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Part4(2011・9) | |
9月26日。 この日は、2010年7月の豪雨災害で不通になっていた美祢線(厚狭〜長門市間、46.0km)が運行を再開する日。 休みをとっていたワタシは、単身で美祢線へ向かうべく、朝の博多駅へ。 厚狭まで乗車するのは、7時10分発、博多始発岡山行き「こだま734号」。この列車は、JR西日本車の東海道新幹線内運用への送り込みを兼ねた列車で、デフォルトは300系F編成での運転ですが、現在進行中のF編成廃車の動きに伴って、700系での代走シーンが増えてきました。この日も、700系C11編成16連での運転となりました。 700系C11編成は、300系F編成の廃車を促進するため、この夏にJR東海からJR西日本へ移籍してきた車両。車体のJRマークも、JR東海所属を示すオレンジから、JR西日本所属を示すブルーへと変えられています。 この列車の博多入線から、小倉までの車窓展望点描を収録した動画を編集しました。(新しいウインドウが開きます) http://www.youtube.com/watch?v=Fp3rr9ZYPzE 博多から40分ほどで、列車は厚狭に到着です。 |
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乗り換え改札を抜けて、美祢線が発着する1番ホームにやってきました。 1番ホームでこの日式典が行われる関係もあり、8時31分発の長門市行き725D列車(写真のキハ120形2両で運転)は2番ホームからの発車に変更されていました。 |
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8時20分ごろ、この日の目玉となる「美祢線運転再開記念列車」の「SLやまぐち号」用12系レトロ客車3両が、DE10-1514に牽引され、下関からの回送で1番ホームに入線してきました。 この日の同列車の運転は、厚狭発長門市行き9751列車と、折り返し長門市発厚狭行き9752列車の往復。 ワタシが乗車しようとしている9751列車は、3両の客車のうち2両までが、地元関係者などの団体専用となっていて、最後尾の展望車のみが自由席車として一般客に開放されていました。 |
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乗車の前に、厚狭駅改札前で、こちらの配布。 復旧運転記念乗車証。8時30分からの配布が予告されていたもので、裏側には昨年の水害で被害にあい、今回復旧となった2ヶ所の橋梁(第3厚狭川橋梁、第7厚狭川橋梁)の写真が載っていました。 |
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自由席乗車の列に並んで乗車をしたわけですが、なにしろ自由席が1両しかなく、席はあっという間に埋まってしまいました。 こうなったらしゃあない、と割り切って、最後尾の展望デッキに陣取ることに。 9時8分、9751列車は式典参加者や多くの見物客に見送られて厚狭を発車。 とにかく、沿線からは多くの人たちが、この列車の通過にあわせて手を振っていました。こちらも、撮影の合間に手を振り返していました。 一時は廃線の危機とささやかれたこともありました。それでも、この秋に山口県での国体開催を控えていたという事情はあるにせよ、約1年2ヶ月というかなりの早さで復旧となったことに、多くの人が胸をなでおろしたのではないでしょうか。 美祢で45分ほど停車時間がある間に、ホームへ降りて途中下車。 ホームには「美祢線再開おめでとう」とともに、「美祢線は永遠に不滅だ」の横断幕も・・・。 駅前ではここでも、記念式典が行われていました。 運転を再開した列車は、さらに山手へ。 やがて分水嶺を越え、湯本温泉の旅館街を眺めながら高度を下げていきます。 そうした状況を、動画で撮影してあります。(新しいウインドウが開きます) http://www.youtube.com/watch?v=YwyK8qpIcFs ブログのほうでも・・・。(新しいウインドウが開きます) https://ameblo.jp/tohmori/entry-12469745479.html この記念列車が、文字通り美祢線の新しい息吹の象徴、となっていたのでした。 |
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10時55分、9751列車は終点の長門市に到着。 長門市駅構内には、この日、もう1本の「美祢線運転再開記念列車」として、長門市から美祢まで走った9750D列車のキハ47形2両が、すでに引きあげてきていました。とりつけられたヘッドマークは、DE10-1514につけられていたものと同じデザインでした。 |
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長門市にやってきたのは、昨年2010年のゴールデンウイーク以来。 そのときは、仙崎まで移動して、「みすゞ潮彩」に乗車して下関へ戻ったのでしたが・・・。 今回、戻りを美祢線経由でそのまま戻るか、山陰本線経由にするかで迷ったんですが、結論としては山陰線経由でのんびり帰ろうと・・・。 美祢線を戻るには、さきほど乗車してきた記念列車の折り返し・9752列車という手もあるにはあったんですが、なにしろここまでの乗車が座れずに立ったままだったもんで、ちょっと疲れてました。 |
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11時44分発、長門市始発小串行き969D列車に乗ることにしました。 列車はキハ40-2002の単行ワンマン運転。 買い物帰りのおばちゃんたちと一緒に、のんびり行くことにしましょう。 |
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運転再開の喧騒が包んでいた美祢線とは対照的に、こちらはいたって静かなもの。 海の向こうに青海島を眺めながら、列車は走ります。 途中の人丸で、仙崎へ向かう「みすゞ潮彩1号」と離合します。 帰路に、これの折り返しの「2号」を待とうかとも思ったんですが、よく考えたらこの「みすゞ潮彩号」の車内売店の営業は土休日だけだったなぁと・・・売店営業してたらのんびり食べたり呑んだり(ぇ?!)できるかなとも思ったんですがね。(笑) |
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少しウトウトしているうちに、列車は終点の小串へ。 ここで乗り換え。 昼間時間帯のこの区間では、この小串で乗り継ぎとなるケースが多く見られます。 13時5分発、小串始発下関行き871D列車、キハ47形2両での運転です。この日は長門市方の1両が、いわゆる「タラコ色(首都圏色)」の車両でした。 |
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下関市近郊を進み、列車はまもなく、山陽本線との合流点・幡生。 駅に隣接するJR西日本下関総合車両所本所(旧・幡生工場)では、関西圏で走っていた103系電車の廃車解体が進行中でした。 グッドデザイン賞受賞が発表された新型・225系の投入で、首都圏に比べると国鉄型残存率が高い関西圏でも、やはり淘汰が進みつつあるわけで。 |
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13時47分に下関に到着。 昼飯がまだなんで、駅を出てシーモール下関の地階へ向かいます。 この「かめや」というお店、ワタシが子供の頃によくおふくろに連れられて来ていた店です。 よく食べていた焼そば、それも大盛りを頼んでみました。 詳しくはブログを見てもらえると・・・。(新しいウインドウが開きます) https://ameblo.jp/tohmori/entry-12469745507.html 懐かしの味を満喫して、いい気分で九州へ渡って帰路につきました。 |
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4日間、毎日鉄道に乗って、歩いて、うまいものを食べてと、近場ではありましたが満喫することができました。 2年前には北海道へ旅をしたシルバーウイークでしたが、今回のように近場・子連れでも満喫できれば、御の字、というやつですね。 |
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<おわり> |