Part1(2011・3)
今回は、九州新幹線が全線開業するということで、新規開業区間となる博多〜新八代間を早々に乗りつぶそうと計画を練っていた。
計画としては、新幹線開業前夜に、廃止となる特急「リレーつばめ」に乗車して新八代へ行き、新幹線「つばめ」に乗り継いで鹿児島中央へ。そして、開業当日に新幹線で博多へ戻るということにしていた。

出発日の午後、あの東日本大震災が発生し、東日本では甚大な被害が出たわけだけど、ワタシの予定していた行路には出発時点で影響がなかったため、出発を決断。
3月11日夜。博多駅へ。
ホームでは、週末の帰宅ラッシュに加え、ダイヤ改正の移り変わりを見ようとする撮影者で混み合っていた。
昼間に、鹿児島線弥生が丘駅で人身事故が発生してダイヤの乱れが残っており、この時間になっても列車の遅れが続いていた。
博多からは20時14分発、「リレーつばめ63号」新八代行きの指定を確保していた。

列車は南福岡車両区の787系BM1編成7連で運転。よりによって、787系のトップナンバー編成がやってきた。
787系電車は、1992年に門司港・博多〜西鹿児島間で特急「つばめ」が登場するのにあわせて登場した形式で、来年には登場20年になろうとしている。2004年に、九州新幹線部分開業に伴って、新八代へのアクセス特急「リレーつばめ」へ移行し今日に至っている。

これまで鹿児島線特急の主力を担ってきた車両だけど、九州新幹線全線開業でその役割を新幹線に譲り、今後は日豊線や長崎線などへ活躍の場を移していくことになる。もちろん、ワタシにとっても「リレーつばめ」の乗車はこれで最後になる。

列車は、2分ほど遅れて博多駅6番ホームを発車。左手には新幹線ホームを見上げる。
博多を出てしばらくは、前方を先行列車が走っている関係でかなりノロノロとしたペースで走っており、遅れは次第に拡大していった。

久留米発車時点では遅れが20分に拡大。荒木で先行列車を追い抜き、その後は持ち前の性能を如何なく発揮して、列車は先を急ぐ。
鳥栖から南の鹿児島本線はダイヤ改正後、メインルートからは外れ快速や普通列車主体となっていく。特急「有明」は残存するが、これまでの15往復から早朝と夜のみの3.5往復に大幅縮小となり、ダイヤ的にもこれまでの最高130km/hでの運転は見られなくなる。

途中では、新幹線筑後船小屋駅開業により、その役目を終える在来線の船小屋駅(改正後は約500m南へ移動し筑後船小屋駅併設)も通過。夜の闇のなかを高速で突き抜けていく。
↓は、船小屋駅通過シーンの動画を車内から撮影したもの。(新しいウインドウで表示)
http://www.youtube.com/watch?v=dZN6So92AX8
大牟田駅へ。

ここは明くる日から、3.5往復の「有明」がやってくる以外は特急が通らなくなる。新幹線の新大牟田駅は、路線の関係で山のほうにあるのでね・・・。
23分遅れで21時51分に熊本駅1番ホームに到着。

ホームには、最終日の「リレーつばめ」を見ようという撮影者や見物客が集まっていた。
熊本を出ると、いよいよラストコース。

このBM1編成を含め787系の車体からは、すでに「Relay tsubame」のロゴは消え、「AROUND THE KYUSHU」の汎用ロゴをつけられているんだが、このBM1編成の車内には↑のようにまだ「Relay tsubame」が残されている。

というか、今回ワタシが乗車した3号車(サハ787-101)は、このダイヤ改正で編成から外される予定になっている。これまで「リレーつばめ」 に充当されてきた787系7両編成12本(BM1〜8、10、11、13、14編成)は、3号車のサハ787形(100番台)が脱車となり、今後は6両編 成となって運用されることになっているのだ。12両のサハ787は今後、多客期などに増結用として使用されるらしい。

いよいよ、「次は、新八代」の表示が出た。
やはり23分遅れの22時12分、「リレーつばめ63号」は新八代駅11番ホームに到着。
ここでもホームには、撮影者や見物客が集まっており、さらには新聞やテレビなどのマスコミもやってきていた。

この新八代駅は、部分開業していた九州新幹線と、博多方面からの「リレーつばめ」をつなぐために、在来線車両を新幹線ホームに横付け出来る構造にしていたわけだけど、それも九州新幹線全線開業で必要がなくなる。
ワタシが乗車してきた「リレーつばめ63号」のBM1編成は、折り返し「リレーつばめ70号」博多行きとなるべく車内整備を行った。
この「リレーつばめ70号」が、博多行きの最後の「リレーつばめ」ということになる。
「リレーつばめ 博多」の行先幕を表示するのも、この列車が最後になるわけで・・・。

大急ぎで折り返し整備を終えた列車は、別れのタイフォンを鳴らして、博多へ向けて出発していった。
で、ワタシは、新幹線「つばめ」へ乗り継ぐわけだけど、前述した昼間の人身事故の影響が残っていて、本来接続予定の「つばめ63号」は運休となっていた。

12番ホームでは、その次の「つばめ65号」として800系U4編成6連が待っていた。ワタシの乗ってきた列車の後続となる「リレーつばめ65号」の到着を待って発車するとのアナウンスがあった。
一応、「リレーつばめ63号」の乗客は、持っている「つばめ63号」の指定券面に表示された席に着席してよいというアナウンスだったが、後続列車も来ることだしダブったら面倒だなと思い、最初から自由席の4号車に着席した。

ちなみに、新幹線「つばめ」の自由席は、これまで「リレーつばめ」にあわせて編成の上り方(博多寄り)に設定されていたが、九州新幹線全線開業に伴い、東海道・山陽新幹線にあわせて編成の下り方(鹿児島中央寄り)に変更される。
結局、「リレーつばめ65号」も定刻より遅れて到着となり、「つばめ65号」も10分遅れの22時35分に新八代を発車した。
なお、新八代発車の様子を車内から動画撮影↓している。(新しいウインドウで表示)
http://www.youtube.com/watch?v=t1KsxyNC8-0

新水俣、出水、川内と各駅に停車。
6分遅れの23時17分に鹿児島中央に到着した。
写真は、鹿児島中央駅で見かけた掲示類。
明くる日の九州新幹線全線開業出発式典の中止は、すでに夕方の時点でJR九州から発表されていた。なお、同じく明くる日のダイヤ改正でデビューする指宿枕崎線の観光特急「指宿のたまて箱」の出発式についても中止することが、手書きで書き込まれていた。

鹿児島近辺のJR線では、津波警報の影響で日豊線方面や指宿枕崎線の列車がすでに運転を見合わせていた。
このため、予定されていた485系特急「きりしま」のラストラン出発式も中止となっていた。列車自体が運転できなくなってしまっていたんで、こればかりはどうしようも・・・。
駅を出て、宿へ向かったが、やはり地震の情報が気になり、日付が変わった1時頃までテレビをつけていた。

明くる日の模様は、また項を改めよう。
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