(2000・1)
「一年の計は元旦にあり」ということわざがありますね。その元旦に、大旅行をしてみたらどうなるか試してみたかったわけではないんですが、なんとなく、遠くへ行ってみたくなりました。
あるきっぷの存在が、その気持ちを後押ししたことはいうまでもありません。そのきっぷとは、JR東日本が発売している、「お年玉フリーきっぷ」。元日一日、自社線内乗り放題(特急・急行などの自由席のみ)というきっぷ(10000円)です。そして昨年1999年の元日使用分からは、指定席グリーン車までもが乗り放題となる「お年玉フリーきっぷDX(デラックス)」(20000円)なるものまで登場しています。
おそらく、こんなことは今回だけだろう、そう思いながらも、元日、行動を起こすことにしました。
年が変わった2000年1月1日午前0時過ぎ、ワタシは家を出ました。まず向かったのはもちろん地元の八王子駅。今年の初乗りとなる列車は、下りの急行「アルプス」南小谷行きです。
JR東日本では2000年問題への対策として、年変わりをまたぐ列車については零時直前に抑止をかけ、年が変わってから運転を再開する措置をとったため、この「アルプス」は途中の荻窪で運転停車、八王子発も、通常より5分遅い0時34分に変わっていました。
今回ワタシは、上記の二種類のきっぷのうち、「DX」のほうを選択したので、きっぷとグリーン車の指定券を持ち、列車の到着を待っていました。
0時35分、定刻より若干遅れて183系「アルプス」は八王子駅4番線にやってきました。なんでも、高尾付近の沿線で火事があって徐行がかかっているとかで、中央線の列車には遅れが出ていたようです。八王子発は、定刻2分延の0時36分。
ワタシは、グリーン車の6号車へ向かいます。この下り「アルプス」は、松本運転所の「あずさ」「かいじ」用のグレードアップ車両で運転されています。・・・ということで、グリーン車にはひときわ大柄な3列シートが並んでいるんです。
実をいうと、指定席を取った時点では、どうもマルスコンピューターに残っていた「最後の1席」だったようなんですが、実際に乗ってみると、けっこう空席がありますね・・・。
でもって、次の停車駅・高尾を出ると、グリーン車の車内は左写真のように減光されました。ワタシも、とりあえず荷物を片付け、シートを倒して眠る体制をとります。
実を言うと、ワタシは座席夜行の列車に乗るのは今回初めてで、慣れないためにあまり眠れないのではと心配していたんですけど、実際は思ったより深い睡眠がとれまして・・・(夢も見なかったくらい・・・^^;)。しかし、若干首が痛くなってしまったのが難でしたが・・・。

3時間ほど眠ったでしょうか、気が付いてみると、列車は岡谷を過ぎ、中央東線のいわゆる「旧線ルート」を通って辰野に向かっているところでした。中央東線の優等列車では、この夜行の「アルプス」だけが、旧線を通って辰野に停車することになっています。辰野から南アルプス・飯田線方面への乗り継ぎを考慮しているであろうことはいうまでもないでしょうが・・・。

辰野を過ぎ、トンネルをいくつか越えて塩尻へ。到着してみると、隣のホームには、大阪から走ってきた長野行きの383系(JR東海神領電車区所属)夜行急行「ちくま」が停車しています。「アルプス」は大糸線経由で南小谷へ、そして「ちくま」は篠ノ井線経由で長野へ・・・ここで相互に、乗り継ぎの便を確保しているんですね。ここでの発車は「アルプス」が先で、一路安曇野を松本へ向け快走します。
4時23分、「アルプス」は松本駅2番線に到着しました。
暖かい車内から降りてみると、やはり非常に寒いですね(^^;)。さすがに長野県、しかも、この松本は盆地状の地形のため、底冷えがするんでしょうね。ま、地元の人に言わせれば、この程度の寒さはたいしたことがないといわれるかもしれませんが・・・。
乗り継ぎ時間が若干あるので、ホームのベンチに腰掛け、持ってきたノートパソコンを開きました。ネットにつなぎ、とりあえず簡単な新年のあいさつを自分のHPの伝言板に書き込んでおきました。
「アルプス」が大糸線へ向けて発車してからしばらく、今度は、さきほど塩尻で接続をとった「ちくま」のほうが、同じ2番線に入ってきました。ここも、グリーン席を確保しているので、先頭1号車のグリーン車に乗り込みます。
この383系車両のグリーン席、非常に背もたれが高くつくられています。車内車端部にはLED式の電光表示器がついているんですが、この高い背もたれのために、見えないですね・・・。(^^;)

列車は9分停車ののち、4時50分に松本を発車。篠ノ井線を進んでいきます。
あたりは、まだ真っ暗。聖高原が近づくころ、地面にうっすらと雪がかかっているのが目に入ってきました。
姨捨が近づくころ、右手には善光寺平が見えるはずのところですが、まだ暗い闇の中で、少ない街灯りだけが浮かんでいました。

「ちくま」は5時45分、長野駅6番線に到着しました。まずは、腹が減ったので、ホームの立ち食いうどん屋(開いていた!)でかき揚げうどんを食べることにします。・・・う〜っ、体に染み入る温かさです。
その後、乗換え改札を通って新幹線ホームへ移動。13番線から6時10分発「あさま560号」東京行き(長野新幹線運転所のE2系8連で運転)に乗ることにします。本来なら、始発列車の6時発「あさま500号」に乗るところなんでしょうが、なぜかグリーン席は満席になっていたので、後続の列車にした、という次第です。

定刻に発車すると、まずは車掌の車内放送。「新年、あけましておめでとうございます。本年もJR東日本をよろしくお願いいたします」。車端部の電光表示器には、2000年問題でたいした影響が出ていないことを伝えるニュースが流れていました。ライフラインが停まるとか、パソコンが誤作動するとかいろいろ脅されてましたけど、ま、何事もなくてひとまず安心ですな。
続いて車内販売からおしぼりとお茶のサービス。そうだ、JR東日本の新幹線のグリーン車にはこれがあったなぁ・・・。ゆっくりとお茶を飲みながら、車窓を眺めています。
長野発車後しばらく、空が白み始めました。列車は、上田、佐久平、軽井沢、安中榛名と、各駅に停まります。軽井沢手前では、電源周波数切り替え(60Hz→50Hz)のため、しばらく惰力走行・・・。
軽井沢を出て碓氷峠を下り、安中榛名を発車した直後、右手車窓に初日の出が見えてきました(左写真)。なるほど、ここでご来光が拝めるわけか・・・妙に感心するワタシでした。
しかしまぁ、列車の中から初日の出か、今年はいったい、どんな一年になるんだろう・・・?

「あさま560号」は7時4分、高崎に到着しました。
さて、もちろんここからさらに乗り継ぐわけですが・・・。
高崎に着いたワタシは、とりあえず駅の外(東口)に出て、駅前にあるコンビニでガムと飲み物を買い込みます。実は、この時点で財布の中に細かいお金がなかったので、崩したかったというのが最大の要因なんですが・・・。(^^;)

再び新幹線ホームに上がったワタシ。12番線から7時27分発の「あさひ353号」新潟行きに乗ることにします。この列車は新潟新幹線第一運転所所属の200系F40編成12連で運転されていますが、この編成は両端が先頭部100系タイプの改造車200番台になっていました。

高崎を発車した列車はグイグイ加速し、長野新幹線との分岐も高速で通過。山へ向かって突っ走ります。
上毛高原を過ぎるころ、それまで非常に天気がよかったのが、前方に見える山の上のほうにかなり厚い雲がかかっているのが見えてきましたね。こりゃ、トンネルを越えたら・・。
7時53分、列車は越後湯沢に到着しました。やはりというか、トンネルを抜けると、そこは銀世界でした。(^^;)
発車すると、左手にガーラ湯沢スキー場が見えるんですが、かなりの積雪があると見え、多くのスキーヤーが新年初すべりを楽しんでいます。

再びトンネルをいくつか抜け、浦佐周辺にかかっても、まだ雪が積もっているようですね。
ここで、車内からこの日二度目のネットアクセスを敢行。順調に移動中である旨、再び伝言板に書き込みました。
長岡発車後、列車は平野部を高速で突っ切っていきますが、このあたりでも、雪が積もっているままになっていました。

8時36分、「あさひ353号」は終点・新潟に到着しました。
駅の外に出てみる。寒いかと思ったが、このあたりはそれほどでもないようですね。
なんか面白いオレンジカードはないかなぁ、とオレカ販売機を覗いてみましたが、すべて売り切れの表示に・・。あとから知ったんですが、この日、JR東日本のカード券売機の一部が作動しなくなっていたということで、あの「Y2K」問題と関係があったようだ、という報道もありましたが・・・。

再び改札を通り在来線ホームへ。次なる列車は、9時2分発、特急「いなほ1号」青森行き。車両は、上沼垂(かみぬったり)運転区の485系T13編成6連です。
同区の485系はリニューアルの3000番台車を除き、すべて左写真のような「上沼垂カラー」に塗り替えられています。しばらく前までは、ベージュに近いクリーム色に赤い帯を巻いた国鉄特急カラーの車両がかなりいたんですけどね・・・。

実は別のホームに、元日のみ運転の臨時「いなほ91号」酒田行きが待機していました。そちらの485系編成は「回送」表示で入線し、ホームに入ってからやおら愛称幕を回し始めました。
でもって、いろいろなヘッドマークが出てくる出てくる! 「白鳥」「雷鳥」「びわこライナー」「かもしか」「らくらくホームトレイン」「はつかり」「北越」「みのり」「はくたか(新マーク)」・・・さながらヘッドマークの展覧会のような状況が展開されたあと、やっと所定の「いなほ」が出てきました。
この臨時列車も、「元日のみ」ということは、おそらく「お年玉フリーきっぷ」対策なんだろうな、きっと・・。

2両しかない自由席に超満員の乗客を詰め込み、「いなほ1号」は新潟を後にしました。
自由席のみならず、指定席車のデッキにも、人が鈴なりになっています・・・そういえば新潟駅のホームでは「酒田までのお客様は『いなほ91号』をご利用ください」というアナウンスが流れていましたけど、果たしてどれだけの人が聞く耳を持っていたんでしょうかね?
ワタシも、本来ならグリーン席を確保するつもりが、同じ目的の人たちに先を越されて入手できず、普通車の座席指定に切り替えざるをえませんでした。しかも、割り当てられたのは、本来は自由席として使用している4号車の席。この車両(モハ484-1034)は、パケットタイプに換装されてはいるものの、いわゆる簡易リクライニングシートの車。フリーストップリクライニングが主流となっている現在では、見劣りがするのもやむをえないところですね。
新潟を出てすぐ、左手に見える新幹線高架下の上沼垂信号場付近には、まだ新潟カラーのキハ28・58が大量に留置されていました。10月に来たとき(「99秋ひとり旅・飯山、只見、磐西」参照)にもここにたくさんいたのを見ましたが、まだ処分保留状態なんでしょうか・・。

右手に上沼垂運転区の留置線を見ながら左に大きくカーブを切り、白新線へ。阿賀野川を渡って東へ進み、新発田で新津からの羽越本線と合流します。
このあたり、かなり雪が残っている様子。ちょっと見ただけでも、写真のような感じで雪景色が見られました。
村上を発車するとすぐ、左写真のように室内灯が落ちました。直流1500Vから交流20000V(50Hz)への電源切り替えのデッドセクション(無電区間)通過ですね。

さらに進むと、列車は日本海の荒波を左手に見ながら走ることになります。
新潟県と山形県の県境付近には、有名な景勝地である「笹川流れ」と呼ばれる美しい海岸線があります。もちろん車窓からも、その「笹川流れ」を含む海岸線を眺められます。遠くには、ぼんやりとではありますが佐渡の島影も見えてきました。
それにしても、このあたりにきて空模様が怪しくなってきたようで・・・。

府屋を発車すると、まもなく山形県入りです。
しばらくすると海岸線を離れ、山の間に入っていきます。さらに進むと、やがて視界が開けてきました。庄内平野ですね・・・。
庄内平野に下りてきた「いなほ1号」は、鶴岡、余目、酒田の順に、主要駅に停車していきます。
余目では、新庄へ向かう陸羽西線の快速「最上川4号」への乗り換え客が大挙して降りていきました。「お年玉フリーきっぷ」組のなかには、新庄から山形新幹線「つばさ」に乗り継ぐ客も多くいるはずですね。

最上川を渡ってたどりつく次の酒田では、2分間の停車の間にホームへ下り、立ち売りの駅弁屋から「鳥海釜めし」(820円)を買い込みました。もちろん、昼食用です。
写真がないのが残念なんですが、とにかく、この釜めし、具沢山です。なかなか下のご飯が見えてこないですね〜。具のほうも、よく味がついていますよ。

酒田を出て市街地を抜けます。再び見えてきたのは田園地帯。右手車窓にはそろそろ鳥海山が見えてくるころなんですが、さすがに厚い雲に覆われていて、山頂を拝むことは今回もできませんでした。
遊佐を発車し、トンネルを抜けていくと、再び左手には日本海が見えてきます。次の停車駅は象潟。「奥の細道最北の地」の横断幕が迎えてくれます。このあたりは、かつて鳥海山から流れ出た溶岩流が日本海に流れ込んだところとしても知られています。
そもそも、この「象潟」(きさかた)という地名なんですが、このあたりがその昔、88潟99島が存在し、「日本三景」の一つ・松島と並び称されたこともあるくらいの風光明媚なところだったことからきているそうなんです。それが、1804年の「象潟地震」であたりの土地が隆起を起こし、潟がことごとく消えてしまったとか・・・。

ここからしばらく、ワタシの記憶は途切れています。ま、3時間くらいしか眠ってないんだから、無理もないことなんですけど・・。
由利高原鉄道が接続する羽後本荘を過ぎ、気が付くと雄物川にさしかかろうとしていました。
ここで車掌から突然、「途中、工事徐行がありましたため、この列車ただいま3分ほど遅れております」とのアナウンスが・・・。どうしてそういうことを到着直前まで案内しないんでしょうかね? 乗客が慌てる原因になるだろうに・・・。
かく言うワタシも、次の秋田での乗り継ぎ時間は、所定でも5分しかないんです・・・こりゃあ大変だ・・・。(^^;)
秋田で「いなほ1号」を駆け降りたワタシが次に乗る列車、12時46分発、「こまち16号」東京行きです。考えてみれば、「こまち」に乗るのは、1997年秋以来。2年以上乗っていない計算になるんですよね。
結局、乗り継ぎ客の移動を待ったため、「こまち16号」は秋田を2分遅れで発車。またしても、デッキには立客の姿が見えますね。この列車でもワタシはグリーンの指定をとり損ねたんで、普通車指定席となってしまいました。
例によって、「こまち」は大曲から進行方向が変わるので、シートはすべて秋田発時点では進行方向逆向きにセットされています。ま、大曲まではすぐだし、そのままにしておきましょう。
秋田を発車した時点では、周囲に雪の姿は見えなかったんですが、大曲が近づくにつれ、雪の積もっている光景が目立つようになってきました。
そしてその状況は、田沢湖線内に入ってからさらに顕著になってきたようです。途中停車する角館、そして田沢湖の周辺では、さすがに吹雪いてきていますね。左写真は、田沢湖を出て赤渕に向かう山越えの車中からの撮影。実は、吹雪いています・・・。

ここで、再びパソコンを取り出し、3度目のアクセスを開始。山越えが終わってから回線をつなぎ、伝言板への書き込みを済ませました。

「こまち16号」は、3分遅れのまま到着した盛岡でE2'系「やまびこ16号」との併結を完了。次の停車駅・仙台に向けて、東北新幹線を最高275km/hでひた走ります。車内放送をおこなった「やまびこ」の車掌は、これから回復運転に入ることを告げていました。
結局、遅れが1分しか縮まらないまま、「やまびこ・こまち16号」は仙台に到着しました。
ここからは、この旅のラストランナーとなる15時22分発、特急「スーパーひたち50号」上野行きに乗り込みます。車両は、常磐線の顔としてすっかりおなじみの勝田電車区651系。通常はいわきまで基本編成7連での運転なんですが、この日は多客期とあって、始発からフル編成の11連での運転でした。
列車はここから上野まで、常磐線を4時間と少しかけて走破します。
「やまびこ」「とき」「ひばり」「つばさ」、そして「あさま」などなど・・・上野からの在来線昼行長距離特急がことごとく新幹線に格上げされて消えていった中で、この「スーパーひたち」は、今でも在来線経由で仙台まで足を伸ばしています。むろん車両こそ、JR時代の車両ですが、「上野特急エイジ」の残り香、といっても差し支えないのではないでしょうか。
列車は定刻どおり、仙台駅5番線を発車。岩沼で東北本線と分かれ、常磐線へ入っていきます。
ワタシの席は、グリーン車の1番C席。3列シートなので、一人がけの席ですね。・・・と、横のほうから「いいなぁ〜、一人がけ。俺もそっちのほうがいいなぁ〜」という少年の声が・・・。
親か誰か保護者がいるもんだと思ったんですが、なんと1番A席にいたその小学生は一人で旅していました。しかも、持っていたきっぷはワタシと同じ「お年玉フリーきっぷDX」ですねぇ(もちろん「こども用」ですが)。聞けば、大曲からワタシと同じ「こまち16号」に乗っていたようです。あいだの1番B席に誰もいなかったので、その少年と話し始めました。

ワタシ 「どこから来たんだい?」
少年 「久里浜。横須賀線の」
ワタシ 「一人でどこいったんだい?」
少年 「横須賀線のグリーン車で東京まできて、東京から『つばさ』に乗ったんだ。で、新庄から大曲まで快速で、で『こまち16号』。上野着いたら、東京から東海道線のグリーン車で戸塚まで行って、そこからまた横須賀線に乗るんだ」

すでに、一人旅の「実績」もあるようで、今回も保護者公認だという話。ワタシなんて、彼くらいのときはまだ親に連れられて旅してたもんなぁ・・。
でもって、大曲で保護者へのみやげの「きりたんぽ」も買い込んであるというではありませんか。まったく、たいしたもんだよ・・・。

ワタシにとって、常磐線の初めての全線走破が目的だったとはいえ、正直言って、上野までの4時間あまり、何をしていようか、まったく考えがなかったんですけど、少年との出会いで、気がまぎれ、しばらくいろいろ話していました。
気が付くと、原ノ町のあたりでは、すでに太陽が山の向こうに消えようとしていました。

17時18分、行程もようやく半分となるいわきに到着。その前から窓の外を見ていると、草野駅構内に、E653系「フレッシュひたち」に置き換えられて用途廃止となった、485系「ひたち」色の6連が1本、そしてこのいわき駅構内にも、485系「ひたち」色編成が1本、置いてありますね。廃車前提の疎開留置だとは思うんですけど・・・。
草野駅といえば、以前、当初は保存前提の疎開といわれていた、485系トップナンバー編成4連(もちろん両端はボンネット車)が留置されていたことが、鉄道ファンの間では知られていますね。もちろん、野ざらしで非常に厳しい状態になってしまい、最後は郡山工場に回送されてあっさりと解体されてしまったんですけどね。
次の停車駅、湯本で、とりあえず、私の常磐線完乗は完成です。ここは、いわき湯本温泉郷の入り口駅で、近隣には温泉旅館が多いところです。ワタシも一度訪ねたことがありました。

このあと、ワタシも少年も、眠気に誘われました。水戸をはさんで、私は土浦のあたりで目を覚ましました。E501系の長い15連の車体が、右手の留置線に見えています。
藤代を過ぎて、電源切り替え(交流20000V50Hz→直流1500V)のためのデッドセクション通過。この651系は、485系に同じく車内灯が落ちるようになっていますが、少年はその変化に気づくこともなく、すやすやと眠っています。
取手を過ぎて利根川を渡り、いつのまにか我孫子通過。すでに横には営団千代田線乗り入れの常磐緩行線の電車が走っています。
松戸を過ぎると江戸川を渡り、いよいよ都内です。三河島を過ぎるころに上野到着の放送が始まりました。ワタシはまだ起きる気配のない少年の肩をたたき、起こしてやりました。「よく寝てたなぁ、君は・・・」

19時33分、「スーパーひたち50号」は長駆4時間余の旅を終え、上野駅地平17番線に到着しました。
そのまままっすぐ東京駅に向かう久里浜の少年と別れ、ワタシはしばらくホームにとどまっていました。
本当に我ながら、元日からこんな乗り回しをやることになろうとは、しばらく前まで考えの及ばなかったことでした。
体にもなかなかつらいことがよくわかったし、おそらく二度と、もう同じことはやらないだろうと思います。しかしまぁ、「絶対」ということもまた、ありえない話ですね。(笑)
とにかく、当初の目的を達したワタシは、いつもと違って空いている通勤電車に悠然と乗り込み、帰宅したのでした。
<おわり>