Part1(2001・8)
21世紀最初の夏も、いよいよ終わりに近づきました。
今年は、とにかく転職・引っ越しとワタシの周辺の環境が激変したあおりで、毎年恒例になっていた大掛かりな夏の旅行ができませんでした。でも、往く夏を指をくわえて見送るだけじゃ、やっぱりつまらない。何か面白いことはないかいな・・・と考えた末、ネット仲間某氏から、2回分の未使用残がある「青春18きっぷ」を譲り受け、それを使って近場で動くことにしました。
大型時刻表を使ってある程度の旅程を組み立てました。では、過ぎ去る夏を少しでも取り返す旅へ・・・。
8月28日早朝、まずは自宅を出ます。
筑豊電鉄の永犬丸電停から、黒崎駅前行きの初電に乗ります。時刻は5時13分、早いんですが、電車には思ったよりも人が乗っていました。
黒崎に着いてJRのホームへ。ここから博多まで、特急を使うことにしました。列車は「ドリームにちりん」。そう、南宮崎から夜行でやってくる列車です。
この夜行の「ドリーム〜」に乗るのは、「つばめ」のほうも含めて初めてなんですがね。
この「ドリームにちりん」、かつては「つばめ」形の787系電車で運転されていましたが、昨年3月から783系「ハイパーサルーン」での運転になっています。
自由席の車内へ入ってみると、だいたいのお客さんがシートを回してボックス状態にしてくつろいでいました。お客さんがそれほど多くなければ、こういうことも可能なわけなんですが・・・。
夜行ですが、意外に親子連れの姿も多かったですね。夏休み最後の旅行を楽しんでいるのかな?

このあと、折尾や赤間停車時に通勤とみられるスーツ姿のお客さんが列を作って待っていまして、席のほうは徐々に埋まってきました。
それにしても、こんな時間から出勤とは大変ですよねぇ・・・。
福岡市内へ入り、多々良川を渡ります。
日が昇ってきて、明るくなってきました。
6時29分、列車は博多に着きました。
ワタシはここでいったん改札を出て、駅の地下へ・・・。
そこにあるのは、福岡市営地下鉄のホーム。西へ向かうために、この地下鉄に乗り継ぐことにしました。
この市営地下鉄空港線は、姪浜から先のJR筑肥線と相互乗り入れをしています。この地下鉄電車も、行先は筑肥線の筑前前原です。
この時間、天神を過ぎるとお客さんはがたっと減りました。
姪浜手前で地上へ。姪浜駅は地下鉄の延伸開業とともに高架駅になっています。地下鉄ができる前は、この姪浜から博多まで筑肥線の線路がつながっていました。地下鉄がつながったことで博多〜姪浜間の筑肥線は廃線となりまして、いまその痕跡はかなりのところで失われていると聞きます。

ちなみに、ですが、地下鉄とつながったことで、筑肥線は相互乗り入れのために、この姪浜から先が電化されています(当初は姪浜〜東唐津間、現在は唐津線西唐津まで)。が、九州内の他の電化線区が交流電化(20000V・60Hz)であるのにたいして、この筑肥線だけは地下鉄にあわせて直流1500Vでの電化になっています。
ここからは、いよいよ「18きっぷ」の出番です。期間限定であるとはいえ、JR全線の普通列車が乗り放題となるこのきっぷは、「旅鉄派」の強い味方です。
筑肥線に入ってきた地下鉄電車は、筑前前原までの複線区間をぐいぐいと走っていきます。上り線側はさすがに通勤時間帯にかかってきて、けっこうお客さんが乗っています。こちらは逆方向なので余裕です。・・・この落差、東京でも経験済みですが、どこに行っても同じですね。(^^;)
7時14分に、電車は筑前前原に着きました。
ワタシが数年前にここまで来たときには、まだ国鉄時代からの小さい駅舎だったんですが、いつの間にやら、こんな大きな橋上駅になっていました。
早くも腹が減ってしまい、駅前のコンビニでおにぎりを調達します。
再びホームに降り、さらに西へ向かいます。
7時42分発の西唐津行きに乗ります。この電車、この筑前前原までは6両編成ですが、ここで後ろ3両を切り離し、前3両だけのワンマン運転で西唐津へ向かいます。

写真の電車がそうなんですが、この電車が、地下鉄との乗り入れ用に、当時の国鉄が投入した103系1500番台車です。首都圏や関西方面で走っている103系電車と動力系はほぼ同じですが、103系のなかでもかなり後期に製造されたため、車体などは後輩である105系や201系などの設計を取り入れています。正面顔は、105系や119系などにかなり似ていますし、側面の窓配置などは201系や203系、という感じのスタイルです。

ちなみにこの電車、現在のカラーリングは2代目です。国鉄が投入した際には、水色の車体に、正面窓周りが白、という塗色だったんですが、現在はすべてこの色です。それにしても、赤い顔、乗務員室ドアは黄色、前にも、側面にもロゴ・・・派手目であることは間違いないですね。
ここは車内ドア部付近の天井。201系あたりだとここに送風用のファンがついていますが、この電車にはないです。ただ、蛍光灯に沿っている冷房の吹き出し口のつくりは201系そっくりで、数年前に初めてこの電車に乗ったときは、なんて似てるんだろう!と驚いたもんです。
筑前前原から先は単線区間。電車は時折海沿いの眺めを見ながら、西へ向かいます。
玄海灘から波が打ち寄せています・・・といっても、冬場のような荒波ではありません。このあたり、車では何度か来たことがありますが、電車で来るのは初めてなので、時折デジカメを構えながら、窓越しの景色を十分楽しみました。
唐津が近づくと、車窓は松の並木にしばらく「占拠」されます。・・・というのもこのあたり、「虹ノ松原」というところで、弓の弧のような海岸線にそって、約100万本ともいわれる黒松の木が植わっています。これは、江戸時代初めに当時の唐津藩主・寺沢広高が防風・防潮のために植えたといわれるもので、静岡の「美保ノ松原」、福井の「気比ノ松原」とともに「三大松原」ともいわれているところです。
近くにある鏡山から見下ろすと、その全体像がよく見えるそうなんですが、私はまだ行ったことがないです・・・。
8時24分、唐津に到着しました。ここで、この行程上一番タイトな乗り換えがあります。1分後の8時25分発の伊万里行きに乗らないといけないんですが・・・ただ、幸いなことに同一ホーム上での乗り換えだったため、このように写真を撮る余裕もありました。車両は、この写真のキハ125形、黄色一色の車体に「YELLOW DC」など黒文字のロゴが散りばめられています。屋根上の無線アンテナも、黄色く塗られてたり・・・。
しかも、この日充当されたのはトップナンバー車でした。

乗り込んでしばらく、ドアが閉まり、気動車は走り始めました。
地元の高校生などが乗っていますが、楽に座ることができました。
キハ125形はしばらく筑肥線の電化区間と高架で並走した(この部分では、さきほど電車で乗ってきた線路を戻る方向に走ります)あと、筑肥線の和多田駅手前で右手に分かれていく唐津線の線路を走っていきます。
写真の駅は、唐津から2駅目の山本駅の駅舎。木造の、典型的な地方ローカル線の駅、という感じのたたずまいです。
ここでワタシの乗ったキハ125形は唐津線と別れ、筑肥線へ・・・。地図と時刻表をよく見てもらえれば分かりますが、「筑肥線」という路線は、電化されている姪浜〜唐津間と、非電化の山本〜伊万里間の二つの区間から成り立っています。唐津〜山本間は唐津線のほうに含まれますので、完全に「飛び地」の状態になっているわけですね。
山本を出てからもしばらく、筑肥線の線路は唐津線と並走します(いわゆる「単線並列」というスタイルですね)。途中、唐津線側には本牟田部という駅があるんですが、筑肥線側にはホームはなく、スピードそのままで走り抜けてしまいます。
写真は、本牟田部を発車したばかりの唐津線のキハとのすれ違いです。

本牟田部を過ぎてしばらくいくと、筑肥線の線路が唐津線をオーバークロスする形で右側へ分かれていきます。
次第に山の中へ入ってきました。駅のほうも、かなり古い木造の駅舎が多いですねぇ。
車内は、伊万里方面へ向かうお年寄りで次第に混雑してきました。気がついたら席は埋まってました・・・。
山の間を走り抜けることしばし、終点の伊万里駅が見えてきました。
ここは、第三セクターの松浦鉄道との接続駅ですが、見たところ、レールはつながっていないようです。

9時10分、伊万里到着です。いったん駅舎を出て、松浦鉄道に乗り継ぎます。
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