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Part6(2002・1)
「豪遊券」での旅もいよいよ最後が近づいてきています。
ここ博多からは、「ソニック43号」に乗り継いで大分まで行ってみることにしました。
北九州市に住んでいる私にとってみれば、博多から列車で大分まで乗りとおすというのは、こういうときでもないとできないんですよね。(笑)

885系「白いソニック」のSM9編成が、2番線に入線してきました。さきほどまで乗っていた「つばめ16号」の到着ホームの向かい側になりますが、やはり乗り継ぎの便を考慮してのことでしょう。
今回ももちろんグリーン席。885系ですので、基本的には「白いかもめ」の車両と同じなんですが、やはりこのシートのレザーが、黒ではなく赤系の色になっているというのが最大の違いでしょうね。

博多を出る時点で、グリーン席はほぼ満席になりました。
連休最終日、明日からふだんの生活に戻るために、この列車を利用している人も多いことでしょう。
グリーン席に、客室乗務員さんがサービスのドリンクを持ってやってきました。私は冷たいウーロン茶の缶をいただきます。
この「ソニック」の場合、客室乗務員さんはグリーン席のシートサービスと、車内販売のワゴンサービスとを通常一人でこなすことになります。「ソニック」はすべて振子車両での運転のため、かなり揺れるなかでの業務となり、生傷が絶えない、という話も聞いたことがあります。大変ですよね、ほんとに・・・。

暮れ行く中を列車は走りつづけ、私の地元・黒崎に着きました。
もちろん、私は降りずに素通りです。・・・今回の旅で、何度も素通りしていますのでね、すでに・・・。(^^;)
小倉駅への進入、私の乗った「ソニック43号」は、大分から上ってきた「ソニック42号」と同時進入という形になりました。どちらの列車も小倉到着は18時9分、このあと、発車後の進路が交差する関係で、「ソニック43号」のほうが先に発車し、日豊線へ入るというダイヤになっています。
小倉からは進行方向が逆転します。そこで、車内ではシートを進行方向へ向けなおすために、お客さんがみんな立ち上がっていますが、どうもみなさん、この885系のグリーン席のシートの回し方には慣れない様子で・・・シートの下に、普通の座席だと足で踏むタイプのペダルがついていますので、「あれ?! なんでないんだろう?」と戸惑っている人も多いみたいですね。
私は、下の赤いシールのついたレバーを引きあげて回転させるのを知っていますので、まわりのお客さんにもこうやるんですよ、と教えてあげたりしていましたが・・・。(^^;)

写真は、このグリーン席についている折畳式のテーブルです。これは、「白いかもめ」の編成のものとは形状が違い、テーブルを開くと楕円形になるタイプになっています。
すっかり暗くなったなかを、列車は行橋、宇島、中津、柳ヶ浦、宇佐、杵築、別府に停車し、大分へ向けて文字通り驀進しています。「ソニック」としては停車駅の多い列車ですが、車両の性能が高いせいか、それほど時間がかかっているようには感じないですね。
グリーン席に座ったお客さんたちは、多くが終点・大分まで乗りとおす人たちのようで、ほとんど途中での乗り降りはないようでした。

19時36分、列車は終点・大分に到着しました。
大分駅前に出てきました。
停車駅の少ない最速の「ソニック」だとここから博多まで2時間を切ります。福岡市内まで片道2500円(「4枚きっぷ」利用の場合)で行ける安い特急回数券の登場を追い風に、高速バスとの乗客争奪戦を優位に進めようというJRの戦略ですが、果たしてどうなっていくのでしょうか。
上写真を撮った位置から振り返ると、そこには、戦国大名・大友宗麟の像が立っていました。
一時は6ヶ国の守護職を握るなど北部九州を支配下におさめ、またキリシタン大名(洗礼は受けたものの、じつは禅宗に傾倒していて、キリスト教の受け入れはやはり貿易目当てだったとか)としても知られた宗麟ですが、その晩年には南から島津氏の侵攻にあい、かなりの衰運だったといいます。

大分市内というのは、まだあまりあちこち行ったことがないんですよね。府内城(大分城)などにも、機会を改めて行ってみようと思います。
いよいよ、ラストコースです。駅ビル内でまたお土産を買い込んで、ホームにやってきました。
駅横の留置線には、485系の編成が休んでいるのが見えます。おそらく、波動輸送用の編成だろうと思いますが・・・。
私の乗る「ソニック54号」となる885系編成が入線してきました。
実は、この編成が先ほどの「ソニック43号」の折り返しの運用で、また同じ車両に乗って引きあげることになっていたのでした。
20時15分、列車は大分を発車しました。
今度の列車では、大分発車時点でグリーン席に座っているのは私1人でした(^^;)。別府から仕事の出張と思われる男性2人が乗ってきましたが、それ以上乗客が増える気配はありません。

車掌さんの車内改札を受けましたが、編成が同じなら、車掌さんも「43号」と同じ車掌さんが乗務していまして、私は思わず「すいません、またお世話になります」と口走っていました。(笑)
で、この車掌さん、けっこう空調に気を遣っている様子で、「いま少し暖房の設定をいじったんですけど、寒くないですか? 大丈夫ですか?」と何度も尋ねてこられました。

ちなみに、この「ソニック54号」には客室乗務員さんの乗務はありませんで、実は車内販売を期待していた私としては、「しまった・・・」という感じで・・・。(^^;)
暗闇のなかを走りつづける列車。
ときどき車窓を流れる灯りを眺めながら、今回の旅を振り返ってみました。

私の今回の旅、というのは、地元・九州を極めようという、私が東京から九州へUターンしたときの目標にそって、JR九州線の完乗を果たし、そして特急「つばめ」の乗りとおしを満喫しよう、という内容でした。

時刻表に載っている九州の鉄道地図を改めて眺めてみます。
子供の時分、最初に鉄道の魅力に目覚めた頃に、ここはどんなところなんだろう、この線路はどんなふうになっているんだろうと、幼心に地図の上の点と線をなぞりながら、見果てぬ鉄路への思いをはせていた・・・。その頃の熱い夢を、いままさにこの「豪遊券」というきっぷを手にした旅のなかでかなえることができたわけで、そのこと自身は、何事にも代えがたい満足感を、私にもたらしてくれました。

しかし、私にとって、それは「終わり」ではありません。
九州のJR線を全線踏破したからといって、私の旅は終わらないのです。

JRに限ってみても、私がまだ乗っていないところは、全国各地に残されています。
幹線と呼ばれる線路の多くには、すでに乗りました。残されているのは、到達難度の比較的高いローカル鉄道です。
九州内でも、まだ私が乗っていないところは、第三セクター線を中心に残されています。

私の飽くなき挑戦は、一生かかっても果たされずに終わってしまうかもしれません。
ただ、幼い頃からの「見果てぬ夢」は、少しずつでも現実のものにしていきたいと思います。生きている限り、私がこの世に存在しつづける限り・・・。
思いにふけっている間に、列車はすでに小倉を出ました。私の降りる黒崎まではあと少し。
下車準備を整えて、1号車のデッキに立ちました。もうすぐです。
21時48分、「ソニック54号」は黒崎に到着です。
名残惜しいなと思いながらも、帰宅の途につきます。
本当に、この3日間は長くもあり、短くも感じた3日間でした。そして、いろいろなことを考えさせてくれた3日間でした。
3日間の「夢の時間」をくぐりぬけて、次への新しい挑戦を考えていこうという気力が湧いてきた気がします。
機会があったら、またこの「魔法のきっぷ」=「九州グリーン豪遊券」で、見果てぬ夢を追う旅をやってみたいと思います。
<おわり>