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Part2(2004・8) | |
8月8日の朝を迎えました。 ホテルをチェックアウトしたワタシは、香林坊からバスで金沢駅に向かいました。 北陸鉄道のバスですが・・・ICカード対応になってましたねぇ。我が地元の西鉄より進んでますな。 |
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金沢駅に到着しました。 改めて東口を見てみますが・・・こんな感じになってます。 こりゃまた、今まで見たこともない意匠です。 |
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ワタシはこちらの3番ホームにやってきました。 きょうが最後の運転日となる「リバイバル能登路」を見に来たのでした。 お弁当の立ち売りさんも出てまして、ホームは賑わいを見せておりましたが。 |
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・・・で、立ち売りさんが売っていた弁当というのが、こちらです。 「急行能登路リバイバル運転記念 特製弁当」(1100円)。「リバイバル能登路」運転日に限り、1日200個限定で販売されたものです。 五目ご飯や紅鮭の塩焼き、ウニイカなどといったおかずのなかに、右端、山中温泉名物「温泉(ゆせん)たまご」が入っているのがやはりポイント。これがお弁当に入っているというのは、なかなかです。 |
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ここからですが、乗り鉄をしようということで移動します。 まずは、8時24分金沢発、「はくたか5号」越後湯沢行きに乗車することにします。 JR西日本の681系基本番台「ホワイトウイング」9両編成、福井始発でやってきました。 |
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金沢を発車してしばらく、右手には金沢総合車両所の留置線が見えてきます。 上野から到着したブルトレ「北陸」の編成が、青い車体を休めているのが見えました。 |
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東金沢から森本にかけて、北陸本線のすぐ横にこのような新しい高架が。 北陸新幹線の高架ですね。もうこんな感じになっているとは・・・。 |
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倶利伽羅峠を越え、列車は8時48分、高岡に到着しました。 わずかな乗車ではありましたが、ワタシはここで下車です。 この高岡で下車するのは初めてでした。 それにしても、きょうもいい天気ですねぇ。 まだ朝9時前だというのに、日差しが肌を刺して、痛いくらいでした。 |
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高岡駅の改札を入ったところには、こちら。 この高岡というところは、銅器・銅鋳物の街として知られていまして、なんと日本国内の銅鋳物の90%はこの高岡でつくられているとか。 こちらの大きな銅鍋は直径2m10cm、深さ40cmという日本最大のものだそうで、一度に約3000人分の料理ができる、ということが説明板に書いてありました。 |
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ここからは未乗線を乗りつぶす乗り鉄行ということになります。 まずは、高岡から城端線に乗ることにしました。 2番ホームに止まっていたこの車両が城端行き329D列車だということなんですが・・・なんと、「忍者ハットリくん」のペイントを施されたキハ40-2136が充当されていました。 この城端線と、同じく高岡を基点とする氷見線とは、JR西日本高岡鉄道部所属の気動車を使って運行されていますが、その高岡鉄道部のキハ40形3両に、氷見市出身の漫画家・藤子不二雄(A)氏の作品である「忍者ハットリくん」のペイントを施し、「忍者ハットリくん列車」と銘打って運行しているんですね。今年の3月から運行を開始し、地元マスコミの報道によれば最大5年間、通年運行する、ということだそうです。 |
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329Dは9時8分に高岡駅を発車しました。 まずは左に大きくカーブを切り、北陸線と分かれて南へ進路をとります。 |
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沿線の水田では、すでに稲穂が色づいてきていました。 このあたりはおそらく田植えも早かったんでしょう、まもなく収穫の時期になるようですね。 |
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こちらは途中の油田駅。「あぶらでん」と読みます。 列車交換設備が撤去されたようで、線路のないホームが残されていました。 |
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やがて列車は砺波に到着しました。 ここ砺波といえば、チューリップ。チューリップの球根生産日本一を誇るところとして有名ですね。 駅は、6年前に橋上駅に改装されたということです。 |
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さらに進んで、こちらは福光駅。 下りホームの待合室の「建物財産標」が見えましたが、これが明治30年8月といいますから、西暦にすると1897年8月の登録、ということになります。 この駅の開業日は、まさしく1897年8月18日、ということですので、その開業当時から残っている建築物ということになるんですねぇ。 |
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空の青と水田の緑に包まれながら、列車は南下を続けていきます。 次第に、山並みが迫ってきました。 終点の城端までは、あと少し。 |
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9時56分、列車は定刻に終点・城端に到着しました。 構内には、文字通り鄙びた終着駅の風情が漂っていました。 |
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城端駅の駅舎です。 いい感じですね。 ここからバスで45分ほどいくと、白川郷とともに合掌造り集落で知られる五箇山に至ります。一般的には白川郷のほうが有名ですが、世界文化遺産としては白川郷と、県境を挟んだ五箇山の合掌造り集落が対象になっています。 待合室もなんだか、時間が止まったかのような雰囲気でした。 |
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この城端線なんですが、国鉄時代の1980年に当時の金沢鉄道管理局が城端線を「常花線」ともじり、フラワーラインと銘打ってPR作戦を行ったということで、7つの駅のホームにさまざまな花が植えられ、車窓から花を楽しめるようになっているということでした。 いまでも各駅にはこうした看板が出されています。 |
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この城端駅でも、ホーム横でこのようにフヨウの花が咲いていました。 花というのは、本当に見ていて癒されますねぇ。 |
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折り返し332D列車に乗って高岡へ戻ってきました。 戻ってきたところで、越後湯沢へ向かう臨時特急「はくたか83号」を見かけました。 列車は、急行「能登」などに使われている金沢総合車両所所属の489系H01編成9連で運転されていました。 |
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高岡から、今度から氷見線のほうに乗車します。 高岡駅の氷見線ホームは、駅東側、北陸線ホームから少し離れたところにあります。 |
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そのホームで、535D列車氷見行きとして発車を待っていたのは、高岡鉄道部所属のキハ28・58形2両編成。 2001年からの新・高岡色、ワインレッドに白い帯の入ったカラーリングです。 |
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氷見方に連結されたキハ58-1114の車内。 このようにクロスシートが並んでいます。 窓下のテーブルには、栓抜きも残っていました。 |
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11時34分、列車は高岡を発車。北陸線と分かれて左に大きくカーブを切りました。 さきほどの城端線は山へ向かう路線ですが、こちら氷見線は海へ向かう路線、ということで、地元では、城端線の「フラワーライン」にたいして「シーサイドライン」という愛称もつけられているようです。 |
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途中の能町駅。 ここには貨物駅が併設されています。貨物専用の新湊線が分岐しており、コンテナ貨物の取扱量でいうと県内では富山貨物駅と上位を争うほどだとか。 沿線には工場群も多いあたりなんですが、それもこの先、越中国分を出ると一変・・・。 |
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・・・今度はこういう車窓風景が目に飛び込んできます。 富山湾を見渡すこのあたりは、氷見線随一の車窓風景、として名高い雨晴海岸。 平安末期、源義経が、兄・頼朝に追われて奥州へ落ちのびる際に、ここで雨宿りをしたという言い伝えから、この「雨晴」の名がついたといわれます。 噂には聞いていましたが、晴れた空と海のコラボレーションがなんともいえませんでした。 |
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雨晴、島尾で海水浴客が下車していきました。 島尾を出たところで、踏切の直前横断によると思われる急停車があり、若干の遅れをもって、列車は終点の氷見駅に入っていきます。 |
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12時5分、列車は終点の氷見に到着しました。 折り返しまでのわずかな時間で、駅前に出てきました。 この駅には以前に一度、車では来ているんですが、列車で、というのはそのときからの懸案になっていたのでした。 そのうち、おいしい海のものを食べに、ゆっくり再訪したいもんですね。 |
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ワタシは、あわただしく折り返しの高岡行き534D列車に乗って、氷見をあとにしました。 再び、雨晴付近。 海水浴客が思い思いに楽しんでいる光景。 そういえば、海水浴なんてもう10年以上行ってません・・・。 |
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534Dは定刻より4分ほど遅れて、終点の高岡に到着しました。 次の氷見行きの列車は、どうやら右側に見える「ハットリくん」塗装のキハ40形で運転されるようですね。 |
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高岡に戻ってきたところで見かけたのが、こちらの金沢行き「はくたか6号」。 同じ681系車両でも、写真右手の基本編成6両は、JR西日本所属の0番台「ホワイトウイング」、そして左手の付属編成3両は、北越急行所属の2000番台「スノーラビット」でした。 7月27日に上越線で起こった軽自動車との衝突事故の後遺症で、北越急行所属の681系2000番台車の基本編成1本が工場に入場してしまったため、残った付属編成がJR西日本車と組んで運用をこなしているのでした。 被災した681系2000番台N02編成は、衝突した1号車先頭部が軽自動車の炎上で黒くこげてしまったとか・・・。 |
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ここからですが、5番ホームから富山行き「サンダーバード11号」に乗車します。 金沢で付属3両編成を切り離してきた、681系基本編成6両でやってきました。 |
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この列車の次の停車駅は、終点の富山となります。 自由席に腰掛けてまもなく、列車はすでに神通川を渡っていました。 |
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富山に到着しました。 ワタシは、次なる路線へと進みます。 富山港線、富山から、富山港に近い岩瀬浜までを結んでいる、全長わずか8kmの路線です。 12時59分発、岩瀬浜行き1137D列車は、写真のキハ120-345での運転。 富山港線は直流電化されています(交流電化の北陸線との間には、富山駅構内に交直セクションがあります)が、昼間の列車は、高山線富山口と共通運用のキハ120形が使用されています。 |
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列車は、ほぼ席が埋まるくらいのお客さんを乗せて、定刻に富山駅を発車。 ゆっくりと駅構内を走っていきます。 左写真、この列車の走っている線路が分岐しているのが見えていますが、左へ進むと富山港線、右に進むと先ほどふれた交直セクション、ということになります。 |
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・・・左カーブして北陸線と分かれ・・・という前に、もう次の駅に着いていました。 カーブの途中に、富山口という駅があります。 富山駅からはわずか700mのところです。 |
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次の下奥井までは、1.6kmという距離です。 この富山港線は、もともと富岩鉄道という私鉄が敷設し、1927年に富山〜岩瀬浜(当時は岩瀬港)間が全通しています。 同線はその後、現在の富山地方鉄道の前身にあたる富山電気鉄道に買収されますが、戦時中の1943年に国有化され、JR化を経て現在に至っています。 地方私鉄として開通したという背景もあって、このように駅間が短いんですよね。 |
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住宅地のなかを進みながら、列車は東岩瀬に到着しました。 前方を見ると、もう次の駅である競輪場前(臨時駅=富山競輪開催日の日中のみ客扱い)のホームが見えています。 距離にしてわずか600mしかないんですよね。 |
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気がつけば、すでに終点に到着しようとしていました。 13時20分、1137Dは終点の岩瀬浜に到着しました。 富山からわずかに20分ほど、あっけない幕切れでした。 この富山港線ですが、2006年を目途に路面電車化する構想が進んでいます。ゆくゆくは富山市内を走る富山地方鉄道市内線と乗り入れをさせるという話もあるようで・・・。 地方交通の活性化、という点では面白いとりくみだとも思いますし、今後の展開に注目していきたいと思います。 |
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これまた折り返しまでのわずかな時間に、駅前に出てきました。 岩瀬浜駅、木造の駅舎ですが、これまたいい感じに鄙びています。 折り返しの1138D列車に乗って、ワタシは岩瀬浜をあとにしました。 |
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富山駅に戻ってきました。 ここで駅の改札の外に出る、というのも、実は初めてでした。 |
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駅前を見ると・・・路面電車が走っていますねぇ、こちらはさきほども話に出てきた、富山地方鉄道の富山市内線ですね。 車両は、VVVFインバータ制御を採用しているデ8000形です。 |
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お昼を過ぎてそろそろ食べないとね、ということで、富山駅構内でこちらのものを買い込みました。 「ぶりのすし弁当」(750円)。ブリの身の上に大根のかぶらがかぶさっている押し寿司です。 富山駅弁としては「ますのすし」が非常に有名なわけですが、こちら「ぶりのすし」も忘れてはなりませんね。 |
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再度、富山駅構内に入ってきました。 ちょうど、越後湯沢から金沢へ向かう臨時特急「はくたか82号」が入線するところでした。 車両は、金沢総合車両所の489系H04編成7連。 さきほどの「はくたか83号」といい、国鉄特急色のボンネット、いまや貴重な存在です。 |
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ここからですが、高山本線へと進むことにします。ワタシは、高山線の富山〜高山間を未乗で残していました。 特急「ひだ16号」名古屋行き、JR東海のキハ85系ワイドビュー車両で運転されます。 ここ富山からは3両編成でのスタートとなりますが、号車番号は8〜10号車、ということになっていました。 ワタシは今回、最後尾の10号車、グリーン車の席を確保していました。 |
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このグリーン車の車両・キロ85形は、もともと紀勢線の特急「南紀」向けに製造された車両ですが、現在は「ひだ」のほうにコンバートされています。 もともと「ひだ」用に投入されたグリーン・普通席合造のキロハ84形のグリーン席が4列席であるのに対し、こちらキロ85形は3列席になっています。 |
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15時13分、「ひだ16号」は富山を発車。神通川を渡って北陸本線と分かれ、南下を始めました。 街並みを抜けると、沿線はやはり田園地帯ですね。 |
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で、このグリーン席にはオーディオユニットがついていましたので、持参のイヤホンをつけて音楽を聴くことにしました。 ちょうど、「あまく危険な香り」「Loveland, Island」など山下達郎の曲が流れていましたので、それをずっと聴きながら・・・。 |
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列車は、越中八尾に到着しました。 八尾、といえば、「おわら風の盆」。もうまもなく、その時期になります。 |
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越中八尾を出ると、神通川に沿って山のほうに入っていきます。 さきほどから天気が悪いなぁと思っていると、ポツリポツリと雨が落ちてきてしまいました。 にわか雨が降るかも、という予報にはなっていたんですがね。 |
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15時47分、「ひだ16号」は猪谷に到着しました。 ここ猪谷は、旧・国鉄神岡線から転換された第三セクター・神岡鉄道との連絡駅であるとともに、JR西日本・JR東海の境界駅となっています。 運転士もここで、JR西日本の乗務員からJR東海の乗務員に交代となります。 列車はまもなく猪谷を発車。 左手に、神岡鉄道の線路が分かれていきました。 |
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この先、神通川上流の宮川に沿って、岐阜県に入り、山の中へ進んでいきます。 ダム湖などを見ながら進んでいくと、やがて盆地に出てきました。 16時24分、「ひだ16号」は飛騨古川に到着しました。 外はかなり激しい雨が降っていました。 南下はさらに続きます。 |
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飛騨古川から、次の停車駅である高山までは13分ほど。 高山では、列車の前寄りに1〜3号車の3両を連結。6両編成となって先へ進みます。 高山に着く頃には、また青空が・・・。 |
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列車は盆地を回りこむようなかっこうで、再び高度を上げ始めます。 6両編成と長くなった列車、前方を見やるとカーブの先には先頭車両が見えていました。 |
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ここで、高山から乗り込んできたワゴンサービスがまわってきました。 まずはグリーン車サービスのお手拭を受け取り、そしてアイスコーヒーをいただくことにしました。残念ながらドリンクはサービスではないんですが。 |
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分水嶺を越え、列車は木曽川水系に入ってきます。 写真のあたりは、木曽川の支流・飛騨川の景勝地である飛水峡。 川が深く谷を削っている様子がよく分かりますね。 |
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途中、行き違いの下り列車に遅れが出ていた関係で、こちらの列車にも遅れが出ていました。 18時28分、列車は3分ほどの遅れで美濃太田に到着しました。 列車はこの先名古屋を目指しますが、ワタシはここで下車しました。 とりあえず、いったん駅の外へ。 6年前に新しい駅舎に建て替えられていました。 |
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再び駅構内へ。 この美濃太田駅は、かつての国鉄越美南線から転換された長良川鉄道との連絡駅。 駅の長良川鉄道ホームには、気動車ナガラ304が停まっていました。 |
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ここからは、これまた初乗車となる太多線に乗車することにします。 岐阜から直通で太多線に入る3656D多治見行きは、JR東海カラーのキハ48形2両編成。 3分ほど遅れて美濃太田を発車。 しばらくすると高山本線と分かれていきます。 この先さらにしばらく行くと、左手には美濃太田運輸区。 165系電車やキハ80系気動車など、かつての国鉄型車両を保管していることでも知られるところですね。 |
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美濃川合を出た列車は、木曽川を渡ります。 ここは、今渡ダム・川合水力発電所のあるあたり。渡っている木曽川も、ダム湖になっています。 |
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列車は次に可児に停車。 ここは、名鉄広見線の新可児駅と併設になっています。 この太多線ですが、多治見(当時は新多治見)〜可児(当時は広見)間はもともと軽便鉄道(軌間762mm)として、1918年に東濃鉄道が開通させた区間です。 この軽便線は広見から先、さらに御嵩まで延伸されましたが、その後、多治見〜広見間が国有化され、1928年には1067mmの狭軌に改軌、さらに美濃太田までの延伸が成って現在の太多線の形が出来上がりました。 一方の広見(現在の新可児)から御嵩までの区間は、その後名鉄広見線の一部となって現在に至っています。 外は次第に暗くなってきました。 車内も徐々にお客さんの数が少なくなってきました。 |
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19時15分、列車は終点・多治見に到着しました。 これも初めてでしたが、多治見の駅前に出てきました。 繁華街に面した駅で、けっこう賑わっていました。 |
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ここからですが、特急「しなの22号」で名古屋へ移動します。 383系ワイドビュー車両の8両編成でやってきました。 はじめは自由席に乗車しようと思っていたんですが、ちょっと不安があったので、多治見駅みどりの窓口の自動券売機で指定席特急券を買って乗り込みました。 不安はまさしく的中! 自由席号車は立客が出ているような混雑振りでした。 指定席を確保して正解でしたね。 指定席も、ほぼ満席でした。 |
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19時46分、「しなの22号」は名古屋駅7番ホームに到着しました。 ここから、さらに先へ進みます。 20時6分発、関西本線亀山行きの快速2351M列車に乗車します。 車両は、211系5000番台電車3両編成です。 晩飯がまだでしたので、ホームで駅弁が調達できればと思ったんですが、さすがにこの時間だけに入手できず、結局ホームの売店でコンビニ弁当のようなものを買い込んで、発車時間までの間にかき込みました。 |
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列車は名古屋を発車し、暗闇の中を西へ向けて走っていきます。 写真は、愛知県内最後の駅となる、弥富。 NHK-BS「列島縦断 鉄道12000kmの旅」の中継でも登場しましたが、この弥富は金魚の産地として有名な街。そしてこの弥富駅は、海抜マイナス0.93mの位置という、地上にある駅としてはJR線で最も低いところにある駅ということでも知られています。 |
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列車は木曽川、揖斐川を渡って三重県へ入っていきます。 ワタシにとっては、これが初めての三重県入りとなります。 意外に思われるかもしれませんが、この三重県が、ワタシにとっては最後の未踏の県として残っていたんですよね。(^^;) 列車の左手に、花火が上がっているのが見えました。 どうやら、この夏休み時期、週末に実施されているナガシマスパーランドの花火大競演の花火だったようですね。 やがて列車は桑名に到着しました。 ここまでは快速運転できましたが、この先は終点まで各駅停車となります。 |
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写真の駅は南四日市。 かつての国鉄伊勢線から転換された第三セクター・伊勢鉄道のイセ3形気動車が、向かいホームに停まっていました。 |
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列車は終点の一つ手前・井田川駅に着きました。 ここでもまた、遠方に花火が・・・。 こちらは、亀山市納涼大会の花火大会のようですね。 車窓から2回も花火を見られるとは思いませんでした。(^^;) |
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21時6分、2351Mは終点・亀山に到着しました。 関西本線はこの亀山から先、JR西日本の管轄になります。 向かいホームで待っている接続列車の269D加茂行きは、JR西日本のキハ120形でした。 きょうの乗り鉄はここまでです。まだ明日もありますからねぇ。 宿に入るとしましょうか。 |
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