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Part4(2004・8) | |
8月10日の朝を迎えました。 早いもので、6日夜に博多を出てから5日目です。 きょうは、夜に東京で仕事のスケジュールが入っていたため、夕方までに東京に到着する必要がありましたので、そういう中身で行程を準備しました。 豊橋駅に出てきました。 きょうもいい天気ですね。 |
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豊橋からは、これまた今回が初乗車となる飯田線に乗車することにしていました。 在来線ホームへ降りてきたんですが・・・。 この豊橋駅ですが、名鉄とホームを共用しています。 改札口も、もちろんJRと名鉄共通になっています。 右側の2番ホームには、119系電車の飯田線普通列車。そして、左側の3番ホームには、名鉄の誇る1000系特急「パノラマSUPER」がやってきました。 |
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そんななか、1番ホームにこちらの列車が入線して来ました。 373系ワイドビュー車両で運転される特急「伊那路1号」飯田行き。 373系は、特急「東海」「ふじかわ」や、夜行快速「ムーンライトながら」などでおなじみの車両ですが、基本3両編成という身軽さは、やはりこの飯田線のようなローカル線向き、かもしれません。 この特急「伊那路」は、1992年から1996年まで165系電車で運転されていた臨時急行「伊那路」がもとになっています。1996年3月のダイヤ改正から、373系車両が投入されて定期特急に格上げされ、現在に至っています。 |
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1号車指定席の車内です。 それほど混雑はしていませんでした。 シートはこのようなもの。 デザインのせいか、厚みのある印象のシートです。 |
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9時9分、「伊那路1号」は豊橋を発車しました。 飯田線は、豊橋から、下地〜小坂井間にある平井信号場までの区間で、名鉄名古屋本線と線路を共用しています。 さきほど、豊橋駅のホームが共用になっているところまでは紹介していますが、実はこの線路共用は、飯田線豊橋〜大海間の前身である豊川鉄道と、名鉄名古屋本線の前身である愛知電気鉄道との間で1927年にとりきめがされて以降続いているということです。 なお、線路共用区間には飯田線の駅が船町、下地とありますが、名鉄の電車は停車しません。 左写真が、飯田線と名鉄名古屋本線の分岐ポイントです。 |
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列車は、日本三大稲荷の一つ・豊川稲荷のある豊川に到着しました。 左手には、名鉄豊川線の豊川稲荷駅のホームが見えています。 |
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豊川を出ると飯田線は単線になりますが、進行方向左手に分かれていく線路が見えています。 こちらは、各種鉄道車両を製造している日本車輌製造豊川製作所から、新造などの車両を搬出するための線路ですね。 思いもかけない新造車がここを走ってくるということも、けっこうあるんでしょう。 |
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織田・徳川の鉄砲隊と武田の騎馬隊がぶつかりあった長篠の合戦の舞台を過ぎ、次第に山のほうへ入ってきました。 途中の湯谷温泉から三河槙原、柿平にかけて、車窓には平らな岩盤の上を豊川が流れる板敷渓谷が見えてきます。車掌さんの車内放送でも、この渓谷が2kmほど続いていることが案内されていました。 |
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やがて列車は分水嶺を越えて、天竜川の水系に入ってきました。 中部天竜駅の構内。ここには、JR東海が運営する鉄道のテーマパーク・佐久間レールパークがあります。 ここには、主にJR東海の路線で活躍してきた往年の名車両が保存されています。左下写真は特急形気動車キハ181-1ですが、このほかにも、その流線型の姿から「流電」と呼ばれた旧型国電のクモハ52004、飯田線で貨物列車牽引などに活躍した電気機関車ED62-14など、さまざまな車両が置かれています。 |
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城西〜向市場間。 ここは第六水窪川橋梁。 いったん列車は、水窪川の上に出てくるのですが、橋は対岸へ渡らず、カーブしてもとの岸へ戻っていきます。 そう、ここは「渡らずの鉄橋」として有名な場所なのでした。落石による被害を防ぐために、川の上に線路をもってきた結果、ということなのだそうで。 |
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列車はさらに、山の中へ・・・。 大嵐から先、列車は天竜川の渓谷沿いに走っていきます。 秘境駅として有名な小和田を過ぎ、長野県に入って川を遡っていきます。 時折、ライン下りの船も見えていました。 |
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11時18分、「伊那路1号」は天竜峡駅に到着です。 ライン下りの乗船場は、この駅から歩いて2分ほどのところにあるそうです。 |
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天竜峡を過ぎると、周囲は盆地地形になり、開けてきます。 伊那盆地ですね。 まもなく、終点です。 |
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11時33分、「伊那路1号」は終着・飯田に到着しました。 ここ飯田は、伊那地方の中心都市。 天竜川の河岸段丘上に開けた、南アルプスと中央アルプスにはさまれた街です。 |
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時間も時間なので、昼食にすることにしました。 左上写真のこちら、駅で購入した「山菜釜めし」(740円)。 山の幸がいっぱいです。肉は一切入っていません。 さらには、左下写真の五平餅も食べてみました。この地方の名物で、ご飯を丸く、そして平たく固めたものを焼き、味噌だれをつけたものです。 駅の待合室で、どちらもおいしくいただきました。 |
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ここからさらに先へ進みます。 2・3番ホームの一角には、1997年の飯田線全通60周年を記念した、当時の飯田駅社員による記念植樹のリンゴの木があります。 リンゴで記念植樹、というのが信州らしいですね。 |
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ここからですが、優等列車はありませんので、こちらの列車で北上することにします。 駒ヶ根から快速となる上諏訪行き2239M列車。 車両は、JR東日本長野総合車両センターの115系電車3両編成。 留置線から入換で入線です。 |
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12時30分に飯田を発車した列車は、短い駅間のところをゆっくり走ります。 まさしく夏空。向こうに見える山並みの上に入道雲がわきあがっています。 |
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伊那大島に到着しました。 ここは、塩見岳、赤石岳などといった南アルプスの山々への入り口となるところです。 この先、線形はかなり厳しくなってきます。なんてったってカーブがきつい・・・。 カーブ半径140mなんていう急カーブがあったり、オメガカーブがあったり・・・制限速度が低く抑えられた中を、列車はスピードを落としながら走っていきます。 |
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さきほどから行き違いの上り列車が遅れていまして、そのあおりでこちらの列車も若干の遅れをもって走っていました。 駒ヶ根に着きました。ここは中央アルプスの入り口になる駅です。 ここからは快速運転です。 |
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伊那市に到着です。 ここでは、232M列車天竜峡行きと行き違い。 この232MはJR東海静岡車両区の湘南カラー115系3両編成で運転されますが、JR東日本管内の長野始発で、途中の岡谷までは快速「みすず」として運転される列車です。 |
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列車は伊那松島までやってきました。 ここから北の飯田線には以前乗車していましたので、この時点でワタシの飯田線完乗は達成、ということになりました。 駅に隣接する伊那松島運輸区には、すでに車籍がなくなっている旧型国電・クモハ12041の姿がありました。 |
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いよいよ列車は飯田線の終着駅・辰野へ。 場内信号機のたもとに、会社境界の標柱が立っています。 この標柱より手前がJR東海、その先はJR東日本のエリアになります。 |
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14時23分、列車は辰野に到着しました。 さきほどまでのオレンジラインのJR東海タイプの駅名標から打って変わって、グリーンラインの入ったJR東日本タイプの駅名標が出迎えてくれます。 列車はここから中央本線に入っていきます。 いよいよ旅もラストスパート・・・。 |
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辰野を出た列車は、中央本線の旧線ルートを岡谷へ。 天竜川をさらに遡っていきます。 岡谷でみどり湖経由の新線と合流し、列車はさらに先へ。 右手には諏訪湖が見えてきました。 |
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14時48分、列車は終点の上諏訪に到着しました。 このあたりは東京在住時代に、特急「あずさ」などで通ったりしていたはずのエリアですが、この上諏訪で下車したことはありませんでした。 そういえば、上諏訪駅には、「あの名物」がありましたよねぇ。 |
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・・・その名物とは、こちら。 そうです、駅ホームにある「駅露天風呂」。 国鉄時代の1986年、当時の長野鉄道管理局が進めていた「一駅一名物」のとりくみのなかで、全国初の駅露天風呂が誕生しました。 残念ながら2002年に足湯に改装されてしまいましたが、上諏訪温泉の湯でのんびりくつろげるスペースとしては、健在です。 せっかくですのでつかってみることにしました。 足だけなんですけど、やっぱり気持ちいいですねぇ。 ホームが見えるという環境が、新鮮でしたね。 |
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そろそろいい時間になってきましたので、東京方面へ向かうことにします。 八王子以西の中央東線は、よく考えるともう3年くらい乗っていませんでした。 今回の旅のラストランナーは、特急「あずさ24号」新宿行き。 E257系電車11両編成で運転です。 15時16分、列車は3分ほど遅れて上諏訪を発車しました。 車掌さんの車内放送で、指定席は満席、という案内があっており、車内は混みあっていました。 |
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小淵沢付近。 左手に八ヶ岳連峰。山頂は雲の中でしたが。 小淵沢は、小海線との接続駅。 小海線も、もう4年くらい乗っていませんねぇ。 |
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列車は次第に高度を下げてきました。 まもなく韮崎です。 このあと、しばらく意識が飛んでいまして・・・。 |
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・・・気がつけば甲府に到着していました。 甲府を出ると、ブドウ畑を見ながら甲府盆地を進み、やがて笹子峠越えのため高度を上げていきます。 |
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笹子峠を越えてきました。 笹子、初狩の両駅はかつてスイッチバックの駅として知られたところ。 写真の初狩駅は、現在でも工臨(JRの工事用臨時列車)用の貨車がスイッチバックの引上げ線に入線することで知られていますね。 |
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大月を通過して、列車はさらに東へ。 鳥沢付近の新桂川橋梁を渡るところ。 かつて、ここに列車の撮影に来たこともありました。 |
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東京都内に入り、ワタシがかつて拠点としていた八王子に到着しました。 八王子駅の1・2番ホームに、ジューススタンドができているのが、目を引きました。 ちょうど翌日にオープンを控えていたようで・・・。 見慣れたはずの駅ですが、確実に変化していますね。 |
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多摩川を渡ります。 こちらは見慣れた風景・・・ですが、立川側の岸に高いマンションが続々と建っていたのが目立ちました。 |
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立川を出ると・・・。 いよいよ、三鷹〜立川間の連続立体化事業に伴う工事が国分寺より西側でも本格化してきていました。 現在のところ、三鷹〜国分寺間の高架化完成は2008年度、西国分寺〜立川間の高架化完成は2010年度の予定とか。 |
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三鷹を過ぎると、複々線区間。 緩行線の線路上を、地下鉄東西線の5000系電車が並走しています。 東京メトロのマークがついているのが、ワタシには新鮮でしたが。 |
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まもなく新宿。 大ガードのあたりです。 見るからに賑やかそうな街並み、相変わらず、ですねぇ。 |
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17時38分、「あずさ24号」は新宿駅7番ホームに到着しました。 平日の夕方、当然、ホームは混雑していました。 ワタシはここから、用務先へ向かいます。 |
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ということで、5日間にわたった大旅行も、これで終了です。 今回出かける直接のきっかけになったオフ会そのものも、親しい仲間との「呑み鉄」ということで(笑)、かなり楽しめたわけですが、意識して未乗路線を多く行程に取り込んだその後の乗り鉄も、ワタシとしては新鮮な気分で楽しむことができました。 新鮮な刺激を求めて、これからも未乗の路線を可能な限り乗りつぶしていこうと思います。 |
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<おわり> |