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Part4(2005・2〜3)
下関を出た列車は、関門トンネルに入ってきました。

日本初の本格的な寝台特急となった「あさかぜ」が、東京〜博多間で運転を開始したのが、1956年。それから約半世紀にわたって、この関門トンネルを、東京と九州を結ぶ寝台特急が走り続けてきました。

私が鉄道に興味を持ち始めた小学生の頃には、東京〜博多間の「あさかぜ」1往復をはじめ、東京〜長崎・佐世保間の「さくら」、東京〜熊本・長崎間の「みずほ」、東京〜西鹿児島間(鹿児島線経由)の「はやぶさ」、東京〜西鹿児島間(日豊線経由)の「富士」と、東京〜九州間で5往復もの寝台特急が走っていました。
それが、今回3月1日のダイヤ改正ではついに、併結運転となる「富士・はやぶさ」1往復のみになってしまう・・・。

時代の流れ、といってしまえばそれまでかもしれませんが、私自身が子供の頃に見ていた往時の姿からすると、本当に寂しくなってしまいます。

そんなことを考えているうちに、列車は九州へ上陸します。
門司駅では、機関車交換のため、12分の停車時間がとられていました。
この日はダイヤ改正当日、私の乗った「さくら・はやぶさ」は改正前と改正後をまたがる運転のため、移行ダイヤとなっていて、前日までの運転ダイヤとは九州内での時刻がかなり異なっておりました。

ホームでは、「さくら」のさよならイベントが盛大に行われていました。
JR九州吹奏楽団のメンバーがホームで演奏していたのは、森山直太朗の「さくら」、でした。
この日のダイヤ改正で「散りゆく運命(さだめ)」を負うことになってしまったブルトレ「さくら」。その「さくら」への「惜別の時」、はなむけの演出でした。

客車編成の下り方先頭、機関車のすぐ後ろになる電源車のカニ24-16からは、ブルートレイン便の荷物のとり卸しが行われていました。
このブルートレイン便も、今回のダイヤ改正で東京から西日本方面へ向かう寝台列車での取り扱いは終了ということになりました。

そして、機関車は、EF81-413から、「さくら・はやぶさ」の九州版併結ヘッドマークをつけたED76-66へと交換されました。
もちろん、こちら九州版の併結マークでの運転も、きょうで見納めとなります。
こちらは、列車の最後尾。
「さくら」のトレインマーク、これも、きょうで見納めですね。
貫通扉の窓のところに、「さようなら さくら」と書かれた貼り紙がされていました。

こちら、最後尾のところでは、国鉄時代の制服・制帽を着用した車掌との記念撮影会が行われておりました。
そして、記念式典。
地元の保育園児による列車のお出迎え、お見送りも行われていました。

さらに、ホームでは写真パネル展も開催。
門司駅のホームが、いつになく賑やかでした。

門司を出た後、列車は小倉へ。
小倉駅でも、駅員さんたちが横断幕を持って、列車を見送っておりました。
変則ダイヤということで、「さくら・はやぶさ」は途中の古賀駅で、あとからやってくる883系特急「ソニック8号」の通過待ちで運転停車。
従来のダイヤだと、博多駅まで後続の特急に抜かれるということはなかったんですがねぇ・・・まぁ、このあたりはやむをえないか・・・。
列車はまもなく、ほぼ定刻に博多に到着しようとしています。

東京から乗務してきた博多車掌区の車掌さんは、ここで乗務交代となるんですが、その博多到着前の最後のアナウンス、聞いてて思わずジーンとしてしまいました・・・。
車窓風景の映像つきで、携帯電話で撮影した動画がありますので、↓のアドレスでご覧いただきましょう。(新しいウインドウが開きます)
http://www.youtube.com/watch?v=_7YjUYk_5_c
圧縮しましたので、かなり映像が粗い点はご容赦を。雰囲気だけは伝わるかと思いますが。
制服姿の駅員さんがずらりと並んでの敬礼に見送られて、博多を発車。
列車は福岡の郊外を南下して行きますが、春日や大野城のあたりでは、沿道から地元の人たちが、列車に向かって手を振る姿が見られました。
おそらくテレビなどの報道で、「さくら」が最期を迎えることを知って、沿道へ出てきたんでしょうね。

思わずこちらも手を振り返してたりとか・・・。(^^;)
10時42分、「さくら・はやぶさ」は約5分ほど遅れて、鳥栖に到着しました。

「さくら」のほうは、きょうこの鳥栖までの運転です。
「さくら」の14系編成は、このあと「はやぶさ」の24系編成とつながった状態で、熊本まで運転されます。鳥栖から先も、「さくら」の編成には乗車が可能ということでありましたので、私はしばらくそのまま「さくら」の編成にとどまることにしました。(もちろん、私は熊本までの「はやぶさ」の立席特急券も持っておりましたが・・・)

鳥栖駅でも、「さくら」のさよならイベントが行われておりました。
こちらでも、地元の幼稚園児のお出迎えが用意されていたり・・・。

横断幕を持った駅員さんたち、そして集まった見送りの人たちに送られて、列車は鳥栖をあとにしました。
久留米を過ぎてから、車掌さんが個室の鍵を回収しに来ましたので、そのあと私は個室を後にして、再度「はやぶさ」編成のロビーカーへ足を運びました。

こちらのロビーカーも、いままさに最期の時を迎えようとしていたわけで・・・。
しばらくその場に座って、名残を惜しんでいました。
大牟田を出て、熊本県内へ。
長洲付近、右手には遠くに雲仙普賢岳の姿。

「リレーつばめ」「有明」といった特急車内から見ることはありますが、ブルトレの車中から、というのは、実は初めてでした。
さらに編成の前のほうへ行きます。

「富士」「はやぶさ」で使用されてきた24系編成ですが、ダイヤ改正後はこれまで「さくら」などで使用されていた14系寝台車にその役目を譲ることになっています。一部車両は新大阪〜熊本間の「なは」用としての活用もあるでしょうが、多くの車両は廃車となる見通しです。
そういう客車たちにとっても、まさしく、お客さんを乗せての最後の旅、ということになっていたわけですね。

やがて、熊本到着を告げるアナウンスが、車内に響きました。
11時55分、列車は若干の遅れを残したまま、終点・熊本に到着しました。

門司からの牽引を担当したED76-66の前頭部。
「さくら・はやぶさ」のこのヘッドマークも、もう営業運転で見ることはできませんね。1999年12月に登場したこのデザインも、結局5年余りという短期間で姿を消すことになりました。
熊本へ到着した編成ですが、まずは「はやぶさ」の24系編成が切り離され、ED76-66に牽引されて、熊本駅構内から新たに熊本操車場構内へ移転した熊本運輸センターのほうへ引き上げていきました。

この編成も、文字通りここでお役御免ということになります。
ホームに残った「さくら」の14系編成には、DE10-1756が連結されました。
この編成が、夕方には折り返し熊本発東京行きの「はやぶさ」として使用されることになります。

12時10分、「さくら」のトレインマークを掲出したままの14系編成が、やはり熊本運輸センターのほうへ引き上げていきました。

1959年から46年間にわたって続いたブルトレ「さくら」の歴史に、まさしくピリオドが打たれた瞬間、です。
ということで、最後の「さくら」に乗車をすることができ、私としてもいい思い出になりました。
ブルトレ「さくら」は歴史の中へと散っていってしまいましたが、国鉄時代からの伝統ある「さくら」の名跡がいつか、その名にふさわしい形で復活することがあるといいなぁと思いました。
また、列車として【満開の「さくら」】を見られる日が来ることを願って、筆を置きたいと思います。
<おわり>