<Part3へ>
Part4(2005・12)
列車は橋本を出て、やがて奈良県へ。
五条では、帰宅の高校生がどっと乗ってきました。二学期の終業式だったんでしょうな。

五条を出ると、この和歌山線で一番の見せ場、ともいえる、北宇智駅へ。
ここの構内では、現在でもスイッチバックの配線が現役です。列車はいったんホームの横を通り過ぎて引上線に入り、その後バックしてホームへ入ります。

かつての勾配クリアの知恵だったスイッチバックも、列車の出力向上に伴って次第にその姿を消しつつありますね。
北宇智の次は、近鉄吉野線との接続駅である吉野口。

近鉄の乗り場には、大阪・あべの橋へ向かう列車が接続を待っていました。
444Tは定刻より若干遅れて、13時6分に高田へ到着。

私は和歌山線の完乗を果たすため、ここで乗り換えです。

13時7分発、1395T列車JR難波行きに乗って王寺へ向かうんですが、きょうの同列車車内では、関西線(大和路線)でのダイヤの乱れのあおりを受けて、「王寺止まりで運転」されるというアナウンスがありました。

車両は、奈良電車区の221系NA415編成4連。私の乗車したクハ220-3の妻面には、鉄道友の会のローレル賞受賞記念のプレートがついていました。
JR五位堂駅付近では右手に近鉄の五位堂工場が見え、列車は住宅地と田園地帯の広がる中を走っていきます。

13時24分、若干遅れて列車は王寺に到着。ここで、和歌山線完乗は達成。

同じ車両が、折り返し高田行き1378T列車になるということでしたので、そのまままた乗り込みました。
13時41分、高田に戻ってきました。

ここからは、次の路線に進むんですが、次の列車が来るまで小休止。
次の列車を待つ間、ホームからこちらが見えました。

こちら、1891年に、鉄道庁神戸工場(のちの国鉄〜JR西日本鷹取工場、現在は閉鎖)で製造された跨線橋の橋脚です。
跨線橋自体は1980年3月の和歌山線王寺〜五条間電化に伴い役割を終えたんだそうですが、明治時代の貴重な構造物ということで記念物として残されているのだということです。
さて、次の列車がやってきました。
ここからは桜井線の乗り鉄なんですが、列車は和歌山発奈良行きとしてやってきた554T列車。車両は、今回も新和歌山車両センターに所属する105系2連。103系からの改造車で組成されたP1編成です。

列車は、この高田で進行方向を変え、桜井線へと進みます。
桜井線の途中には、某宗教団体の本部がある、天理。

本部へやってくる信者を運ぶ団体臨時列車のためのホームがある、そして駅の奈良寄りには、それらの車両を収容するためのヤードもあります。
さらに進み、奈良のすぐ手前、京終までやってきました。
「きょうばて」と読みますが、やはりその字の示す通り、かつての平城京の南の終端がこのあたりであったようです。
関西線(大和路線)の遅れの影響と思われますが、奈良駅の場内信号機手前で待たされることしばし、3分ほど遅れて554Tは終点の奈良に到着です。

奈良駅では高架化工事が進捗しています。現在のこの地上駅はまだ仮の姿でありますね。
この奈良からは、さらに次なる未乗線の完乗をめざします。

乗車するのは、奈良線のみやこ路快速2626M列車京都行き。
車両は、奈良電車区の221系電車NC612編成6連。

223系の大量投入によって、東海道・山陽線では余剰となった221系が、こうして関西圏の他の線区で快速運用を中心に活躍しているわけで。
15時8分、定時発車で順調にスタートを切った2626Mですが・・・。

こちらは、客扱いはないものの行き違いで停車中の棚倉駅。
奈良線は多くの区間が単線のため、行き違いでの停車というのが避けられないことではあるんですが、ここでは奈良方面へ向かう列車の遅れに巻き込まれて、こちらも若干遅れて棚倉を発車。

このことで、このあとの私の行程にも微妙に影響が・・・。
次第に列車は北上し、宇治のあたりまで来ました。
宇治駅を出てすぐ、宇治川を渡ります。

この宇治川の若干上流のあたりに、あの有名な平等院鳳凰堂がありますね。
私はまだ行ったことないんですが・・・。
JR藤森から京都までの区間は、1921年まで東海道本線の一部として使用されていた区間。新逢坂山トンネルの開通も含む東海道線の大津〜京都間改良工事の際に経路が変更されて、今日のような形態になっています。

さらに北上し、京都の手前・東福寺まで来ました。
奈良方面行きホームのすぐ隣には、京阪本線の駅があります。

東福寺を出るとまもなく、鴨川を渡り、京都駅の構内に入っていきます。
結局、2626Mは5分遅れて京都に到着。

ここで、シビアな5分接続の乗り継ぎを計画していた私の行程に狂いが・・・。

このあたりの東海道線のダイヤは、雪の影響などで乱れていました。
私が京都に着いた瞬間、東海道線ホームには遅れていた上りの新快速列車が停まっていましたが、私がホーム移動する間に発車していってしまいました。

結局、私は次の新快速長浜行き3480M列車(もともと乗り継ぎ予定だった列車が10分遅れで到着・223系8両編成)に乗車したんですが・・・。
次の未乗線である、草津線の草津16時24分発、5362M列車柘植行きには、結局間に合いませんでした。(泣)

仕方なく、次の列車である16時47分発、京都始発でやってくる5364M列車を待つことにしました。

駅構内に停車していた上りのコンテナ貨物列車。
かなり雪をつけていました。
6分ほど遅れて、5364Mは草津駅6番ホームにやってきました。
車両は、京都総合運転所に所属する113系4両編成。今朝ほど福知山線で乗った編成と同じく、両端先頭車が湘南色・セミクロスシート、中間のモハユニット2両がリニューアル車・転換クロスシートの車両になっていました。
列車は高架で東海道線をまたぎ、草津線へ入ってきました。

このあたりも、ずいぶん雪がありますね。

さすがに冬至、まだ17時過ぎですが、かなり暗くなってきました。
第三セクター・信楽高原鉄道や、近江鉄道本線との接続駅である貴生川を過ぎ、列車は次第に高度を上げていきます。

こちらは甲賀。甲賀流忍術で有名なところですね。
「こうが」という呼び方をすることも多いんですが、正しくは「こうか」と読むんだそうですね。駅名ももちろん「こうか」です。

まもなく、滋賀県と三重県の県境を越えます。
<Part5へ>