Part1(2004・6)
今回の旅は、これまで私がほとんど手をつけてこなかった、中国山地を通るローカル線の旅です。

これまで、美祢線、山口線、伯備線といった路線には乗車してきましたが、それらの線区は、どちらかというと私にとっては攻略しやすいというか、私のいる九州から近かったり、あるいは伯備線のように文字通り幹線化している路線であったり・・・。

さらに、木次線に「奥出雲おろち号」というトロッコ列車が走っていることも、前から気にかかっていました。
夏場の本格的な観光シーズン到来を前に、思い立って出かけてみることにしました。
6月12日朝。
黒崎から124M列車門司港行きに乗って小倉へ出てきました。

前日まではひょっとしたら台風4号の影響を受けるかも、という心配もあったんですが、幸いなことにいい天気でした。

休日ダイヤの124Mは、813系9両編成のうちの前3両のみがそのまま門司港へ行き、後6両はこの小倉で切り離され、折り返し2335Mとして荒尾へ向かいます。

7番ホームでは、ちょうどその124Mの切り離し作業中・・・。
新幹線ホームへ上がってきました。

下りの11・12番ホームには、100N系6連のK編成が2本、停まっていました。
左の11番ホームには、新山口始発で博多へ向かう「こだま571号」。こちらは、原色(従来の白地に青帯の塗色)の編成でした。
右の12番ホームには、小倉始発博多行きの「こだま575号」。こちらは、前夜小倉で滞泊となったリニューアル塗色編成が使用されるようです。

100系の原色編成も、いよいよ残りわずかになってきましたねぇ・・・。
ここから私が乗車するのは、「ひかり346号」新大阪行き。
700系「Rail Star」編成で運転される列車です。
しばらくすると博多方面から、700系E8編成8連が入線してきました。
そそくさとこの列車に乗り込みます。

土曜日、ということもあってか、指定席はけっこう空いていました。
列車は新関門トンネルを抜け、山口県内を走行中。
このあたりはまさに田植えのシーズンのようで、水田に張られた水に空の色が映っていました。
この「ひかり346号」は新山口には停まらず、次の徳山に停車します。
右手には、海沿いに広がる石油化学コンビナート群が見えています。

それにしても、天気がいいですねぇ。
幅広のサルーンシートでのんびりしているうちに、「次は 広島」の案内表示が出てきました。

小倉から52分、「ひかり346号」は8時10分に広島駅13番ホームに到着しました。
在来線ホームに下りてきました。

ちょうど、広島近郊で運用されている瀬戸内カラーの103系電車が、構内で2本並んでいました。
こういう初期型低運転台の103系も、いつまでも見られるわけではないと思いますが・・・。
ここから乗車するのは、芸備線の急行「みよし2号」三次行き。
芸備線は初乗車になりますが・・・この急行「みよし」は、今年の3月13日ダイヤ改正で、それまで日本最南の急行列車だった熊本〜人吉間の「くまがわ」が特急格上げされたことで、いま日本のJR線でもっとも南を走る急行列車、ということになっています。(もちろん、「最も西」でもあるわけですが)
考えてみると、JR四国、JR九州には「急行列車」自体がもはや存在しなくなってしまいましたからねぇ・・・。

「みよし」は現在、広島〜三次間に1日3往復、広島〜備後落合間に1日1往復の計1日4往復が運転されており、後者は三次〜備後落合間を普通列車として運転されています。
発車7分前に9番ホームに入線してきた「みよし2号」の車両は、キハ58系気動車の2両編成。もともと国鉄時代に「急行形」として製造された車両が、(いろいろな改造は受けていますが)こうして「急行」として走り続けているというのは、鉄道好きにはたまらないことなんですよね。
左上写真で、誇らしげに「急行」の種別幕を出していますが、乗降ドア横にもこうして「急行」の種別表示板(サボ)が入っていました。
車内はと言えば・・・こちらもシートモケットその他変更点はありますが、急行形デフォルトのボックスシートが並んでいます。

雰囲気としては申し分ありませんね。
朝が早かったということでお腹が空いてきてしまったので、広島駅構内でこちらの駅弁を買い込んできました。

こちらなんですが・・・。
掛け紙に「明治三十年代復刻版」なる文字も印刷されていましたが、こちらはなんと、山陽本線糸崎〜広島間開業110周年を記念して、限定復刻発売された「廣島上等弁当」(945円)なんですね。
掛け紙裏面に書かれていた説明書きによれば、明治時代に実際に販売されていた「上等弁当」の記録を丹念にたどり、試行錯誤を重ねて復刻にこぎつけたのだとか。
ちなみに、明治時代には「上等弁当」は1個25銭だったそうですが、カレーライスが1杯10銭だった時代といいますから、やはり当時の人には高価だったんでしょうねぇ。
さて、「みよし2号」は定刻に広島を発車。やがて山陽本線と別れ、中国山地へ向かって走っていきます。

矢賀を過ぎてしばらく、右手には、広島新幹線運転所があります。
矢賀で広島行きの普通列車3831Dと離合した後、さらに安芸矢口でも広島行きの1857D列車と離合です。
この時間の芸備線広島口では、20分に1本のペースで広島行きの列車が走っています。
こちらが、今回の「みよし2号」乗車にあたって購入した急行券。
急行「みよし」には指定席はありませんので、自由席急行券、ということになりますが・・・。

この「急行券」を目にすること自体、いまや珍しいことになってしまいました・・・。
列車は、矢口川に沿って、その上流に向かって歩みを進めていきます。

広島を出てまだ20分前後で、もうこんなに緑の多いところにやってきました。
途中の狩留家駅で、運転停車。
ここで、広島行きの急行「みよし1号」と離合です。

ふと、窓の外に目をやると、駅のすぐそばにユリの花が咲いていました。

この日の沿線には、時期的なこともあってアジサイやハナショウブなどの花があちこちで見られました。
駅ホームの列車接近表示、芸備線の駅ではけっこうこの型のものが多いようでした。
ほどなく、広島方面行きの列車が来る表示が灯りました。
やってきた「みよし1号」、こちらと同じくキハ58系の2両編成です。
こちらの列車は、1ボックスに1人から2人くらいの乗車でしたが、向こうは朝の広島行きということで、けっこうお客さんの姿がありました。

以後、続きは次ページで。
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