<Part2へ>
Part3(2006・8)
8月19日の朝。

宿をチェックアウトし、仙台駅に出てきました。

少しガスってますかねぇ・・・。
きょう最初の列車は、仙台駅1番ホームから6時発、東北本線521M列車一ノ関行き。

車両は、仙台車両センターに所属する元急行用、455・457系6両編成でした。
全国的に数を減らしつつある国鉄急行形電車。南九州、北陸と、この仙台地区が牙城となっていますが、果たしてそれもいつまで・・・。
こちらは、JR貨物仙台総合鉄道部の横を通過中の車内から。

仙台総合鉄道部は、東北本線系統の貨物列車で活躍するED75形、EH500形などの機関車の基地。かつて仙台の南・長町にあった機関区の機能が移転してきたものです。
青函区間まで直通できるEH500の数もずいぶんと増えてきました。
こちらは、2001年に開業した国府多賀城駅。

この駅は、東北歴史博物館の最寄り駅。多賀城の史跡もすぐ近く。
写真向こう側に見える萱葺きの建物は、石巻市内にあった江戸時代中期の農家を移築・復元したものだそうです。
さらに進み、仙石線との並走区間へ。
地図を見てもらうと分かるんですが、塩釜〜松島間の東北本線は、仙石線と交差したり並走したりしながら進んでいきます。
両者がもともと違う成り立ちで敷設され、その後国有化されてともに国鉄の路線になったという経過を知っていなければ、こういう路線のあり方を疑問に思う人がいても不思議はないのでしょうね。

写真でも分かるんですが、かなり霧が濃くなってきました。
この先、一部区間で、濃霧のため徐行となっていましたが、列車は幸いそれほど遅れることもなく・・・。
定刻より2分遅れの7時11分、521Mは石越に到着。

私は、ここで下車します。

左下写真が、JRの石越駅舎。そして・・・。
こちらが、きょうの私の目的、「くりでん」こと、くりはら田園鉄道の石越駅舎です。

私鉄から第三セクターへの転換、電化路線が非電化に転ずるなど、いろいろ話には聞いていた路線ですが、すでに来年3月いっぱいでの廃線の届出がされているということで、一度見ておこうとやってきました。
しばらく待っていると、私の乗車する列車がやってきました。

折り返し7時29分発、細倉マインパーク前行きとなるこの車両。くりはら田園鉄道の主力・KD95形気動車のKD952。栗色、というのはやはり、会社名にちなんで、でしょうねぇ。
このKD95形、なんだか見たことあるような形だなぁと思ったら、わたらせ渓谷鉄道の気動車・わ89形310番台とよく似ていますねぇ。

で、やってきたKD952にはヘッドマークがついていますが・・・。
車両のサイドは、このような形に。

このKD952は、「くりでん応援クラブ」と、ミヤギテレビの番組「OH!バンデス」との共同企画で、「くりでんOH!バンデス号」として運行されています。
車体外部や車内には、沿線の子供たちが描いたくりでんの絵が飾られています。そのほかにも、車内にはさまざまオブジェ類も置かれておりました。
こちらが、KD952の車内。
セミクロスシート。クロスシート部は片側が一人がけ席の配置となっています。
床を含めて、木目の素材が使われているのも特徴的です。
さて、石越を出た列車は、会社名にもなっている田園地帯のなかを進んでいきます。
霧はすでにありませんが、やはり天気が気になりますねぇ・・・。

この「OH!バンデス号」の車内に流れる自動放送のアナウンスは、「OH!バンデス」の総合司会を務めている、シンガー・ソングライターのさとう宗幸氏(「青葉城恋歌」、懐かしいなぁ・・・)が吹き込んだものとのこと。
まさかの演出、ですねぇ・・・。
列車は、車両基地のある若柳に到着。

構内には、かつて「栗原電鉄」という社名だった電化時代に使用されていた電車たちも、まだそのまま置かれています。
電力設備の維持費がかさむこともあって、くりでんは電化設備を廃する道を選んだわけですが、それでも乗客減のなかで鉄道を維持することは難しかったと・・・。
なんとも胸が痛む話です。
くりでんの気動車といえば、いま私が乗っているKD95形のほかに、こちらも忘れてはなりません。

KD10形。2両が在籍しています。
車両をみてピンとくる人もいるでしょうが、かつては名鉄の八百津線など非電化区間で活躍した車両。車輪が1両に二軸しかない非常に珍しいタイプの気動車です。
名鉄で余剰となったあと、このくりでんにやってきていますが、最近はほとんど出番がないのだとか。
若柳からさらに進み、栗駒へ。

このあたりは、まだ電化時代の架線が残っているようですね。
鶯沢までは田園地帯を走りますが、その後、山が迫ってきました。

鶯沢工業高校前を出てトンネルを抜け、しばらく山裾を走ります。

やがて見えてきたこちらのホーム、かつて終着駅だった旧・細倉駅のホームです。1990年に、現在の終点である細倉マインパーク前駅の開業と同時に廃止されました。
そして、列車は8時16分、旧・細倉駅からおよそ200m先にある終点・細倉マインパーク前に到着。

駅舎は、やはり最近の建物だけあって、三角屋根のモダンな駅舎です。
駅舎の横では、こういう光景。

左上写真、右下が、細倉マインパーク前駅のホームに停車するKD952。そして、左はかつて、細倉鉱山から産出された鉱石の輸送などで活躍した電気機関車・ED202です。
後ろには、緩急車・ワフ7形がつながれています。

ED202の前には、「乗って残そう栗原電鉄」と書かれた看板。
今となっては・・・。
私は、細倉マインパーク前から折り返し9時25分発の列車に乗って、石越へ戻ります。

左上写真、若柳発車後。
このくりでんでは、現在でも腕木式信号機、そしてタブレットが使用されています。
現役の鉄道でありながら、動く博物館的な要素を十分に持っている路線、だといえますよね。
このくりでんを、保存鉄道にできないだろうか、という声もあるようですが、実現すれば画期的だと思います。

左下写真、この右カーブを曲がれば、終点です。
9時9分に石越に到着。
私は、そのままJRのほうへ乗り継ぎます。

9時24分発、526M列車小牛田行き。701系2両編成のワンマン運転。
その先は、さらに乗り継ぎとなります。
<Part4へ>