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Part2(2003・11)
日付は変わって11月23日。
午後、仕事のスケジュールが終わり、繁華街へ出てきました。

ここは、「ゆいレール」県庁前駅から程近い、「パレットくもじ」の前。
まだ1ヶ月以上あるというのに、もうクリスマスツリーが出ていました。
歩いて、那覇市街でもっとも賑やかな通り、といわれる国際通りへ入ってきました。

実は、11月21日から23日までの3日間、14時から20時までという時間で、この国際通りでは「トランジットマイル」というとりくみが行われていました。

社会実験、として実施されたこの「トランジットマイル」。
一般車両の通行を規制して歩行者に配慮し、公共交通機関だけが通行できる「トランジットモール」というとりくみは、やはり社会実験として各地で行われています。「トランジットマイル」というのは、その「トランジットモール」と、この国際通りの別名である「奇跡の一マイル」をかけた造語、なんだとか。

近年、この那覇でも郊外型店舗が多くなり、この国際通りも求心力を失いつつあるというなかで、商店街の活性化策の一環としてトランジットモールの導入も検討されているんだそうです。
この日の国際通りは一般の自動車の通行は禁止され、通りにはバスのみが走っていました。それも、2車線のうちの片側のみの使用、ということになっていました。

ワタシは土産物屋を物色しながら、この国際通りを歩いていったのでした。
商店街、といっても、やはり沖縄独特の雰囲気を感じました。
国際通りを歩いて、「ゆいレール」の牧志駅までやってきました。
そろそろ、帰りの時間も近づいていたので、那覇空港方面へ向かうことにします。
やってきたモノレール車両の一番後ろに乗り込みました。
幸いにも、運転台背後のクロスシートの席に座ることができましたので、後方展望をしばらく楽しんでいました。
那覇空港のひとつ手前のここ、赤嶺駅で、ワタシは列車を降りました。
もちろん、わけありです。
改札口を出てきました。
左手の有人窓口のところ、上に何か貼ってあるのが見えますね。
それが、こちら。
ここ、赤嶺駅は、日本最南端の駅、ということになっています。「ゆいレール」開通前までは、鹿児島県のJR九州指宿枕崎線・西大山駅でしたが、そちらにあった「日本最南端の駅」の標柱は、すでに「本土最南端の駅」に改められています。

一方、日本最西端の駅も、「ゆいレール」開通で那覇空港駅になっていますが、以前の「日本最西端の駅」松浦鉄道・たびら平戸口駅では、とくに標記などの変更はしていないのだとか。いわゆる2本のレールの上を走る「鉄道」線と、モノレールなど「軌道」線の違い、ということがあって、「鉄道駅最西端」ということに変わりはない、ということが理由になっているようです。

赤嶺駅には「日本最南端の駅」の記念スタンプも置いてありました。
赤嶺駅のホームからは、那覇空港に発着する航空機、その向こう側に広がる東シナ海が見えています。

さて、そろそろ空港へ向かいましょうか。
那覇空港へ向かう途中。
「ゆいレール」の車両基地は、ここにありました。

現在の利用状況を見ると、「ゆいレール」は2両編成ではお客さんを裁ききれないのでは、という気がします。
もともと、駅ホームも3両編成を念頭においてつくられているようなので、利用状況が良好なまま推移すれば、1両増結ということも遠くない将来に実現していくのではないでしょうか?
日本最西端の駅・那覇空港駅に戻ってきました。
ここからは空港ターミナルへ移動し、飛行機に乗って福岡へ戻るだけです。
ここでもしばらく、ターミナルビルで土産物の物色をしていました。
出張とはいえ、10月、11月と続けて沖縄にやってきて、今回は初めて「ゆいレール」にも乗ることができました。
すでに触れたように、長年こうした鉄道系の交通機関がなかった沖縄。利用のルールの啓蒙を行いながらの運行、という状況もあったわけですが、それでもこの利用状況を見ていると、今後の車両増結や路線延伸など、未来に向けた明るい展望も出てきているような気もします。

鉄道界の「熱き琉球の風」、「ゆいレール」の今後を、じっくり見守りたいと思います。
<おわり>