<Part2へ>
Part3(2004・1〜2)
2月14日早朝。
私は、写真の場所、門司港駅にやってきました。

この日は、ネット仲間と、「つばめ3号」の1号車グリーン個室を借り切り、西鹿児島まで行くことにしていました。

門司港駅で「西鹿児島」行きの発車案内が出るのも、3月12日までの期間を残すだけですね・・・九州新幹線部分開業後の門司港始発「リレーつばめ3号」は、現在の「つばめ3号」とほぼ同時刻ですが、行先はもちろん新八代、ということになりますから。
門司港駅5番ホームに、すでに「つばめ3号」は入線していました。
車両は、西鹿児島まで行く前の7両が787系Bk-13編成、熊本で切り離しとなる後ろ4両が787系BM105編成。
「つばめ 西鹿児島」の行先幕も、まもなくお役御免になります。

それにしても、この朝の門司港駅には、私たちのほかにもこの「つばめ3号」で南へ向かおうとする鉄道ファンの姿がありました。こうして写真を撮っているのが私たちだけでない、というのが、過去の経験からすると実に不思議な気分でした。
やはり、在来線「つばめ」の終焉近し、という今の時期ならではなんでしょうねぇ。
さて、こちらが、今回私たちが利用する1号車のグリーン個室「サロンコンパートメント」です。
私自身、「つばめ」のこのスペースを利用するのは4回目ということになりますが、「ニューつばめ」化のリニューアルを受けた車両での利用は初めてでした。

以前とはずいぶん装いが変わっていますよねぇ。
パネルにはオーディオユニットも残っていましたが、この旅行記の前のほうでもご紹介したとおりで、やはりオーディオサービスはやっていません。
6時59分、「つばめ3号」は門司港を発車しました。
ここから、文字通り九州縦断、5時間の乗り鉄が始まります。
語らっているうちに、やがて列車は千早〜箱崎間の多々良川を渡ります。
2月に入って、朝の陽もずいぶん高くなってきました。
博多駅に到着しました。
ここからは客室乗務員さんが乗務するわけですが、この日はグリーン車乗車口で待っていた客室乗務員さんが2人・・・2人のうちの1人は、いわゆる「見習い」の方のようでしたが。
博多を発車した「つばめ3号」、鹿児島本線をグイグイ南下していきます。
原田を通過。朝が早いせいか、なんだか腹が減ってきてしまいました・・・。(笑)
腹が減ってしまった私。自宅を出る前に軽くは食べてきていましたが、それにしてもすでに4時間くらい前の話・・・。(爆)

ということで、グリーン車サービスのドリンクの注文をとりに来てくれた客室乗務員さんに頼んで、こちらを持ってきてもらいました。こちらは、「愛菜べんとう」(700円)。「つばめ」車内ではおなじみの弁当ですが、私は実は初めて食べるわけで・・・。
弁当を食べ終わって、「まだ食えるぞ〜」(爆)なんてのたまっているうちに、列車は熊本に到着しました。
若干遅れ気味ではありましたが、接続する予定の豊肥線の普通列車・1435M列車肥後大津行き(写真の815系電車)はまだ乗り継ぎを待っていました。
列車は熊本で後ろ4両を切り離し、さらに南へ。
やがて、新八代駅が見えてきました。

この駅を過ぎたところで、新幹線の線路上を800系新幹線車両がゆっくりと新八代駅に進入していくところを見かけました。
八代を過ぎると、そこは3月13日から第三セクター・肥薩おれんじ鉄道の路線となる区間です。

八代海の景色。海の上には鴎の姿。
何度も書いていますが、この景色を特急車内から見られなくなるというのは、実にもったいないです。
そして・・・。

まだ午前中ではありますが、アルコールの登場です。(笑)
ワゴンサービスの客室乗務員さんに、冷えたビールを持ってきてもらいました。
まぁ、こういうオフのときですから、よかろう、ということで。

まだ鹿児島までは時間がありますし、もう少しゆったりといきましょう。
10時57分、列車は7分ほど遅れて出水に到着しました。
駅構内には、肥薩おれんじ鉄道の車両基地が見えます。

肥薩おれんじ鉄道では、旅客列車をすべて気動車で運転することになっています。同鉄道の路線となる八代〜川内間も含め、鹿児島本線は1970年に全線電化が完成していますが、今回の三セク化にあたって、運行コスト削減の観点から一時は電化設備の撤去ということまで議論の俎上にのぼりました。結局、電気機関車牽引で鹿児島まで直通する貨物列車があることから架線などの電化設備は残されることになったんですが・・・。
このあと、ビールが足りないという話になりまして(爆)、結局客室乗務員さんに頼んで追加を持ってきてもらいました。

もう一回、カンパ〜イ!
列車は、東シナ海沿いの区間へ差し掛かります。
西方手前のお立ち台付近。カメラを構えている人たちの姿がありました。
ここも、特急が走らなくなってしまいますからねぇ・・・。
まもなく川内に到着です。
引上げ線には、ローカル輸送用の817系電車。もとは「福北ゆたか線」で使用されていたものですね。
川内を出ると、串木野、伊集院と停車して、終点の西鹿児島を目指します。

客室乗務員さんが、紙コップにキャンディをつめて持ってきてくれましたので、お酒のあとのお口直しにいただくことにしました。
この包み紙は、同じ「つばめ」でも新幹線「つばめ」バージョンのもの。

「つばめ」一列車に1室だけのスペシャルルームを借り切っての楽しい時間も、まもなく終わろうとしています。
「リレーつばめ」になってもこの個室は残りますが、それにしてもやはり、乗車時間が短いのでですねぇ・・・。
定刻7分遅れの12時10分、「つばめ3号」は終点・西鹿児島に到着しました。

到着したホームで、列車をバックに客室乗務員さんたちと記念撮影。ここ西鹿児島の在来線ホームで、ということになると・・・この先機会はあるのかな?

駅には、地元在住のネット仲間が出迎えに来てくれておりました。

改札内にあるカウントダウン。その日まであと4週間に・・・。
新幹線改札・コンコースのほうですが、次第次第にその姿が顕になってきています。先月来たときよりも、当然のことながら作業は進んでいて・・・。
最終的な整備も急ピッチで進んでいます。
ここからですが、地元のみなさんに車を出していただいて、列車撮影に向かうことにしました。
西鹿児島駅の西口を出発して・・・。
・・・やってきたのは、鹿児島本線の伊集院〜薩摩松元間。
ここは、複線区間ですが、上下線が離れておりまして、時間的にちょうど下り列車を撮るのにはいい感じでした。

左上は北九州貨物ターミナル発で鹿児島駅へ向かうコンテナ貨物4093レ。門司機関区のED76-59牽引。土曜日ではありましたがコンテナがたくさん載っていました。

左下は博多発西鹿児島行き「つばめ9号」の787系Bk-2編成。
少し仰角気味に構えてみました。
そこから鹿児島市内へ戻り、本線沿いや、鹿児島総合車両所の近くなどでカメラを構えておりました。
こちらは、西鹿児島駅から鹿児島総合車両所へ引き上げてくる「つばめ11号」の編成。もちろん、敷地外から、望遠を使って撮っております。
この日は増結されていて、787系Bk-8編成とBM104編成の計11両編成でした。
車両所構内にはいろいろな車両がいますが、こちらのクハ455-611(かつての急行形グリーン車からの改造車ですね)は、腰部の紺帯がない姿で非常に目立っていました。
昨年、落書き車両として使われたためにこうなっているもので、運転台のガラス周りなどに落書きがまだ残っておりました。
こちらですが、サハ787-110。もともとは787系Bk-5編成の3号車に連結されていますが、同編成がしばらく6両編成運用にまわっていたため、編成から外されて留置されていたものです。
Bk-5編成はこの日の時点で車両所に戻ってきていましたので、サハ787-110もこのあとおそらく編成に戻されたことでしょう。
その他、やはり南九州最大の車両基地なだけあって、いろいろな車両を見ることが出来ました。
787系電車や、奥に見えるブルトレ「なは」用の24系客車などは、3月のダイヤ改正以降はここで見ることはできなくなるんでしょうが・・・。
このあと、夕方の帰りの時間まで、西鹿児島駅前の居酒屋に入りまして、みんなで簡単な懇親会をしておりました。
西鹿児島駅に戻る頃には、すでに夜の帳が・・・。

ここからは、「つばめ」ではなく、やはりここに来なくなる「あの列車」を使います。
西鹿児島から乗車する列車、3月13日改正以後は新大阪〜熊本間の運転となるブルトレ「なは」です。

ここ西鹿児島から、新大阪までは939.4km、約14時間半の道のり。
もともとこの「なは」という愛称は、沖縄が米軍占領下であった1968年当時に、その沖縄の日本への復帰を願ってつけられた愛称(当時は昼行特急)です。
しかしながら今回の新幹線開業で、この「なは」は沖縄とより距離を置くことになるわけですね・・・。
で、今回は大阪まで行ってしまうわけではありませんので、寝台車を利用するのではなく、こちらの座席車(指定席)を利用します。

「レガートシート」、「あかつき」にも連結されていますが、深いリクライニングが可能な3列の独立シートが並ぶスペースです。

この車両・オハ24-302は、かつて485系特急電車のグリーン車だったサロ481-101から改造された車両。グリーン車当時の小窓はそのまま、天井の室内灯やクーラーなども、種車の配置そのままですね。
すでにその改造から14年が経過しようとしています。
こちらがそのシート。
左肩の位置についているのは読書灯。肘掛にスイッチがついています。
さて、18時54分、列車は鹿児島のみなさんに見送られて西鹿児島駅6番ホームを発車しました。

しばらくはシートに座っていた一行ですが、ゆっくりしゃべりたいねということで、同じ車両内にあるミニロビーのほうに出てきました。
私はカウンターにこうしてノートパソコンを出して、写真の整理と更新作業を・・・。(笑)

パソコンで写真整理をしていると、車掌さん(この「なは」ではJR西日本の方が乗務されています)がモニターを覗き込んで、「これデジカメ? 一眼なんでしょ? やっぱりコンパクトのやつと写りが違うねぇ・・・」と話して通り過ぎていきました。(そうそう、この日は列車の走行写真をデジタル一眼のほうで撮っておりましたんで・・・)
21時8分、暗闇の中をゆっくり走ってきた列車は佐敷駅に停車します。
ここの停車はいわゆる乗客のための停車ではなく、上下の特急「つばめ」をやり過ごすための運転停車です。

しばらくすると、下りホームには西鹿児島行き「つばめ25号」が入線してきて停車しました。
そして、列車の反対側の上りホームを、上り最終の博多行き「つばめ28号」が通過していきます。

ここ佐敷で、特急3本が暗闇の中一堂に会するこの光景も、3月13日改正以降は過去のものとなるわけで・・・。
「なは」は22時15分、熊本に到着しました。
ここで少し停車時間がありますので、ホームへ・・・。
熊本を発車して、さらに北へ。

すでに上り最終の「つばめ」が出たあと、ということで、最終「つばめ」を逃した人たちが、その最終代わりに博多までこの列車を利用、という光景も見られました。
このレガートの車内もけっこう、人の数が増えてきました。
日付が変わって、15日の0時10分、「なは」は博多に到着しました。
博多到着直前、下り本線を西鹿児島行きの夜行特急「ドリームつばめ」が駆け抜けていくのが見えました。この列車も、ダイヤ改正後は「有明41号」と名を変え、熊本止まりで運転されることになっていますが・・・。

向こう側、「福北ゆたか線」乗り場の9番ホームに、キハ47形2両と連結されて黄色いキハ125形が1両、回送でやってきました。
このキハ125形が、従来と違う線区で走り始めるという情報もありますので、深夜にこうして博多に姿を現したのも、その関係かなという気がしますが。
博多からは、やはり終電代わりにして北九州へ帰る人たちが乗り込んできていました。座席はほぼ満席状態に・・・。

博多を出て車内改札が終わると、車内はこのように消灯となりました。
私自身、このあたりはいつも通勤で乗っているところではありますが、こういう状況になるともはや別物・・・。
「なは」は1時6分、小倉に到着しました。
すでに、この「なは」の停まっている7・8番ホーム以外のホームでは、電気が消えています。・・・そりゃそうですね、こんな時間ですから。(笑)

ここに着くまでに少しだけウトウトしていましたが、この時間、眠気は感じていませんでした。
そして、1時14分、門司に到着。
私たち一行はここで列車を降りました。

西鹿児島からここまで6時間と20分ほど。電車と比べてどうしてもスピードが遅くなる客車列車ということもあり、往路の「つばめ」よりも長い時間を車内で過ごしていたわけですが、実際のところ、それほどの長さを感じてはいませんでした。
最終代わりにこの「なは」を利用する人たちなど、この列車のさまざまな実情を見ることが出来たのも、収穫でした。

まもなく完成する新しい門司駅舎を見ながら、駅を離れた私たちでした。
そういうことで、2度の鹿児島行。いろいろなことがありましたが、それぞれにいろいろと楽しめましたし、九州新幹線部分開業を控えたこの時期に、まもなく姿を変えていく鹿児島本線、そして特急たちの姿をいろいろ見られたことは、非常によかったと思います。
一方で、第三セクター化される区間の今後、というものには不安が残りますし、なんとか活路を見出せないのか、という思いも強くしました。

自分の記憶の中に、現在の鹿児島線、そして特急「つばめ」の姿を刻み込んで、次のステップを展望したい・・・そういうふうに思いました。
<おわり>