(2004・5)
ゴールデンウイークの九州、というと、毎年全国の人出ランキングトップに名前が挙がる「博多どんたく港まつり」が真っ先に思い浮かぶところですが、一方で忘れてはならないのが、有田の陶器市。
人口1万3000人ほどの有田町に、7日間の陶器市期間中には例年100万人前後の来客があるということで、本当に大きなイベントです。

有田の陶磁器の歴史は、16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮侵略の際、朝鮮半島から現地の陶工を多数連れ帰ったことが原点になっています。その陶工の一人がこの有田の地で陶石の鉱脈を発見し、白磁を焼いたことが有田焼の発祥といわれます。やがて有田の陶磁器は、江戸幕府の鎖国政策のもとでも、長崎から海を越えてヨーロッパへ渡り、高い評価を受けています。

そんな歴史を持つ有田焼、高級品というイメージが強いのですが、実際に陶器市では日常用の食器や装飾品などが廉価で手に入ります。それが故に、陶器市には先述したように多くのお客さんが詰め掛けています。

陶器市に向かうお客さんを運ぶために、JR九州では期間中、博多方面や長崎方面から多くの臨時列車を走らせています。
今回は、その臨時列車に乗って、初めて陶器市へ足を運んでみました。
5月4日朝、黒崎へ出てきました。
この日はあいにくの空模様。寒冷前線の通過で、時折激しく雨が降る、という予報になっていましたので、果たして大丈夫なんだろうかと心配でしたが、とりあえず出かけることに。
まずは、博多へ向かいます。
「ソニック2号」博多行きに乗車します。休日ダイヤのため、通常だと883系5両編成充当なんですが、ゴールデンウイーク期間のため、編成増強を兼ねた形で7両編成のAo-5編成が充当されていました。
乗車後、駅のキヨスクで購入してきたこちらの品を食べます。起きるのも早かったので、小腹が空いて・・・。(^^;)
この大きなどら焼、130円で売っていました。
列車は多々良川を渡っています。
前夜からの雨で増水しているようですね。しかも、泥がかなり混じっていました。
空もまだ怪しい曇り具合・・・。
「ソニック2号」は博多駅6番ホームに到着です。
こちらの列車が到着してしばらくすると、隣の7番ホームに787系BM6編成「リレーつばめ37号」新八代行きが入線してきました。
ここから乗り継ぐ列車は、8番ホームに入線してきます。
「みどり93号」佐世保行き、この有田陶器市期間中、平日の4月30日を除いて毎日設定された臨時特急です。
まもなく吉塚方から、「みどり93号」となる787系BM14編成が入線してきました。同編成は通常7両編成ですが、今回はもともとの3号車・サハ787-117を脱車した6両編成での運転です。

「リレーつばめ」仕様となった787系が佐世保線に入線するのは、この「みどり93号」が初めてのケースとなります。それ以前の特急「つばめ」時代を含めても、787系が団体列車でない一般向けの営業列車で佐世保線に入線するというのは、極めて稀です。

787系の「リレーつばめ」仕様7両編成は、12本の在籍ですが、ワタシの見ている限りでは2本程度が検査も含めた予備扱いになっているようで、今回の臨時も、その予備車を充当したもののようです。
「みどり93号」の入線時点で、7番ホームにはまだ「リレーつばめ37号」が停車中ですので、わずかな時間ですが、ホームを挟んで「リレーつばめ」仕様の787系が2本並ぶ格好になりました。
かつての特急「つばめ」時代には、こういうことはあまりなかったんですがね・・・。
で、今回の席は、よりによってこの車両でした。(笑)
通常は4号車、この日は1両減車のため3号車になっていた、元ビュッフェ車のサハ787-214。
同じ普通席でも、他の号車とシートそのものも、シートピッチも違うここの席は、やはり特別・・・。網棚がないというのを差し引いても、この居住性ですからね。
「みどり93号」は博多を発車しました。
この場面だけだと、「リレーつばめ」とどこが違うのか?なんて話にもなりそうですが・・・。(^^;)
列車は二日市に停車し、鳥栖へ向かいます。
まだまだ雲は黒いですねぇ。昼からは天気が持ち直すという予報ではありましたが、やはり心配ですねぇ・・・。
鳥栖に到着です。
久大線の運用に入っている黄色いキハ125形気動車、あるいはここ鳥栖から長崎までブルトレ「さくら」を牽引する電気機関車ED76-61が待機しているのが見えています。

ここからは、鹿児島線と分かれ、長崎本線へ入っていきます。
長崎線ではかつて、787系「つばめ」仕様車を使った「かもめ」が定期列車で走っていました。ワタシも8年半ほど前に一度乗ったことがありますが、当時はもちろんビュッフェも営業していましたんでねぇ・・・もちろん、食事しました。(笑)
長崎線に入ると、列車はスピードを上げて、佐賀平野を驀進します。
沿線では、まさしく麦秋の気配が・・・。
佐賀に停車し、「みどり93号」は肥前山口へ。
ここからは単線の佐世保線に入ります。

ワタシ自身、早岐〜佐世保間以外の佐世保線に乗るのは2000年1月以来ですんで、もう4年以上乗っていないことになります。
そのときに乗った特急「みどり13号」(もちろん定期列車)は485系で運転されていましたが、今回はなにせ、車両が787系ですから・・・。
単線区間のため、やはりというか、スピードが落ちてきました。
まぁ、たまにはこうしてゆっくり走るのもいいもんです。

肥前山口の次の停車は、武雄温泉。
1200年も前から名湯として知られ、宮本武蔵や伊能忠敬、シーボルトなど歴史上の人物が入湯したといわれる温泉地です。女性にやさしい湯としても知られているとか。

駅はちょうど改築中ということで、ホームは狭くなっていました。
「みどり93号」はここで、定期列車の博多行き「みどり8号」と行き違い。向こうは783系8両(「ハウステンボス」仕様4連と「みどり」仕様4連の併結)で運転されていました。
武雄温泉を出ると、次は今回の下車駅となる上有田。
上有田は普段、特急が停まる駅ではありませんが、やはり陶器市期間中は来場客の利便を考慮して、臨時停車という扱いになっています。もちろん、陶器市客がメインターゲットの臨時列車である「みどり93号」は、最初から停車の扱いになっていますが。

列車は三間坂を通過。もうしばらくで着きますね。
そろそろ下車準備でもしますか。
10時10分、「みどり93号」は定刻より若干遅れて上有田に到着しました。

向かい側の上りホームに何か停車しているようだったのでよく見れば、そちらは長崎から大村線経由上有田行きで運転されていた臨時快速「有田陶器市20号」。気動車4両編成のうち、早岐寄りの2両は、国鉄色のキハ66・67-1でした。
上有田駅前に出てきました。
こぎれいに整備されていますが、実は明治時代の木造建築で、1898年の貨物駅としての開業当時(当時の駅名は「中樽」)からの建物、という話で・・・。

駅を出たとたん、売り子さんの威勢のいい声が・・・。(^^;)

ここから、有田の街をしばらく歩くことにしました。
上有田駅を出て、ゆっくりとメインストリートを歩いていきます。

まだ曇り空、時折雨がぱらつくあいにくの天気にもかかわらず、この日も多くのお客さんが来ていました。
ちなみに、ここの道路はこのとき、歩行者天国にはなってはいなかったんですが、道路にはこのとおり、人があふれていました。
メインストリートから一歩入ったところ。
この道には、解体した古窯のレンガを再利用してつくられた「トンバイ塀」という塀がつくられています。足元もよく見れば石畳になってまして、なかなかいい感じの小道でした。
この一歩入ったところにも、陶器の露店が出ていました。
「トンバイ塀」のある小道をしばらく歩いてみました。
このように、レンガ造りの煙突が立っている工場もあったり・・・。
表通りの喧騒も聞こえず、なかなか静かでいい感じでした。
再びメインストリートへ戻ってきました。

それにしても、この日は寒冷前線が通過したあととあって、少し肌寒い感じでした。と、そこに、うどんの看板が・・・。
温かいもので温まるかいねぇ、ということで、こちらのテントに向かいました。
こちらには、長崎県の五島から、手延うどんのお店が出店していました。
1杯400円のこちらのうどんをいただくことにしました。
仕上げに純粋椿油を使用したという細麺は、歯ごたえもばっちり。焼あご(いったん焼いてから天日干ししたトビウオ)からとったおだしも、いいお味でした。
うどんで温まったあと、さらに歩いていきます。

こちらの場所は、桂雲寺。
実はこの有田で陶器市を開くきっかけになった陶磁器品評会の第1回が、1896年に開かれたのがこの場所、なんですよね。
陶器市自体はその後大正時代に入り、品評会の時期に蔵ざらえを兼ねて大売出しを行ったことが始まりです。
引き続きメインストリートを歩いていきますが・・・。

建物を見ていると、けっこう年季の入った建物が多いということにも気づかされますね。
左上の「手塚商店」というお店も大正初期の建築のようですし、他にも木造建築で非常にいい雰囲気のお店がいろいろ・・・。これはワタシにとっては発見でした。
あちこちの店を物色しながらゆっくり歩いて、有田駅の方向へ進んでいきます。
午後になって、人がますます増えてきているような・・・。

最初に、「日常用の食器や装飾品などが廉価で手に入ります」と書きましたが、あるお店には左下のような貼り紙もあったりしました。
タイムサービスみたいなこともそこかしこでやっています。「は〜い、こちらの商品はたったいまから全品半額になりました!」とかっていうことも・・・。

いやぁ、噂には聞いていましたが、本当にすごいですわ。(^^;)
歩いているうちにまたも小腹が空いてきました。(爆)
ということで、露店でこちらのものを購入。

たこ焼きなんですが、焼く際にマヨネーズも一緒に中に入れて焼いてしまっているというマヨたこ、なんですね。
8個500円、ということでしたが、ご主人は「高いけど、それだけの味で出してる自信はあるよ」と話していました。確かにそのとおり、おいしくいただきました。
さて、上有田駅から4km、有田駅にたどり着きました。
この有田で開かれた「世界ほのおの博覧会」開催に合わせて、1996年6月にリニューアルオープンした有田駅舎。駅舎内には、JRと、かつてのJR松浦線から第三セクター鉄道に転じた松浦鉄道の両社の改札が並存しています。
そろそろ帰路につくとしましょう。
2番ホームには、陶器市向けの団体臨時列車に入っている大分運輸センターの485系Do-21編成7連。ここから熊本方面へ戻る団体客を運ぶべく、15時5分発で鳥栖方面へ発車していきました。
485系の団臨が発車したあと、2番ホームには臨時特急「みどり96号」となる787系BM14編成が、早岐方から入線してきました。もちろん、往路で乗車した「みどり93号」の折り返し運用。

「93号」は佐世保行きで運転されましたが、この「96号」は有田始発での運転でした。

この列車で帰路につきます。
結局、往復とも787系の列車に乗ることになりました。臨時列車ということで、すでにほとんど満席になっていた定期列車より、指定がとりやすかったということもありましたし。
有田を出て、上有田へ向かう途中。
並行する国道35号のほうですが、渋滞しているようでした。
この有田町内、停める場所も限られてますからねぇ・・・。

やっぱり、渋滞知らずの列車の旅、ですよね・・・。
次の上有田では、さきほども上有田で見かけたこちらの車両との行き違い。
向こうも、さきほどの折り返し運用、長崎行きの臨時快速「有田陶器市21号」。

向こうの列車が遅れて到着したため、こちらの列車の発車も3分ほど遅れていました。
坂を下り、列車はまもなく武雄温泉へ。
進行方向右側に、建設中の高架線が姿を現しました。武雄温泉の高架駅化に向けて、連続立体交差化工事が進行しています。2006年度内には完成するとのことですが・・・。
肥前山口に着きました。
向こう側には、先に有田を発車していった485系Do-21編成の団体臨時列車が停まっています。こちらの列車を先に通すようです。
佐賀へ向かう途中、嘉瀬川を渡ると、そこにこんなものが。
秋にこの嘉瀬川の河川敷を主会場に開かれる佐賀インターナショナルバルーンフェスタ。その下車駅となる臨時駅・バルーンさがのホームです。
以前は、毎年イントレを組み上げてホームを作り、文字通り「仮設駅」の様相でしたが、昨年からこのように常設のホームが整備されました。

次の出番は約半年後、ということになりますね。
佐賀、鳥栖と停車し、列車は鹿児島本線に戻ってきました。
鳥栖からゆっくりこの二日市まで走ってきましたが、ここではまた小休止でしばらく停車。
鳥栖から博多まで、通常二日市停車の「リレーつばめ」でも平均22分くらいで走破するところ、この「みどり96号」は31分もかかるダイヤ設定、余裕がありすぎるな、と思っていたら、やはりそういうことでした。
二日市を出ても、まだダイヤに余裕があるのか、ゆっくりとしたスピードで博多へ向かいます。

やがて、「次は、終点・博多」の表示が出ました。
16時49分、「みどり96号」は終点の博多駅2番ホームに到着しました。
博多近辺では時折日もさしてくるほど、天候も回復していました。

到着したBM14編成はいったん吉塚へ引き上げたあと、折り返し回送で車庫に入ります。
ここからは、17時4分発「ソニック41号」佐伯行きで黒崎へ引き上げるだけです。
885系SM11編成6連が入っていました。

博多あたりでは日がさしていたのに、北九州に近づくにつれてまた雲が厚くなっていきました。
初めて行った有田陶器市。天候が悪いという予報でしたが、とりあえず大雨に降られることなく、無事に一日を過ごすことができました。
これでまた一つ、まだ見ぬ九州を知ることができたかなと。

今回の有田陶器市、主催者発表によると会期7日間の合計で103万人の来場があったとのことです。
有田という町は、実際に行ってみると谷間に開けた小さな町、という感じなんですが、そこにそれだけの人が外から詰め掛けるというのはやはりすごいですね。
陶器市に出店しているいろいろな店をまわってみて、高級な美術工芸品だけでない、暮らしに溶け込む日用品としての顔も持った有田焼の魅力を少しは感じることができたかな、と思います。

みなさんも、機会があればぜひ足を運んでみてください。行くときは、やはり渋滞知らずの列車が便利です。
<おわり>