Part1(2004・7)
2004年7月11日。ワタシは仕事の関係で前日から東京に来ていました。
せっかくこちらまで出てくるのだからと、日曜日と翌日の代休を使って、東北方面へ向かうことにしました。
このところ、ワタシ自身非常に多忙だったこともあり、旅のスケジュールは直前まで決まりませんでした。文字通りどたばたになりましたが、果たして結果はどう出たのか・・・。
朝、東京駅にやってきました。

こちらは、地下コンコース。
通路の壁には、「青森ねぶた祭」や五所川原の「立佞武多」など、東北方面の夏祭りのポスターがずらり。
そろそろそういう時期ですわねぇ・・・。
朝飯がまだでしたので、駅構内でこちらの駅弁を買ってきました。

これから東北へ向かうということで(笑)、「東北味まつり」(1300円)。6月に行われた「東北旅メッセ2004」にあわせて発売されたもので、期間限定商品、とのこと。
中身は見ての通りで、東北の海の幸、山の幸がふんだんに盛り込まれています。ご飯に載っているイクラは三陸産、旨煮になっているホタテは陸奥湾産、豚肉は仙台味噌で漬けて焼いているなどなど・・・。いやぁ、朝からこんなに食べていいんかいなと。(笑)

この「東北味まつり」を手がけたのは、「東京弁当」や、「大人の休日」シリーズ、定価3800円の「極附弁当」など、食材にこだわった高級志向の駅弁を次々に送り出している「NRE大増」という会社。そのこだわりは、「駅弁復権」を目指す新しい方向性の一つとして、マスコミでもとりあげられるなど注目を集めています。
さて、ホームに上がりましょう。

一番手の列車は、6時56分発、「はやて1号」八戸行き。
盛岡まで秋田行きの「こまち1号」と併結されて走ります。
車両は、E2'系J9編成10連です。

やがて上野方から、列車が回送で到着しました。
今回の「はやて1号」では、グリーン車に乗ることにしました。
前回、東北新幹線八戸開業直後に「はやて」初乗りをした際にも乗ろうかとしたんですが、満席だったのであきらめた経過があり、今回は最初から狙っていました。
東北新幹線八戸延伸を機に登場したグリーンアテンダント(サービス専任乗務員)さんが、乗車口でお出迎えをしてくれます。

シートは上下に動かせる枕つき。このタイプのほうが、首が疲れませんね。
「はやて1号」は定刻どおり、東京駅23番ホームを発車しました。

地下駅の上野に停車し、再び地上へ。
まずは、さきほどのグリーンアテンダントさんがおしぼりを持ってきてくれました。
続いては、ドリンクサービス。
アイスコーヒーを頼みました。

コーヒーを飲んだにもかかわらず、大宮を出た頃からワタシの記憶は途切れがち・・・。
前夜も遅かったんでですねぇ・・・。
気がついたら、もうまもなく仙台に着こうかというところ。
水田の向こうに、街並みが見えてきました。

東京を出る頃は日も差していましたが、北上するにつれて天気は悪くなってきました。
仙台を出てしばらく。
右手に、JR東日本の新幹線の中心基地である仙台総合車両所、改め新幹線総合車両センターが見えてきました。
以前は、国鉄時代からの200系新幹線がたくさん停まっていたもんですけど、いまやE2'系やダブルデッカーのE4系が中心勢力に。すっかり顔ぶれが変わってしまったなぁと・・・。
その後も「はやて1号」は順調に走行している・・・はずだったんですが・・・。

水沢江刺に差し掛かろうかという頃、突如として空調が止まり、車内の照明が非常灯に切り替わりました。列車はみるみる減速していきます。
「何かあったな」と思っていると、水沢江刺駅を少し過ぎたところで列車は完全に停まりました。
車掌さんのアナウンスによれば、一ノ関〜新花巻間で停電になったということでした・・・。

幸いにしてまもなく復旧しましたけどねぇ・・・。
停電の遅れをひきずって、列車は盛岡を目指します。
新花巻を過ぎて、家並みが見えてきました。もうすぐですね。
「はやて・こまち1号」は9時30分、盛岡に到着しました。
ここから、「こまち」は田沢湖線へ入り秋田へ。「はやて」は八戸をめざします。

ワタシは、ここで下車して、在来線ホームへ・・・。
在来線の7番ホームに、こちらの車両がいるのが見えました。
団体臨時列車で品川からやってきた24系寝台客車。
牽引してきたと思われるEF81-82も、ヘッドマークをつけた状態で駅構内の別の場所に留置されていました。
戻りは回送になるようですが・・・。
ここからは、花輪線へと乗り換えますので、ワタシはIGRいわて銀河鉄道の改札へ向かいました。

盛岡〜八戸間の新幹線開業の際、並行する区間の東北本線は第三セクター経営に移管されました。その岩手県側の区間、盛岡〜目時間を受け持つのが、岩手県などが出資するIGRいわて銀河鉄道、ということになっています。
ワタシが今から乗る花輪線は、その並行在来線区間にある好摩から分岐して、秋田県の大館に至る路線。花輪線の列車はこの盛岡を始終着にしつつ、盛岡〜好摩間は第三セクター線を走る格好になります。
ここから乗車するのは、0番ホームから9時48分発、大館行きの1929D列車。
車両は、キハ58系2両プラス、キハ52形1両の気動車3両編成です。

最後尾となる、写真手前のキハ52-110。このカラーリングは、JR東日本盛岡支社管内を走る気動車に見られるもので、通称「赤鬼色」といわれています。
ワタシは、この最後尾のキハ52形に乗ることにしました。

このキハ52形という車両は、かつての国鉄が製造した両運転台の一般形気動車キハ20形の出力強化バージョンとして、1958年〜1966年にかけて0番台・100番台の合計で112両が製造されました。
老朽化が進んでいることもあり、今年4月1日現在では、JR東日本に24両、JR西日本に3両の計27両が残るのみとなっています。
キハ58系が国鉄急行形気動車の代表格なら、このキハ52形は、国鉄一般形気動車の雰囲気をいまに伝える車両、というところでしょうか。

このキハ52-110は、二段窓の一段サッシ窓化など、さまざま改造はされていますが、冷房化改造はされていませんで、扇風機のみです。
車内は写真のようなボックスシートが・・・。
1929Dは盛岡駅を発車し、まずは北へ向かいます。

左手、田沢湖線へ入っていく標準軌の線路が分かれていきます。
田沢湖線は、秋田新幹線の列車を走らせる関係から、新幹線と同じ軌間1435mmの標準軌となっています。もちろん在来線の普通列車も、その軌間にあわせた車両が走っているわけですが・・・。
列車はしばらく、八戸へ向かう東北新幹線の線路と並行して走っていきます。

新幹線八戸開業直後に「はやて」初乗りをした際は、新幹線のほうから並行する在来線を見ながら北上していったわけですが、逆の立場に身を置いてみて、また一段と複雑な心境になりましたねぇ・・・。
厨川、滝沢、渋民と停車し、列車は好摩に到着しました。
このあたりは、石川啄木の出身地で、文学で身を立てることを志した啄木が、この好摩から列車に乗り上京したといわれています。
駅構内には、この好摩駅の情景を詠んだ啄木の歌「霧ふかき/好摩の原の/停車場の/朝の蟲こそ/すゞろなりけれ」の木碑が建っています。
好摩を出た列車は、IGRいわて銀河鉄道の路線と分かれて、山のほうへ向かって走り始めました。

しばらくは左側の車窓から岩手山を眺められる・・・はずなんですが、やはり天気が悪いせいでしょうか、見えませんでした。
列車は田園地帯の線形のいい区間を走っていきます。
このキハ52形も含め、エンジンは高出力のものに換装されていて、エンジンのうなりも非常に軽い感じの音でした。

列車は平館に到着しました。
駅員がいないため、列車の車掌さんが降りてきっぷの回収をしています。
さらに走ると、列車は松尾八幡平へ。
ここの駅舎も、非常に小ぢんまりとした感じですね。

この駅は、かつて「岩手松尾」という駅名だったんですが、1988年3月に現在の駅名になっています。八幡平から近いということもあって、そのことを意識しているんでしょうが。

ホームを見やると、アカツメクサが花をつけていました。

ここで盛岡行きの1928D列車と行き違い、こちら1929Dも再び走り始めました。
松尾八幡平を出ると、そこから先は最大33.3‰(パーミル)の急勾配。
さすがにここではエンジンの回転も鈍ります。

そそり立つ木々の隙間を走ることしばし・・・。
列車は、安比高原に到着しました。

この駅も、かつては「龍ヶ森」という駅名でしたが(近隣には龍ヶ森スキー場もありますしね)、さきほどの松尾八幡平と同じ時期に駅名変更されています。まぁ、安比高原といえばこのあたりでも有数のリゾート地ですからね、このほうが名前の通りがいいんでしょう。

さすがに高いところに上がってきたということで、駅の近隣にも白樺の白い幹が見えていました。
安比高原を出ると今度は下り勾配に転じます。
惰行を繰り返しながら、列車は荒屋新町へ。

この駅の構内には、かつてSLが使っていた扇形機関庫とターンテーブルが残っていました。
ここには8620形SLが配置されていて、さきほど通ってきた急勾配区間では三重連での山登りもしていたそうです。
兄畑を過ぎて、列車は秋田県に入ってきました。
このあたりでは、米代川の渓谷に沿って走っていきます。

湯瀬温泉を過ぎると、左側が次第に開けてきます。
1929Dは、八幡平に到着しました。
ここから八幡平の頂上まではバスが出ていて、およそ1時間10分ほどの所要時間のようです。
さらに先へ向かい、列車は鹿角花輪へ。
ここは「陸中花輪」という駅名のほうがなじみの方が多いと思いますが、1995年12月に現在の駅名になっています。

上りホームには、盛岡行きの快速「八幡平」がやってきました。向こうはキハ58系4両編成ですが、後ろの2両がリバイバル国鉄色の車両でした。
鹿角花輪から2駅で、列車は十和田南に到着。
名前の通りで、ここからは十和田湖方面へのバスも出ています。(冬季運休)

配線の関係から、列車はすべてここでスイッチバックすることになります。

それにしても、雨脚が強くなってきましたねぇ。
ホームにもずいぶん降り込んできていました。
スイッチバックを済ませた列車は、先ほど走ってきた線路を左に見ながらスピードを上げていきます。

この先も列車は米代川に沿って走り続け・・・。
・・・気がつけば奥羽本線をオーバークロスするところまでやってきていました。
列車はこのあと大きく右カーブして、奥羽本線に寄り添っていきます。
12時44分、1929D列車は終点・大館に到着しました。

盛岡を出てからおよそ3時間の気動車の旅でしたが、それほど退屈もせず、川あり、高原ありの景色を楽しませてもらいました。沿線にはアジサイやハナショウブなどもまだ咲いていましたし・・・。
ただまぁ、並行して走っている高速道路の存在はやはり気になりましたねぇ。

お腹も空いてきましたので、いったん途中下車して昼食をとることにしました。
大館駅の前に出てきました。

駅前に、こんな銅像を発見。
こちら、何を隠そう、「忠犬ハチ公」なんですよね。

東京・渋谷駅前にハチ公の像があることはあまりにも有名ですが、実はハチ公の出生地は、この大館です。
ハチ公が死亡した1935年に、この大館駅前にも渋谷のハチ公像と同じ型の像が建てられました(渋谷のハチ公像は、ハチ公の存命中に建てられたものだということだそうで・・・)。第二次世界大戦中に政府の金属回収令により、渋谷のハチ公像と同じくこの大館の銅像も撤去されてしまい、戦後も長らく再建されないままでしたが、1987年になって、地元での募金活動が実り再建となったわけで・・・。
そろそろ昼食を、ということで、こちらを買い込んできました。
大館といえば、ということで、こちらの大館駅弁「鶏めし」(850円)です。
駅構内でも売っていますが、温かいつくりたてをいただこうと、駅前にある製造元の「花善」さんの販売所へ直接買いに行ってきました。

実は、以前からワタシの「懸案」になっていたのが、この「鶏めし」なんですよねぇ。この辺りを通るたびに食べたいと思いながら、なかなかチャンスがなく・・・。
噂はかねがね聞いていましたので、早く食してみたいと思っていました。

いやぁ、地元名産の比内鶏を煮込んだ出汁で炊き上げられた「あきたこまち」のご飯の甘みがなんともいえませんねぇ。上に載っている鶏肉ももちろんいいお味がついています。

鶏を使った駅弁は全国各地にありますが、この大館の「鶏めし」はそのなかでも、西の九州・折尾駅の「かしわめし」と並ぶ「東の雄」、といっても差し支えないでしょう。
「鶏めし」を食べ終わったころ、駅構内に列車の遅れを知らせるアナウンスが・・・。
ワタシはこの大館からさらに北上する予定を立てていたんですが、その乗り継ぎ列車である特急「かもしか3号」青森行きが、車両のATS(自動列車制御装置)のトラブルで遅れているということで・・・。

さきほどの「はやて」での停電トラブルといい、この「かもしか」のトラブルといい、ワタシがこの方面にやってくると何かトラブルがある、というジンクスは、やはりまだ生きているんでしょうか・・・。(^^;)
待つことしばし、そろそろ来るようだということで、改札を抜けてホームへ向かいました。

駅横の留置線には、キハ58系気動車と、701系電車。
701系は秋田車両センター(旧・南秋田運転所)の車両ですが、以前と比べると帯の色が明るい色に変えられていますね。
やっとのことで、「かもしか3号」が姿を現しました。
秋田車両センターの「かもしか」色485系・かもしか3編成3連です。

列車は結局、47分遅れで大館を発車しました。
列車は県境を越えて青森県に入ってきました。

碇ヶ関に停車し、次の停車駅は大鰐温泉。
この大鰐温泉駅は、弘南鉄道大鰐線の大鰐駅と隣接しています。
元・東急のステンレス車が見えてますな・・・。
続いて列車は弘前に停車。
弘前駅では駅舎の改築工事が佳境を迎えています。

1番ホームには、八戸行き「つがる26号」になるべく折り返し整備中のE751系編成が停まっていました。
雨が降る中で岩木山も見えないまま、大釈迦越えを済ませ、青森市内へ入ってきました。
やがて、左手に津軽線、そして青森車両センター(旧・青森運転所)への回送線が寄り添ってきました。
16時8分、「かもしか3号」は青森駅5番ホームに到着しました。
列車はすぐに「かもしか6号」としての折り返しの準備に入りました。

青森は、小雨がぱらつく空模様でした。
駅近くのホテルにチェックインを済ませ、時間があるので近くの複合施設「AUGA」にやってきました。
エントランスにはこちらが・・・。

ねぶた祭ももうすぐですねぇ。
4年前にねぶたを見にやってきたときのことが懐かしいですなぁ。
このあと、地元・青森のネット仲間氏にご足労願いまして、久しぶりの再会、となりました。

まずは、海沿いのエリアに歩いてきました。
このあたりは、ねぶた祭のねぶたをつくるための「ねぶた小屋」が集まっているところ。さすがにこの時間帯はどこも中が見えないようになっていましたが、この小屋のなかで着々と準備が進んでいるというわけで・・・。
さて、我々は観光物産館「アスパム」のなかにある某居酒屋さんに入りました。
まずはビールで乾杯し、地元の海の幸に舌鼓を打ちながら積もる話を・・・。

ここではとにかく、刺身、焼き物、煮物と、ホタテ料理をこれでもか、というほどいただきました。やっぱり青森、といえばホタテかなと・・・。(^^;)
さらに、こちらの郷土料理を注文。
こちらは、「けの汁」といいまして、もともと津軽地方などでつくられている家庭料理。小正月に女性たちが家事から解放されるために手休めとして作り置きしたという、いわば保存食的な食べ物です。味噌汁仕立てで、根菜類やコンニャク、油揚げなどを細かく刻んで入れてあるのが特徴です。

本当なら寒い冬場に食べるんでしょうが、この日の青森は少し気温が低かったですし、おいしくいただきました。
今度は地酒を飲もうか、ということで、2軒目へハシゴ。(爆)

こんどのお店でも、串焼きなどを頼んでいただいたんですが、お酒のほうは、地元の吟醸酒を、このように枡でいただきました。
右には塩・・・そう、枡の角に少し塩を載せまして、その塩を軽くなめるような感じでお酒を飲んでみると・・・これがまた、うまいんですわ。(^^;)
すっかりいい気分で、ネット仲間氏と途切れることなく話し込んでおりましたとさ。

ということで、青森の夜は気分よく更けていきました。
あくる日の顛末は次のページで・・・。
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