<戻る>2004 四国グリーン紀行〜JR四国完乗達成の旅 Part6


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Part3(2004・9)
9月19日の朝です。
旅も3日目になりました。

朝7時過ぎ、徳島駅に出てきました。
まずは大きな荷物をコインロッカーに入れ、改札を通ります。
ちょうど、駅構内に、写真のキハ185系4両編成が入ってきました。
ん?! こんな時間に、キハ185系の特急なんてあったっけ?と思っていたら・・・。
・・・実はこの編成、ジョイフルトレインの「アイランドエクスプレス四国2」だったんですね。私としては5年前、改造落成まもなくの時期に高松駅で展示されていた時以来久々に巡りあったということで・・・。

この日はこの徳島から、高知県中土佐町(最寄り駅は土讃線土佐久礼)にあるカツオ料理で有名なお宿「黒潮本陣」へ行く団体旅行のお客さんを運ぶ運用についていました。
この日1本目の列車は、徳島7時34分発、730D列車鳴門行き。
まずは、鳴門線完乗をめざすことにしました。

車両は、板野始発の307D列車で徳島に到着した写真のキハ47形気動車2両編成に、この徳島でキハ40形を1両連結した3両編成でした。
連結作業も含めて、わずか5分で折り返し、という早業でした。(^^;)
朝食がまだだった私は、とりあえず徳島駅のキヨスクでおにぎりを買い込んで列車に乗ったんですが・・・日曜日にもかかわらず、車内は部活に行く高校生たちでけっこう賑やかな状態でした。

徳島を出て吉野川を渡り、沿線には実りの時期を間近に控えた水田のほか、写真のようなハスの植わっているところも見えてきました。このあたりでは、レンコンの栽培が盛んなんだそうで・・・。
列車は、池谷に到着しました。
ここで高徳線と分かれて鳴門線に入っていくわけですが、池谷駅の手前・徳島寄りのところに分岐ポイントがある関係で、ホームは徳島側から見ると「逆ハの字形」の配置になっています。
駅舎は、その「逆ハの字形」のホームにはさまれるように建っていました。
鳴門線は典型的な単線ローカル線。
国鉄が買収する1933年までは阿波鉄道という私鉄が運営していた路線でもあり、住宅街のなかをのんびりと走っていくあたり、そういう雰囲気を十二分に感じさせてくれました。
こちらは金比羅前、という駅。
駅のすぐ近くに金比羅神社があることでこの駅名になったというんですが、いやぁ、なんといいますか・・・。

次の撫養あたりから、少し建物が多くなってきたと思ったら・・・。
8時8分、730D列車は若干遅れて、終点の鳴門に到着です。
高校生たちもここで続々と降りていきました。

鳴門駅では、わずかな折り返し時間の間に、駅前に出てきました。
鳴門、といえば、鳴門海峡の渦潮が有名ですが、今回は海まで行けるような余裕は設けていませんので、そのまま撤収です。
ゆっくり観光、というのは、次にここに来るときまでの宿題ということにしておきましょう。
折り返しの735D列車池谷行きは、8時12分発。
若干遅れての発車となりました。

きょうは天気がいいですねぇ。
昨日がこの天気だったらねぇ、と思いましたが。
735Dは池谷に到着しました。

これが、先ほど書いた池谷駅のホームの配置。
左右2本のホームと、間にある駅舎、それぞれが跨線橋で結ばれています。

ここからは、左側の高徳線ホームに停まっている徳島行き315D列車に乗車します。
再び吉野川を渡り、徳島の街へ。

徳島線が合流する佐古を出て徳島までは複線ですが、高徳線の列車が走る線路と、徳島線の列車が走る線路との単線並列、という形になっています。
徳島に到着したところで、少しお腹が空いてきましたので、駅ホームのうどん屋さんに入ることにしました。
ここ徳島駅ホームのうどん屋さんも「讃岐うどん」を標榜しています。

きょうは冷たいぶっかけうどんにしてみました。
冷たいうどんというのは、麺のコシがまた一段と強調されますよねぇ。
ここ徳島からですが、いよいよ私自身のJR四国営業路線完乗達成に向け、最後に残された路線に乗車します。

その牟岐線に向かう私が乗車するのは、阿波池田からやってくる特急「剣山4号」牟岐行き。キハ185系の2両編成で、1号車の前寄りの一部のみが指定席、残りはすべて自由席です。
列車は特急としては牟岐行きですが、牟岐から先、そのまま普通列車となって、牟岐線の終点である海部まで足を伸ばします。
徳島を出てしばらくは市街地のなかを走っていきますが、気がつけばすでに郊外へ。
この前方の景色、すでにローカルムードいっぱいですね。
列車は南小松島に到着しました。

小松島、と聞いてピンとくる方もいるかと思いますが、この南小松島の一つ手前の中田という駅から、かつて「日本一短い国鉄線」として知られた小松島線(中田〜小松島・小松島港間、1.9km)が分岐していました。
同線は1985年3月に廃線となっていますが、かつては旅客航路のターミナルがあった小松島港へのアクセス路線として、優等列車も走っていた路線でした。
列車はさらに南下を続けていきます。

桑野川を渡り、列車は阿南駅へ。

阿南は、徳島県南部の中心都市。
駅舎は最近、橋上駅舎に建て替えられています。
阿南を出てしばらく行くと、列車は山間部へ入っていきます。
場所によっては25‰というような急勾配もあり、列車のエンジンの回転数も落ちてきていたり・・・。
山間部区間を抜けて、列車は日和佐へ。
ここはウミガメの産卵地としても知られるところ。

左手には、日和佐城が見えていました。
さらに急勾配を含む山越えをすることしばし・・・。

10時54分、列車は牟岐に到着しました。
「剣山4号」の特急区間はここまで。ここから列車は、1533D列車となり、各駅停車で海部へと向かいます。
発車前に、ここ牟岐で、車両のヘッドマークが「剣山」から「むろと」へ取り替えられました。おそらく、終点の海部で折り返したあとの「むろと2号」への充当を念頭に入れたものでしょう。
1533Dは牟岐を出て、さらに南下します。
牟岐までの線路は1942年に開通していますが、牟岐から先、海部までははかなり時期が下がって1973年4月の開業となっています。そのためか、牟岐から先はトンネルで山を貫く形で起伏の少ない線形になっています。

このように海が見える区間も出てきました。
11時18分、1533Dは終点の海部に到着しました。

この海部駅到着の時点で、私のJR四国完乗は達成、ということになりました。
私にとっては、JR旅客6社のうち、旅客営業路線の全線完乗はJR九州に続き2社目。まだまだ先は長いわけですが・・・。

海部駅は高架駅で、2面2線のホーム配置となっています。
駅舎の前には、この海部から先、高知県に入った甲浦までを結んでいる阿佐海岸鉄道の開通記念碑が建っていました。
ということで、この海部から先は、その阿佐海岸鉄道の列車に乗ることになります。

阿佐海岸鉄道の路線である海部〜甲浦間は、国鉄の赤字増大のため、レール敷設段階まで進んでいながら工事凍結となっていた阿佐東線の工事を、第三セクターで引き継ぐ形で完成された路線。1992年3月に開業しています。

今回乗車する車両は、左上写真右側のASA-201。気動車2両しかない阿佐海岸鉄道の所有車両のうちの1両です。
外観的には、土佐くろしお鉄道中村線・宿毛線を走るTKT-8000形とよく似ています。車内はクロスシートのほか、車体中央部にサロン風のソファシートが設置されています。
ASA-201充当の5531D列車甲浦行きは、11時25分に海部を発車。
さすがに新線っぽい雰囲気、トンネルの多い直線的な区間を飛ばしていきます。

時折海を見ながら、唯一の中間駅で車両基地を併設している宍喰を過ぎ、さらにしばらく走ると・・・。
11時36分、列車はあっという間に終点の甲浦に到着しました。

線路は、ここ甲浦で途切れています。
もともとは国鉄時代、この甲浦から先、室戸・奈半利・安芸を経由して後免までつながる「阿佐線」という計画路線があったわけなんですが、現状は西側の後免〜奈半利間が土佐くろしお鉄道の路線として2002年に開業したのみで、この甲浦から奈半利までの路線が建設される機運は見られません。
こちらが、甲浦駅舎です。
ログハウス風の建物ですね。出札など駅業務は委託になっているようです。
鉄道がこの先つながっていないので、ここ甲浦からはバスでの移動となります。

甲浦駅前11時49分発、高知東部交通バスの安芸行きに乗車することにしました。

いわゆる普通の路線バスタイプの車が来ました。
けっこう長い距離なんで、貸切バスみたいなタイプが来るかと思ってましたが・・・。
バスは国道55号に出て、そのまま南下を始めました。

左上写真右手の歩道に、笠をかぶった人が歩いているのが見えますね。
さすがに四国だなぁ、と思ったんですが、お遍路さんの巡礼姿、ですね。
実際、ここ以外でも、この巡礼姿の方をたくさん見かけました。

南下する途中では、左手に太平洋が見えています。
のんびり、海を見ていることしばし・・・。
甲浦から50分ほどで、バスは室戸岬に到着しました。
そのまま素通りしてもよかったんですが、私はここで下車することにしました。

岬の海岸沿いまで歩いてみました。
太平洋から打ち寄せる波が、飛沫を上げています。

室戸岬というと、台風情報などでもよく聞く地名ですね。まさしく、このあたりは「台風銀座」ともいわれるところ。
1934年には、のちに「室戸台風」と名づけられた台風が、ここ室戸岬に上陸し、死者・行方不明者が3000人を超えるという大きな被害をもたらしました。

海を見たあと、時間も時間なので、近くの喫茶店で昼食をとりましたが、そこの喫茶店が、飲料水に室戸海洋深層水を使用していました。
この海洋深層水、というのも、近頃あちこちで聞きますねぇ。
室戸岬から、バスでさらに先をめざします。

室戸岬13時59分発、土佐電鉄バスの急行高知駅行きに乗車しました。

基本的には海沿いの国道55号を走って行きますが、時折旧道のほうへ入っていきます。よくまぁこんな狭いところを、なんてところもありまして・・・。
青い空と青い海を見ながら、バスは先へ進みます。

ここは、羽根岬のあたり。
そろそろ、室戸市から奈半利町に入ってきましたかねぇ。
室戸岬から50分余り。
バスは、奈半利駅前に到着しました。

先述していますように、ここ奈半利から土讃線の後免まで、土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線が、2002年7月に開通しています。

今回、この路線にも初乗りをしてみることにしたわけで。
この奈半利駅は、高架駅になっていまして、改札口は駅舎の3階になっています。

こちらが、線路の終端。
上のほうにある阿佐海岸鉄道の甲浦と、ここ奈半利の間に、先述したように国鉄の計画路線の話があったわけですがねぇ・・・。
ホームには、こちらの気動車が停まっていました。
ごめん・なはり線の車両、9640形気動車です。

「9640」というのは、土佐くろしお鉄道の「くろしお」の語呂合わせ。
同じ土佐くろしお鉄道でも、この旅行記の前のほうでご紹介している中村線・宿毛線の車両(TKT-8000形)とは違うコンセプトの車両になっています。

車内はというと、転換クロスシートとロングシートの組み合わせなわけですが、この転換クロスシートの背もたれが非常に高くてですねぇ、座っていると、私の座高では前のほうが背もたれにさえぎられて見えなかったりします。(^^;)

4841D列車快速高知行き、15時2分発。
まもなく、ドアが閉まりました。
この9640形気動車の性能がいいということもあるんでしょうが、何よりも線路がかなり直線的に敷かれていまして、その線形のよさとあいまって、走りが非常にスムーズ、かつ速く感じました。

高架区間も多く、眺めも非常にいいですねぇ。
列車は、直線的な線形の区間を、快調に飛ばしています。
ローカル線というカテゴリに入る路線のはずですが、列車の走りからは、そういうイメージはまったく感じられませんでした。

時折太平洋を左手に見ながら・・・。
4841Dは、途中の安芸から快速運転となります。

こちらは、途中のあかおか駅。
駅名標の下になにやらキャラクターらしきものが描いてあるのが見えますが、これが、この旅行記の前のほうでもご紹介した、ごめん・なはり線の駅キャラクターでして。

こうしたとりくみを見ていると、何よりも地元の駅・路線に愛着を持ってもらおう、という思いが非常に強く伝わってきますよねぇ。
こちらは、後免町駅。やなせたかし氏の発案で「ありがとう駅」の愛称がつけられたことでも知られています。
駅前には、土佐電鉄ごめん線の路面電車の電停があります。また、高知龍馬空港への連絡バスも発着しています。

かつては、土佐電鉄の路線が安芸線、という形でここから安芸まで延びていたんですが、そちらのほうは、国鉄阿佐線の計画が持ち上がったこともあって1974年に廃止になっています。
高架線を降りて土讃線と合流し、後免に到着です。
4841Dはここから土讃線に乗り入れて高知へ向かいます。

向かい側のホームになんだか派手な塗装の気動車がいますが、こちらは安芸で毎年キャンプをしているプロ野球・阪神タイガース応援のために、地元自治体の発案で始められたものだそうで、今年が2年目になるとのこと。

今年はリーグ優勝はならなかったですがね、タイガース・・・。
土讃線に入ると対向列車との行き違いが増えてきましたが・・・。

土佐一宮では、今朝ほど徳島で見かけた「アイランドエクスプレス四国2」のキハ185系編成と離合。どうやら、ツアーの帰りのようです。
また会いましたな、という感じでしたが、実はこの件はさらに続きが・・・。
16時20分、4841Dは終点の高知に到着しました。
この日は日曜だったということもあるんでしょうが、観光客や地元の買い物客も含め、入れ替わり立ち代わり乗り降りがありまして、終始車内がにぎやかだったことが印象的でした。

ごめん・なはり線から高知までの乗り入れ、というのは、かなり利便性は高いと思いました。従来は交通機関がバスしかなかったことを考えると、より時間に正確な鉄道のメリットが生かせるスタイルだとも思います。
さて、当初の私の計画では、高知に到着したあと、すぐに投宿して、そのあと高知市内でも散策しようかな、ということにしていました。

しかし、あることがきっかけで、この日の朝になって急遽計画を変更したのでした。その伏線については、ここまで読んでいる方ならある程度お分かりかと・・・。

ということで、高知からは特急「南風13号」宿毛行きに乗車することにしました。
車両はもちろん、写真右の2000系気動車です。
一応、昨日いったん通っているところではありますが・・・。

左上写真は、「南風13号」は通過しますが、朝倉駅。
高知大学の最寄り駅、でもあります。
駅舎がログハウス風、というのが、面白いですね。
郊外へ進み、列車は伊野を出てすぐ、仁淀川を渡ります。

この仁淀川の支流では、3年前に体長1mを超えるオオサンショウウオが見つかったことがあるそうで、仁淀川自身も「清流」として知られています。
途中は単線区間ですので、当然のように行き違いも多くなります。

左上写真は「南風24号」との離合、向こうは「アンパンマン列車」になっていました。

佐川に停車し、次の停車駅は、須崎ですね。
私はいそいそと下車準備を・・・。(笑)
17時5分。
定刻より少し遅れて、「南風13号」は須崎に到着です。

私はここで列車を降りました。
ということは、やはり、須崎名物のアレ、ですよね・・・。

そうなんです、わざわざ鍋焼きラーメンを食べるためだけに須崎まで来てしまったのです。(爆)

まぁ、思い立ったら足を伸ばしてでもうまいものを、というのは、(4年前に、釧路から往復4時間以上かけて根室まで往復して、エスカロップを食べたときが一番強烈だったかと思いますが・笑)私の場合、けっこうやってしまうわけでして。

須崎駅の待合室には、このような案内チラシが用意されていました。
須崎近辺で鍋焼きラーメンを出しているお店のガイドマップです。

地元では、商工会議所を中心に、この鍋焼きラーメンを全国に売り込む戦略を推し進めているのだとか。
で、案内チラシの店舗案内を見ていたんですが、さすがに日曜休業のお店が多くてですねぇ、いろいろ迷った挙句、駅前に停まっていたタクシーの運転手さんにヘルプを求め(笑)、そのまま乗せて行ってもらったのが、このお店「まゆみの店」だったわけで。
運転手さん曰く、「ここはマスコミにも出ているし、味も悪い評判を聞きません」ということでしたので・・・。
お店に入り、注文したのが、こちらの鍋焼きラーメン。やはりお腹空いてましたので(笑)、「並」の100円増で「大」(600円)を注文しました。

鶏ガラやタマネギなどの材料をじっくり煮込んだスープ。ここ須崎の鍋焼きラーメンは、醤油ベースの鶏がらスープが基本になっています。
土鍋のふたを開けると、まだスープがグツグツ煮立っています。これも、この鍋焼きラーメンの基本、なんだそうで。
左手には、たくわんがありますが、少し酸味の効いたたくわんの付け合せ、というのも、ここ須崎の鍋焼きラーメンのスタイルです。

肝心のお味のほうですが、麺の硬さもちょうどよく、スープもよく出汁が出ていまして、レンゲで最後まですくって飲んでしまいました。
この日は少し肌寒いくらいの気温でしたが、ほんと、芯から温まりました。
腹ごなしにと思って、歩いて須崎駅まで戻ってきました。

駅構内では、キハ28・58形気動車が眠りについていました。
ここからですが、宿をとっている高知へととんぼ返り。

中村始発でやってきた、18時44分発、特急「南風28号」岡山行きに乗車します。
その日のうちに岡山まで行く最終の特急、ということになります。
車両はもちろん、2000系です。
使っているきっぷがグリーン車乗り放題のきっぷでしたので、ちゃっかりグリーン指定席の発券を受けて乗車しました。(^^;)

さすがにこの時間帯、18席あるグリーン席は閑散とした状態でした。
19時25分、「南風28号」は高知に到着です。
列車はここで、「しまんと8号」高松行きの連結作業。
私は、それを見届けることなく、下車しました。

きょうも本当に盛りだくさんな1日でした。
一応、明日を最終日にしているわけですが、果たしてどうなりますやら・・・。
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