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Part2(2003・10〜11)
・・・やってきたのは、この場所。

ここは、大隅横川駅です。
実は、以前の旅のときにここを列車で通りまして、そのときに見かけたこの駅舎のことが心の中にひっかかっていたもので、ぜひともこれは一度下車したい、と思っていたんです。
木造の駅舎、この雰囲気がたまりません。

この大隅横川の駅舎は、ちょうど100年前、1903年1月にこの大隅横川(当時は「横川」駅と呼ばれていました)〜隼人間の鉄道が開通したときに建てられたもので、現存するものとしては南九州最古の駅舎、といわれています。同時期に建てられた同じ肥薩線の嘉例川駅の木造駅舎とは、地元では「双子の兄弟」に例えられることもあるとか。

第二次世界大戦中には、当時の国鉄鹿児島工場(現在の鹿児島総合車両所)の機能を、戦災を免れるため臨時にこの大隅横川に移転して操業していたこともあったそうで、このあたりも米軍機の空襲にさらされたといいます。そんななかで、この駅舎が今日まで残っているというのは、本当に奇跡に近いことなのかもしれません。
駅舎の中、このような感じです。
もちろんいまは無人駅で駅員の配置はありませんが、近隣住民の方がボランティアで駅舎の清掃などをされているということで、比較的美しい状態を保っていました。
駅事務室のほうをガラス越しに覗いてみると、こんな額がかかっていました。
国鉄当時の安全確保の綱領ですね。
戦後の混乱期に重大な鉄道事故が続いたことから、当時日本を占領していた連合軍(米軍)の指示でつくられたものといわれていますが・・・読んでみると、今日でも十分に通用する中身だと思いますね。まさしく、基本中の基本、というところでしょう。
ホームへ再び入ってくると、コスモスが花を開いていました。
いやぁ・・・見ていて心洗われる心境でした。
1時間近く滞在し、ここからは再び隼人へ戻ります。
8時45分発、4227D隼人行きは、キハ40形気動車の単行運転でした。

こうしてカメラを構えていると、横から地元のおばちゃんが「列車が日に当たってまぶしくない?」と声をかけてきました。ワタシは「いや、このほうがきれいに撮れるから」と声を返しましたが・・・こういう会話、都会の駅じゃ考えられませんよね。
それにしても、この日は天気がよくて、本当に何よりでした。
心がいろいろな呪縛から解き放たれていくのを、実感できました。

では、隼人から、さらに先へ向かいましょう。
隼人で乗り換える列車は、右の列車。
最近、この鹿児島地区の鹿児島線・日豊線ではワンマン列車の運転が始まりました。それにあたって、従来筑豊線・篠栗線(愛称「福北ゆたか線」)を走っていた817系電車の一部が、直方から鹿児島へ転属になっています。

定刻より4分ほど遅れて、6938M列車宮崎行きとしてやってきたのは、その817系の1本・Vk-8編成2連でした。
車体側面に貼ってあった黄色い「福北ゆたか線」のステッカーははがされ、かわって青い「CT」(「Commuter Train」の略)のステッカーが貼られていました。ちなみに、車体の所属標記は、鹿児島を表す「鹿カコ」には書き換えられておらず、直方時代の「本チク」のままでした。
それにしても、この南国の地で817系、というのも、「ゆたか線」で乗りなれていたワタシには若干の違和感がありました。
乗客のほうも、まだワンマン運転には慣れていないようで、整理券をとらずに乗ってしまったり、あるいは運賃箱のある列車最前部ではなく後ろの乗車側のドアから降りてしまったり・・・。
ここは大隅大河原駅。
対向の下り列車・6937M列車西鹿児島行きには、475系国鉄色(交直流急行色)のGk-5編成が充当されていました。こっちが遅れていたので、向こうの発車も遅れていたようです。
宮崎との県境の山並みを抜け、都城へ向けて下っていきます。
左手には霧島連山の姿が見えてきました。
  都城へ到着しました。
ここで行き違いのため3分ほど停まるというので、ホームへ降りてみると・・・。

そこには、かつての国鉄のリニアモーターカー試験車であるML500形の模型が置かれていました。
かつて、日豊線美々津〜都農間に並行する形で設置されたリニア実験線で、この車両の実物が走行試験を繰り返しているのを、テレビで何度も見た覚えがあります。(ちなみに実物は、いま大阪の交通科学博物館で展示されています)
いまは、山梨県内の実験線で、JR東海と鉄道総研の手によってより実用に近い姿での走行試験が繰り返されていますが、果たして長年の「リニア新幹線」の夢が実現するのは、いつになるんでしょうかね。現在の輸送状況だと、果たして多大な投資をしてまで「リニア新幹線」が必要なのか、という議論もありますし。
都城を出てからもう一山越え、列車は南宮崎までやってきました。
高く伸びたフェニックスの木々が、南国を実感させてくれます。
11時26分、列車は終点・宮崎に到着しました。
ここからの乗り継ぎはあまり時間的余裕がないので、そのまま向かいホームへ・・・。
宮崎からは、11時31分発「ひゅうが4号」延岡行きに乗車します。
車両は、鹿児島総合車両所の485系Dk-8編成3連。

自由席の乗車口には結構列ができていたんですが、ワタシが乗った1号車の指定席にはあまり人が乗ってきませんでした。
 
高鍋付近、日向灘の景色。
もう、言葉が出ません・・・。
美々津付近。
ここが、先ほども触れたリニア実験線の施設です。
ここでの実験終了後、施設はそのままにされています。研究用の施設貸し出しも行うという話もありましたが、どうなっているんでしょうか。
12時34分、「ひゅうが4号」は延岡に到着しました。

ここも何度か通ったことはあるんですが、改札を出るのは初めてでした。
 
時間も時間なので、昼食をとることにしましょう。

駅のコンビニで、こちらのものを見つけました。「めひかり鮨」(840円)。日向灘の深海に生息する深海魚メヒカリの押し寿司です。ちなみにこの弁当は、メヒカリ料理で有名な地元の料亭がつくっているものとか。
しょうゆをかけて食べてみました。・・・白身がなかなか淡白な味わいで、さすがに「漁師が毎日食べても飽きない」といわれるだけのことはありますね。
  食事を済ませたら、次の目的地へ移動です。

13時19分発、2734M列車佐伯行きは、大分運輸センターの元急行形457系電車の3両編成でやってきました。

車内は、近郊輸送向けとして車端部ロングシートのセミクロスシートに改造されていましたが、それでもまだ往年の急行形の雰囲気を残しています。
 
列車は、MT54形モーターの甲高い音を響かせながら、大分県境へ向けて山登りです。それも、かなりゆっくりとしたスピードで・・・。
この行く手に何が待っているのか・・・その答えは、次のページで。
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