<Part2へ>
Part3(2004・11)
11月4日の朝になりました。

昨夜から未明にかけての人身事故によるドタバタ劇のために、やはり事前に立てていた予定のようにはいかないという判断をし、少し遅い始動となりました。

札幌駅に出てきたのは、朝9時前のこと。
昨日も出てきてくれた札幌在住某氏といったん合流し、朝食をとりました。
某氏はこれからワタシが行くところへ先回りする、ということで、改札の前で別れました。

ワタシは改札を通って、ホームへ上がります。

平日の朝。
札幌駅に到着する列車からは、お客さんが次々に降りていました。
ワタシがここから乗る列車は、10番ホームから9時55分発、札沼線石狩当別行き553D列車。
9時44分に到着する北海道医療大学からの542D列車からの折り返しですが、5両編成で到着したうちの2両は切り離されて、残りの3両が石狩当別へ向かいます。

その3両は、かつての50系客車の仲間で、寒冷地向け仕様として製造された51形客車にエンジンや運転台を取り付け、気動車化してしまったというキハ143形と、エンジンなし中間車として改造されたキサハ144形で編成されていました。
こちらが、キハ143形の車内。
セミクロスシートですが、やはりこの札沼線の札幌に近い区間が通勤通学路線であることを意識してか、片側のクロスシートが一人がけになっています。
札幌を出た列車は、次の桑園までは函館本線と並走です。
函館本線は複線、そして札沼線の列車が走る線路は単線です。・・・ってこの線路配置、博多〜吉塚間と似てますね。
桑園を出ると、右手に札幌競馬場を見ながら、函館本線と分かれて右へカーブを切ります。
しかし、しばらくは高架線を走っていきます。
こちらは、新琴似の駅。
札幌市営地下鉄南北線の麻生駅に近いところです。

桑園の次の八軒から、あいの里教育大前までは複線になっています。
新琴似を過ぎて次の太平にたどり着く手前で、列車は高架を降りてきました。

このあたりはすっかり、住宅地、という感じです。札幌都市圏がどんどんと、外側へ広がっているということも聞きますし。
札幌市内最後の駅となるあいの里公園を過ぎ、石狩川を渡ります。

このあたりからは、いかにも北海道、といった感じの風景が目立つようになります。
この日、外は生憎の天気。
雨が降ってきてしまいました。

そんななか、列車は10時41分、終点の石狩当別に到着。

この札沼線の列車は、札幌から来る列車の多くが、この石狩当別や、あいの里公園、あるいは北海道医療大学で折り返していきます。
こちらが石狩当別の駅舎。

1995年に改築されて、近代的な橋上駅舎になっています。
ここから先ですが、こちらの列車に乗り換えとなります。

11時13分発、5425D列車新十津川行き。
車両は、キハ40-402です。

車内はオリジナルそのままのセミクロスシート。
しかも、モケットまで、国鉄時代のものを使っていました。
さて、定刻に石狩当別を出た列車は、次の駅・北海道医療大学に到着します。

この駅には2つのホームがありますが、1つはこの駅で札幌方面へ折り返す列車用に行き止まりになっていまして、この先へ進めるホームは1つだけです。
北海道医療大学を出ると、石狩金沢、本中小屋、中小屋と、車掌車の廃車体を流用した待合室のある駅が続きます。

さらに先へ行くと・・・。
列車は林の中を走って行きますが、いかにも風倒木、という感じの倒れ方をしている木が多かったですね。
9月に北海道に接近した台風18号の影響だろうと思われます。
北海道大学キャンパスのポプラ並木が倒されたことがニュースになってましたが、もちろん、被害はそれだけではなかったわけで・・・。
やがて、車窓には田園風景が広がってきました。

いやぁ〜、実に長閑な景色です。
列車は入れ替わり立ち代わりお客さんが乗っては降り、乗っては降り、という感じで、ワタシのほかにもお客さんが乗っている状態でこの於札内まではやってきたんですが、ここで最後の同乗客が降りてしまい、ついにワタシ1人になってしまいました。
このあたりでは稲作もやっているようで、すでに刈り取りが終わった水田の景色というのも見られました。
その水田に、鳥たちの憩う姿も・・・。

そんな景色の中を、列車はのんびりと走っていきます。
まさしく、ワタシにとっては脱日常。日ごろ抱えているストレスも、どこかへ飛んでいってしまっていました。
列車は、終点の一つ手前・中徳富に到着しました。
この「徳富」(とっぷ)というのも、難読地名ですよね。もとはといえば、アイヌ語で「小山」を意味する「トク」から変化したものということらしいのですが・・・。

いよいよ、次は終点ですね。
<Part4へ>