<Part5へ>
Part6(2005・3)
いわき駅前に出てきました。
さすがに、駅前に積雪はほとんどありませんでした。

このいわき、という駅は、1994年12月までは「平」という駅名でした。地元の要望もあって現在の駅名になったそうですが、国鉄時代を知る方にとっては、やはり「平」のほうが馴染みがあるんじゃないでしょうか。
さて、ここからは「18きっぷ」利用をいったん止めて、こちらの列車で南下します。
次の予定、というのがありましたので・・・。

15時8分発、特急「スーパーひたち42号」いわき始発上野行き、車両は、勝田車両センターの651系電車です。
ここ、いわきの始発時点では付属編成の4両のみです。

この651系「スーパーひたち」ですが、1989年に、JR東日本がJR化後初めて開発しデビューさせた特急電車。JR在来線での最高130km/hでの営業運転を、初めて実現した車両でもあります。当時、常磐線の特急「ひたち」の主力だった485系電車を置き換えるのがその使命でした。
その後、E653系「フレッシュひたち」の増備に伴って、485系が「ひたち」系統から完全に淘汰されたのは1998年暮れのことでした。

651系はその後、2000年から内装を中心にリフレッシュ工事を施されています。
私自身、そのリフレッシュ後の651系に乗車するのは、今回が初めてでありました。

私が乗車したのは、禁煙指定席の11号車。
行先幕ですが、ずいぶんとカラフルなものに変わっていますね。

車内は、座席のほうがモケットが変わり、なんだかゴツくなった印象ですね。
ただ、リクライニングの角度はなかなかいい感じでしたけど。
列車は定刻にいわきを発車し、南下を開始。

こちらは湯本駅。
いわき湯本温泉の玄関口、私はかつて、一度だけここの温泉旅館に泊まったことがありました。
次の停車駅・泉には、コンテナ貨物列車の先頭に立つ「北斗星」仕様のEF81形電気機関車が停まっていました。
「北斗星」仕様のEF81はJR東日本田端運転所の所属ですが、常磐線の交流電化と直流電化の区間をまたがって運転する貨物列車の牽引には、JR東日本のEF81が充当されています。
さすがにここまで来ると疲れが出まして、リクライニングシートに身を委ねてウトウト・・・。
そうしている間に、列車は勝田に到着しようとしていました。

勝田駅構内には、普通電車用のE501系交直流電車(左写真中央)、さらにはかつて磐越西線で「ビバあいづ」として使用され、現在は勝田車両センターにあって団体臨時などに使用されている485系K40編成(左写真右)が停まっていました。
それにしても、このあたりも雪が路盤を覆っていますねぇ。

「スーパーひたち42号」はここ勝田で、上野方に基本編成7両を連結し、この先11両編成となって上野へ向かいます。
水戸を出ると、次の停車駅は終点・上野。
ノンストップです。

列車は「日本三名園」の一つ、梅の名所でもある偕楽園のあたりを通過していきます。
ここには、下り線のみにホームのある偕楽園駅があります。ここは、偕楽園で「梅まつり」が開かれるシーズンのみの臨時駅。この日も、「梅まつり」開催にあわせて営業していましたが、この天候。
ホームでは、係員さんたちが雪かきをしている光景も見られました。
さらに進んで、ここは内原〜友部間。

ここには、第二次世界大戦中に操車場をつくろうという計画があったそうで、上り線と下り線の間にかなり広い土地があります。
結局、その操車場はつくられることはなく、そのままになっていたんですが、今回、ここに電車の留置線をつくることになったようで、工事が進められていました。

このあたりは、列車の撮影地としても知られるところ。
私も、一度だけ撮影をしに来たことがありました。もう7年くらい前だったかな? 撤退目前だった485系「ひたち」なんかを撮った覚えがあります。
次第に、夕闇が迫ってきました。
下り線側を、E653系「フレッシュひたち」が走っています。

時刻は17時過ぎ。
列車は、藤代を過ぎ、交流電源と直流電源の境界・デッドセクションを通過します。
この651系電車は、国鉄型の415系や485系などと同様、電源切換のときに車内灯がいったん非常灯に切り替わります。
直流区間に入り、取手からは緩行線の線路が並走し、線路別複々線となります。

写真は、我孫子手前の電留線。
緩行線を走る203系電車、あるいは左端にちょこっとだけ写ってますが、松戸車両センターに所属する103系訓練車の姿も見えました。
松戸を過ぎると、緩行線が進行方向左側から右側へとオーバークロス。
その緩行線を、下りの電車が走っていきます。写真では分かりづらいですが、2編成しかいない松戸車両センターの209系1000番台車でした。
北千住を過ぎて、終点間近。

都心部に入ってきて、急カーブの区間も多くなります。
長い編成の前のほうが見えていました。
17時36分、「スーパーひたち42号」は定刻に終点の上野駅17番ホームに到着しました。

ここからは、東京在住時代からのネット仲間と約束がありましてね・・・この旅のスケジュールも、それに合わせて組んだものでした。
ということで、ネット仲間との時間を過ごした後、私は帰路につくために東京駅へ出てまいりました。

23時、大阪行きの寝台急行「銀河」が、東京駅9番ホームから発車していきました。

そして、私が乗車するのは・・・。
・・・やはり、こちら。
東京23時43分発、快速「ムーンライトながら」大垣行き。

そうです、帰路も「ながら」を使うことにしていたんです。
計画段階では2日連荘の座席夜行(実は、過去にはやったことがない・・・)ということに不安もありましたが、前夜の上りに乗ってまともに眠れたので、この時点ではもう無問題バイ、ということで・・・。

車両は、もちろん、JR東海静岡車両区の373系9両編成。
この日のこの列車、指定席は満席、という案内がされておりました。ただ、小田原から先は一部自由席になるため、指定券を持たないお客さんには、小田原まで先発の普通列車で行き、小田原から乗車するように、という案内放送がホームで流れておりました。とはいっても、座席の保障はないわけなんですが・・・。
列車は定刻より若干遅れて東京駅10番ホームを発車。

横浜手前で、日付は3月5日に変わりました。
私は誕生日を、「ながら」車中で迎えることになったのでした。(笑)

横浜を出ると、まもなく私は眠りにつきました。
<Part7へ>