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 Part2(2004・9)
9月18日の朝を迎えました。

宇和島駅前に出てきました。
天気がいいなぁということで、列車まで時間もあったことから、少し街を歩いてみることにしたんですが・・・。
駅前広場ですが、いろいろなものがありますね。
手前にあるのは、無形民俗文化財ともなっている宇和島名物・闘牛の像です。

そしてその奥にあるSLですが、こちらは1914年に宇和島で初めて走った機関車であるコッペル社製ケ220を復元したものだそうで。
その1914年には、現在の予土線の前身である宇和島軽便鉄道の宇和島〜近永間が開通しています。
駅前通りですが、このようにワシントンヤシの木が並んでいます。
温暖な気候ゆえ、南国ムードも・・・ってことで。
街を歩いていきます。
こちらは、高知・中村へ向かう国道56号。

そこから一歩路地を入ったところに・・・。
・・・こちら。

ここは、宇和島城の登り口になるところ。ではありますが、この門は、城門ではなかったんですねぇ。
もとは市内の別の場所にあった藩老・桑折氏武家長屋門(宇和島市指定有形文化財)が移設されてきているんです。

この門をくぐって、城へ上がることにしたんですが・・・。
その途中の石段はこういう感じで、非常に急な上りになっていたんですよ。
せっせと登っていくんですが、さすがにちょっと息が上がってしまいました。(^^;)

それにしても、開発にさらされていない山林が残っていまして、うっそうとしていましたねぇ。
そして、たどり着いたのが、こちらの天守閣。
戦後の解体修理の期間をはさみ、江戸時代からこの場所に現存し続けている貴重な天守閣です。国の重要文化財に指定されています。
入館料200円を払って、天守閣の一番上まで上がってきました。
まさに、宇和島市街が一望のもとに・・・。

写真は、宇和島港方面。
なんだか、空模様があやしくなってきましたが・・・。
・・・城から下りてくると、まさしく夕立のような大雨が降り始めてしまいました。
大慌てで商店街のアーケードに入って雨宿り・・・。

そのまま、宇和島駅まで戻ってきました。
列車までの時間を、とりあえず待合室で過ごすことにしましたが・・・。
・・・このあとの行程のことを考えまして、少し早いんですが昼食にしました。

キヨスクで購入したのは、こちらの幕の内弁当「えきべん」(680円)。
地元名物のじゃこ天まではいっているというのが、いいですよねぇ。
ここからですが、未乗となっていた予土線に乗ることにしました。

11時28分発、窪川行きの4840D列車に乗車するんですが・・・。
この4840D、写真のように、キハ54形の後ろにトロッコ車両を連結していました。

この列車が、実はトロッコ列車「清流しまんと2号」というふうになっていたわけなんですね。

後ろに連結されたトロッコ車両は、木材などの運搬用であった無蓋貨車からの改造であるトラ152462。
国鉄時代の1984年にトロッコ車両に改造され、この「清流しまんと」に投入されたもの。
「清流しまんと」はその1984年に運転を開始していますが、国鉄・JRでは全国でも初めてのトロッコ列車、ということになっています。
発車直前に到着した松山始発の特急「宇和海5号」からの乗り継ぎを待ち、キハ54のロングシートがほぼ埋まるような混み具合で、「清流しまんと2号」は宇和島を発車しました。
トロッコ車両は指定席となっていますが、乗車できる区間は途中の十川〜土佐大正間となっていますので、指定券を持っていてもその区間以外は前のキハ54のほうに乗車となります。

次の北宇和島を出ると、列車はいよいよ予土線に入っていきます。
しばらくは山登り、列車はあえぐように走っていきます。何しろ、30‰の最急勾配に加えて、曲線半径160mというような急カーブもあったりしまして・・・。
しばらくすると、列車は四万十川の上流地帯にさしかかっていました。

松丸を出て吉野生へ向かうところ。
左手には、四万十川の上流に当たる広見川が流れていました。
やがて、列車は愛媛県から高知県へ入っていきます。

川には、この地方ではよく見られる「沈下橋」も見られるようになりました。
「清流しまんと2号」は12時35分、江川崎に到着しました。
かつて、宇和島方面から延びていた予土線(当時は宇和島線)の終点はこの江川崎でした。
この江川崎から若井までの区間が開通し、予土線全通となったのは1974年3月のこと。
この江川崎から先は、四万十川の本流に沿って走っていきます。
川の流れはかなり蛇行していますが、予土線のこの区間は1974年開通の割合新しい線路ということで、山をトンネルで貫くような形で直線的に走っていきます。
12時49分、列車は十川に到着しました。

ここから、2駅先の土佐大正までが、トロッコ車両の乗車可能区間、ということで、私もトロッコ車両のほうに移ってきました。
けっこうな人数が、前のキハ54のほうから移ってきていました。
十川を発車すると、しばらく四万十川に沿って走りますので、このような眺望が楽しめます。
他のお客さんも思い思いに、車窓の景色を楽しんでいました。

心地よい風が入ってきて、なかなかいい感じです。
ここで、車掌さんからしおり形の記念乗車証が配られました。

「元祖トロッコ列車」という文字が目を引きました。
次の停車駅・土佐昭和に着きました。

・・・っと、ここまではよかったんですが・・・。
土佐昭和を出てしばらく。

なんと、夕立のような大雨が降ってきてしまいました。(^^;)

トロッコ車両は屋根があるだけの吹きっさらし。
大粒の雨が勢いよく降り込んできました。
こうなるともう、ひとたまりもありません。

お客さんたちはいっせいに、前のキハ54のほうへ退避していきます。
もちろん、私も・・・。(^^;)

せっかく四万十川を渡る橋の上で、列車は減速してサービス、のはずが、これではちょっと、ですねぇ。
お客さんがトロッコ車両から引き上げたあとも、列車は鉄橋の上では減速してくれていました。
せっかくの川の景色も、この天候だとなんだかちょっとつらいものがありますけどもね。

雨が降り止まないまま、列車は土佐大正へ。
トロッコ区間がこのような形で終わってしまったので、車掌さんからはトロッコ指定券の「不使用証明書」が配布されていました。これをもって駅の精算窓口へ行き、指定料金の払い戻しを受ける、ということになるわけですね。
摘要欄には「雨天立席のため払い戻し要す」という項目に丸印がつけられていました。
打井川、家地川と停車し、トンネルを抜けると、列車は土佐くろしお鉄道中村線との合流地点である川奥信号場にさしかかります。
ここから若井駅までは、JR四国と土佐くろしお鉄道の共用区間となっています。
13時41分、列車は若井に到着しました。
この駅は土佐くろしお鉄道に帰属するため、駅名標はJR四国仕様のものではなく、このように木目を生かしたものになっています。
若井からは、土佐くろしお鉄道線に乗り入れる格好になります。
引き続き、車窓には四万十川の上流部が見えています。
13時47分、列車は若干遅れて、終点の窪川に到着しました。
さすがに、この時点で雨はあがっていました。
なんだかなぁ、と思いつつも、列車を降りました。

乗り継ぎまでのわずかな時間に、窪川の駅前に出てきました。
左下写真はJRのほうの駅舎ですが、この左手のほうに、三角屋根の土佐くろしお鉄道の駅舎があります。
この窪川での土佐くろしお鉄道ホームは、JRのホームとは別に、このような専用ホームが設けられています。
停車しているのは、中村線の普通列車用車両であるTKT-8000形気動車です。
ここ窪川からは、特急「南風20号」岡山行きに乗車して、一気に四国山地を越えよう、という行程です。
今回の旅ではすでに3回目の乗車となる2000系気動車の3両編成です。
窪川を出た頃から、青空が広がってき始めました。
なんでトロッコ乗車のときにこうならないんかい?なんて恨み節も、頭の中をめぐっておりましたが・・・。(^^;)

土佐久礼で下りの特急「あしずり1号」との離合。
その後さらに走っていくと、右手には太平洋が見えてきました。
14時23分、列車は須崎に停車。
右手を見ると・・・こんな看板。
ここ須崎は、いま鍋焼きラーメンのメッカとして、注目を集めています。

この看板を見てしまったことが、私のこのあとの行程に微妙に影響を及ぼすのですが、その辺はまだのちほど・・・。
列車は振子車両の威力をいかんなく発揮して飛ばしていきます。

まもなく高知に着こうというところ。
右手には真新しい高架橋が出現。
高知駅の高架駅化工事とともに、このあたりの土讃線でも連続立体化工事が進んでいるようです。

高知駅では、3両編成の前側に、N2000系気動車3両編成の特急「しまんと4号」高松行きを連結。この先宇多津までは併結運転となります。
高知を過ぎてしばらく。

土佐一宮〜布師田間に、新しい車両基地。
高知駅の高架駅化工事に伴って、かつては高知駅に隣接していた高知運転所が、この場所に移転してきていました。
後免に到着です。

ここから分岐して、奈半利へ向かう土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が2002年7月に開業しているのは、みなさんもご存知の通りですね。
同線の列車は、その多くがこの後免から高知へ乗り入れています。

で、駅名標の後ろに立っているのは、ごめん・なはり線後免駅の「駅キャラクター」である「ごめんえきお君」。
ごめん・なはり線では各駅に、「アンパンマン」で有名な高知県出身の漫画家・やなせたかし氏デザインの「駅キャラクター」がいるんですよね。
「南風20号」は、続いて土佐山田に停車。
高知平野の端に当たるこの駅を出ると、列車は山登りに入ります。
山の中へ入ってきました。

サミットの繁藤を過ぎ、分水嶺を越えました。
写真は、吉野川の上流に当たる穴内川にかかる橋の上につくられた土佐北川駅のホーム。
かつては川沿いの山伝いに走っていた線路を、土砂崩れを避けるため、1986年3月に現在の線路に付け替えた際、ホームを橋の上につくってしまったという珍しい駅です。
やがて列車は、徳島県へと入ってきました。

大歩危〜小歩危間の第2吉野川橋梁を渡ります。
まさに「水の碧(あお)」という感じの川の色が、印象的でした。
16時12分、列車はやや遅れて阿波池田に到着しました。
向かいホームでは、徳島線経由で徳島へ向かう特急「剣山10号」のキハ185系車両が停車していました。
阿波池田を出た列車は、次の佃で徳島線と分かれ、吉野川を渡って再び山登りに入ります。
強馬力気動車の面目躍如、という感じで、上り坂では若干スピードが鈍るものの、文字通りの爆走状態が続いていました。
香川県に入ってきました。
あたりは田園地帯が広がっています。

「こんぴらさん」こと金刀比羅宮の門前駅である琴平を出ると、高松琴平電鉄の線路と交差します。

多度津で予讃線に入り、丸亀に停車したあと・・・。
列車は16時51分、5分ほどの遅れで宇多津に到着しました。

ここで、「しまんと4号」と「南風20号」は分割されて、それぞれの終点へ向けて走っていきますが、私はここで「南風20号」から「しまんと4号」のほうへ乗り移ってきました。

「しまんと4号」のほうが先に宇多津を発車。
瀬戸大橋へ向かう線路と分岐してしばらく走ると、左手には、坂出から瀬戸大橋方面へ向かう線路とのジャンクションが見えていました。

この三角地帯の一角である宇多津〜坂出間の乗車で、ようやくといいますか、私の予讃線完乗は達成されたわけで。
坂出に差し掛かる頃、左手にこんな和風庭園が。
1910年に築堤され、その後瀬戸大橋開通にあわせて復元・整備された「香風園」ですね。見えている日本庭園は池泉回遊式の庭園になっていますが、そのさらに右手側は芝生がメーンとなった洋風の公園になっています。
17時10分、「しまんと4号」は終点・高松に到着しました。

先ほども書きましたが、「しまんと4号」のほうは、2000系気動車の出力強化バージョンであるN2000系気動車の3両編成でした。
高松駅といえば、かつては宇高連絡船が発着し、「四国の玄関口」として機能していた場所。
最近は、再開発によって「サンポート高松」として整備が進み、連絡船時代の面影はほとんど感じられなくなっています。駅自体も、当時の位置からは西へ200m移動しているということですし。

発着する列車の顔ぶれも、非常に賑やかですね。
さて、ここ高松駅ではあるミッションを・・・。

というのは、ホームのこちら、立ち食いうどん屋さんにて、讃岐うどんを食すること、だったんですね。

この高松駅のうどん屋さん、というのは、かつて本州〜四国間の大動脈であった宇高連絡船の船内で出されていた讃岐うどんの味を守っているという話を聞いていましたし、ぜひ一度食べてみたいと、前から思っていました。
ということで、今回頼んだのは、こちらの「じゃこ天うどん」(450円)。
出汁も私好みのほどよい薄味。そして、うどんの麺は、コシの強さが印象的でした。トッピングがじゃこ天、というのも、いかにも四国という感じでよかったです。

ぶっちゃけ、こんなうどんだったら、毎日だって食べたいですよ、まったく。
それくらい、おいしかったです。
そろそろ、本日の最終行程へ参りましょう。

きょうの最後の列車は、17時49分発、左上写真右側の特急「うずしお21号」高徳線経由徳島行き。
車号を確認しましたが、さきほど私が高松まで乗車してきた「しまんと4号」に充当されていたN2000系3両編成が、車内整備のうえで運用されていました。

3両編成のうち、指定席は1号車の前寄りの一部のみで、残りはすべて自由席となっていました。
定刻より若干遅れて17時51分、「うずしお21号」はブルーシグナルに向かって走り始めました。
JR四国本社を右手に見ながら走り、しばらくすると予讃線と分かれ、大きく左へカーブを切ります。
高松を出て最初の停車駅は、栗林。
「りつりん」と読みます。はっきりいって難読駅名ですね。
ここは高架駅ですが、発車すると一気に高架を駆け下りていきます。
次の停車駅は、屋島です。

那須与一が鏑矢で沖の船上の扇を射た話で知られる、源平合戦の古戦場としても有名な屋島は、瀬戸内海に突き出した溶岩台地。その山上へは、この屋島駅から車で10分ほどです。
列車は暮れ行く中をひた走り、やがて徳島県に入ってきました。
徳島県内最初の停車駅は、この板野です。

板野からはかつて、鍛冶屋原までの国鉄鍛冶屋原線が分岐していましたが、1972年に廃線になっています。
暗闇となったなか、吉野川を渡り、徳島線との合流点である佐古を過ぎると、すぐに徳島駅の場内信号が見えてきました。

定刻より若干遅れて、19時4分、「うずしお21号」は終点・徳島に到着しました。
隣の3番ホームには、この「うずしお21号」からの接続を受けて牟岐線を南下する特急「むろと3号」牟岐行き(牟岐からはそのまま普通列車となり海部まで行きますが)のキハ185系編成が停まっていました。
徳島駅の前に出てきました。

ここ徳島にやってくるのも、5年ぶり。
もっとも、そのときは昼間でしたが。
さきほど高松でうどんを食べてはいましたが、それだけで一晩お腹が持つとは考えにくいので(爆)、徳島駅でこちらの駅弁を買い込みました。

「特撰 阿波地鶏弁当」(800円)。
交配によって誕生し、1990年ごろから本格的な生産が行われるようになった徳島産の地鶏・阿波尾鶏を使用した鶏の照焼とそぼろが、ご飯の上に載っています。
それにしても、阿波尾鶏(あわおどり)というネーミング、調べてみると、やはりエネルギッシュな「阿波踊り」にあやかってのもののようでした。

これでお腹を満たして、あとは一眠り。
明日もまた旅は続きます。
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