Part1(2002・4)
しばらくぶりの旅行記になりますが、今回は、山陰線を走る臨時の快速列車が中心となります。

これまであまり観光的性格の列車とは縁のなかった山陰線西部の山口県内区間。そこに今回、ふだんは紀勢線で「きのくにシーサイド」として走っている12系・24系客車改造の編成が、4月から6月までの週末を中心に、臨時の快速「コバルトブルー」として走ることになったわけなのです。
もともと、このあたりの山陰線は、海沿いの区間もあり、車窓の眺めとしてはなかなかいいものを持っていました。そこに、海の眺望を楽しむという性格の列車が入ってくるわけですから、間違いなく見ものだなと思いました。
そこで今回、その「コバルトブルー」に乗ってみることにしたわけで・・・。幡生から先の山陰線に乗るのは、2000年に特急「いそかぜ」で小倉から出雲市まで乗って以来、2年ぶりということになりました。
スタートはいつものように黒崎駅。今回は、昼からの出発となりました。
特急「有明18号」に乗って、まずは小倉へ。
小倉からの乗り継ぎは、日豊線から上ってくる下関行き5550M列車。この列車に、復活国鉄色の415系FM5編成が充当されるだろうという予測のもとに、狙って待ってみました。
2000年ミレニアム記念ということでこの色に塗り戻されたわけですが、すでにもう1年半以上が経過しています。最近ではJR東日本勝田電車区に所属する常磐・水戸線用の415系4連1本もこのカラーになっていて、日本の東西でこのカラーリングが見られるわけですがね・・・。こちらの九州のほうの車両はリニューアル改造を受けて一部原型を保っていない、という話もありますが・・・。
私の郷里である門司駅に停車後、列車は関門トンネルへと入っていきます。
私の場合、子供の頃からの癖でしょうか、交直セクションを通過していったん車内の電灯が消え、再び灯りがついてトンネルへ向けて坂を下り始めると、体に力が入るというか、身構えてしまうような向きがありまして・・・(^^;)。「さぁ、ここから海底トンネルだ」という意識が過剰に頭の中にあるんだろうと思いますが・・・。
下関に到着しました。FM5編成は、この後折り返して再び日豊線を下り、中津まで向かう運用です。
このあたり、駅名標さえJR仕様のものになっていなければ、国鉄時代とそれほど変わらないような。ホームの洗面台も残っているし・・・あ、そうか、九州の415系の電動方向幕というのは、最近つけられたんだったっけ・・・。(笑)
いったん改札を出た後、再び改札を通って、「コバルトブルー」が発車する9番ホームへ向かいます。
改札のところの発車案内は、通常の幕式表示板の下にプラスチックの板でできた「コバルトブルー」の発車案内が吊り下げられているという状態でした。
ホームにいるとやがて、「コバルトブルー」に使用される編成が、下関車両管理室(かつての下関運転所)のほうからゆっくりと出てきました。
上のほうでもふれたとおりで、この車両は新和歌山車両センターに所属し(機関車は宮原総合運転所所属)、ふだん紀勢線で「きのくにシーサイド」として走っている編成。3年前の1999年に、改造で登場しています。車両構成は写真前よりからオハフ13-27 + オハ12-228 + オハ25-57 + スハフ12-128 + DE10-1152となっていて、元急行形の12系客車と、寝台客車の24系からの改造車で構成されています。
編成はいったん機関車最後尾の状態で駅を通過し幡生寄りに引き上げた後、9番線からの山陽線上り普通電車の発車を待って、今度は機関車を先頭に入線してきます。
この編成の場合は、通常の客車列車のように機関車の連結位置が進行方向によって変わるということは基本的にありません。その仕掛けがどのようになっているのかは、のちほど触れることにして・・・。
こちら、車内です。シートはこのように、かつて381系特急電車のグリーン席として使われていたリクライニングシートがボックス席のような形で配置されていて、向かい合わせになったシートの間にはテーブルも取り付けられていました。基本的に、グループ客での利用を想定したものになっているようですね。

私は、本来1号車の席の指定券を持っていて、そこに座ることになるはずでしたが、それよりももっといい場所を見つけてしまいまして・・・。
というのが、この2号車のオープンカフェ展望室なのです。
この車両オハ25-57は、寝台車のオハネ25形からの改造車です。その種車の天井の高さを生かし、側面窓部に加えて屋根の部分までガラス張りにし、眺望も楽しめる明るい空間となっています。
車端部には売店設備も備わっており、この日はふだん東萩駅のキヨスクにいるという店員さんが飲み物や土産品などの販売に当たっていました。

そして、私はというと・・・。
・・・こちら。せっかくだから、ということで、萩の地ビール「村塾」の缶と、おつまみとして「うに蒲」を買い込んできました。
こちらの地ビール、結構甘めの味になっていましたが、列車の揺れもあってか、けっこうあとからほどよく酔いが回ってきましたが・・・。(笑)
列車は14時29分の定刻に下関を発車しました。幡生を過ぎ、山陽本線とわかれて山陰線へと足を進めていきます。
こちらは幡生通過時に撮影したもの。駅に隣接する車両工場(下関地域鉄道部下関車両センター)に、昨年引退した気動車ジョイフルトレイン「フェスタ」の姿がありました。
この「フェスタ」は昨年11月の引退後、タイ国鉄へと無償譲渡されることになっていたんですが、今年1月31日の中国新聞の報道によれば、移送についてタイ国鉄からの詰めの交渉の打診がなく、宙に浮いたままになっているとのこと。その後どうなっているのかについては不明ですが、この「フェスタ」、どうなってしまうんでしょうかねぇ・・・。
まもなく、海の見える区間に入ってきました。
きょうの場合、この空模様だけが本当に残念だったんですが、それでも海沿いの景色を見ながら走っていくというのは、格別です。
列車は、吉見、川棚温泉に停車。この山陰線は単線のため、乗降のある時刻表上の停車以外にも、途中で行き違いのための停車も入ってきます。この小串駅でも、運転停車です。向こう側には、広島一般色と呼ばれるカラーリングをまとった気動車が、下関方面への出発を待っていました。
この展望室には、入れ替わり立ち代りお客さんたちがやってきて、それぞれに車窓の眺めを楽しんでいます。ただ、この日の車内は、胸に旅行会社のワッペンをつけた団体旅行のお客さんがけっこうたくさん乗っていまして、それこそ一般で指定券を買って乗った人のほうが少数派かなぁと思うくらいで・・・。
やがて、車掌さんがまわってきて、「記念乗車証まだの方はどうぞ」ということで、写真のような記念乗車証を渡されました。こういうものを作っていること自体、走らせる側のこの列車への期待の大きさを表しているかとも思えるんですが・・・。
いったん展望室を離れて、車内をひととおりまわってみました。
先頭にあたるオハフ13-27の最前部はこのようになっています。もともと客車の乗務員室(車掌台)があったところに新たに運転台が設けられ、通常の気動車などと同様の本線運転用の設備が整えられました。ここから、最後尾に連結されている形になっているディーゼル機関車をコントロールしているわけなのです。
しかも、前面はガラス張りになっていて、前面展望を楽しむにももってこいの感じになっていました。
列車は次第に長門市へ近づいています。写真の左手、海の上に青海島が見えてきました。
あたりも家の数が多くなってきましたね。
16時12分、列車は定刻に長門市駅に到着しました。私は、このあとの行程の都合上、ここで降りることにしていました。
この駅では、わずかな時間ですが小倉行きの下り特急「いそかぜ」と並びます。向こうは国鉄特急色をまとったキハ181系気動車。同じく国鉄型車両ながら、全面的にリファインされた「コバルトブルー」の車両を見て、去就が注目されているキハ181系は何を思っていたのか・・・。

このあとは、駅を出て次なる目的地へと向かいます。
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