Part1(2001・1)
2001年1月、私にとっては21世紀初めての本格的な列車旅のチャンスが巡ってきました。

この2年ほど、毎年1月には北海道へ足を運んでいる私ですが、この冬も、やはり行ってみたい衝動に駆られるようになりました。しかしながら、ただ単にそのまま北海道へ進んでしまうのも、どうもちょっと面白くないな、と思っていました。

そこへ、この3月に、日本海縦貫線を40年にわたって結んできた伝統の特急「白鳥」が廃止になるというニュースが・・・。3年前に青森から大阪への上り列車乗りとおしもやったりしている私ですが、最後にもう一度、しかも今度は下り列車で乗りとおしをしてみたい・・・と思うようになりました。

この二つのことをなんとか結びつけて、今回もかなり強引に旅行の日程を作り上げました。指定券も入手し、必要な根回しも(笑)済ませて、出発の日を迎えました。
というわけで、1月13日朝5時、八王子駅にやってきました。5時14分発、各駅停車東京行きに乗り、まずは東京駅をめざします。
実はこの前の日に、私が普段からお世話になっている鉄道系のネット仲間のみなさんと新年会をしていまして、自宅に帰るとすでに0時近くになっていました。それでもって、旅行の準備を済ませてから眠り、4時前には起床して出かけてきたんですよね。・・・年末年始から引きずっている風邪もまだ完全に治りきっておらず、内心かなり不安だらけの旅立ちでした。
東京駅に到着し、東海道新幹線ホームへ向かいます。まもなく、14番線には6時52分発、「のぞみ3号」博多行きとなる700系C2編成が入線してきました。
私は、この列車で新大阪へ向かいます。体力的なことも考えて、今回もグリーン車に乗ることになりました。700系のグリーン車にはこの元日にも、九州への帰省の際に乗っていますが、とにかく、大柄なシートで少しでも休息がとれればなぁ、という感じでした。
「のぞみ3号」は定刻どおりに東京駅を発車。西へ歩を進めていきます。

やがて列車は静岡県へ。右手にはお約束の富士山です。
この日は雲も出ていたのでどうかな、と思ってたんですが、ちゃんと見えてきました。「富士も見えたし、この旅はきっと順調にいってくれるだろう・・・」なんていう希望的観測を抱いたんですが・・・。
しばらくウトウトしたりしているうちに、列車は早くも京都に到着です。
写真は鴨川を渡っているところ。
9時26分、列車は定刻どおりに新大阪に到着です。・・・本当は、この列車より東京を早く出て、新大阪に遅く着く「ひかり」で安く来ようかと思ったんですが、体のことを考えて「のぞみ」に変更しておいて、正解だったですね。少し休めたし、なんとかここまでは順調に来ました。
新大阪から新快速電車に乗って一駅、大阪に到着です。まだ少し時間があったんですが、北陸方面の特急発車ホームである11番線に移動します。
電光表示板にはすでに、「特急 白鳥 10:12 青森」の文字が見えますね。この駅では一日に一回だけ表示される愛称名「白鳥」。この文字が見られるのも、もう2ヶ月残っていません。

そうした事情もあってか、このホームと向かい側のホームには、カメラを持ったいかにも「鉄」さんといった感じの人たちがけっこう来ていました。おそらくこのなかに、同じ列車に乗る「同志」の人もいるんだろうなぁ、なんてね・・・。(笑)
発車7分前、この日の「白鳥」となる編成が、回送で入線してきました。この日の編成はJR西日本京都総合運転所所属の485系A01編成。同運転所に6編成在籍する、両端先頭車がボンネット車になっている編成のうちの1本です。このスタイルの車両が入る確率が高い、というのも、鉄道ファンを引きつける要因の一つになっています。

この下り「白鳥」は、大阪10時12分発で、終点・青森には所定で22時59分着。12時間47分をかけ、2府8県をまたがって約1040kmを走破します。
この列車は文字通り、関西圏と北陸、東北までを結ぶ「日本海縦貫線」(北陸、信越、羽越、奥羽各本線の日本海沿いルートの総称・もちろん俗称ですが)を完走する唯一の昼行特急、そして現在は、日本一長い距離を営業運転する在来線昼行特急でもあります。全国一体経営の国鉄だったからこそ、誕生すべくして誕生した列車、なんだと思います。

そんな感慨にひたる暇もなく、列車は発車時間です。・・・さぁ、急がないと・・・。
  「白鳥」は10時12分、定刻どおりに大阪駅を発車しました。
「鉄」な人たちがたくさん、カメラを手に見送っています。列車の中にも、いかにもそれとわかる人たちの姿がけっこうありました。みんな、「白鳥」のことが気になっているんですねぇ・・・。
  大阪府から京都府に入る山崎付近では、カメラを持った撮り鉄さんが数人構えていました。けっこう撮影地としても有名な場所ですが、今後「白鳥」の廃止が近づくと人数ももっと増えていくんでしょうねぇ。
桂川を渡り、左手には梅小路蒸気機関車館の扇形機関庫の屋根が見えてきました。まもなく京都です。
  京都を出たところで、私は持参のノートパソコンを開き、この日1回目のモバイル更新を開始しました。ところが、パソコンの調子がいまいちで、フリーズを繰り返しているうちに、列車は湖西線に入り、どんどんと北陸方面へ向かっています。
この日は北陸・北日本方面はかなり天候が荒れるという予報が出ていたんで気になっていたんですが、早くも左手の山の上には雪がかぶっているところが見えてきました。

更新が終わり、いくつかトンネルを抜けて北陸線に入るころになると・・・。
  近江塩津手前、直流から交流電源に変わるデッドセクションを通過したところでは、もうこんな雪景色になっていました。
さすがに一山越えると、という世界なんですが、まさか、こんなに南のところでここまで雪が降っているとは思いもよりませんで・・・。(^^;)

しかし、この状況は、まだ「序章」に過ぎませんでした・・・。
  11時30分過ぎ、敦賀に到着です。ホームに雪が降り込んでいるような跡がありますね。「おぉ、さすがに北陸やん」なんて思っていたのも、後にして思えば、この状況はかわいいもんだ、という感じでしょうか。

実は、この時点で、9時56分に大阪に到着していなければならないはずの上り寝台特急「日本海4号」がまだ敦賀に到着していませんで、「こりゃこの先、大丈夫なんかなぁ・・・」という不安がよぎり始めたのも、この頃からでした。
  さて、朝が早かったこともあってお腹がすいてきました。ちょうど車内販売がまわってきたのを見計らって、どんな弁当がワゴンに載っているか物色します。

それで選んだのが、写真の「押寿司日本海」。
「ます寿し」「たい寿し」「えび寿し」の押し寿司が3本セットになっているもので、比較的新しい製品のようでした。
さすがに、押し寿司が名物になっている日本海沿いらしいなぁ、と思いながら、さっそく食べます。・・・もちろん、期待を裏切らない出来でしたが、どちらかというと女性受けしそうな感じだなぁ、という気がしました。
  列車は福井発車時点で2分遅れ。徐々に雪の影響が出始めていました。ところどころ吹雪いているところもありますね。比較的南のエリアであるこのあたりでこんな状況だと、北へ行くとどうなってしまうんだろう・・・。

そんなことを考えているうちに、列車は金沢へ近づきます。
かなり降ってきているようですね。

金沢駅のホームで、琴の音色をアレンジした発車ベルが鳴り響くなか、「白鳥」は3分遅れで金沢を発車しました。
  列車は金沢を出ると、倶利伽羅峠を越えて富山県へと向かいます。
この倶利伽羅、という場所は、平安末期に木曽義仲が平家の軍勢と戦って勝利した場所として 歴史上も有名な所ですが、こと鉄道に関して言えば、北陸路を力走する特急群を撮影する格好のポイント、となっています。
実際、かなり雪が降っていたこの日も、撮影している人たちの姿がありました・・・。

列車のほうですが、金沢までにかなりの人が下車したようで、若干空席が目立ち始めました。金沢から乗ってきた人ももちろんいるんですが、やはり日本海縦貫線の特急で一番乗客が多いのは、京都から金沢の間、なんでしょうね。
  途中、高岡に停車し、「白鳥」はやはり3分遅れで富山に到着しました。
ここも北陸の中心都市の一つですので、乗客の入れ替わりはありますが、だいたい乗る ほうと降りるほうがとんとん、という感じでしょうか。それにしても、地元の人、と思われる人たちでも、この日の天候にはかなり不安げな表情を浮かべていま すねぇ・・・。ほんと、この先、大丈夫なんでしょうか?
  富山を出ると、15分ほどで魚津に着きます。左手には、富山地方鉄道のローカル電車が走っています。
ここを出ると、黒部川を渡って、次は新潟県内、ということになるんですが・・・。
  その、新潟県へ向かう車中からは、線路際まで迫る日本海の荒波を間近に見ることができます。
かなり波頭が立ってきているようですねぇ。これだけ海が荒れてくると、空のほうもどうなるか・・・。ますます気になります。

本来なら、糸魚川手前の青海付近で、青森発の上り「白鳥」大阪行きとすれ違うことになっているんですが、結局糸魚川の手前ですれ違うことはありませんでした。
  糸魚川の先で交流から直流への電源切り替えのデッドセクションを越えます。さらに進むと、名立付近で遅れてきた上り「白鳥」とすれ違いました。
・・・時間にすると、25分くらいは遅れているんでしょうか・・・ということは、こちらもそのくらいの遅れで青森までなんとか到達できるのではないか、というかすかな希望が見えてきました。(笑)

「白鳥」は結局5分ほど遅れて、14時51分頃に直江津に到着です。ここから、列車はJR東日本のエリアを走ります。
この上越市近辺、ほんと、かなり粒の大きな雪がかなりの密度で、それこそ「ボタボタと」という感じで降り注いでいます。この先、もっと積もってとんでもないことになるんじゃ・・・。(^^;)
  直江津を出た「白鳥」は、信越本線を新潟へと向かいます。
左手には再び日本海が見え始めます。・・・ご覧の通りで、やはり大荒れ、といった感じです。それでも、遅れを抱えたままの列車は、スピードを緩めることなく、猛然と飛ばしつづけています。

ここで、つい頭に浮かんできてしまったのが、かつて森昌子が歌ってヒットした演歌「悲しみ本線日本海」のメロディ。まさしく、こうした情景をモチーフに作られたんだろうなぁ・・・冬の日本海は、やはり演歌が似合うんでしょうか・・・。
  列車はやはり3分ほど遅れて、柏崎に到着です。
左手のホームには、この柏崎から分岐して海沿いを新潟へ向かう越後線の115系電車が停まっています。もう、雪がかなりこびりついてますよね。この115系電車は、寒冷地用に耐寒耐雪強化を施された1000番台車なんですが・・・それでも、この雪国での運用は、かなり過酷なものだろうと思います。
  柏崎を出ると、長岡、東三条、新津の順に、主要駅に停まっていきます。
時間的には15時を過ぎ、コーヒータイムかな?と思いまして、車内販売のワゴンが通りかかるのを見計らって、コーヒーを注文しました。この大きさで300円はやはりちょっと高めですが、雪の車窓を眺めながらの温かいコーヒー、というのは、なかなかおつなもんです。

 4分遅れで長岡に到着。
上越新幹線で東京へ向かうお客さんたちが降りていきますが、さすがに、越後湯沢で新幹線に接続する特急「はくたか」が登場してはや4年近く。この日は午前中に北越急行線のダイヤが乱れて「はくたか」にも遅れが出たものの、午後には回復していて、この長岡まわりで東京へ向かう人の姿 は、昔に比べると少なくなったような気がします。

列車はさらに先を急ぎ、やはり4分遅れの16時15分に新津に到着です。
左下写真にある通り、新潟色の車両がいろいろと見られるところですね。もっとも、最近はSL「ばんえつ物語号」のC57-180の基地として有名になっていますが・・・。
 
  「白鳥」は16時27分、5分遅れで新潟に到着しました。新潟駅の配線の都合から、列車はここでスイッチバック、進行方向が逆転します。
通常ダイヤでは、この新潟で7分の停車時間がありますが、列車が遅れていることもあってか、車掌さんのアナウンスは「列車は到着後、準備でき次第すぐに発車いたします」と繰り返していました。

新潟ではかなり乗客の入れ替わりがありました。やはり、この新潟を境に、列車の利用状況は異なっているようです。
3月ダイヤ改正で「白鳥」が廃止になったあと、「日本海縦貫線」の特急体系は、大阪〜金沢・富山間の「雷鳥」「サンダーバード」、金沢〜新潟間の「北越」、新潟〜秋田間の「いなほ」、秋田〜青森間の「かもしか」、といった列車を軸にして再編される予定です。それらの地域をを一本で結んでいる「白鳥」 は、そうした「効率化」の波のなかに消えていくことになってしまったわけで・・・。
  新潟で進行方向が変わるため、車内では、シートの向きを進行方向に向けて変えようということでちょっとした動きがあります。私の乗っている1号車は、最後尾から一転、先頭車に変わりました。

新潟を発車した列車は、上沼垂信号場まではここまで走ってきた信越本線の線路と並走。その先、白新線へと入っていきます。
この新潟〜上沼垂信号場間、同じ 区間を二度走る、という理由から、下り「白鳥」の列車番号は、新潟を境に5001Mから5011Mへと変わります。運行管理システムの都合、だという話ですが・・・。
それにしても、新潟もけっこう、雪が積もってますね・・・。
  さて、新発田から羽越本線に入り北上を続けるわけですが、このあたりから列車のスピードが落ち始めまして・・・徐行かというようなノロノロ運転となる場面も出始めました。
左上写真は新潟県内最後の停車駅・村上駅到着時のものですが、遅れは次第に拡大しつつありました。

村上を出ると、列車は3度目のデッドセクションにかかります。直流1500Vから交流20000V(50Hz)へ。車内は、左下写真のように車内灯が落ち、真っ暗になります。
「白鳥」は、北陸線糸魚川までの交流20000V(60Hz)も含め、日本のJR線の電化区間で使用されている3つの電源方式すべてを通ってくることになるわけですが、まさしく電化区間ならどこでも走れる、国鉄設計の485系電車の持ちうる性能のすべてを発揮できる列車、でもあるわけです。
・・・「白鳥」 の消滅により、この485系の汎用性能をフルに発揮する特急列車、というのは文字通り消えてしまうわけで・・・。

で、村上〜間島間なんですが、下り線線路での路盤流失事故によって、このときは上り線を使った単線運転になっていまして、運転室には運転士のほかにナビゲーター役の運転指導員が乗務していました。列車は間島で臨時停車をかけ、その運転指導員さんは乗務員用ドアから列車を降りていきました。
 
  そうしたこともあって、村上や間島で行き違いのための停車時間がとられることになり、「白鳥」の遅れはさらに拡大していきます。
写真は山形県に入って最初の停車駅であるあつみ温泉ですが、すでにこの時点で列車の遅れは23分に拡大していました。
この遅れが車内に伝わったとたん、車掌さんをつかまえてこの先の列車接続について尋ねる乗客の姿が目立ち始めました・・・。

このあつみ温泉発車前後に、ひととおり9両編成の車内を見てきたんですが、自由席はそこそこ人がいるものの、指定席では片手の指で足りるくらいしか人のいない車両もありました。
  あつみ温泉を出たところで、車内販売のワゴンがまわってきました。
時間が時間なので夕食用の弁当でも、と思ったんですが、すでに、弁当もサンドイッチも売 り切れてしまい、この先も積む予定はないとのこと。
・・・青森まで乗りとおすのに、そりゃないよなぁ、と思いつつも背に腹はかえられないので、とりあえず ワゴンに残っていたおつまみ系のものを買い込み、しのぐことにしたのでした。

列車は庄内平野へ降り、途中鶴岡に停まっていきますが、途中では雪煙を巻き上げながらの力走を見せてくれています。少しでも遅れを取り戻そう、という、運転士さんの必死の形相が目に見えるようで・・・。
  酒田に着きました。ここの時点で21分遅れ。力走を続けていますが、遅れはまだまだ残っていますね。この先単線区間も抱えており、遅れを完全に取り戻すのはおそらく不可能だろう、とは思っていました。

列車は、暗闇の中を、さらに先へ向かいます。
  象潟、仁賀保と停まり、「白鳥」は鳥海山のふもとへ向かう由利高原鉄道への乗換駅・羽後本荘に到着です。
この時点で遅れは19分。少しずつ、運転士さんの必死の運転で遅れが縮まっています。こうした悪条件下で少しでも遅れを戻そうという努力には、本当に頭が下がります。
  羽後本荘を出ると次の停車駅は秋田ですが、「白鳥」は羽後亀田で臨時の運転停車。
行き違いでやってきたのは、青森発で大阪へ向かう寝台特急「日本海2号」 でした。向こうはそれほど遅れもなく運転されている様子。
もう、青森まではなんとかたどり着けるだろう、ということで、ほっと胸をなでおろしたのでした。
  20時37分、列車は秋田に到着。遅れは15分にまで縮まっていました。

ここでまた若干の乗客の入れ替わりがありましたが、全体的にはかなりお客さんが減ってきています。ホームにも雪が降り積もっています。かなり、降ったんでしょうね。
列車は少しでも遅れを取り戻そうと、大慌てで秋田を発車していきます。
  ふと、デッキに出てみると、列車のドア窓はすでに凍りつき、ドアの内側には、反対側のドアが開いたときに吹き込んだものと思われる雪の粒がついていました。
雪国を走る列車の厳しさを教えてくれていますね。

暖房の効いている客室内と、デッキとでは、かなり体感温度に差があります。客室内ではかなり暑く感じても、デッキではもうブルブル・・・。(^^;)
  「白鳥」は、東能代、鷹ノ巣と停まっていきます。

列車は9分遅れで22時5分に大館へ。ポツリポツリと、乗客の姿は減っていき・・・。
  この写真が、大館発車時点での1号車車内です。
上の方に出ている新潟発車時点の車内と比べると、やはり混雑度に決定的な違いが出てしまっています。
・・・なにしろ、この区間を昼間に走っている特急「かもしか」は3両編成ですし・・・その区間で、9両編成の「白鳥」が深夜にかかる時間帯に走っている、というのは、時代に合わなくなってしまったんでしょうか・・・。

もともと「白鳥」という特急には、「日本海縦貫線」各地の連絡という使命はもとより、日本海沿いの各地と青函連絡船を通じての北海道との連絡、という大き な使命がありました。
青函トンネルが開通したいまも、この「白鳥」には、急行「はまなす」という北海道連絡列車の接続があるわけですが、本州対北海道の人の移動の9割が航空機による、という現状からいうと、なかなかつらいものがありますね。
  石川で臨時の運転停車。
今度は何が来るのかな、と思っていたら、モスグリーンの車体が車窓を横切っていきます。・・・札幌発の「トワイライトエクスプレス」大阪行きですね。大きな遅れもなく走っているようでした。

弘前には22時44分に到着。遅れは再び拡大して16分になっていました。
次は、いよいよ終点・・・。
  「白鳥」は23時17分、定刻18分遅れで青森駅6番線に到着しました。
大阪から13時間5分、通常ダイヤよりも長い、昼行特急最長不倒の旅はここで完結です。

青森ではかなり吹雪いており、この写真も吹き込む雪に悩まされながら撮りました。ホーム上も完全に雪がかぶっており、編成の端から端まで歩くのも大変な状況になっていました。
3月2日の運転を最後に、特急「白鳥」は日本海の鉄路から、遠い空へと羽ばたいていきます。
旅行後に知ったんですが、JR西日本では「白鳥」の最終日に乗車ツアーを企画するなど、さよなら企画をいろいろと立てているようです。

おそらく、「白鳥」に乗ること自体、私自身は今回が最後になると思います。しかしながら、こういう天候のときに乗車し、遅れにヒヤヒヤしながらも無事に乗りとおしを完結できたという経験は、おそらく貴重な体験となっていくことでしょう。
私が生まれるずっと前から走りつづけた伝統の特急「白鳥」の思い出・体験は、私にはわずかしかありませんが、この長時間走る昼行特急を、上下列車とも乗り 通した乗車体験は、「列車乗り」である私にとってはある意味、豪華寝台特急に乗ることと同じくらいのインパクトがある体験ですし、この体験は言葉ではとても言い尽くせないほど、いろいろなことを教えてくれたように思います。
こういう列車が存在したことは、きっと一生忘れることはないでしょう。

とにかく、なんとか青森までたどり着いた私は、そのまま駅近くのホテルへ向かいましたが、足元がかなり悪く、ホテルへたどり着くのも一苦労。部屋に入ると、最低限の更新をおこなって、早めに就寝しました。
なにしろ、あくる日も朝が早いもんで、睡眠だけはとらないと・・・。
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