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Part3(2020・11)
11月23日になりました。
早朝の鹿児島中央駅へ。
当初たてていた行程では、3日目の朝はのんびり出発できるはずだったんですが、前日いろいろありましたんで、早朝から始動することになりました。
この日のファーストランナーは、鹿児島中央6時20分発、1325D列車山川行き。
キハ200-560+1560の2両での運転ですが、この2両はキハ200-10+1010にロングシート化改造を行って改番された車両ですね。
さすがに休日の早朝なのでお客さんは少なく、列車は定刻に鹿児島中央を発車。

こちらは谷山駅。2016年3月に高架化が成り、近代的な佇まいの駅に変わっていました。
こちらは宮ヶ浜駅。
海側を見ると、ガードレールに「ようこそ!長渕剛ゆかりの地 宮ヶ浜へ」の横断幕がかかっています。なんでも、幼少期にこのあたりで過ごすことが多かったのだそうで・・・。
そうこうしているうちに、1323Dは7時26分、指宿に到着しました。
列車はそのまま一駅先の山川まで行きますが、我々はここで下車です。

ここで、今回のデジタルスタンプラリーでは最南端に設定されたスタンプをゲット。ここのスタンプは悲鳴嶼行冥でした。

駅前に出てきたんですが、この時間、開いてるお店もあるわけないですね。(^^;
駅前にある足湯も、まだお湯が張られてませんでした・・・。
このあとの行程の都合上、ここから鹿児島中央へとんぼ返りしないといけません。
折り返しの列車は、先ほど乗ってきた1323Dが山川で折り返してきての快速「なのはな」3328D列車となります。指宿発は8時8分。

ここ指宿で、下り山川行きの1325Dとの行き違い。
向こうはエンジン換装されたキハ47形での運転のようでした。
快速ということもあってか、お客さんは指宿からもけっこう乗ってきてまして、その先も徐々にお客さんが増えていく状況でした。

定刻の9時7分に、3328Dは鹿児島中央に到着。
すっかりこのあたりの近郊輸送の主役となった817系の姿も見えてますね。
さて、ここからは新幹線へ乗り継ぐわけなんですが・・・。

ここ鹿児島中央での新幹線乗り継ぎというと、ここを通らないわけにはいかないですね。
新幹線コンコースにある「PATIO鹿児島」、ここの焼酎BARを素通りするというのは、酒呑みにとってはかなり勇気が要ります。(笑)

てなわけで、まだ午前中ですが「明るい農村」のロックで乾杯としました。
やっぱ芋焼酎いいなぁ~。(笑)
焼酎も呑み終わったところで(笑)新幹線ホームへ。

乗車するのは鹿児島中央9時35分発、「さくら548号」新大阪行き。JR西日本のN700系7000番台S11編成8連での運転です。
今回の「みんなの九州きっぷ」の旅で初めての指定席を確保。ということで、5号車に陣取りました。

大柄な指定席シートでのんびりする間もなく・・・。
「さくら548号」は10時41分、久留米に到着。
鹿児島中央から久留米まで新幹線で1時間ちょっと・・・近くなりましたな。

いったん改札を出て買い物を済ませたあと、在来線ホームへ。
おやおやたくさん人がいますね・・・それもそのはず、この日は、「SL鬼滅の刃」の運転日。まもなく久留米にやってくるということで、多くの見物客が待っていたのでした。
ここ久留米からは、久大本線へ。

欠き取り式の2番ホームから11時12分発、1841D列車日田行き。キハ125-24+113の2両での運転です。

残念ながら「SL鬼滅の刃」の到着よりわずかに早くこちらが出発するので、SLを見ることは叶いませんでしたが、まぁいいや。
SLを待つ群衆をしり目に、とりあえず呑むとしますか。(笑)
接続列車の待ち合わせがあった関係で、1841Dは4分ほど遅れて久留米を発車。

車内では、久留米駅で買ってきたこちらの駅弁を。
鳥栖中央軒の「焼麦弁当」。かしわめしと焼麦、いい組み合わせでございます。
そうこうしているうちに、列車は大分県へ。
筑後大石を出て、筑後川を渡ります。
キハ125なので、こうしてかぶりつきもできます。
こちらは夜明駅。

ホームの向かい側は、日田彦山線のホーム。
2017年の九州北部豪雨による被災の影響で不通となったままの添田~夜明間は、すでにBRTでの復旧が決まりました。この錆びたレールの上を列車が走ることは、もうありません。
定刻よりやや遅れて12時15分、1841Dは日田に到着。
ここ日田駅にもデジタルスタンプが設定されています。主人公・竈門炭治郎の妹・禰豆子でした。

乗り継ぎ列車は、向かい側に停まっている12時33分発、9843D列車豊後森行き。キハ200-103+1103での運転です。

若干時間があるので、停車時間の間に駅の外へ出て、ドラッグストアで若干買い物。いつの間にやら、駅の前にドラッグストアモリが進出していました。
9843Dは日田を出ると、いよいよ山間部へ。
こうして、玖珠川を何度か渡っていきます。列車の撮影ポイントとしても有名なあたりですよね。
12時48分、天ヶ瀬に到着。
ここでは、上りの特急「ゆふいんの森2号」博多行きとの行き違いがありますので、5分の停車。
まもなく、5両編成のキハ72系がやってきました。向こうはけっこうお客さん乗っているようですね。
9843Dは定刻の13時8分、終点の豊後森に着きました。
ここでもデジタルスタンプをゲット、ここは伊黒小芭内でした。ここまで来たら、残すは別府と門司港のみ・・・。

ここから先、庄内までの区間は、今年7月の豪雨災害の影響で不通になったまま。ということで、代行バス利用になるんですが、その庄内行き代行バスは14時29分の発車。
しばらく時間がありますね。
せっかく時間があるので、歩いてみました。

豊後森駅東方にある帆足踏切までやってきました。
豊後森から由布院・大分方面へ向かう線路は、すでに列車が走らなくなって4ヶ月半が経過し、茶色く錆びてきていました。
踏切を渡ると、そこには豊後森機関庫公園があります。

ラウンドハウスの整備はまだ手付かずのようで、まだ立ち入り禁止の状態が続いていました。
転車台の前に置かれたSL・9600形29612。志免町からここにやってきて既に5年以上が経過しました。
黒光りする同機の先頭のナンバープレートは、「無限」のプレートに・・・そう、ここにも「無限列車」がいました。
いま、「鬼滅の刃」の最新映画「無限列車編」のヒットにあやかって、各地の保存蒸機のプレートが「無限」に取り替えられてるって聞きますからね。(^^;
豊後森機関庫公園の一角には、こちら。豊後森機関庫ミュージアムがあります。
豊後森機関区の歴史に関する資料展示を行っているほか、子供たちも楽しめるクラフト体験などもやっています。今回、小4娘がプラバン制作体験をさせてもらうことに。自分の推しキャラである冨岡義勇の絵を描いて、プラバンのキーホルダーを作っていました。(^^;
しばし楽しんで、豊後森駅へ戻ってみると、すでに代行バスが到着していました。
こちら、大分交通のバスに乗車するようです。

14時14分に到着した特急「ゆふ3号」から降りてきたお客さんが、どんどん乗り込んできまして、出発する頃には立客も出る混雑になりました。もう1台、由布院までのバスが続行で用意されていたようなんですが・・・。
14時29分に豊後森を出たバスは、まず恵良駅前に停車。そのあとは国道210号に入り、不通区間の各駅をまわっていきました。駅前に直接乗り入れが困難なところでは、近いところの道路上で客扱い・・・。
国道210号のほうも、やはり7月の豪雨災害で被害を受けているところがあり、復旧工事のため片側交互通行になっている箇所もありました。

こちら、豊後中村駅では、バスは駅前まで乗り入れていました。
九重高原への観光の玄関口となっている駅ですが、ここでの乗降はそれほど多くありませんでした。
由布院では駅前への乗り入れが困難なため、駅近くの由布院駅前バスセンターで客扱い。由布院駅の駅社員がバスセンターに出向いて対応にあたっていました。

由布院で若干のお客さんの入れ替わりがあり、さらに先へ。
由布院も今回は素通りになってしまいました。しばらく来てなかったんで本当は少し寄って行きたかったんですけどね・・・。
当初計画していた行程では、2日目の昼に由布院で少し時間ができるはずだったので、昼食して駅の足湯に浸かって、あとは由布院駅で足止めされているキハ71系「ゆふいんの森」編成の見学もして・・・って考えていたんですがね。(^^;
由布院から先も、代行バスはおおよそ国道210号に沿って進み、定刻の1分遅れ・16時5分に、庄内駅前に到着しました。
不確実な要素の多い道路交通のなかで、ほぼ時刻通りに到着するあたりは、さすが、というところですね。

ここ庄内からは16時24分発、キハ125-12+10の2両で運転の4849D列車大分行きに乗車します。
発車待ちの間に、駅の跨線橋の上から撮影したのが左写真。
すっかり夕刻、もうすぐ山に日が隠れようかというタイミングで撮影したものですが、思いがけずいい景色を収められました。空の上には上弦の月が輝いていましたので、それを入れながら風景的に・・・。
次第に暮れ行く中を、4849Dは17時1分に大分に到着しました。

ここからは、足早に北上。
17時10分発、「ソニック48号」博多行きに乗車します。車両は883系Ao-4編成7連。

ここでは1号車の指定席を押さえておきました。
何しろ、スマホのバッテリーが減ってしまうもんで、1号車に設置されている充電用コンセントが使えるのはかなりありがたいですよね。

途中の別府で、デジタルスタンプをゲット。主要なキャラクターの一員でもある嘴平伊之助でした。さぁ、あとは主人公を残すのみ・・・。
日はとっぷりと暮れ、車窓は暗闇に包まれてきました。

こちらは途中の宇島駅。福岡県に戻ってきましたね。
「ソニック48号」は約2分遅れて18時39分、小倉に到着。

ここからはいよいよ、最後のスタンプをいただきに。
18時43分発、4242M列車門司港行きに乗車します。817系3000番台+811系の7両編成、我々は811系PM6編成のほうに乗車しました。
定刻1分遅れの18時58分、4242Mは門司港に到着しました。

とうとう、ここまでやってきましたね。
到着後、最後のデジタルスタンプをゲット。主人公・竈門炭治郎のスタンプを収めて、ついに13ヶ所のスタンプをコンプリート!
やりました。(^^;

改札を出て、駅前へ。
ライトアップされた門司港駅舎の上には、先ほど庄内駅で見たのと同じ、上弦の月が輝いていました。
大正浪漫の雰囲気漂うこの門司港駅舎と、大正時代という時代設定で描かれた「鬼滅の刃」。なるほど、ここで主人公の炭治郎のスタンプをゲットするというのはそういう重なりの上でのことなのだなと、このとき悟ったワタシでした。
ただし、旅はまだ終わっていません。
ここから、自宅へ戻る行程。そう、「家に帰るまでが遠足」なのです。(笑)

門司港19時22分発、区間快速(福間から快速)の博多行き3245M列車に乗車。車両は813系6両編成。
ここから小倉へ。そこからさらに乗り継ぐわけですが・・・。
3245Mは19時34分に小倉に到着。

5番ホームから4番ホームへ移動したところへ、大分からの「ソニック52号」博多行きが到着。
この列車に乗ることにしていたんですが、これがなんと、4・5号車の2両が「鬼滅の刃」ラッピングとなっている883系Ao-16編成7連でやってきました。
運用をチェックしてませんでしたので、まさかこのタイミングでこの編成がやってくるとは露知らず。
ちびさんたちにとっては、最後に大サプライズ、という形になりました。
19時43分に小倉を発車した「ソニック52号」は、戸畑、黒崎、折尾と停車。

写真は折尾駅。
隣に見えるホームのさらに向こうには、新しく出来上がってきた高架ホームが姿を見せていました。
来年1月1日深夜から2日未明にかけ、折尾駅では鹿児島本線ホームの切り替えに伴う線路工事が予定されています。切り替えられて鹿児島本線のホームが移設されたあと、次は、現在は鷹見口ホームを使用している鹿児島~筑豊短絡線の移設作業にとりかかる予定で、折尾駅の高架駅切り替えはいよいよ終盤へと向かっていきます。
「ソニック52号」は20時22分に香椎に到着。
ここで我々は列車を降りました。

香椎からは20時33分発、813系6両で運転の155M列車二日市行きに乗車して箱崎へ。
2泊3日の慌ただしい旅も、ようやく終了となりました。
いや~本当に慌ただしかったですね。13ヶ所のデジタルスタンプ設置駅のうち9ヶ所を残していて、それをこの短い期間で回るというのは、かなり大変だったです。
一番の難問は、やはり久大本線の不通区間の存在でした。久大本線を特急でスルーできるのと、今回のように普通列車と代行バスの乗り継ぎで動くのとでは、やはり時間的な効率がかなり違います。せっかく特急も乗れるフリーきっぷを使っていましたので、その強みを最大限に生かしたいところでしたが、これがなかなか・・・。
今年復旧を果たした豊肥本線でも、復旧前と比べると優等列車のダイヤ設定が厳しくなったなという感じでした。熊本と別府の間を直通する「あそぼーい!」の指定席を取れればかなり楽だったと思いますが、これが取れませんでね・・・。
列車トラブルに見舞われて行程の変更を余儀なくされたことも、かなり痛手でしたね。

そんなことでかなり窮屈な行程になってしまいましたが、どうにか当初の目的は達成できたので、結果オーライ、ということにしておきますかね。
同行のちびさんたちも、列車の乗車時間が長い分には慣れていまして、帰り着いたあとは「楽しかった!」と言っていましたので、とりあえずよかったかなと。

コロナウイルス禍のもとで、なかなか遠出ができないなかではありますが、今回はワタシも楽しむことができました。
どうか早く、このコロナウイルス禍が沈静化して、気兼ねなく旅を楽しめる状況が戻ってきてほしいなと、改めて思いました。

【後日談】 2021.3.6追記
実はですねぇ・・・。

JR九州から封書が届きまして・・・。

この旅のときに応募していた、オリジナルSUGOCA、当選していました。(^^;

あのデジタルスタンプラリーがきっかけで、親子で九州を乗り鉄してまわったわけなんですが、列車トラブルにもめげずに頑張って旅を完遂した甲斐がありました。

おそらくですが、我が家と同じように、このスタンプラリーがあったことで、九州をまわった親子連れも多かっただろうと思います。旅先でも、それと分かる親子連れを多く見かけました。
入り口は「鬼滅の刃」であっても、こうして列車で九州をあちこちまわったことを、いつまでも思い出として、忘れずにいてくれたらいいなと思います。もちろん、我が家のちびさんたちもそうであってほしいなと。
<おわり>