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Part4(2004・9)
旅の最終日、9月20日の朝です。

高知駅前に出てきました。

駅前には、土佐電鉄の路面電車乗り場。
2001年に、高知駅前電停の駅舎前への移設が実現し、JRとの乗り継ぎがかなり便利になっています。

土佐電への乗車も、実はまだだったり。
これまた、次回来るときまでの宿題、ということになりますかね。
きょうの朝は、高知から北上することにしていました。

高知7時1分発、特急「南風4号」岡山行きに乗車します。

朝食に駅弁を、と思ったんですが、朝7時前ということで時間的に早いため、まだ駅には運び込まれておらず、やむを得ずキヨスクで別の弁当を買い込んで、改札を通りました。
「南風4号」となる2000系気動車の編成は、高知運転所から回送で到着しました。

もちろん、きっぷがきっぷですから、当然のように1号車グリーン車に乗車。
このグリーン室に、私のほかにはお客さんはいませんでした。(笑)
高知を発車した列車は、後免、土佐山田と停車し、山登り区間に入ってきました。
写真の区間では直線になっていまして、後ろを見るとこのような感じ・・・。

2000系のグリーン車、というのは、デッキをはさんでこのように前面(後方)展望が楽しめる、というのがなかなかいいですね。
山の中へ入り、列車は大杉に停車。

高知県大豊町にあるこの大杉、という駅名の由来は、駅から車で5分ほどの八坂神社の境内にある、推定樹齢3000年の杉の巨木にあるようです。なんでも、「日本一の大杉」と言われているとかで。

ここ大杉の駅舎ですが、1988年に白壁風のデザインにリニューアルされていたものの、今年1月に火災で焼失したとのことです。
列車は次の停車駅・大歩危に向けて、川沿いの区間を走っていきます。

なかには、この間の大雨で不安定になった路盤を修復するためか、沿線での工事を行っているところがありまして、30km/hの速度制限がかかっている区間もありました。
県境を越え、列車は大歩危に到着しました。
ここでは、下り列車の到着を待つため、しばらく停車。

5年前には、「おおぼけトロッコ」に乗車して、この吉野川の渓谷美を楽しんだもんですが・・・特急だとあっという間に通過してしまいます。
8時11分、列車は阿波池田に到着です。

今回も、向かい側にはキハ185系の特急「剣山」。
きのう、私が徳島から乗車した「剣山4号」ですね。

そして、阿波池田を出たあと、佃で徳島線と分かれ、吉野川を渡って再び山登りをするんですが、山登りを始めると、左手後方には先ほど渡ってきた鉄橋が、このように見えてくるわけで。
山を越えて、列車は香川県に入ってきました。

左手に、なんだか山が見えてきました。
この山、というのが、このあとの目的地、なんですよね、実は。(笑)
8時36分、「南風4号」は琴平に到着しました。
私は、ここで列車を降ります。

ここ琴平駅は、もちろん「こんぴらさん」こと金刀比羅宮の門前駅ですが、こうして改札口を見ると、やはり派手、ですわねぇ・・・。
改札を出て、こちらは駅舎内の待合室。
かつて、金刀比羅宮への参拝客でごった返したであろう、この規模の駅にしてはかなり広い待合室です。
こちらが琴平駅舎の外観。
意外にも、洋風なテイストが漂う佇まいです。
JRの駅から少し歩くと、そこにはこちらの建物。

こちら、高松琴平電鉄の琴電琴平駅です。

こちらのほうが、イメージ的には神社の門前、という感じがしますよね。

駅構内には、なんだか懐かしい感じの電車が。
この「コトデン」こと高松琴平電鉄ですが、京急、京王、名鉄、阪神などといった大都市圏の大手私鉄で活躍した車両を多く譲り受けていまして、非常にたまらないテイストを持っています。

今回は残念ながら乗車の機会はありませんが、そのうち、のんびり訪ねることができたらいいなぁと思っています。
さて、私はといえば、やはりここまで来たからには、ということで、金刀比羅宮の本宮を目指すことにしました。

時間的にはまだ朝9時前。
駅から金刀比羅宮へ向かう参道ですが、人影はまだまばらでした。
しばらく行きますと、いよいよ階段上りが始まります。

ここ金刀比羅宮は、麓から本宮までの間に785段もの石段があることで知られています。
最初のうちは、段差がそれほど大きくなくスイスイと上っていくわけなんですが、実は、このあとが大変なわけでして・・・。
この石段を上がるのが大変だということで、こういう駕籠に乗せてくれるサービスもあります。
下り片道3000円、上り片道5000円、往復だと6500円という値段なんだそうですが・・・確かにまぁ、人ひとり乗せて階段を上がっていくというのも、体力的には大変なんでしょうけども。
で、私は駕籠にはもちろん乗らずに、一心不乱に石段を上っていくわけですが・・・。

写真の場所は、785段のだいたい半分くらいのところでしょうか。
かなり汗も出てきていましたが、この金刀比羅宮の石段、ここからが・・・なんですよ。
ここが、500段目のところにある休憩所です。

建物の片隅に、「御本宮まで三百メートル あと石段285段」という案内が。

ここで休憩すると多分意欲が薄れるなぁ(笑)、と思った私は、休憩所に立ち寄ることなく、そのまま上り続けました。
旭社を過ぎて、いよいよ、この石段を登りきれば本宮です。

ただ、ここまで来てよく分かりました。
この金刀比羅宮の石段、上に行くほど段差が大きいような気がしてきましたよ。(爆)
やっとのことで、785段を上りきり、金刀比羅宮の本宮へ到着です。

実は、このさらに上のほうに奥社がありまして、そこまで行くと麓からは石段の段数が1368段にもなるとか。
とてもじゃないけど、そこまでは無理だ・・・。(^^;)

折りしもこの時期、金刀比羅宮では33年に1度の「本宮本殿遷座」、つまり、本宮を含めた社殿の修復工事が行われていて、ちょうど私が行ったときには、修復なった新しい本宮に神様が戻った直後、ということだったそうで、「大遷座祭」なる祝賀祭も行われていたんですね。
本宮のところからは、このように讃岐平野の景色が見渡せます。
左遠方に見える円錐形の山が、「讃岐富士」こと飯野山ですね。

いやぁ、本当にいい汗をかきました。
しばらく本宮の前にいたあと、階段を下りてきました。

参道の途中にある土産物屋さん。
ネコをあしらったグッズが並んでいたなかで、ふと横を向いてみると・・・。
こちら。
置物やぬいぐるみじゃなくて、本物のネコ!
ここのお店の飼い猫のようでしたが、このネコに引き寄せられて参拝客がお店を覗いていまして、もうほとんど「招き猫」状態でした。(^^;)
やはり汗をかきましたので、少しクールダウンを、ということで、途中の食堂に立ち寄りまして、カキ氷をいただくことにしました。
頼んだのは、宇治ミルク金時。この食堂のものは、みかんとさくらんぼが載っていました。

私、個人的に、鹿児島の「白熊」は別格として、カキ氷の王道はイチゴでもメロンでもみぞれでもなく、宇治ミルク金時だと思っていましてねぇ。(笑)
あとはこれに白玉が載っていたら完璧ですが。(爆)
カキ氷でクールダウンを済ませ、やっと石段から解放されました。(笑)

参道の途中には、造り酒屋や旅館など、いい雰囲気のレトロな建物がいろいろと建っています。
琴平駅前に戻ってきました。

駅前広場には、こちらのSLの動輪。
この四国で走っていた、C58形蒸機のものだそうです。
ここからですが、10時6分発の快速「サンポート」1250M列車高松行きに間に合うことが分かり、コインロッカーに入れていた荷物を大急ぎで引っ張り出し、改札を通りました。

車両は121系電車の4両編成。
121系は、1988年の瀬戸大橋線開業をにらんで、国鉄分割民営化直前の1987年3月から運行を開始した車両。車体はステンレス車体ですが、台車を廃車発生品でまかなっているなど、走行関係機器はまさしく国鉄テイストです。

車内は国鉄時代の近郊形車両標準、といってもいいセミクロスシートの配置です。
琴平を発車して、次の善通寺に着いてみると・・・。

おやおや、またこの車両に遭遇してしまいましたね。2日間で3回目、しかも見かけた場所がすべて違うというオマケ付きです。(笑)
きょうの「アイランドエクスプレス四国2」は、牟岐から徳島、阿波池田を経由して、伊予西条までの団体ツアー客輸送でした。
列車は、予讃線と合流する多度津に到着。

線路の脇に、こちらのSL。
8620形58685号機。やはり四国で活躍した機関車とのことで、1970年からこの多度津で静態保存されているのだとか。
鉄道に詳しい方なら車号でお分かりになるでしょうが、JR九州の「SLあそBOY」で現在も活躍中の58654号機と、基本的には同型機、ということになります。もちろん、除煙板(デフレクター)などの仕様に差異があるわけですが。
瀬戸大橋線とのデルタ地帯を通過し、まもなく終点、というところまできました。
丸亀や坂出あたりでもけっこう乗降がありまして、立っているお客さんもけっこういました。

写真は、高松貨物ターミナル駅のあたり。
もう少し行くと、進行方向右手には高松運転所の留置線がありまして、「サンライズ瀬戸」でやってきている285系電車なども停まっていました。
10時52分、1250M「サンポート」は終点・高松に到着です。

一応、「サンポート」には小ぶりながらヘッドマークも用意されています。
いよいよ、四国をあとにする時間がやってきました。

四国脱出は、こちらの列車で。
快速「マリンライナー26号」岡山行き。車両は、昨年10月から投入されているJR四国5000系+JR西日本223系5000番台の計5両編成。

「マリンライナー」といえば、1988年の瀬戸大橋開通以後、ずっと213系電車で運用されていましたが、イメージアップという点も含めて、新車の投入となりました。
新しい「マリンライナー」の最大の特徴が、1号車に連結されたこちらのダブルデッカー車両。

この車両・5100形は、2階がグリーン席、1階が普通車指定席、という格好になっています。
もともと、213系時代の「マリンライナー」も、先頭1号車にはハイデッカーのグリーン車・クロ212形という車両が連結されていたんですが、今回の新車置き換えにあたって、ダブルデッカーの1階に普通車指定席が設定されました。

車体の構造は、JR東日本が東海道線などに投入しているオールダブルデッカーの215系電車、あるいは113系・211系などのグリーン車で使用されているダブルデッカー車両を基本に設計されています。

この5100形は、今年の鉄道友の会「ブルーリボン賞」を受賞しました。まさしく、私が四国に上陸しているさなかのこの18日に、この高松で授賞式が行われていたんです。
その受賞を示すステッカーが、5100形の運転台のところに貼り付けられていました。

JR四国の新型車両が「ブルーリボン賞」を受賞するのは、この5100形が初めて、だそうで・・・。
車内に入ってみましょう。

左上写真が普通車指定席の1階席、左下写真がグリーン席となっている2階席です。
とくに2階席、明るい車内だなぁ、という印象でした。
運転室背後の平屋スペースのほうですが、こちらもグリーン席の扱い。
前面(後方)展望も楽しめるようになっています。しかも、運転士側のほうの座席は、床面が少し高くなっている、というのが心憎いですね。
列車は11時22分の発車。
もうまもなく、四国ともお別れです。
お昼には少し早いですが、高松駅でこちらの駅弁を買い込んで、グリーン席に陣取りました。

「カンカン寿し」(840円)。内容は、サワラの押し寿司です。
実は讃岐の郷土料理なんだそうで、シャリとネタを木枠に入れて押し寿司をつくるときに、重石のかわりにフタを木槌で叩いて締めていく、その音がカンカンと鳴ることから名前がついたといわれています。

いやぁ、6貫入りなんですが、1貫の大きさがけっこうありましてねぇ、頬張りがいがあるという感じでした。もちろん、おいしかったことはいうまでもありません。
高松を発車した列車は、坂出を過ぎると予讃線と分岐し、瀬戸大橋の方向へ進んでいきます。

やがて、前方に白いつり橋が見えてきました。
瀬戸大橋を渡るというのも、私としては5年ぶりなんですよねぇ。
今回はダブルデッカーの2階から、ということもあり、私の目には、この海の景色が非常に新鮮に映ったものでした。
列車はあっという間に海の上を駆け抜け、JR四国とJR西日本の境界駅となっている、岡山県側の児島に到着しました。

「四国グリーン紀行」が使えるのは、この児島まで。
名残惜しいながらも、グリーン席を立ちました。
会社境界の駅でしたので、乗務員交代の間にホームに降りてきました。

向かい側ホームには、こういう黄色い115系電車が。
「こんぴら号」として走っているこちらの115系編成は、JR西日本岡山電車区所属のD27編成3連。金刀比羅宮の「大遷座祭」を記念してデザイン車両として塗り替えられたもので、昨年10月から瀬戸大橋線を中心に運行されています。

黄色一色、というのも、かなりのインパクトですな。
児島から先は、「マリンライナー26号」普通車の2号車のほうへ移ってきました。

車両はJR四国の5000系となっていますが、基本的には、京阪神地区の東海道・山陽線の新快速として走っているJR西日本の223系と同じ車両ですので、京阪神地区の方ならおなじみの車内、ということになるでしょう。
ちなみに、私が座ったのは、ドア横の補助席でした・・・。(^^;)
12時3分、「マリンライナー26号」は宇野線と合流する茶屋町に到着。
私は、ここで列車を降りることにしました。

この茶屋町、という駅も、私にとっては初めて降りる駅。
とりあえず、ここでは「道草」用のきっぷを買い込み、再びホームへ上がりました。
ここからの「道草」といいますのは、かつて本州と四国を結ぶ動脈の一部をなしていた、宇野線の末端区間に乗車することでした。

茶屋町から乗車する12時22分発、宇野行き1649M列車は、写真の105系電車2両編成のワンマン運転です。
宇野から到着した列車がそのまま折り返しで運用されるようです。
列車は茶屋町を発車すると、しばらく瀬戸大橋線と同じ高架の上を走り、やがて転線して分岐していきます。

スラブ軌道の高規格路線と分かれたあとの宇野線は、文字通り鄙びた単線ローカル線の風情。
沿線は住宅街だったり、田園地帯だったり。
こういう感じの単線の線路が続いているわけですが、先述したとおりで、瀬戸大橋が開通するまでは、この線路が、宇高連絡船を介して本州と四国を結ぶメーンルートだったんですよね。
往時には多くの昼行特急や急行が走り、瀬戸大橋開通直前までは東京からブルトレ「瀬戸」が直通していました。

途中駅での長編成行き違いを考慮したホームや線路の長さに、往時を偲ぶことはできますが・・・。
茶屋町から25分ほど。
終点の駅が見えてきました。

12時48分、列車は宇野に到着しました。

かつての連絡船接続駅、構内が広かったのだろうなぁということは容易に想像がつく雰囲気ですが、往時の賑わいはありません。

1面しかないホームの向かい側には、213系電車。かつて「マリンライナー」に使われていた車両が、パンタグラフをおろして休んでいました。
乗ってきた列車でそのまま折り返すことにしていたんですが、わずかな待ち時間の間に駅前に出てみました。

駅舎も、連絡船がなくなったことで移転改築となり、こぎれいな感じになっています。

駅前には、船着場はあるんですが、連絡船の面影はさすがにもうありません。
宇野からは折り返しの1652M列車で茶屋町へ。
そこからさらに、乗り継ぎます。

536M列車岡山行き、写真の115系リニューアル車・D19編成3連での運転でした。
この115系のリニューアル車(体質改善車)、外装もそうですが内装も大きく変わっていまして、シートは223系電車並みの転換クロスシートに交換されています。

宇野から乗ってきたさきほどの1652Mから、ほとんどのお客さんがこちらの536Mのほうに乗り継いでいました。
茶屋町〜岡山間の宇野線は、瀬戸大橋線と一体となっていて、現在でも本州〜四国間の鉄道の大動脈。

大元駅付近では連続立体交差化工事が完成しており、ホームも高架になっていました。
13時40分、536Mは岡山に到着です。
岡山駅ではちょうどホーム改良工事中で、2本あった跨線橋のうちの1本、西側の跨線橋が取り壊されて使用できなくなっていましたので、乗り継ぎではかなり歩くことになってしまいました。

ここからは、14時15分発の新幹線「のぞみ13号」博多行きに乗り継いで、九州へ帰るのみです。
4日間にわたって、四国をあちこち巡る旅。5年ぶりということもありまして、鉄道のほうもいろいろと変化が見られました。
今回、JR四国の営業路線完乗を果たしましたが、まだまだ、四国では行ってみたいところがいろいろとありますので、それはまた機会を改めて、ゆっくり来れればというふうに思います。

それにしても、「四国グリーン紀行」、当初の思い通り、使いでのあるきっぷでした。
それほどしんどい思いをせずにゆったり旅できたのも、このきっぷのおかげでした。
<おわり>