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Part5(2006・3)
3月15日朝。
古川駅前です。

昨夜古川に到着すると、雪が降っておりました。
小牛田では降っても積もってもいなかったのに、そこから列車で12分の古川で雪が降っていた・・・これはいかに?
歩道にも雪が残っていまして、重い荷物を持った私にとっては、なかなか歩くのがつらかった・・・。(^^;)

宿を5時半に出てきました。
きょうもかなりの移動距離になる予定。
きょう最初の列車は、古川6時5分発、陸羽東線鳴子温泉行き1721D列車。小牛田運輸区のキハ110系3両編成。

先頭のキハ110-244に乗車しましたが、この車両は陸羽西線内で最上川の景色を楽しめるよう、一人がけのほうの座席が回転するようになっていました。
こちらは途中の岩出山。

駅に隣接して、「鉄道資料館」という看板が見えました。
旧駅舎を活用して、鉄道資料の展示をしているそうです。
川渡温泉、鳴子御殿湯と、いかにも温泉、といった駅名が続いて、7時2分、鳴子温泉に到着。
このあたりまで来ると、積雪の量もやはり多くなってきました。

ここ鳴子温泉は、もちろん温泉の街でもあるとともに、「こけし」の生産で有名なところでもありますね。

駅前に出てきましたが、さすがにまだ朝7時過ぎ。
店などが開いている感じはないですね。
実はまだ、朝飯を食べてないんですが・・・。(^^;)
鳴子温泉からは、21分待ちで次の列車に乗車。

7時23分発、新庄行き723D列車。キハ110系2両編成は、新庄からやってきた720D列車の折り返しで運用されます。
鳴子温泉を出ると、宮城・山形県境に向けてさらに高度が上がっていきます。

次の中山平温泉までは、渓谷、そして温泉街、といった風景が見えています。

さらに次の堺田からは山形県へ。
小国川に沿って下りに入っていきます。
こちらは、赤倉温泉駅。
雪がかなり積もってますねぇ。

実際の赤倉温泉郷は、駅から少し離れたところにあるそうですが。
南新庄では、すぐ横を奥羽本線のレールが並行しています。奥羽線側にはホームはありませんが。

8時30分、723Dは終点・新庄に到着。
2日ぶりに戻ってまいりました。

先ほど書いたように、まだ朝食をとっていないんですが、やはり「新庄に来たからには新庄らしいものを食べたいな」と思っていたところ・・・。
・・・駅舎内にあるそば屋さんに、「板そば」があるのを見つけまして、寒い中ですが冷たいそばをいただくことにしました。
ちょっとお手軽コースではありますが、この時間に来て「板そば」を食べられるとは思っていなかったので、とりあえず「喜!」でありました。

今回は乗ってばっかりの時間的に窮屈な旅なんですが、またそのうち、ゆっくり来れたらいいなぁ・・・。
「そば街道」めぐりもしてみたいし、銀山温泉とか、肘折温泉あたりにも行ってみたいですね。
ここからですが、行程の都合上、山形新幹線でのショートカットをはさみます。

新庄9時16分発、「つばさ110号」東京行きに乗車。
車両は、左下写真の右端、400系L7編成7連です。

で、左下写真の左端、陸羽東線ホームにはラッセル車・DE15形の姿がありました。
2日前から東北方面でかなり雪が降っていることは、この旅行記をずっと読んでいただければ分かるんですが・・・それにしても、3月も半ばになるこの時期に・・・ついでにいえば、高知では桜の開花が宣言された日に・・・ラッセル車の出番がある、というのも、驚きではあります。
日本列島はやはり、南北に長い国なんだなぁと思います。
定刻に新庄を発車した「つばさ110号」は、雪原の中を走り、9時59分、山形へ。

霞城公園も見えていました。
きょうはでも、天気がよくなりつつあって、なによりでした。

米沢には10時39分に到着。
米坂線を走る国鉄色のキハ52形の姿も見えました。
米沢を過ぎて福島へ向かう奥羽線の車窓、といえば、やはり板谷峠越えの区間でしょう。
かつては専用補機を連結して、スイッチバックをしながらの峠越えをしていた区間ですね。新幹線軌間への改軌とともにこの区間のスイッチバックはすべて解消されました。

このあたりはまだ雪がかなり残っていましたが・・・。
・・・福島側へ下りてくると、積雪は皆無。

列車は早くも、新幹線高架へのアプローチ線にさしかかっていました。

11時15分、福島に到着。
列車はこの先、「Maxやまびこ110号」と連結して東京へ向かいますが、私はここで下車し、在来線ホームへ向かいました。
福島からは再び、ローカル列車の旅。

仙台車両センター所属の701系F2-510編成2連で運転されるのは、福島11時32分発、1140M列車郡山行き。
同車両センターの701系は緑色がアクセントカラーになっています。
この福島〜郡山間の東北本線は私自身、「北斗星」、あるいはかつての「はくつる」といった寝台特急で通ったことは何度もありますが、普通列車で、というのは初めてです。
安達太良山が見えたりなど、景色の良いところもあるんですが、いかんせん、ロングシート車ではなかなか景色を楽しむというわけにいかないのが、つらいところですね。

きょう朝の情報では、この区間にある五百川〜本宮間で人身事故があり列車の運行が見合わせになっていたそうなんですが、すでにこの時間には通常ダイヤに戻っていました。

12時20分、列車は郡山に到着しました。
郡山駅から見える車両たち・・・。

左上写真は、磐越西線会津若松行きの快速3235M列車。
仙台車両センターの元・急行形455系電車ですが、クリームに緑帯というノーマルの東北カラーの車両です。
磐越西線のローカル用455系では赤と白の「磐西カラー」の車両が活躍してきましたが、最近はこのノーマルカラーへの塗り戻しも行われているとか。

一方、左下写真ですが、右側には仙石線で使用されてきた103系電車が置かれているのが見えますね。
仙石線には、首都圏の山手線などで余剰となった205系電車が4両編成に改造のうえで投入され、103系は職場を追われたわけですが・・・その103系の車両がまだここに置かれているということで、今後何らかの活用があるのかも、とか思った次第です。確たることは分かりませんが。
時間も時間なんで、郡山で昼食。

駅弁を買い込みました。

「小原庄助べんとう」(1000円)。
幕の内ですが、内容は左下写真のような感じ。ご飯がしめじご飯になっているのがうれしいですね。なかなかいいお味でした。

小原庄助、という人物は、ご存知、民謡「会津磐梯山」の囃子言葉にも登場しますが、モデルとなった人物像については諸説あるらしく、具体的にこの人、という決め手はないのだとか。
再び、郡山駅から見える車両たち。

左上写真。
団体列車で来たのか、あるいは郡山総合車両センター(かつてのJR郡山工場)での検査で来ていたのか、詳細は不明ですが、小牛田運輸区に所属するキハ58系ジョイフルトレイン「こがね」が、構内をゆっくりと走っておりました。
「こがね」というのは、かつて「グラシア」と名乗っていた欧風気動車。2003年にリニューアルを受けて現在の姿になっています。

一方、貨物列車牽引に活躍するJR貨物仙台総合鉄道部のED75形の姿も見られました。
左下写真はED75-113。機関車更新工事を受けており、車体の裾が白く塗られています。
同機はこのあと構内留置となり、パンタグラフを下ろしていました。
それでは、次の未乗線へ進みましょう。

こんどの列車は、この郡山駅3番ホームの上り方にある欠き取り式の「水郡ホーム」から発車するということですが・・・。
・・・回送で入線した、こちらの列車になります。

郡山13時49分発、水郡線328D列車水戸行き。
水郡線営業所に所属するキハ110系3両編成での運転となります。

水郡線には来年から、従来より窒素酸化物の排出が少ないタイプのディーゼルエンジンを搭載した、片側3ドアタイプの新型気動車が導入される予定です。現在水郡線にいるキハ110系は当然、捻出されて東北や新潟方面に残る国鉄型気動車の淘汰にまわされると思われますので・・・どこの線区かはまだ明らかではありませんが。
そういう意味では、東北のローカル線をまわった今回のタイミングは、よかったといえるのかもしれません。

入線がかなり早い時間だったため、食後ということもありしばらくウトウトしているうちに、発車時間となりました。(笑)
郡山を出ると、次の安積永盛までは東北本線の線路を走ります。

左手に、郡山車両センターが見えてきます。
こちらに写っているのは、新型・E531系の投入に伴い、常磐線の職場を追われた403系電車。この場所は車両解体場所になっていますので、おそらく廃車解体、ということなんでしょう。

JR東日本の新車投入ペースが恐ろしく速いのはご承知のとおり。山手線の「ヌシ」だった205系約600両をわずか3年でE231系に全とっかえしたくらいですから、常磐線に残る403・415系も急速に数を減らしていくんでしょうねぇ。
安積永盛を少し過ぎたところで東北本線と分かれ、列車は水郡線へ進みます。

写真は、安積永盛の次の磐城守山駅。
水郡線の駅では、無人駅を中心にこうした新しいタイプの待合室の設置が進みつつあるようです。
一方、この川東駅のように、懐かしい雰囲気を漂わせる駅舎も、けっこう残っていました。
この川東駅は無人ではなく、簡易委託駅となっています。
中豊を過ぎたあたりから、列車は久慈川の流れに沿って走る場面が多くなってきます。

写真は、矢祭山付近。
水がきれいだなぁ、ということが、列車の中からでもよく分かりますね。
矢祭山を過ぎると、東北を脱出。茨城県へ入ります。

15時36分、列車は常陸大子に到着。
車両基地である水郡線営業所は、この駅の構内にあります。
お客さんの入れ替わりもけっこうありました。
茨城県内をしばらく進むと、次第にあたりがひらけ、田園地帯に入ってきました。

茨城県というところは、北部の山の多い地域を除いて基本的に平坦な土地柄で、全国有数の農業県、でもありますね。農業就業人口では全国1位! 農業産出額でも全国4位だそうです。(いずれも2001年の統計)
16時34分、328Dは上菅谷に到着しました。

列車は水戸に向けてまだ先へ進みますが、私はここで途中下車。

いかにも、という感じのローカルチックな駅舎が佇んでいました。
上菅谷で途中下車したのは、ここから分岐する水郡線の支線に乗車することが目的。

水戸からやってきた、上菅谷17時5分発、常陸太田行き537D列車に乗車。
こちらも、キハ110系3両編成でやってきました。
地図で確認するとよく分かるんですが、上菅谷から分岐する支線のほうが直線的に伸びていて、安積永盛へ続く本線のほうがカーブして分かれていくような形で敷設されています。
もともと、水戸から上菅谷を通って常陸太田までの区間が、私鉄の太田鉄道によって先に開業。その後に、上菅谷から分かれる形で常陸大宮、常陸大子と路線を延ばしていった名残のようです。
17時19分、上菅谷からわずか14分で、列車は終点の常陸太田に到着しました。

かつては、この常陸太田駅から近いところに、日立電鉄の常北太田駅がありましたが、ご存知のように日立電鉄は昨年3月末をもって廃止となってしまいました・・・。
常陸太田からは、537Dの折り返しとなる538D列車〜上菅谷で844D列車乗り継ぎ、というルートで水郡線完乗を果たし、水戸へ。

水戸かぁ・・・時期的には偕楽園の梅まつりのシーズンだし、一晩泊まってゆっくりしていきたいなぁ・・・という気もするところですが、今回の旅では残念ながらそんな余裕はありませんで・・・。
844Dからわずか5分での乗り継ぎ。(^^;)
水戸18時5分発、水戸線小山行き770M列車に乗ります。
車両は、勝田車両センターのK525編成4連。九州にも仲間がいる415系1500番台のトップナンバー車で構成された編成でした。
列車は友部まで常磐線を進み、水戸線へ進みます。

水戸線の乗車は7年ぶりですから、かなりのご無沙汰です。

下館から出ている真岡鉄道、とりわけSL列車に乗ってみたいと思ってすでに10年以上、いまだに乗車する機会がありませんが・・・。

交直セクションを越えて19時26分、終点の小山に到着。
小山からは両毛線に進みます。

19時40分発、桐生行き478M列車は、高崎車両センター所属の107系電車での運転。2連を3本連結した6両編成でした。

時間がこの時間なんで、夕食食べたいんですが、乗り継ぎ時間があまりないので、駅のコンビニで、Suicaを使っておにぎりを2個ばかり購入して、それをほおばりながら乗り込みました。

桐生に到着後、さらに20時41分発の高崎行き480M列車に乗り継ぎ。
こちらは同じく高崎車両センターの211系3000番台車での運転でした。
桐生かぁ・・・駅そば食いたかった・・・。(^^;)

対向列車の遅れのため、桐生を6分遅れで発車した480Mでしたが・・・。
行き違い停車の短縮などで遅れを取り戻し、終点の高崎には定刻の21時33分に到着しました。

途中ゆっくりしたいところを、ここ高崎までその日のうちに無理やり移動してきた理由は、明日になれば分かります。(笑)
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