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Part4(2006・3)
3月14日の朝です。

朝6時過ぎ、宮古駅です。
きょうも朝早いです。
きょうの最初の列車ですが、写真左側に停車中のキハ52形で運転される、6時35分発、山田線川内行き633D列車。
これまた未乗線で残していた岩泉線に乗るため、昨夜来た道を戻る形で、まずは茂市へ向かいます。

写真右側には、ここ宮古から釜石方面へ向かう1636D列車のキハ100形が停車中。この列車は釜石で、釜石線の花巻行き、三陸鉄道南リアス線乗り入れの盛行きに分割されるという列車です。
633Dは、右手に三陸鉄道北リアス線のホームを見ながら、宮古を発車。

この三陸鉄道北リアス線は、宮古と久慈の間を結んでいます。
今回の旅ではJR線への乗車を優先したために、三陸鉄道に乗車することはできませんが、なるべく早い機会に乗車できればと考えています。
茂市に到着し、ここで岩泉線の列車に乗り換えます。

茂市7時1分発、683D列車岩泉行き。こちらも盛岡車両センターのキハ52形、今回はキハ52-152の単行運転となります。

この岩泉線ですが、全線を直通する列車が1日に3往復しかなく、朝の1往復を逃すと次は夕方になってしまいます。
山田線とあわせてこの岩泉線を乗りつぶそうとすると、この点がネックになって非常に乗りつぶしの難度が高くなってしまうわけでありますが。
岩泉線は、1972年に岩泉までの全線開通を迎えていますが、国鉄の赤字が増大する中、そのわずかに10年後には、「第二次特定地方交通線」として廃止申請が出される事態に。しかしながら、並行する道路の整備が不十分、などの理由で廃止を免れ、今日に至っています。
そういうこともあって、岩泉線は「秘境路線」として鉄道ファンの注目を集める結果になったと・・・。

写真は、押角駅。
スイッチバックの駅だったようですが、それも過去の話。人家もない山間にたたずむこの駅は乗降客がほぼ皆無で、文字通り国内屈指の「秘境駅」になっています。
それにしても、沿線を見ていると本当に山また山、という感じであります。
途中には25‰や30‰というような急勾配も多く、2エンジンのキハ52形をもってしてもなかなか速度が上がりません。

この厳しい路線状況は、率直なところ想像以上でした。
7時53分、683Dは終点・岩泉に到着。
山口の秋芳洞、高知の龍河洞と並んで、日本三大鍾乳洞に数えられる龍泉洞の最寄り駅ですが、この岩泉線を利用して龍泉洞観光に訪れる人は少ないとの由。
朝夕にしか列車が設定されていないという時点で、率直なところ観光利用は厳しいでしょうね。

この岩泉線、もともとは「小本線」という名称で、この岩泉から先、小本川に沿って、現在の三陸鉄道北リアス線が通っている小本まで延長される計画でした。
駅舎は非常に立派なものが建っていますが、広い待合室に人の姿はまばらでした・・・。
岩泉からは、折り返しの684D列車でそのまま宮古まで戻ってきました。

宮古から、未乗線乗り鉄を再開します。
ここから乗車するのは、左上写真右側に停車中の、9時23分発、快速「はまゆり4号」釜石線・花巻経由盛岡行き。
車両は、盛岡車両センター所属のキハ110系3両編成。うち1両が指定席車両として運行されます。

この宮古からは、山田線を経由して盛岡へ向かう快速「リアス」3639D列車が9時17分に発車しますが、そちらは左上写真左側のキハ52形2両編成。昨日乗車した国鉄色のキハ52-149も連結されていました。
「はまゆり」に使用されるキハ110系車両は、かつて急行「陸中」に使用されていた車両で、急行仕様としてフリーストップリクライニングシートを装備されています。
急行「陸中」は2002年12月のダイヤ改正で姿を消し、すべてこの快速「はまゆり」に格下げという形になっています。
山田線の宮古〜釜石間は、三陸海岸の海沿いを走っていきます。
昨夜乗ってきた盛岡〜宮古間は、山間部を抜けてくるわけですが、戸籍上は同じ路線でありながらまるで別の路線かと思うくらいの違いであります。
この区間には、こういう駅もありました。

ここは、吉里吉里。
東北の小さい村がある日突然日本からの独立を宣言する、という井上ひさし著の小説「吉里吉里人」で有名になった場所。ではありますが、実際に小説のモデルになった場所は、岩手県大槌町に位置するこの吉里吉里駅の周辺とはまったく別の場所という話です。
この吉里吉里駅の周辺地区では一時期、この小説で有名になったのを機に「ミニ独立国」を立ち上げて観光振興を図る動きもありましたが、その後の話はあまり聞かれませんね。
こちらは大槌。

ここでは、盛始発でやってくる三陸鉄道直通の久慈行き5641D列車との行き違い。山田線の釜石〜宮古間を挟んで三陸鉄道の南リアス線・北リアス線を走破する列車ですが、この列車には三陸鉄道の36形気動車が充当されています。
列車はさらに進み、やがて右手に新日鉄釜石の工場が見えてきました。

10時24分、釜石に到着。
列車はここから進行方向を変え、釜石線に進みます。

新日鉄釜石といえば、「北の鉄人」と呼ばれ、日本選手権で前人未到の7連覇を含む優勝8回を誇るラグビー部が有名でしたね。現在は「釜石シーウェイブス」というクラブチームへスタイルを変え、地域に根付いたチームづくりを進めているという話を耳にしました。
釜石を出た「はまゆり4号」は、一転して山間部へと入っていきます。

陸中大橋の前後で、線路は高低差を克服するためオメガカーブになっていまして、駅を過ぎて高度を上げる列車の左下に、先ほど走ってきた線路がある、という構図を見ることができます。

さらに山深く進むと、やはりというか、沿線には積雪が目立つようになりました。
山間部を抜けて遠野盆地へ下りた列車は、11時11分、遠野に到着。

ここ遠野駅には、JR東日本グループの長期滞在型ホテル「フォルクローロ遠野」が併設されています。
「フォルクローロ」とは、エスペラント語で「民話」という意味。この遠野駅の愛称にもなっています。

釜石線の駅にはすべて、エスペラント語の愛称がつけられていますが、これは地元・花巻出身の宮沢賢治が、その作品上でエスペラント語を多用したことにちなんでのこと。釜石線自体も、「銀河鉄道の夜」のモデルになっているといわれることから、「銀河ドリームライン」という愛称を持ちます。
釜石線のエスペラント語の愛称は、各駅のホームに掲げられていますが、こんなところにも。

ここは土沢駅ですが、ホームの灰皿にもこうして「プリーラ リヴェーロ(光る川)」という愛称が書かれています。
徹底されていますねぇ。
11時57分、列車は東北新幹線との接続駅である新花巻に到着。
ここも、この旅行記で触れてきた燕三条と同様に、新幹線開業とともに在来線にもホームができたところです。
12時5分、「はまゆり4号」は花巻に到着。
列車はこの先、再び進行方向を変えて東北本線を盛岡へ向かいますが、私はここで下車しました。

ここ花巻も、何度も通過しているはずですが、駅の外には初めて出てきました。

昼食時間でもありましたので、駅構内のそば屋さんで温かいおそばをいただきました。

駅付近は、時折大粒の雪が降るというあいにくの空模様でした。
ここからは、東北本線を南下します。

上り列車を待っていたところ、列車が来るというアナウンスで待っていると・・・ん?この車両は?・・・。
この列車、勝田車両センターに所属する485系のお座敷電車「リゾートエクスプレスゆう」でありました。車内には宴会をやっている人たちの姿もありまして、団体臨時列車の運用であることは分かりました。
その「ゆう」に続いて、私が乗車する12時48分発、一ノ関行き1538M列車がやってきました。
車両は盛岡車両センターの701系電車2両編成でありました。
1538Mに乗車して、私は東北本線を南下。

途中、平泉を通ります。
9年前に、平泉へは立ち寄りました。中尊寺金色堂や義経堂など、主要なところをとりあえず駆け足でまわったのでありますが・・・今回も時間があれば立ち寄りたいくらいでしたが、それはまたいずれかの機会にとっておくことにしましょう。
13時40分、1538Mは一ノ関に到着しました。

ここ一ノ関の駅前に立つのも、実をいうと9年ぶりでした。
そのとき訪ねた駅前の喫茶店への再訪をする時間はなかったんですが・・・その機会もまたいずれ、ということになりそうです。
次の列車に乗るべく、一ノ関駅のホームに再び入ってきました。

列車を待っていますと、こうして貨物列車もやってくるわけですが・・・。
このあたりの貨物列車牽引機というと、かつてはED75形の独壇場だったわけですが、いまやこの「ECO-POWER金太郎」ことEH500形の天下になりつつあります。
ここ一ノ関からは、これまた未乗線の大船渡線に乗車します。

乗車するのは、一ノ関14時46分発、快速「スーパードラゴン」3335D列車盛行き。
車両は、一ノ関運輸区に所属するキハ100形2両編成となります。
到着列車からの折り返しではなく、一ノ関運輸区の車両基地から出区してきました。
こちらが、キハ100形に表示された行先。

終点の盛、もちろん正式な駅名は漢字一文字「盛」ですが、駅の発車案内や車両の行先表示はすべてひらがな「さかり」で統一されています。
やはり、「盛岡」との混同を防ぐ意味合いなんでしょうね。
列車は一ノ関を出て、街並みを抜け、山すそを進む区間に入っていきます。

陸中門崎から千厩へ向かう線路は、大正末期から昭和初期にかけて敷設されていますが、猊鼻渓や摺沢を経由し、北側へ大きくまわりこむ格好になっています。「政治家の思惑で捻じ曲げられた」「我田引鉄の典型」ともいわれています。
こうした線形が竜のくねる姿に似ているからということで、大船渡線には「ドラゴンレール」という愛称がつけられたわけで。

北上川、およびその支流を渡って、列車は進みます。
15時19分、猊鼻渓に到着。

猊鼻渓は、北上川の支流・砂鉄川が石灰岩を浸食し、高さ50mを超える絶壁や奇岩をかたちづくっている景勝地で、船下りも楽しめるということです。
気仙沼を過ぎると、列車は終点・盛まで各駅停車となります。
北向きに進路を変え、再び山間部へ。

ここは上鹿折。
一度宮城県に入ってきた列車ですが、この駅を過ぎると再び岩手県へと入っていきます。
陸前高田を過ぎると、今度は海沿いの区間が増えてきます。

細浦を出て、大船渡湾が見えてきました。
大船渡を出て、あとは終点の盛を目指すだけとなった列車。

ここで、今回の旅ではもっともシビアな乗り継ぎが待っていました。

3335Dの盛到着時刻は17時3分。
盛では、時刻表上わずか2分の間合いで発車する340D列車一ノ関行きで、来た道を気仙沼まで戻る計画にしていましたが・・・3335Dの到着ホームから340Dの発車ホームへは跨線橋を渡らなければいけない、ということで、まさに薄氷を踏むような状態。果たして・・・。
盛で、到着した3335Dから発車する340Dへの猛ダッシュ。なんとか間に合いました。(^^;)

340Dで気仙沼へ戻り、改札を出ました。
すでにあたりは暗くなってきておりました。

18時を過ぎておりましたので、駅から程近い大衆食堂で夕食。
食堂のテレビでは、公立高校の合格発表の様子がニュースとして流れていました。もうそういう時期なんですねぇ・・・。

この時間ですが、きょうはあと一つ、未乗線の乗車を済ませる予定になっていました。
その路線は、ここ気仙沼から、石巻線の前谷地までを結ぶ気仙沼線。

19時26分発、小牛田行き2946D列車に乗車します。
車両は、小牛田運輸区に所属するキハ48形2両編成。

側面には幕式の行先表示器がついていますが、窓下の低い位置にあるのが特徴的ですね。
車内ですが、近郊形気動車標準のセミクロスシートの配置ではありますが、片側のボックスシートが一人がけとなっています。
北海道でもこうしたシート配置は見られますね。混雑時を考慮したスタイルなんでしょう。
列車は定刻に気仙沼を発車して大船渡線と分かれ、海沿いの区間を進みます。

気仙沼線は、気仙沼〜本吉、前谷地〜柳津と、両端から建設が進みました。
最後の開通区間となった本吉から柳津までの区間は、1977年12月の開通。国鉄末期に完成した新しい区間だけに、トンネルと高架橋、築堤が多くを占める路線となっています。

写真は20時44分到着の陸前横山駅。
ここも築堤の上に駅がありました。
21時12分、2946Dは前谷地に到着。
石巻線との接続駅で、列車はこの先、石巻線に乗り入れて小牛田へ向かいます。

旅の計画をいろいろ検討する中で、この石巻線の前谷地〜女川間については、今回の行程に入れることができませんでした。
いずれ、機会をつくって必ず乗りつぶしますよ、ハイ。
暗闇のなかを進み、21時29分、列車は終点の小牛田に到着しました。

次の列車までまた時間がありますので、いったん駅前に出てきました。

駅舎、および駅通路の工事が行われており、駅舎には網がかかっておりました。
駅前には、こういうものがありました。

小牛田駅前では、「出会いを演出する街角」として街路整備がされているんですが、その一角。
小牛田駅前公園の地下170mからくみ上げた水が流れているというんですが、写真でもわかるように、湯気が・・・。

このあたり、雪はありませんが、とにかく冷えました・・・。
小牛田からは、きょう最後の列車となる、22時7分発、陸羽東線鳴子温泉行き1749D列車に乗車し、宿をとっている古川へ向かいます。
車両は小牛田運輸区のキハ110形2両編成。側面に赤いラインが入った陸羽東線仕様の車両ではなく、黄色いラインが入った陸羽西線仕様の車両です・・・まぁ、小牛田への入出区の関係などもあって実態的に両者は混用されているんですが。

明日もまた、朝が早いです。
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