次の目的地へ向かうため、再び列車に乗ります。

青森14時7分発、快速「海峡7号」函館行き。
この午後の時間帯に、函館へ向かう特急「はつかり」の設定がなく、しょうがないなぁ、と思ってこの列車にしたんですが、実は「海峡」に函館まで通しで乗るのは初めてで、「どんなんかいなぁ・・・?」(笑)

編成は津軽海峡線用に改造を施されている50系5000番台客車4両編成。牽引機は写真のED79-17。
「海峡」の「ドラえもん海底列車」のキャンペーンは終わっていますが、この機関車はまだこのドラえもんカラーで使われているようです。
自由席もある列車ですが、私はとりあえず指定席を確保していました。はじめのうちはそれほど乗客が多くなかったのでのんびり構えてたんですが、発車時間が迫ったころ、団体さんらしきお客さんがどっとやってきまして、席はあっという間にほぼ埋まってしまいました。

で、その団体さんを運んできたらしき列車というのが・・・。
・・・この列車。
青森13時52分着の特急「スーパーはつかり7号」だったんですが、これがですねぇ、なんと国鉄特急色の485系でやってきました。

この列車はもともと485系でも代走がきくようなダイヤ設定をしてあるわけですが、時刻表上ではもちろん、この時期に485系代走の予告はありません。先に書いたような理由で、定期の「はつかり」を受け持っている485系の3000番台編成までが不足になってしまい、昨年3月のダイヤ改正で定期運用から離脱したことになっている国鉄特急色の車両まで動員される結果になったわけなんです。
「海峡7号」はそうしたイレギュラーラッシュの青森駅を定刻に発車。津軽線へと進んでいきます。
進行方向左側に見える青森運転所の構内では、まさに人海戦術でポイント部分の雪かきをやっていました。
しかし、こちら津軽半島側は、さきほどまでいた下北半島側と比べて、天気が荒れているようですねぇ。

写真は途中の奥内駅ですが、この津軽線は単線のため、貨物列車との行き違いでの停車がどうしても多くなります。青函トンネル本体は、新幹線の走行にも対応 した複線の路盤を持っていますが、そこまでのアクセスはもともと単線ローカルの津軽線、江差線で、この部分が海峡線のスピードアップにとってはネックとなっているんですね。
  蟹田で車掌さんがJR北海道の乗務員に代わりました。このあと新中小国信号場で、列車は津軽線と別れ、JR北海道管内の海峡線区間へ入っていきます。
私は、もともと持っていた指定券で指定された席に座りました。
複線高規格の線路を走ることしばし、大小9つのトンネルを抜けたあと、いよいよ青函トンネルへ突入です。
写真はまさに、青函トンネルに入る瞬間です。(笑)
列車はここから、全長53.85km、世界最長のトンネルを北海道側へ向けて突き進んでいきます。一番深いところでは、海面下240m、海底の下100m のところを走っていくんですよね。しかも、約52kmという、超ロングレールを使用していますんで、いわゆるレールのジョイント音というのは、してきません。

青函トンネルは、1971年11月の起工から、1988年3月の開通まで、実に16年半近い歳月をかけて完成。工事中には34人もの工事関係者の尊い犠牲 がありました。なんとしても青函間にトンネルを、という悲願は、従来北海道と本州を結んでいた青函連絡船において、1954年9月の洞爺丸台風により、海難史上あの「タイタニック号」の遭難に次ぐといわれる犠牲者(洞爺丸沈没のみで1155人が死亡)を出したことで、強いものになったわけですが・・・。
完成はしたものの、この旅行記でも書いたとおり、本州対北海道の旅客輸送の主役はすでに航空機に取って代わられてしまい、海底トンネルであることからくる保守作業の大変さもあって、この青函トンネルの運営がJR北海道にとってはかなりの負担になっているという話も聞こえてきます。

車内なんですが、車端部に写真のような案内板がついていまして、トンネル内での現在位置を表示するとともに、5kmごとに海面下○○メートル、という表示が出てくるようになっています。
  この青函トンネルには、竜飛海底、吉岡海底という二つの海底駅があります。それぞれ地上には、本州側、北海道側のトンネル工事拠点があったところです。
写真は竜飛海底駅停車中に撮ったものですが、この海底駅では、「ゾーン539カード」という見学者用のチケットを持っていなければ下車できません。もちろん、それも見学目的ですので、一般の乗降とは性格が違うものなんですが・・・。
ちなみに、竜飛海底駅の地上部分には、青函トンネル記念館があり、吉岡海底駅のほうは、日本一低いところにある駅(海面下135m)ということになっているようです。
中間点を過ぎて、列車は延々と勾配を登りつづけ、やがて地上に出てきました。いよいよ、北海道に上陸です。
しばらくは高架線上を進みます。見ている限り、こちらもけっこう雪が積もっていますが、天候はいいようです。
この高架線を降りると、木古内。ここからは、単線ローカル区間を行きます。
「海峡7号」は木古内に到着しました。
ここでは、木古内止まりの普通列車の到着を待ったため、通常はすぐに発車するところ、しばらく待たされました。これが、単線運転の宿命でして・・・。
しばらく待ってやってきたのは、キハ40形の普通列車・・・キハ40とはいっても、本州で走っているのとは違って、窓が小さく、しかも寒冷地仕様の二重窓になっています。この車両を見ると、北海道へ来たなぁ、と思います
列車は木古内を出ると、しばらく海沿いに走っていきます。
時刻的にもそろそろ夕方。ふと右手を見ると、まさしく日が西へ沈もうとしているところでした。
さらに進むと、これからたどり着く函館市街、そして、ランドマークである函館山の姿が見えてきます。
空は次第に暗くなっていきますが、街は逆に灯りがつき始めて、これから夜の輝きを見せようとしているころですね。
やはり単線区間だけに、特急「はつかり」や貨物列車との行き違い停車がどうしても多くなってきます。
ここ上磯でも運転停車。このあと、五稜郭の手前で信号 に引っかかってしまい、私の乗っていた車両が踏切にかかってしまう場面もありました。踏切で停まられちゃうと、待ってる車もさぞかしイライラするでしょうねぇ・・・。
結局、「海峡7号」は15分ほど遅れて終点・函館に到着しました。

私はここからさらに乗り継ぎます。
次の列車は、向かいホームで待っていた写真の特急「スーパー北斗17号」札幌行き。北海道ご自慢の振り子気動車キハ281系で運転されますが、所定7両編成のところ、この日は2両増結の9両編成になっていました。
今回、またしても私はグリーン車の利用を選択しました。
私はちょうど1年前に、「北海道フリーきっぷ」のグリーン車用を使って、この北海道内で一週間にわたってグリーン車をあれこれ乗り回したんですが、やはり北海道内の特急グリーン車サービスは、魅力的です(^^;)。
ということで、3号車のキロ280-1の車内に陣取るわけですが・・・。

この冬、北海道の高速特急車両には、ある改造が施されていました。それは、氷塊によるガラスの破損を防ぐために、従来のガラス窓の外側に透明なアクリル板 を取り付けたこと。ですから窓まわりの印象が、従来とはかなり違ってきています。こうやって写真で見ても、窓の部分が出っ張っているのがお分かりになると思います。
列車は17時15分の定刻に函館駅7番線を発車。
構内のポイントを渡ると、エンジンをふかして一気に加速します。ほんと、この加速の鋭さは、特筆ものです。

一方、グリーン車内では、胸に「ツインクルレディ」のバッジをつけた客室乗務員さんの笑顔のごあいさつが始まっています。
この日グリーン車を担当した客室 乗務員さんは、もう一つ「見習い」のバッジをつけていました。おそらく実地研修中なのでしょう。先輩の客室乗務員にいろいろ尋ねながら、懸命に業務をこなしていました。

さて、私はといえば、そろそろ夕食を食べたいな、と思いまして、座席ポケットに入っていたワゴンサービスメニューを見ています。何か駅弁でも食べたい な〜、なにしろ、昨日も「白鳥」車内で晩飯食べそびれたしなぁ、と思ってましたが、待てど暮らせど、ワゴンがやってきませんで・・・。やってきたときには、すでに弁当類は売り切れ、仕方なくまたおつまみ類でしのぐことに・・・。(^^;)
とにかく、列車は函館を発車すると、次は東室蘭まで停まりません。
この列車は函館〜札幌間をジャスト3時間で結ぶ、「スーパー北斗」のなかでも最速達の列車なんですよね。

暗闇に沈んだ雪景色のなかを列車は走ります。私は、オーディオを聞きながら過ごします。ここの車内オーディオ用のイヤホンは、航空機で使っているものと同じタイプのものです。
こちらが、キロ280のグリーン車シートです。大柄な3列シート、北海道ではこれがデフォルトです。グリーン車はやはりこのくらい豪勢なつくりであってほしいな、と思いますよね。高い料金を払って乗るわけですから。

列車は持ち前の性能を発揮して飛ばしていきますが、途中、運転停車で停まる場面が・・・。ん?! ちょっと怪しいかなぁ・・・。
列車はさらに先を急ぎます。
しかし、遅れは徐々に拡大している様子。この苫小牧ですでに15分くらいになっていました。
しかも、駅に到着すると、車掌さんと客室乗務員さんがホームを走り回っている・・・。その後の車内アナウンスを聞いてみると、どうも凍結して開かなくなったドアがあったもようで、乗務員さんたちはその対応に追われていたのでした。

冬場は常に雪や寒さとのたたかいになる北海道。こういうことも、あるんですね。
列車はその後も徐行運転などがあって遅れは拡大。
終点・札幌には30分遅れの20時45分に到着しました。札幌到着直前にも、遅れのため到着番線が変更になるなど、最後まで慌しい状況が続きました。
それでも、グリーン車担当の客室乗務員さんが、笑顔でお見送りに立っているのを見ると、なんとなく尖りかかった気分が丸くなるから、不思議なもんですね。

これは、先輩格にあたるJR九州の客室乗務員にもあてはまりますが、彼女たちの仕事は、本当にサービス精神に満ちていますよね。
こまやかな気配り、そして どんなときでも、笑顔で接客にあたる・・・。もともと男性職場だったこの鉄道の世界でも、最近はいろいろな現場で女性の活躍が目立ちますが、彼女たち客室乗務員さんの存在は、お客さんに一番間近に見える部分でもあり、そのサービスの内容面でも非常に印象的なものになっています。
私がもし、彼女たちに質問できるような機会があったら、ぜひ訊いてみたいもんだと思います。なぜにこの鉄道という職場を選んだのか、そして、そのサービス精神の源は何なのか、を・・・。

そんなことを考えながら、列車を後にした私でした。
 私はそのまま駅近くのホテルにチェックイン。その後、近所の海鮮料理屋に食事をしに行きました。とにかく、北海道のおいしいものをいろいろ食べましたね。・・・魚介類の新鮮さは、やはり、東京とは比べ物になりませんし。

明日は、札幌近郊で動いてみる予定です。私自身は5回目の札幌滞在ですが、まだ見たことのないものが、あるはずですし。
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