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Part3(2006・7)
鹿島臨海鉄道の旅は続きます。

鹿島臨海鉄道という会社はもともと、鹿島臨海工業地帯への物資輸送を目的とした貨物鉄道を運営する会社でした。しかしながら、国鉄末期に工事中だった鹿島線の水戸〜北鹿島(鹿島サッカースタジアム)間の旅客営業を受け持つことが決まり、1985年に同区間を「大洗鹿島線」として開業させています。

写真は、その開業以後にできた唯一の新駅・長者ヶ浜潮騒はまなす公園前の駅名標。
かなり長い駅名ですね。駅ができた1990年当時は「日本一長い駅名」ということで有名になったそうです。
私は、154Dを途中の新鉾田で下車しました。

6003号の海側のサイドには、大洗水族館・アクアワールドのラッピングが施されていました。山側の側面には何もなかったので、鹿島神宮で乗車するときには気がつかなかったんですが・・・。
新鉾田駅で下車したあとは、こちら。
鹿島鉄道の鉾田駅へ向かいます。
両駅は少し離れたところにあります。時間があったんで歩こうかとも思ったんですが、ちょうど雨がひどくなり、やむなくタクシーでの移動となりました。

先述した「廃止問題で揺れている地方私鉄」というのは、実はこの鹿島鉄道のことだったんですね。
鹿島鉄道では利用客の減少が続き、親会社・関東鉄道からの支援打ち切り問題などもあって、すでに2007年3月いっぱいで路線を廃止する届出を国土交通省に提出しています。
地元では自治体による対策協議会が、存続に向けた公的支援が可能かどうかの検討を行っている模様で、存続を求める住民運動も続いています。
鉾田駅構内には、「かしてつを救え」など、存続を求める住民の声を表すポスターも貼られていました。
ここ鉾田からは、その鹿島鉄道の全線乗車、ということにします。

14時52分発の石岡行きは、キハ601の単行ワンマン運転です。

鹿島鉄道でも最古参となるこのキハ601は、1936年に当時の国鉄キハ42000形として製造された車両(のちに称号改正でキハ07形)。当時は半流線形の前面形状だったようです。
1965年に鹿島鉄道に譲渡され、前面形状の変更やワンマン化、冷房化など様々な改造を受けて今日に至っています。

同車には誕生70周年を記念するヘッドマークも。前後で色違いのものが取り付けられていました。
鉾田での折り返し待ちの間に見られた光景。

運転士さんが、駅舎のほうから水道のホースを引っ張ってきました。何をやるのかなと見ていると、こういうことに・・・。
床下にある冷房ユニットを、この水で冷やしているんです。
写真では見えませんが、白い水蒸気があがっているのも見えました。

かなり苦労して車両を維持しているんだなぁということが伝わってきました。
列車は、定刻に鉾田を発車。
北浦の北端にあたる鉾田から、山を越えて霞ヶ浦の北側へ向かって走ります。

浜から桃浦にかけては、その霞ヶ浦の北岸に沿って走ります。
なかなかいい眺めでした。
こちらは、常陸小川駅。

構内には、すでに車籍のないディーゼル機関車・DD901が置かれています。

かつて、鹿島鉄道では航空自衛隊百里基地への燃料輸送をはじめ、貨物輸送も行っていましたが、2002年にその貨物輸送は取りやめになっています。このDD901もかつては、その貨物輸送を担当していたわけですが・・・。
地方ローカル線の場合、貨物輸送がなくなることで一気に厳しさを増すという傾向は、やはり全国共通のようで・・・。
15時44分、列車は常磐線との接続駅である、終点の石岡に到着しました。

駅の構内には石岡機関区が併設されており、写真のキハ431をはじめとした鹿島鉄道の車両たちが休んでいました。

存続を求める住民の願いが実を結ぶといいなぁと思いながら、鹿島鉄道のホームを後にしました。
石岡駅の前に出てきました。

ここ石岡からは、上野まで普通列車で1時間40分ほど、水戸までは30分余り。
東京方面へ通勤する人も、やはり多いのでしょうね。

ちょうどやってきた下り列車には、新鋭・E531系の付属5両編成が充当されていました。
そろそろ、夕方。もう帰路に就かねばなりません。
ここ石岡からは、一気に都心へ向かうことにします。

石岡16時13分発、特急「フレッシュひたち44号」上野行きに乗車します。
車両は、勝田車両センターのE653系11両編成。
E653系は、「つがる」のE751系、「あずさ」「かいじ」や房総特急のE257系といった最近のJR東日本の特急電車のモデルケースとなった車両ですね。

私自身、このE653系にはかなり久々の乗車となりました。
藤代〜取手間では、電源境界の交直セクションを通過しますが、E653系では車内灯が消えることはありません。空調の音が止まるくらいで・・・。

取手を出て、利根川を渡ります。
今回の旅では4度目。全部渡った場所は違いますが。
上野へ到着した私は、そのまま乗り継いで羽田空港へ。

往路と同じく、スターフライヤーの飛行機に乗って、北九州へ帰るだけです。

ただ、機材の到着遅れに、滑走路の混雑が重なって、北九州着陸は30分ほど遅れてしまいましたが・・・。
1泊2日で、かなり盛りだくさんな内容になりました。上毛電鉄でのオフ会も楽しかったですし。
「途中で一つでも躓いたらどうしよう?!」なんていう心配もしていたんですが、幸いにして順調に事が運んでくれました。

さて、成田線・鹿島線を完乗したことで、JRの未乗線は残り3路線となりました。なるべく早いうちに乗ってしまいたい・・・できるかな?
<おわり>