<Part6へ>
Part7(2005・7)
7月26日の朝になりました。

三次駅、時刻は朝5時半過ぎです。

すでに、駅構内ではディーゼルエンジンのアイドリング音が鳴り響いています。福塩線の府中へ向かう初発列車は5時27分発、芸備線の広島へ向かう初発列車は5時28分発で、すでに発車しています。
私がきょう最初に乗るのは、6時10分発、三江線の初発・浜原行き444D列車。
車両は、浜田鉄道部のキハ120-309。
このキハ120-309も、まだトイレはついていません。

三次駅の三江線ホームは、他線の乗り場から少し離れて欠き取り式になっている0番ホームです。
もともとそういう意図はないんでしょうが、見た目の印象からすれば、何か、同じ三次駅に発着する他の路線とは隔絶されているような雰囲気すら感じてしまいます。
列車は定刻に、三次を発車。

まもなく、広島へ向かう芸備線が左へ分かれていきます。

江川の上流にあたる馬洗川を渡り、尾関山に停車。
昔からの三次の市街は、現在の三次駅のあたりではなく、尾関山駅から近いところに広がっていて、三次にある裁判所や文化会館などの施設も尾関山駅が最寄りとなります。
尾関山を出ると、線路は江川沿いを走っていきます。

ただまぁ・・・この時点で、この444D列車に乗っているのは、私一人、だったんですよねぇ・・・。

次第に、谷の幅も狭まっていきます。
こちらは、長谷駅ですが、この444Dは通過となります。

朝方の江津方面行き、午後の三次方面行きの列車は通過となる長谷駅。
秘境駅、という呼び声もあるこの駅は、もともと国鉄時代に仮乗降場として開設された駅で、時刻表に載るようになったのもJRになってから、なのだそうで。
きょうは、台風7号から吹き込んでくる湿った空気の影響で、天気があまりよろしくありませんでした。
途中、すでに雨が降ったような跡もあったりとか・・・。

途中、渡る川面にも、雲が多く映りこんでいますね。
6時58分、列車は口羽に到着。
ここでは、浜原発三次行きの441D列車と行き違いです。

私の乗る444Dのほうには、ここで初めて、私以外のお客さんが数人乗り込んできました。(^^;)
口羽から浜原までの区間は、1975年に開通した新しい区間。
そのせいもあって、トンネルやコンクリート橋が目立つ直線的・高規格な路線になっています。

左上・左下写真の宇都井駅ですが、地上から21mの高さにある高架上にホームがあります。地上から列車に乗るには、116段もの階段を登らなければならない、ということで、バリアフリー、という観点からいうと、かなりつらい駅になってしまっています。
7時46分、444Dは終点・浜原に到着しました。

先ほど述べた、この浜原から口羽までの線路が開通して三江線が全通するまでは、ここ浜原が、江津方面からのびる三江北線の終点となっていました。

駅舎の前には、三江線の全通を記念する石碑が立っています。

中国山地を横断する形で敷設され、「陰陽連絡線」と呼ばれる路線がさまざまありますが、この三江線は、そのなかでも最も遅く全通した路線です。
(とはいえ、計画だけで終わった路線、あるいは工事が始まりながらも未成のままで終わった路線なども実際にはあるわけですが・・・)

しかしながら、1975年といえばすでに自動車交通が発展していた時代。三江線の利用者数は伸び悩みました。
利用者の状況を反映して、列車本数は本当に少なく朝方と夕刻・夜間に集中する形になっており、しかも全線を走りとおす列車はわずかに江津行き1本と三次行き2本だけしかありません。

この日私が乗ってきた444Dに、三次から口羽まで私一人しか乗っていなかった、というのも、時間が早いとはいえ、衝撃的でした。

地元では長く待たれていた開業だったんでしょうが、やはり、遅かったんでしょうかねぇ・・・。
私はここからさらに、江津へ向かうために、8時2分発の江津行き446D列車に乗り継ぎます。
列車は、江津始発の443D列車で到着した車両が折り返しで使用されます。この日は、浜田鉄道部のキハ120-307でやってきました。
江川の流れに沿って、列車はさらに進みます。

左上写真は、石見川本駅。ここは、沿線で最も人口の多いといわれるところで、列車もかなりのお客さんがここで入れ替わりました。

左下写真は、その次の因原駅です。

私が見ている感じ、列車に乗っているのは、高校生(時期的に夏休みなので、部活とか補習なんでしょうが)と、あとはお年寄り、という感じですね。客層としては、地方ローカル線の典型的な状況になっています。
いよいよ、江川も下流域へ。
次第に、あたりは開けてきました。

江津本町まできました。
三江線の旅も、まもなく終わります。

続きは、次のページで。
<Part8へ>