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Part2(2006・3)
列車に揺られながら眠りについた私が、次に目覚めたのは、金沢。
3時4分、5番ホームに入線しました。
ここで、3時52分の発車まで、小休止となります。

「まだ時間あるやんね」と思いながら、もう一眠り。
次に起きると5時30分、列車は糸魚川に到着するところでした。
5時56分。「きたぐに」は直江津に到着。
私は、ここで列車を降りました。

とりあえず、いったん改札を出て、開店したばかりのキヨスクで朝食の買出しを済ませました。
札幌発大阪行きの上り「トワイライトエクスプレス」もやってくるなど、この時間も直江津駅ではさまざまな列車が往来していました。やはりここは、鉄道交通の要衝でありますねぇ。

ここからは、「青春18きっぷ」を使っての行程となります。
私がここ直江津から乗車するのは、写真右側に停車している直江津発長岡行き1325M列車。新潟車両センターの115系N28編成3連が充当されていました。
車体塗色は白地に水色と青の帯が入った現行新潟色。車内はリニューアルされており、セミクロスシートの配置は変わらないもののクロスシート部分の座席は取り替えられていました。

すぐ隣には、JR貨物富山機関区のEF81-28が牽引する貨物列車がやってきました。
列車は直江津を出ると、途中日本海沿いの区間を走ります。

写真は青海川駅。ホームのすぐ下を、日本海の荒波が洗っています。

ここは、1993年に放映されたドラマ「高校教師」の最終回のロケ地にもなった場所ですね。
放映された当時、この青海川駅でのラストシーンで主演の2人は「気を失っているだけ」なのかそれとも「死んでしまった」のか、ということが話題になったような・・・私も最終回見ていたんですが、どちらとも判別がつきませんでした。(^^;)

それにしても、天気が悪いです。
冷え込むという予報には確かになっていましたが・・・。
私は1325Mを途中の柏崎で下車しました。

ここからいよいよ、未乗線の乗り鉄が始まります。
柏崎からは、越後線への乗車。7時29分発、吉田行き131M列車に乗車となります。
車両はこちらも新潟車両センターの115系。しかしながら、こちらは2連のS1編成。塗色も、白にグリーン帯の先代新潟カラーです。
街並みが途切れると、田園地帯の只中を進んでいきます。
やはり、新潟といえば穀倉地帯、というイメージがありますが・・・。

途中からとうとう、雪が舞い始めてきました。
すでに3月も中旬に入っているというのに、寒の戻りに直撃されるとは・・・。
131Mは8時35分、終点・吉田に到着しました。

ここからですが、越後線の乗り鉄を一時中断して、この吉田でクロスする形となっている弥彦線のほうに乗車することにします。
私が乗車するのは、吉田8時50分発、写真右に停車中の東三条行き229M列車。こちらもやはり新潟車両センターの115系2両編成ですが、こちらは白地に黄色と緑の帯が入った弥彦線カラーのY1編成2連によるワンマン運転となります。
弥彦線の駅名標には、神社の鳥居を模したかのような赤い外枠がついているものがあります。やはり、これは弥彦神社が由来なんでしょうかね。

こちらは、金属洋食器の街として知られる燕の駅です。
旅行記を作る段で調べてみたところ、もともとの燕市と、吉田町、分水町がこの3月20日に合併して、新しい燕市を形成する、ということでありました。
さらに進んで、こちらは燕三条駅。
ここは、上越新幹線との接続駅。というより、新幹線開業とともに弥彦線にも駅ができた、というところです。位置的にも、ちょうど燕市と三条市の境界のあたりになります。
ちなみに、新幹線・弥彦線の駅は「燕三条」という名前になっていますが、駅からすぐ近くにある北陸自動車道のインターチェンジは「三条燕」となっています。
列車は三条の市街地を高架で横切り、9時12分、終点の東三条に到着しました。

駅の外に出てきましたが、すでに氷雨状態でありまして、息を吐くと白くなるような寒さでありました。
東三条駅の構内には、こちら。

駅構内のコンビニなんですが、その入り口に「このお店でSuica使えます」と書かれた幟がありました。
新潟地区でも、この1月21日からICカード・Suicaが使えるようになりました。エリア内での鉄道利用はもちろん、駅構内の店舗等でも利用が可能です。
手持ちのSuicaで、ここのコンビニでも買い物をしました。
東三条からは、折り返しの228M列車弥彦行きに乗車。

吉田での待ち時間を含め、41分で終点・弥彦に到着です。

ここ弥彦駅は、弥彦山の麓に位置し、弥彦神社の最寄り駅となっています。駅舎はいかにも社殿風でありますが、やはり弥彦神社の本殿をモチーフにしているのだそうです。
折り返しの列車までは2時間近くありましたので、せっかくここまで来たからということで、弥彦神社まで歩いてみることにしました。

弥彦駅からおよそ15分、弥彦神社本殿の前に到着しました。
「万葉集」にも登場するという歴史を持つ神社ですが、本殿は明治時代の大火で焼け落ち、1916年に再建されたものだそうです。
あまりに寒いので早々に本殿前から退散。

駅へ戻る途中で、昼食にしました。
神社通りの旅館・土産物屋街の一角にある、「小林食堂」にてこちらをいただきました。

「味噌ラーメン」(750円)。
とにかく、この具材のボリュームに圧倒されてしまいましたねぇ。お腹もいっぱい、冷え切った体があったまりました。
昼食を終えて、来た道を戻っていきますが・・・。

道の途中で時折、白い蒸気が道路を覆わんかのことく噴出しているところがありました。
何だろうと思ってよく見ると、弥彦名物の温泉饅頭を作っているお店から出ているようで・・・ついつい、そのうちの一軒に立ち寄りました。(^^;)

「元祖」と銘打ってあった「祥立堂」の温泉饅頭を2個、買い込みました。
左がつぶあん、右は黒砂糖皮のこしあんの饅頭です。どちらも、ほどよい甘さのお饅頭でありました。
弥彦駅まで戻ってきましたが、この頃にはすでに大粒の雪が降っていました。
駅で電車の写真を撮っていても、こうして写りこんでしまうほど。

駅の待合室で、地元の人達が「なごり雪やねぇ」「これがもう最後やろうか?」というような会話をしているのを聞きましたが、ただでさえこの冬は雪が多かったですからねぇ・・・。
弥彦からは、折り返しとなる12時20分発、235M列車で吉田へ戻ります。

途中、左手にこの大きな鳥居。
こちらは、上越新幹線の開通を記念して1982年に建てられたものだそうです。
高さ30m、だそうで・・・。
吉田からは、越後線の残りの区間に乗車します。

12時37分発、新潟行き143M列車。新潟車両センターのE127系V7編成2連での運転です。
E127系は、東日本の交流電化区間で多く見られる701系と同様のロングシート車。細かい仕様の違いはもちろんありますが、701系の直流版、といえる車両ですね。
吉田からは、新潟までほぼ1時間の道のり。

やはり、越後平野の穀倉地帯を進んでいきます。
外は相変わらず、雪が舞っています。
13時35分、143Mは終点の新潟駅4番ホームに到着。

新潟駅では積もってはいないものの、やはり雪が舞っていました。

2番ホームには会津若松から磐越西線経由の快速「あがの1号」として到着し、折り返し新津行きとなるキハ110系気動車3両編成が停まっていましたが、雪をつけていました。

この先私が進むのは新津方面ではありませんが、やはり山手の方向ではけっこう雪が降っているんだな、と認識。
天候が悪化するという予報が流れていたこともあり、私は「もしものときの検討をしないといけないかな」と思い始めていました。
とりあえず、新潟駅の改札をいったん出てきました。

駅構内の店舗は、すでにSuicaの使えるエリアとあって対応している店舗も多いようですね。
また、駅ビルの一角にヨドバシカメラが入居していまして、旅先でのサプライ用品の買い物には非常に便利でありました。実際、私も電池を購入しましたし。
再び駅構内に戻ってくると、1番ホームには485系が停車中。
14時18分発、快速「くびき野2号」信越線経由新井行きですね。この485系は新潟車両センター所属のT22編成4連。オールグレードアップ編成ですね。

快速「くびき野」は、かつての特急「みのり」からの格下げ、という形で登場した列車ですね。
実際、快速という手軽さからか、けっこう乗車率は良いようでした。
ここ新潟からですが、白新線に乗車してさらに北東方面へと進みます。

新潟14時47分発、651M列車新発田行き。
村上から白新線経由でやってきた938M列車から折り返しの運用。こちらも新潟車両センターのE127系2両編成。今回はトップナンバーのV1編成でした。

E127系というと最近の車両、というイメージが強いですが、すでに新造開始から10年が経過しています。しかしながら、新潟地区のローカル電車では一気にこのE127系への置き換えとはならず、国鉄型の115系がまだまだ主力といった感じですね。
白新線は、私自身これまで、大阪〜青森間を結んでいた特急「白鳥」、あるいは「いなほ」といった列車で通過していますが、各駅停車で走破するのは今回が初めてでした。

新潟発車時点ではそれほどでもなかったんですが、白新線を進むにつれて雪が強く降るようになり、沿線は雪景色になってきていました。

新発田到着目前。右手からは、新津から延びてくる羽越本線の線路が近づいてきました。
15時32分、新発田に到着。

駅の前に出てきました。やはり雪が舞っていまして、非常に寒い・・・。
駅前ロータリーは工事中のようでした。
新発田からは、羽越線でさらに北上します。

新津始発でやってきた、15時54分発、酒田行き831D列車。
羽越線は全線電化されていますが、村上〜間島間に交直流の電源境界があるせいもあって、電源境界をまたいで運転されるローカル列車は気動車での運転となっています。
この831Dは、新津運輸区所属のキハ40・47形の合計3両編成での運転でした。先頭のキハ40形は、赤と白の現行新潟気動車カラーですが、後ろのほうには白地にブルーと赤の模様が入った旧新潟カラーの車両もつながっておりました。
羽越線を坂町まで進み、次なる未乗線に乗ります。

ここ坂町からは、山形県米沢へ抜ける米坂線への乗車。
16時45分発、1134D列車米沢行きは、やはり新津運輸区に所属するキハ47形+キハ52形の2両編成。
写真手前のキハ52-123、現在は旧新潟カラーとなっていますが、新津運輸区に来る前は長野総合車両所に所属し、飯山線を職場としていた車両です。
坂町を出た列車は、羽越本線から分かれ、荒川に沿って山登りを始めます。

荒川、というと、関東平野を流れて東京湾に注ぐ荒川を思い浮かべる人が多いのでしょうが、ここも荒川、というんだそうです。

このあたり、山の木はすでに雪で真っ白・・・。
16時59分、越後下関に着きました。
山口県の「しものせき」とは違い、ここは「しもせき」と読みます。
このあたりは、温泉も多いのだそうです。

米坂線は当初、米沢、坂町の両端から敷設が進みました。1931年、坂町側からの最初の開通区間となったのが、この越後下関まででした。

あたりはもう完全に雪景色です・・・。
越後下関から先、荒川峡と呼ばれる渓谷地帯を走ります。

越後金丸を過ぎて県境を越え、列車は山形県に入りました。
山形県に入って最初の停車駅は、17時27分到着の小国駅。
北の朝日岳、南の飯豊山登山の入り口となっている駅です。

ここでは、坂町行きとの交換待ちで15分もの停車がありましたので、ホームへ降りてみました。
ひんやりとした空気が体を包みます。

このあたりはやはり豪雪地帯。米坂線では列車の運行を確保するため、大雪の際にロータリー式除雪車による特殊排雪列車が走ることもあります。
小国から先も、細くなった川沿いの渓谷地帯を進みます。

写真は、18時5分到着の羽前沼沢駅。
この先の宇津峠が分水嶺。下り勾配に入っていきます。

時間が時間だけに、急速にあたりが暗くなってきました。
列車は米沢盆地に下りてきました。

途中、線路が合流するポイント独特のジョイント音が聞こえました。かつてのJR長井線、現在の第三セクター・山形鉄道フラワー長井線との合流ポイント(旧・白川信号場)ですね。
米坂線と長井線は、この先今泉駅まで同じ線路を走ります。

18時34分、今泉到着。
長井線はこの今泉を出ると再び分かれて、赤湯へと向かいます。こちら米坂線は、米沢盆地の南側を回りこむようにして進んでいきます。
米沢駅が近づくと、場内信号の手前でいったん停止、さらに、右手に奥羽本線(山形新幹線)の線路を見ながらいったん停止を繰り返し、列車はそろりそろりと米沢駅の5番ホームに入っていきました。
19時16分、定刻での到着でした。

なぜいったん停止を繰り返していたのか、といえば、5番ホームはもともと頭端式ホームであるうえ、すでに2両編成の気動車が留置されていまして、私の乗った1134Dはその同じ線路に入線するため、慎重な入線になったというわけで。
写真でいうと、手前に写っているのが先に入線していた気動車編成、1134Dはさらにその向こう側に到着した、という形です。

山形新幹線開業にあわせて奥羽本線が改軌されており、米坂線の車両が米沢駅の限られたエリアにしか入線できないという事情があるとはいえ、かなり窮屈な印象はありましたね。
すでに夜ではありますが、ここから先、もう一つの未乗線に乗車するため、山形まで新幹線を利用することにしました。

米沢19時24分発、「つばさ125号」山形行き。400系L6編成7連でやってきました。

日曜の夜、ということで、車内は東京帰りの家族連れなどでけっこう混雑していました。
車内では、こちらの米沢駅弁で夕食。

いわずと知れた、「牛肉どまん中」(1000円)。
牛肉にしみこんだこの甘辛い出汁の味は、何度食べてもいいもんです。
満たされました。(笑)
20時1分、「つばさ125号」は山形駅2番ホームに到着。

今晩は山形で泊まる予定にしていましたので、いったん改札を出て大きな荷物をコインロッカーへ。
そしてもう一度改札を通ります。
山形からは、こちら。
20時22分発、左沢線左沢行きの349D列車に乗車します。

可能な限り乗れるところは乗ってしまおうということで、新幹線を使ってまで、その日のうちに左沢まで往復できる最後の列車に間に合わせたのでした。

左沢線の車両は、写真のキハ101形。16.5mの短い車体にロングシートの左沢線専用車両です。
349Dは4両編成でしたが、うち後ろよりの2両は寒河江で切り離しとなります。
列車は、山形を発車。
暗いので、さすがに外の景色はよく見えません。

こちらは、奥羽本線と左沢線の分岐駅となる北山形。
駅の手前で分岐が始まっているため、両者のホームは少し離れています。
20時49分、寒河江に到着。ここ寒河江には、キハ101の車両基地である左沢線営業所があります。
349Dはここで後ろ2両を切り離し、4分停車後に発車です。

左沢線には「フルーツライン左沢線」という愛称がつけられています。沿線にサクランボや洋梨など、果物の産地が多いことがその由来となっているようです。
駅名標にも、その果物をかたどったものがありまして、ここ寒河江ではサクランボの形の駅名標がありました。
暗いなかではありますが、窓の外で大粒の雪が降っているのが車内からでもはっきりと見えていました。

列車は羽前高松に到着。
ここ左沢線では、羽前金沢(読みは「うぜんかねざわ」ですが)、羽前長崎という駅もあります。

待合室の横に、除雪された雪が積みあがっていますが・・・北に来たんだなぁ、と実感する光景でもあります。
349Dは21時7分、終点・左沢に到着しました。
ここには、洋梨を象った駅名標がありました。

改正鉄道敷設法別表には、この左沢から、長井線の終点である荒砥までの路線延長が盛り込まれていましたが、実現しませんでした。

私は、到着6分後に折り返しの354D列車に乗車して、山形へ戻ります。
明日は、さらに北へ向かいます。
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