(2021・10)
2021年10月。
コロナウイルス禍が収まったとは言い切れませんが、このところ出されていた緊急事態宣言が解除され、とりあえず感染対策には気をつけながら、ウォーキングも再開してみようということで。
9月から始まっていた秋編のJR九州ウォーキングですが、行こうと思っていたコースが中止になったり、休みが合わなかったりしてここまで参加できておらず、どうにかこの日、行けそうと・・・。
そこへ、小5娘が、以前行こうとして行けていなかった(この旅のときでした)長崎の原爆資料館に行きたいと言い出したことから、この日の長崎行きが決まりました。
メンバーはワタシと、小5・小2の娘たち。嫁さんは、とある資格試験の受験対策の追い込みということで不参加。親子3人の珍道中?となったのかどうか・・・。(笑)
10月10日朝。
早起きして地元・箱崎駅へ。

6時9分発、2831M列車肥前山口行きに乗車。811系のリニューアル車PM2014編成でやってきました。
博多に着いて、コンビニで朝飯の調達。
さすがに、自宅で食べてくるゆとりはなかったので・・・。

博多6時33分発、「かもめ3号」長崎行きに乗ります。
車両は885系SM10編成6連。

車内の普通車シートは、革張りのシートから、モケット張りのものに交換済みでした。
コンビニで買い込んできたおにぎりで、朝飯。
期間限定のよさげなのがあったので買ってみました。いくら醤油漬けがなかなかおいしかったですよ。

最近は自宅でも、お米の朝飯を食べるようになりました。子供のころから朝はパン食だったんですが、なんかお米のほうが力が出る気がしますねぇ。
「かもめ3号」は定刻に博多を発車。

車内はそれほど混雑はしておらず、2人掛けシートでも通路席のあいているところがけっこうありました。
途中、二日市に停車し、列車は6時54分に鳥栖へ。
留置線に821系が休んでいるのが見えました。

自宅を出るころはまだ暗かったんですが、だいぶ明るくなってきましたね。
秋分を過ぎて、徐々に夜が長くなりつつあります。
新鳥栖、佐賀と停まり、列車は嘉瀬川を渡ります。

写真の嘉瀬川河川敷は、秋には恒例の佐賀インターナショナルバルーンフェスタで賑わいますが、コロナウイルス禍のもとで昨年は中止、そして今年は無観客開催が決まっており、観覧はオンラインで、と呼びかけられています。
肥前山口を出て、まもなく肥前鹿島、というあたり。
沿線の田園地帯では、稲刈りがあちこちで行われていました。
写真の場所でも、頭を垂れた稲穂が、刈り取りを待っていました。
実りの秋ですねぇ。
肥前山口を出ると、長崎県境をめざす海沿いのエリアへ。

写真は里信号場~肥前大浦間、白浜海水浴場のあたり。列車撮影地としても知られているところです。ワタシもかつて、ブルトレ「さくら」の最後の時期に撮りに来たりしてました。
海は穏やかそうですね。そして朝から日差しが眩しい。
暑くなりそうですねぇ。
そしてこちら。

長崎県内に入り、左手遠方に雲仙普賢岳を望めるところへやってきました。

今回「かもめ」で辿っているこの長崎本線肥前山口~諫早間ですが、来年秋に予定される西九州新幹線武雄温泉~長崎間の開業を迎えると、肥前鹿島~諫早間に特急は走らなくなります。普通列車の運行は全区間でJR九州が行うものの、線路施設は第三セクターに移管されます。また、肥前浜~諫早間は電化設備を撤去する方針で、気動車による運転が計画されているとか・・・。
長崎へ向かう特急からこの明媚な光景を眺められるのも、あと1年ほどということになります。
こちらは、長里駅での行き違い停車の間に撮ったもの。

このSM10編成の3号車・サハ885-303のデッキのところでは、かつてテレビでBS視聴が可能でした。その昔、787系ビュッフェ車の一部にもこうしたBS視聴可能なテレビが設置されていましたね。
現在はテレビ放映はしていませんが、いまだにこうして案内表示やテレビが残されています。
8時14分、列車は定刻に諫早に到着。
隣の0番ホームには、島原鉄道のキハ2500形キハ2505Aが停車中。同車は「赤パンツ色」と俗称される島鉄の標準色に塗られています。かつてのキハ20形なんかでこの色が見られたんですが、懐かしいですね。
喜々津からは新線区間をひた走り、「かもめ3号」は定刻の8時30分に、浦上に到着しました。
今回のウォーキングのスタートはこの浦上駅になりますので、ワタシたちはここで下車です。
やはり、同じ目的の人たちがある程度乗っていたようで・・・。

改札を出てみると、ウォーキングのスタート受付には列ができていました。
8時半から受付開始していて、まもなく列は解消していきました。そこまで多くはなかったみたいで。
受付を済ませて、コースへと歩きだしていきます。

まずは、長崎大学病院の方向へ、駅前から電車通りを進みます。

長崎電軌の電車、どんどんと走っていきます。
写真は、211形214号。なんでも1951年製造なんだそうで、すでに御年70歳・・・しかしながら、前照灯は白色の新しいものに交換されていて、まだまだ頑張っている様子でした。
電車通りから山手へ入り、こちら、長崎大学病院の前を通過します。
なにやら工事中のようでしたが・・・。

大学病院前を過ぎると、そこからは山手の住宅街のほうへ高度を上げていきます。
坂の街・長崎の本領発揮、単に道だけじゃなく、こうして階段を上下するところもけっこうありました。
そしてまずたどり着いたのが、山王神社。

ここには、1945年の原爆投下の際に被爆した楠の木が、そのまま残っています。
爆風で飛んできた石やガラス片などが木に突き刺さったりしていて、何度かそれを取り除く「治療」も行われたそうで。
大きく威容を誇る楠の木ですが、そういう過酷ななかを生き延びてきた、まさに「生き証人」なのです。
そして、山王神社といえば、こちらを忘れてはいけない・・・。

一本柱鳥居です。住宅街のなかにひっそりと立っています。

原爆による爆風で片方の柱が吹き飛ばされてしまい、片方の柱だけで残っている姿が、爆風の威力の凄まじさを物語っています。
もともと、山王神社には四の鳥居まであり、この一本柱鳥居は二の鳥居だったそう。被爆時に一の鳥居と、この一本柱になった二の鳥居だけが立ったまま残ったそうですが、一の鳥居はのちに交通事故で倒壊したとのことで、今はこの一本柱鳥居だけが残っているのだそう・・・。
山王神社を出て、さらに住宅街や墓地のあるエリアを進みます。
道は狭く、アップダウンも多い・・・日差しが強く暑くなってきたこともあり、同行のちびさんたちはなかなか足が進みません。水分補給の休憩をとりながら、少しずつ進んでいきます。
こちらは、宝町電停・バス停の山手の場所。
最後のトンネルを抜けて、長崎駅へ向かう西九州新幹線の高架が、完成に近づいている様子を見られるところがありました。
もう1年後には、ここを新幹線が走るんですね・・・まだ先の話かと思ってたんですが。
さらにコースを進むと、こちら。

日本二十六聖人殉教地。
1597年、豊臣秀吉の命で捕らえられ、この長崎で処刑されたキリスト教徒26人の記念碑が建てられています。
秀吉が自らの支配の邪魔と考えて、見せしめ的に処刑したものですが、いま考えるととんでもない話だと思います。
コースを進み、長崎歴史文化博物館の前までやってきました。
ここで、小5娘が「博物館行きた~い!」と言い出しました。
小5娘は歴史が好きみたいで、それに関する展示は喜んで見に行きます・・・そういうところ、ワタシに似たのかも。(笑)

ということで、涼しい博物館でしばし、展示を見ることにしました。
時間の関係もあり、常設展のみを見ることにしました。
長崎になぜ異国情緒あふれる文化が根付いたのか、というものが、展示の大きなテーマでした。大陸に近く、中国大陸や朝鮮半島からの文化の流入に加え、南蛮文化、江戸時代の出島を通じたヨーロッパ文化の流入があり、そうしたなかで、今日の長崎の文化が形成されていった様子が、詳しく紹介されていました。

一方、江戸時代の長崎奉行所を再現したエリアもありまして、それこそ「お白洲」が再現してあったり・・・時間帯によってはここで寸劇も見られるそうで。
というか、このエリアの展示で紹介されていたんですが、江戸町奉行のドラマでも有名な「遠山の金さん」こと遠山景元の父・景晋は、長崎奉行を務めたことがあったそうで・・・知りませんでしたねぇ。
博物館をあとに、いよいよゴールを目指します。

国道34号を進み、ここは長崎市役所前の交差点のあたり。
長崎駅からも近いあたりですが、駅の方には向かいません。
江戸町商店街を抜け、出島のそばまでやってきました。
出島にも立ち寄るコースかなと思っていたら、そちらには入らないコースだったので、今回は対岸から様子を眺めるだけにしました。
そしてこちら、ゴールの出島ワーフに到着。
テントでゴール受付を済ませました。

この出島ワーフのあたり、大波止の旅客航路のターミナルも近いところで、飲食店もいろいろあります。
お昼前でしたが朝も早かったので、そろそろ昼飯の物色をしようと少し歩いてみましたが、このあたりではなんだかピンときませんで・・・。
そこから、電車通りの方向へ歩き始めました。

こちら、かつて長崎駅から延びていた通称・長崎港線(長崎本線の一部)の廃線跡。
長崎駅から、戦前は上海航路への連絡をするために旅客列車がこの長崎港線に乗り入れていました。戦後は貨物線となっていましたが、1982年に休止、国鉄分割民営化時の1987年に正式に廃止となっています。
いまはこの動輪のモニュメントが、ここに列車が走っていたことを物語っています。だいぶ錆びてしまっていますね・・・。
電車通りへ出てしばらく歩いていると、「トルコライス」と書かれた幟が見えてきました。

電停でいうと大波止と五島町の間にある、こちらのお店は「ミラン」大波止店。
この旅のときにお昼をいただいた、アミュプラザ長崎内のお店は、ここの支店になります。
もう暑くてたまりませんので、まずは喉を潤します。
ちびさんたちは「お子様セット」を注文したので、セットについていたオレンジジュース、そしてワタシは、昼間からですみませんが生ビールで。
かんぱーい!(^o^)/
で、お昼にいただいたのは、今回も「トルコライス」。
カレーは今回も3辛で。トンカツは揚げたての鹿児島黒豚。ナポリタンパスタもピリ辛でおとなな味。

やっぱり美味いすねぇ・・・。
それほど混みあってもいなかったし、このお店にしてよかった。(^^;
食後。
前述していたとおり、長崎原爆資料館へ向かうことにしました。

五島町電停にやってくると、ちょうど赤迫行の電車がやってきました。
1200A形1202号。1982年製ですが、足回りは西鉄北九州線600形の廃車発生品に取り替えられています。
こんなところで、北九州線の残り香に出合うとは・・・。
長崎電軌では均一料金制を採用していますが、おとなの一乗車あたりの運賃が、この10月から130円→140円に値上げとなっていました。

1202号の車内には、こんなものが。
コロナウイルス対策として、ポリエチレンの手袋が置かれていました。一人1枚使用、使用後は裏返して電停のゴミ箱に入れてくださいとの注書きがありました。
公共交通でこの手袋設置、ってのは初めて見ましたねぇ。
かつて「浜口町」と名乗っていた原爆資料館電停で下車しました。
名称変更で分かりやすくなりましたね。
電停から坂道を登り、資料館前にたどり着きました。

以前、広島の平和記念資料館にはちびさん2人も連れて行きました。そのとき以来、小5娘はずっと「長崎の資料館にも行きたい」と言い続けていましたんで、今回は連れてこれてほっとしました。

この長崎の資料館の展示は、原爆の被害を詳しく伝えるだけでなく、原爆投下に至る「十五年戦争」の過程や、戦後の核軍拡競争の状況にもきちんと触れています。核兵器をなくすのみならず、核戦争の原因を生まない世の中にするにはどうしたらいいのか、深く考えさせる内容になっていると思います。
ウチのちびさんたちも、そのあたりを胸に刻んだことと思います。

資料館を出たあと、爆心地のモニュメントの前までやってきました。
改めて3人で、被爆で亡くなられた方々に黙祷を捧げました。
そろそろ、長崎駅へ向かいましょう。

平和公園バス停から、大波止方面へ向かう長崎バスの路線バスに乗り込みました。

実は、長崎で高速バス以外の路線バスに乗るのは初めて、だったりしました。(^^;
けっこう路面電車が便利なもんでですねぇ。
長崎駅前に到着しました。

話には聞いていたんですが、高架駅移行前の四代め長崎駅舎が解体されてしまっていました。
ワタシは、かつての三角屋根の三代め駅舎も知っていますんで、この四代めの駅舎が20年余という短い期間で姿を消したのは、やはり驚きでしたね。
地上駅のころの面影も、どんどんと消えていっているようで・・・。
で、乗る列車には少し早いんですが、高架ホームに上がってみました。
すると・・・なぜか、九州一般色の気動車が停まってる!

どうやら、団臨でやってきたもののようでした。
詳しくはブログ記事の方で。
ひとしきり、団臨の気動車を撮ったあとは、いよいよ帰路に就きます。

885系SM4編成で運転の「かもめ26号」博多行き。
今回は往路も復路も885系ということになりました。

往路に比べると、やはり少しお客さん多いようでしたが、それでも指定の通路席はけっこう空席があったようでした。自由席は混雑してたようです。
15時19分の定刻に長崎を出た「かもめ26号」。

写真は諫早を出たところ。左手に、西九州新幹線と大村線が分かれていきます。
「かもめ」が「長崎本線の特急」でいられるのもあと1年ほど。「かもめ」は新幹線の愛称になります。
さっきも書いたんですけどね、なんだかまだまだ先のような気がしていますが、もうわずかなんですね・・・。
こちらは、途中の多良駅。
肥前山口~諫早間は単線のため、行き違い停車が避けられません。
ここでは、787系「かもめ25号」との行き違い。停車中のこちらの横を、黒い車体が横切っていきました。

炎天下を歩いて疲れたせいか、帰路の列車内ではのんびりと過ごしました。
新幹線が部分開業して武雄温泉乗り継ぎとなると、こうはいかないんでしょうね・・・。

この日はこのあと、車窓をいろんな列車が横切っていきました。
鍋島では「或る列車」が停車していましたし、笹原では、この日博多~二日市で特別列車として運転していた「海幸山幸」とすれ違う場面もありました。
17時13分、「かもめ26号」は定刻に終点・博多に到着しました。
着いてしまえばあっという間、とも思うんですが、2時間近い時間をゆったりと車内で過ごすことができました。
このあとは寄り道せず、普通列車に乗り継いで帰るのみです。
ということで、ウォーキングをメインに、グルメや学習を含めていろいろな要素のあった1日になりました。
ちびさんたちも少しずつ成長していて、物事や知識を吸収する力が日増しについてきているのを実感します。こうして、あちこち歩きながら、いろんな知識を身につけていってくれてるのが、親としてはやはりうれしいですね。
やっぱり、子供のうちからいろいろなものを見せて、そこから生きる糧を吸収してもらいたいなぁ・・・。コロナウイルス禍のなかではありますが、引き続き感染対策には十分に気を配りながら、可能なことからいろいろとやっていきたいなぁと思います。
<おわり>