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Part2(2002・4)
「コバルトブルー」を降りた私は、長門市の駅前に出てきました。
子供の頃、家族旅行でこのあたりにはほぼ毎年のように来ていましたので、懐かしい、といえば懐かしい感じです。駅舎自体は国鉄時代のものですし。
駅前広場に、このような看板が出ていました。「特急いそかぜ みんなの力でまもりましょう」・・・。確かに、小倉〜益田間1日1往復というダイヤのなかで、現状は厳しいものがあると思いますが、いまや、このあたりを走る定期列車では唯一の優等列車、ということになっていますしね。かつては、急行「さんべ」が数往復あってけっこう利便性が確保されていたんですが・・・。
なんとか、速達利便性の確保をしてもらいたい。鉄道離れの加速だけはなんとか食い止めてもらいたいと思っていますが。
ということで、私はというと、長門市駅を出て、徒歩で次の目的地へ向かうことにしたのでした。
駅を出て、すぐの道を右へ向かってしばらく歩くと、左手に海が見えてきました。向こう側に見える島影は青海島。そして、30分ほどかかってたどり着いた私の目的地は・・・。
・・・この場所、仙崎駅です。この駅は、長門市駅からのびている山陰本線の枝線・通称仙崎支線(2.2km)の終点の駅です。
実は、この仙崎支線がまだ未乗で残っていましたので、この機会に乗ってしまおうということだったんですが、長門市から仙崎へ向かうちょうどいい時間の列車がなく、それだったら歩いてしまおう、ということで徒歩でやってきたのでした。
さきほど、ちょうどいい時間の列車が、ということを書きましたが、それもそのはずで、この仙崎支線を走る列車は、1日にわずか6往復。しかも、私が返しで乗ろうと思っている17時47分発の厚狭行きがなんと最終列車!ということで、けっこう行程を組むのも大変なんです。
当然、返しまでは時間がありますので、近辺を散策してみることにしたのでした。
ここは、駅からすぐ近くにある青海島シーサイドスクエア、という場所。食堂や土産屋さんなどがありまして、一角には青海島を一周する遊覧船の乗り場もあります。
仙崎、といえば、やはり名物は蒲鉾、ということで、土産に蒲鉾を買い込んでおきました。(^^;)
こちら、仙崎駅の駅舎内ですが、ここには当地出身の童謡詩人・金子みすゞの足跡を紹介する「みすゞ館」が設けられています。

西条八十に見出され、童謡詩人として活躍しはじめたのもつかの間、家庭の困難に巻き込まれ、26歳の若さで自殺を遂げたみすゞは、長い間「幻の童謡詩人」として語られていましたが、近年、遺稿が続々と世に出て、注目を浴びました。昨年には田中美里主演でみすゞの生涯をとりあげた映画も製作され、この仙崎周辺でもロケがおこなわれたとか。

「みすゞ館」の入場時間は16時半までで、この日入場することはかないませんでしたが・・・。
また駅を出て、歩いてみます。
駅の正面からまっすぐに続くこの通り、「みすゞ通り」という愛称がついていました。この通り沿いに、みすゞにまつわるいろいろな旧跡があるとのことですが・・・。
通りを歩いていて驚いたのは、家という家の軒先に、このようにみすゞの詩を書き綴った木の板が下がっていること。「みんなちがって、みんないい。」のフレーズで有名な「私と小鳥と鈴と」だとか、「大漁」「お魚」などといったみすゞの作品が、街にあふれているという感じでした。
その純粋な詩の世界に、しばらく浸っていました。
さて、ここからまた列車での移動となります。
さきほどもふれた17時47分発の厚狭行き、キハ120形のワンマン運転です。このキハ120形という気動車は、JR西日本がローカル線区向けに投入したレールバスタイプの車両なんですが、結構長い区間を走る運用にもついているのに車内にトイレがついていない、ということで、社会的な批判も浴びた車両です。

私自身は、この車両に乗るのは今回が初めてでした。
仙崎を出てわずか3分で、列車は長門市へ到着です。
中線には、東萩まで行った後、回送で戻ってきた「コバルトブルー」の編成が停まっていました。
2分停車後、部活帰りだろう地元の高校生たちを乗せて、列車は美祢線へと足を進めていきます。
長門市を出ると、列車は山登りに入ります。写真は、山口県内でも指折りの温泉街である長門湯本付近。温泉の旅館・ホテルの建物が谷沿いに並んでいます。
このあたりから、落石などを警戒してか速度制限区間が多くなってきました。なかには20km/h制限なんていう区間もあったりして、列車はのっそりのっそりと進んでいきます。
こちら、途中の於福駅です。前の渋木駅から約10kmほどの間にサミットを越え、下りに入ってきています。
このあたりの駅はこのように瓦やトタン屋根の駅舎が多くて、外壁はリファインされているもののたたずまいとしてはなかなかいい雰囲気を保っています。
次の重安駅では、DE10形ディーゼル機関車が牽引する石灰石専用貨車を連ねた列車との離合がありました。このあたりは、カルスト台地・秋吉台からも近く、石灰石の産地として知られています。
美祢を過ぎて、こちらは南大嶺手前。かつて、南大嶺から分かれて大嶺までの枝線として存在した大嶺支線が、このあたりでは美祢線の本線と寄り添って走っていました。
美祢線は厚狭〜長門市間を結ぶ現在のルートが本線となっていますが、もともとは大嶺経由で日本海側へ抜けるルートが計画されていて、本来はむしろそちらのほうがメーンルートとなる予定だったとか。

すでにレールも撤去されて、面影はあまり残っていませんが・・・。
時刻的にはそろそろ日暮れの時間。雲と山々の間から、わずかに夕日のオレンジが差し込んできました。
山を下り、そろそろ終点も間近・・・。

実は私、いまから22年ほど前に、この美祢線を走破したことがありました。まだ小学生だったころに、当時走っていた急行「さんべ」に乗って、今回とは逆コースで厚狭〜長門市間を乗りとおしたんですが・・・。その私の乗った列車は、博多からやってきて下関で二分割され、片方の編成は山陰線経由、もう片方は山陽線・美祢線経由で長門市へ至り、そこで再び一本の列車になって米子へ向かう、という非常に面白い形態で運転されていました。
実に懐かしいですねぇ・・・。
19時2分に列車は厚狭に到着。私はそのまま、新幹線ホームへと上がってきました。
ここ厚狭に新幹線が停まるようになったのは、1999年3月のこと。もちろん、私はここの新幹線ホームを利用したことはありませんでした。
ここ厚狭からは、「こだま639号」博多行きに乗って、小倉まで戻ることにしました。
車両は、0系R30編成6連。車内はリニューアル改造を施されており、シートは5列配置であるものの、美しい状態になっていました。

「ひかりRail Star」の列車を1本やり過ごしたあと、19時18分にこちらの列車も発車です。
「こだま639号」は新下関で「のぞみ」の通過待ちをしたあと、19時44分、小倉に到着しました。
この小倉で下りの新幹線を降りる、というのも、ずいぶん久々のような気がしますが・・・。昨年9月以来、ということになるのかな・・・。

今回の旅は、とりあえず終了、ということになりました。
臨時の快速列車、というトピックに誘われて、久々に山口県内の鉄道を乗りまわしてみたんですが、いろいろなものに触れることが出来て、それはそれで非常に面白かったですね。
今回の「コバルトブルー」は、午前中に東萩から下関へ向かう下り、午後に逆コースの上り、という設定になっていましたが、私としては、逆のほうがありがたかったかな・・・。今回の設定だと、九州方面からの観光向けの利便性はあまりよろしくないかな、という気がしました。

この列車が今年だけに終わらず、来年以降もまた設定されることを、私としては心待ちにしたいと思います。
<おわり>