(2022・5)
5月5日、三連休の最終日となりました。
この日はJR九州ウォーキングの開催がありませんで、このところ一緒に歩いている小6娘と何をしようかと考えた挙句、西鉄宮地岳線の廃線跡をなぞりながら歩いてかつ、海の見えるところも歩こうということにしました。
現在は貝塚~西鉄新宮間が貝塚線として運行している宮地岳線ですが、末端区間の西鉄新宮~津屋崎間は2007年3月末をもって廃線となっており、すでに15年の月日が流れています。ワタシ自身も数度しか乗ったことがなかった区間でもありますが、そのかすかな記憶を思い起こしながらの廃線ウォークとなりました。
廃線ウォークというと、旅行記にはしていませんが3月に国鉄勝田線の廃線跡を歩いていました。かつて列車が走っていた痕跡をたどるというのは、鉄道好きにとっては悲しみを感じる行為ではあるんですがね。往時に思いをはせながら、というところもあるんですが。

なお、ウォーキング部分についてはこちらも参照ください。
まずは朝。
筥崎宮へやってきました。
今回の旅路の無事を祈ってきました。
筥崎宮の参道からほど近い、福岡市地下鉄箱崎線の箱崎宮前駅にやってきました。
地下鉄ではここが最寄りになりますんで、たまに利用しています。

改札口には、自動改札の横に有人改札のラッチが並んでいます。初詣や放生会シーズンなど混雑の際に使用できるようになっていますが、ワタシ自身は使っているところを見たことはないです・・・。
ここ箱崎宮前からは、中洲川端・天神方面の列車を使うことが多いんですが、今回は珍しく貝塚行きの電車に乗ります。

7時49分貝塚行きは、2000N系第20編成でやってきました。
2000系の2000Nへの更新もかなり進んできましたね。
7時53分に貝塚駅に到着しました。

地下鉄の改札を出たところが左上写真。
そして、振り返ったところが左下写真、そちらが西鉄貝塚線の改札になります。
西鉄の改札を通りました。

東側へ目をやると、そちらにはJR鹿児島本線の線路が見えています。
ちょうど、817系3000番台の列車が上り方向に走っていくところが見えました。
九大箱崎キャンパスの再開発にあわせて、あちらの鹿児島本線にも、2025年には駅ができる予定になっています。そうなると、この貝塚近辺はだいぶ様変わりしそうですね。
ここからは、こちらの列車へ。

8時3分発新宮行き、600形601Fの2連です。この編成は2000年12月まで、新宮町相島のネコをモチーフにした「にゃん電」として特別塗装を施されていましたね。
さて、貝塚を発車した電車は、多々良川を渡っていきます。
いつも、鹿児島本線の列車から見ているのとは違った景色ですね・・・。
こちらは、まもなく香椎花園駅に到着しようかというところ。
昨年末をもって閉園となった「かしいかえん」、まだ遊具が残った状態になっています。
現在は、跡地利用が決まるまでの期間限定で、複合アウトドア施設「かしいのはまビレッジ」として使用されています。跡地再開発についてはまだまだ先行き不透明な感じですが・・・。
JR香椎線との接続駅となる和白駅を出たところ。
香椎線がアンダークロスして、奈多方面へ延びています。
以前(1966年以前)は平面交差していたという話なんですけどもね・・・というか、香椎線と貝塚線の線路は、もともと同じ会社(博多湾鉄道=西鉄の前身の一つ)が敷設したもので、香椎線が戦時買収で国鉄の路線となるまでは、同じ会社の路線だったわけですもんね。
8時26分、列車は定刻で終点の西鉄新宮に到着しました。
ここでは、8時28分発貝塚行きの606Fと、ワタシたちが乗ってきた601Fが並ぶ光景が見られました。

この貝塚線の600形も、置き換えの話がちらほら聞こえてきていまして、果たしていつまで見られるか、という話になってきつつあります。
今回乗車してきた601Fは、川崎車輌で昭和37年、つまり1962年に製造されていますから、既に落成から60年になっているわけなんですよね・・・。
西鉄新宮の駅前に出てきました。
ここから、とりあえずは西鉄福間の手前まで、廃線敷に沿いながら歩いて行くことにします。

こちらは、西鉄新宮駅の車止めのあたり。
2007年3月までは、ここから先へ線路がつながっていたんですよね・・・。
で、西鉄新宮駅から少し進むと、廃線敷には住宅が並んでいました。
こうして廃線敷に住宅が建つっていうのも、あちこちの廃線敷で目にしてきましたが・・・もう、もとには戻らないという現実を見せつけられた格好ですね。
さらに進んでいくと、廃線敷は松林のなかへ入って行きます。
所どころ、事業用に利用されていると思しきエリアもありましたが・・・。
そういえば、こんなふうに松の木に囲まれたところを走っていたなぁと思い出しました。
こちらは、西鉄新宮の次の駅だった、古賀ゴルフ場前駅の跡。
この部分の廃線敷は舗装されていて、古賀ゴルフクラブの敷地の一部になっているようです。
よく見ると、コンクリートの壁を支えている杭として使われているのは、廃レールですね。この宮地岳線で使われていたレールの再利用なんでしょうかね?
さらに廃線敷沿いに進んで、花津留川を渡るところまでやってきました。
ここにあった宮地岳線の橋梁は、2000年に架け替えられてわずか7年で廃線になってしまってたんですが、2017年になって遊歩道として整備され、歩いて渡れるようになっていました。
おぉ、渡れるんじゃん!って思って感激してしまいました。(^^;
花津留川を渡って、古賀の市街地へ進みます。

こちらは、西鉄古賀駅の跡。
JR古賀駅からも歩いてアクセス可能なエリアで、周辺は住宅街になっています。

フェンスには、「構内通行禁止 西日本鉄道」と書かれた看板が、まだ残っていました。
沿線の看板類ですが、思ったよりも残っていましたね。
西鉄古賀駅跡からさらに進みます。

こちらは、東天川にかかる橋梁。
この橋も、1986年にかかったPC橋で、架け替えから20年余りで宮地岳線廃線を迎えています。

この前後の廃線敷では、さすがにレールや枕木はありませんが、わりとバラストが残っているところが多かったですね。
この場所は、花見駅跡。
所在地は古賀市花見南というエリアになります。

やはり周辺は住宅街。
少し歩けば、JR千鳥駅へもアクセス可能なエリアです。
このあたりは、そう遠くないところに鹿児島本線が並走している関係で、宮地岳線はそちらにお客さんを奪われる状態だったようです。

駅に隣接して踏切があったんですが、そのたもとには、西鉄の旧社章が刻まれた境界標が残っていました。
廃線敷はそこからさらに住宅街の中を進みます。

福津市に入ったここのあたり、先を望むと、ソーラーパネルが見えています。
廃線敷の一部は、こうして太陽光発電所として利用されているようです。
その先、西郷川を渡る手前のエリア。

向こう側に見える廃線敷が砂利になっているのが見えますが、ここは隣接する病院の職員駐車場として利用されているようでした。

場所によって、廃線敷は様々な利用のされ方をしているんですね。
そして、ここが西郷川を渡るところ。

宮地岳線は、写真の左側、護岸のコンクリートの色が白っぽくなっているところで、橋梁で川を渡っていました。

ここからは廃線敷を離れて、海沿いのエリアへ進みます。
国道495号を進み、福間海岸へ出てきました。

この日は本当にいい天気で、空も青、海も青。
文字通りの絶景でした。
砂浜を歩く関係で若干歩くスピードが落ちていました。砂の上って踏みしめるっていうのがなかなかですね・・・。(^^;
そのまま国道495号を進み、津屋崎の街へ。
福間町と津屋崎町が合併して現在は福津市になっていますが・・・。

写真の場所は、津屋崎観光の拠点ともなっている、まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」。かつて、福間駅スタートのJR九州ウォーキングの際に、ここまで歩いてきたことがありました。
そろそろお昼が近いということで、津屋崎でお店を探すことにしました。

今回選んだのはこちら、「ギャラリー蔵」。
「津屋崎千軒なごみ」からほど近い、住宅街のなかにあります。
最初にネットで検索してこのお店の情報を見たとき、こんなところにお店が?と思ったんですが、歩いて行くと本当にありました。(^^;
お店の中に入ってみました。
本当に、古民家をお店にしてしまった感じですね。
でも、こういうのってなんか落ち着きます。
このお店の推しメニューは、こちらの鯛茶漬け。娘と2人でいただくことにしました。

ご飯と鯛の切り身が載ったお椀に、ダシ汁を注ぎ、お客さんの前で火にかけます。
徐々に火が通っていきますので、最初は刺身のような状態だった鯛の身に、だんだん火が通って煮えていく過程を楽しむことができます。

薬味もワサビと柚子胡椒が用意されていまして、ワタシは柚子胡椒を使ってみたんですが、柚子の香りとピリッとくる胡椒の辛味が、優しいお味のダシ汁と絡んでとてもいい風合いでした。
日曜日定休なんでなかなかハードルは高いんですが、価格もそれほど高くないし、内容もいいので、ワタシも自信を持ってお薦めできるお店です。
おいしい鯛茶漬けをいただいて、今度は戻りの行程です。

こちら、宮地岳線の終点だった津屋崎駅の跡です。
21年ほど前、貝塚からここまで宮地岳線を乗り通したことがありまして、そのときに駅舎の写真なんかも撮っていました。

駅のあった隣には、1951(昭和26)年に宮地岳線がここ津屋崎まで延伸された記念として建立された「電車延長記念」の碑が残っています。いかに当時、この津屋崎への延伸が喜ばれたかが偲ばれます。
その56年後、西鉄新宮~津屋崎間は廃線となってしまったわけですが、この碑の建立に携わった人たちは、草葉の陰でどんな気持ちでいるんでしょうかね・・・。

駅の敷地だったところは、住宅地として分譲され、現在は住宅がひしめいています。
津屋崎から再び、宮地岳線の廃線敷に沿って歩いて行きます。

こちらは、津屋崎~宮地岳間に残る、宮地岳暗梁の跡。
コンクリートの上に、犬釘の穴の跡が残っているのが分かりますね。
宮地岳駅の跡にたどり着きました。
ここの駅も、駅の敷地だったところは住宅地として分譲され、現在は住宅が並んでいます。

この写真手前の道路は、今やすっかり全国的にも有名になった、宮地嶽神社の参道「光の道」。宮地岳駅は、その「光の道」に面していました。
線路が残っていれば、その光の道を渡る電車っていうことで、お客さんが寄ってきていたかもしれないのになと・・・まぁ、今更ですけどね。
宮地岳駅から先のエリアも、住宅が建ってたり、あるいは太陽光発電所になってたりというところが目立ちました。
太陽光発電所というと、今どきな利用の仕方だなぁと思ったりしますがね。
こちらは、西鉄福間駅があったエリア。
ここも、住宅がかなり建て込んでいました。

廃線後しばらくは、西鉄バスによる電車代替バスがこのあたりにも乗り入れていたそうですが、長く持たずにその代替バスも廃止となり、その後のこのあたりは、コミュニティバスが走るエリアになっています。
廃線ウォークは西鉄福間駅周辺で終了。
そこから、JRの福間駅へ出てきました。

福間駅は快速も停まりますし、福岡都心へ出るのにもかなり便利な駅になっています。
ちょうど、13時28分発、区間快速(博多→二日市間快速)1227M羽犬塚行きが、2番ホームから発車しようとしていましたんで、どうにか間に合わせました。

車両は817系3000番台のVM3009+3002編成、計6両でした。
左下写真は、特急待避で停車した古賀駅で撮影しました・・・なにしろ、福間での乗車は本当にギリギリセーフだったもんでですね。(^^;
13時56分、1227Mは箱崎に到着。
ワタシたちはここで下車です。

本当に、帰ってくるのはあっという間でした。
今回、西鉄新宮駅から津屋崎をまわってJR福間駅まで、歩いた距離は約17km。
我ながらよく歩きました。前日のウォーキングではいろいろ消化不良だったんですが、今回は歩ききって満足感の漂うウォーキングでした。同行の小6娘も、最後までよく歩いたと思います。

廃線跡を歩くのは、どうしても物悲しさが付きまといます。あぁ、この路線がいま残ってたらと、つい考えてしまいます。
今回の宮地岳線でも、そういうことを何度も考えてしまいました。まだまだ、活躍の余地があったんじゃないかとね。
廃線してしまってからでは手遅れなんですよね。本当に強く感じました。
<おわり>