(1999・11)
99年11月、実家の急な用で、東京から九州へ単身帰省することになった。
とった休みは3日間。いろいろ考えた挙句、少々キザなようだが、今回の旅を「去り行くものたちへのラプソディ(狂詩曲)」と位置付けて、旅程をたてることにした。とにかく、出来る範囲内で、乗る列車にこだわろうと思ったのだ。
「はやぶさ」ヘッドマークとEF66-49 11月12日夕刻、仕事を終えたワタシは、その足で東京駅へやってきた。最近はなんだかこの「仕事を終えてから東京駅」というパターンが多くなってきたような感じがする。外は冷たい雨が降りしきっている。

乗車する列車は、10番線から18時12分発、寝台特急「はやぶさ」熊本行きである。この「はやぶさ」、来る12月4日のダイヤ改正から、長崎行きの「さくら」との併結運転となる予定。この由緒ある列車も、東京〜西鹿児島間から東京〜熊本間へ運転区間を短縮された挙句、編成短縮・併結化という、今風にいうところの「リストラ」の荒波をまともにかぶる格好になってしまった。

ということで、この単独「はやぶさ」に東京から乗れるのも、おそらく今回が最後になることだろう。その旅を、今回はA寝台「シングルデラックス」の車内で過ごすことにした。まあ、もっともB寝台の1人用個室「ソロ」が、「さくら」との併結化にそなえた改造のために連結されていなかったということも、当然影響しているわけなのだが・・・。
A個室「シングルデラックス」室内 入線した列車の11号車に乗り込む。そこがA寝台「シングルデラックス」の車両、オロネ25-1である。
この車両は国鉄時代の製造であり、設備的には幾分陳腐な感じがしないではないのだが、それでもやはり個室は個室。個室内に洗面所がついているあたりは、製造当初は画期的なことだったのだろうと、容易に想像がつく。ちなみに、写真奥のテーブルになっているところの上の板を開くと、そこに洗面台が出てくる仕組みになっている。
ベッドも見た目は狭いようだが、背もたれは幾分引っ込ませることが可能だし、いすの座面は手前に引き出すことも可能で、B寝台のベッドよりは広いベッドスペースが確保できる。
そして、鏡と、電気かみそり用のコンセントが用意されているのだが、私は今回、そのコンセントを別の目的で利用することにしていた。
パソコンと携帯電話 18時12分、「はやぶさ」は定刻どおり東京駅を発車した。
車内放送のオルゴールがなる。いまどきにしては珍しく、この車両のオルゴールは電子音にはなっていないようだ。
とにかく、まずは腹ごしらえ。駅ホームの弁当屋で買い込んできた「釜めし弁当」を口にする。
食事が終わったあと、持ってきたノートパソコンを開く。携帯電話を繋ぎ、ネットにアクセスする。このモバイルの機動力、その面白さを知ってしまうと、病みつきになりそうだ。今回は、旅先からのサイト更新も計画していたため、この装備はどうしても不可欠だったわけだが。
そうこうしているうちに、列車は最初の停車駅・横浜に停車。家路へ向かう人波がホームにあふれている。
「はやぶさ」は横浜を出ると、熱海、富士、静岡、浜松、名古屋、岐阜の順に停車し、一路西へ向かっていく。
ふと、カメラを持って車内探検を開始。5号車のロビーカーへやってきた。ノートパソコンを開いて、サイトの更新をするため、エディタソフトを起動する。

ロビーカーは一時的に団体客の占領下となったが、それ以外は閑散とした状態。左写真のような写真も、労なく撮れてしまう。これって、なんとも複雑な心境・・・。
減光… 静岡を出てしばらく、車内放送が入った。「ただいま時刻は21時になりました。すでにお休みのお客様もいらっしゃいますので、車内放送は特別な場合を除きまして、明朝6時半ごろまで中止させていただきます」・・・車内通路は減光される時間だ。

このあたりで、車内をもう一度まわってみる。
1号車まで行ってみた。1号車はまだこの時点でのことだが、まるまる1両空っぽだった。「はやぶさ」単独列車としては、もう余命幾ばくもない時期なのだが、それでもこんな状況。本当に悲しくなってしまった。

列車はグイグイと東海道本線を西に向けて飛ばしている。
22時46分には、名古屋に到達。東京方面から新幹線で追いかけてきたと思われる、スーツ姿の人たちが列車を待ち受けていた。ホームには313系、211系の普通列車や、383系の「ホームライナー」などが停まっていて、発車時間を待っている。
それにしても、金曜の夜だというのにそういう列車の中は空いていて、立っている人の姿は認められない。そういう列車での帰宅を「うらやましいなー」と思っていいのか、それとも不況の影響で金曜の夜ですらも遊んでいる余裕がないのかと考えたほうがよいのか、つい考え込んでしまう。
「はやぶさ」は次に岐阜に停車したあと、翌朝の広島到着まで客扱い停車はない。
列車のゆれる音に目がさめたのは、翌13日午前5時半過ぎ。列車はすでに広島を発車し、先を急いでいた。
しばらくは横になっていたワタシだが、まもなく起き上がり、顔を洗った。こういうときに、個室の部屋の中に洗面台があるというのは、ほんとうにありがたい。
窓のカーテンを開けると、左写真のような夜明け前の瀬戸内海の風景が広がる。きょうはいい天気になりそうだ。
柳井を発車した直後の6時30分、車内放送のチャイムが鳴った。このあとの「はやぶさ」の停車駅は、下松、徳山、防府、宇部、下関の順。山口県内はかなりこまめに停車するのだが、小郡にはなぜか停まらない。ま、「はやぶさ」より先行している「富士」「さくら」が停車することもあって、利用者からすればそれほど気にならないのかもしれないが・・・。
なお、車内放送では、下松から先、1号車から4号車までを「立席特急券」利用者に開放するため、寝台の片づけを行なう旨案内していた。

ワタシはこの時間、11号車の通路に立って過ごしていた。列車はカーブを切るごとに、機関車を先頭にしたその長い編成をくねらせている。窓からはその様子がよく見える。
やがて、徳山から車内販売のワゴンが乗ってきた。朝食はここで調達する以外にない。サンドイッチとお茶を調達し、朝食をとる。それにしても、サンドイッチが350円とは、安いもんだ。新幹線車内などで買うサンドイッチよりもはるかに安く、しかもうまいのである。
宇部を過ぎ、下関市内へ入っていく。進行方向左手には九州、いや正確には門司区(企救半島)が見えてくる。ワタシのふるさとは、もうすぐそこだ。
「はやぶさ」にEF81-413を連結 8時34分、「はやぶさ」は下関に到着した。
東京からここまでの牽引を担当してきたEF66-49(下関車両管理室)はお役御免。門司までの関門トンネル区間は、JR九州豊肥久大運輸センターのEF81-413が牽引する。5分の停車時間の間に、てきぱきと機関車交換作業が進行していく。
8時39分、機関車交換を終えた「はやぶさ」は下関を発車。右手眼下に下関車両管理室(旧・下関運転所)の留置線を見下ろしながら、列車は本州から彦島へわたる。関門鉄道トンネルの本州側入り口は、正確に言うと本州ではなく、彦島という島にある。もちろん、この島は下関市に属しているのであるが・・・。
JR西日本とJR九州の境界標を過ぎ、まもなく列車はトンネルに入る。トンネル通過の所要時間は、実質4分。その間に、私はそそくさと荷物をまとめて個室を後にし、列車の前のほうへと移動する。
8時46分、関門トンネルを出た列車は、門司駅4番線に到着した。ここで、今度は熊本までの牽引を担当するED76-61(豊肥久大運輸センター)に、機関車が再度交換される。同機は工場出場直後のようで、美しい塗装の状態を保っていた。
8時52分、九州独特の半球面ヘッドマークをつけたED76を先頭に、「はやぶさ」は熊本へ向けて発車していった。大きなバッグを手に、私は「はやぶさ」を見送った。
このあとワタシは、用事を済ませるべく、そそくさと実家へ向かった。
3レ「さくら」 翌14日、ワタシは実家の用事の合間を縫って門司駅へやってきた。
ここ門司駅では、8月に帰省した際にも列車撮影をしているが、そのときはあいにくの空模様で、あまり絵柄的にはよくなかった。そこで再度、ここで撮影に挑戦した次第である。

まずは、3レ「さくら」を捉える。この日は、JR貨物門司機関区のEF81-451が牽引していた。編成は長崎運輸センターの14系(寝台車)編成であるが、この日は前よりの長崎編成が6連、後ろよりの佐世保編成が7連という編成であった。
次に捉えた左写真の貨物列車。この関門区間のコンテナ貨物列車は、こうしてEF81の重連牽引となることが多い。
それにしても、同じEF81-450番台だが、上写真の451号機と、左写真の455号機では、ライトの形状や設置位置が違っているだけで、かなり印象が違って見える。
途中、特急「いそかぜ」のキハ181系送り込み回送というものにも遭遇しながら待つことしばし、5レ「はやぶさ」の登場である。
この日の牽引機はEF81-411(豊肥久大運輸センター)。JR九州所属のEF81はすでに4両しかおらず、何か起こると門司機関区の機関車にお世話にならざるを得ない状況だ。
そして最後に、山陽新幹線のトンネル総点検期間中(12月15日まで)に運転される、広島発博多行きの夜行救済列車の折り返し回送列車9240レの撮影をすることが出来た。
編成は、広島方からEF81-409(豊肥久大運輸センター)+オハフ15-42+オハ14-89+オハ14-88+スハフ14-32(下関車両管理室)というものであった。EF81-409はまさにこの11月に全般検査を終えた標記になっていた。
門司駅での撮影を終えた私は、電車に乗って小倉へ向かった。
途中の車窓から見える門司機関区の扇形機関庫が、門司操車場周辺の貨物ターミナル化の整備に伴って、近く姿を消す予定になっているらしい。そのこともあって、走る車内から機関庫を写真に撮ってみた。
その日の夜、私は再び門司駅へやってきた。

時間は19時過ぎ。「富士」「はやぶさ」と相次いでブルトレがやってくる時間である。
19時8分、門司駅6番線に大分発の「富士」が入線してきた(写真)。9分の停車時間があるが、この上り「富士」の場合はここで機関車を交換するわけではない。JR九州のEF81の所属基地である豊肥久大運輸センターから、関門運用への送り込みをかね、大分から下関までEF81のスルー牽引になっているからである。

「富士」の発車から4分後、こんどは「はやぶさ」がやってくる。こちらは6分の停車時間の間に、機関車がED76からEF81にかわる。その様子を、少し離れたところからじっくりバルブで撮影する。
機関車交換という風景自体、以前はそれほど珍しい光景ではなかったはずなのだが、客車列車の急激な減少で、そうも言ってられない状況になってきた。この門司・下関の関門エリアと、青森・函館の青函エリアというのが、そういう意味では貴重な存在になってきているのだ。
翌15日、東京へ戻る日がやってきた。
いろいろ悩んだ挙句、帰路に着いてひとつの結論を得たワタシは、とにかくまず博多駅へ向かうことにする。

小倉から8時53分発、883系「ソニック4号」に乗車。博多を目指す。振り子のちょうどいいゆれ具合に、思わず眠気が・・・。
黒崎では、思わぬものが目に入った。西鉄北九州線の基地となっている黒崎車庫内の留置線のレールが一部、はがされはじめているのだ。
後から入ってきた情報ではあるが、いよいよ鹿児島線黒崎〜折尾間の新駅「陣原」駅が着工の運びとなったらしい。この駅が出来ると、黒崎〜折尾間で細々と生き残ってきた西鉄北九州線はいよいよ終焉ということになってしまう。2000年中には新駅が完成する予定という。時間がなくなってきた。
グランドひかり入線 博多に到着して、しばらく駅構内のカフェ「オカピート」でコーヒーを飲み一服。その後、新幹線11番ホームへと上がる。
500系「のぞみ14号」や0系「こだま630号」を見送りながら待つことしばし、「ひかり112号」となる100N系「グランドひかり」V9編成が、博多総合車両所から入線してきた(左写真)。2階建てダブルデッカーを4両連結したこの編成、登場からすでに10年、いまでも独特の存在感を醸し出している。

今年、0系車両の東海道新幹線からの撤退が話題になったが、その陰で100系の初期車両の廃車も始まっている。この「グランドひかり」の編成は、100系のなかでもあとから登場した車両だが、すでに退潮傾向にある食堂車の営業が近く取りやめられる可能性があるほか、東京〜博多間の「ひかり」に、「のぞみ」運用を追われた300系が進出する中で、「グランドひかり」の東京乗り入れもなくなるのではないかといわれている。
今回、帰路にこの列車を選んだ理由は、そこにあった。
10時54分、「ひかり112号」は静かに博多駅を発車した。
車内放送では、最近相次いだ山陽新幹線のトンネル崩落事故を受けたトンネル安全総点検のために、夜間の一部列車に運休が出ることをしきりに案内していた。列車はそのさなかにも、崩落事故のあった福岡トンネル、北九州トンネルを通過していく。新幹線の信用にかかわる事態だけに、この際徹底的にチェックし、きちんと悪いところは改善してもらいたいもんだ。
列車は11時14分、小倉を発車。新関門トンネルに入っていく。今回、ワタシはあえてグリーン車の9号車2階の座席を確保していた。
新下関を通過したころ、食堂の準備完了の車内放送。いそいそと8号車2階の食堂車へ向かう(左写真)。すでに席には2人の男性が座っていた。放送が入る前からきていたのだろうか。

メニューを一通り眺めたあと、ハンバーグステーキセット(税抜き1650円)を注文する。待つことしばし、やがてたくさんソースがかかったハンバーグステーキの皿が運ばれてきた。
料理自体は非常にシンプルな感じのものだが、やはり動く列車の中での食事、それも高速で走る新幹線の2階席からの眺めを見ながらの食事であるだけに、かなりの付加価値がついているように思われる。
果たして、そうした付加価値を、実際の料理の値段との兼ね合いでどの程度認めてもらえるか、ということが、問われているような気がする。
小郡、広島、福山、岡山、新神戸、新大阪の順に、「ひかり112号」は足取りを進めていく。
とにかく、この日は天気が悪く、沿線ではほとんど雨の天気だった。山間を走る山陽新幹線、周囲の山々には、低い雨雲がかかっている。
福山では、この列車より33分後に博多を発車した700系「のぞみ16号」が、高速で追い抜いていく。「グランドひかり」の大柄な2階建て車両が、700系車両の起こす風圧に、大きく揺れている。
「のぞみ」が博多乗り入れを果たす93年3月以前は、この「グランドひかり」車両が文字通り東京〜博多間を結ぶもっとも速い車両だった。山陽新幹線区間では最高運転速度230km/hを誇り、停車駅も少なかったはず。それが、いまや他の列車に追い抜かれる・・・無常を感じる瞬間だ。

14時15分、「ひかり112号」は新大阪に到着。ここからは東海道新幹線だ。
グリーン車とはいっても、ここからはかなり混みあってくる。東京対大阪では、かなりのビジネス利用があり、自由席はもちろん、普通車指定席もかなりの割合で席が埋まる。
しかし、新大阪からなら東京行きの「ひかり」始発列車は結構あるはずなんだが、それでも博多から走ってくる列車に乗客が集中するのは何故か?

列車は新大阪を出ると、京都、名古屋、新横浜に停車する。京都からも、かなりの乗客が乗り込む。とりわけ自由席号車の乗車位置に並んでいる人の列はすごい。
米原を通過し、右カーブを切って関が原越えへ。左手に見えるはずの伊吹山は、裾野まで雲に覆われている。関ヶ原を過ぎ、愛知県に入るころ、雲行きがますます怪しくなってきた。これまでにもまして大きな雨粒が、グリーン車の窓を激しくたたいている。

15時18分に名古屋を発車。列車は先を急ぐ。
途中、浜松あたりでは名古屋付近とうってかわって、雨もやみ、青空が垣間見える。
ふと、左側に見えてくる西浜松の解体線に目をやる。そこには、役目を終えた神領電車区の165系編成が数本、すでに解体を待っていた。
・・・と、そこに少し毛色の違う車両が。静岡運転所にあって長く団体輸送などに活躍してきた165系改造のジョイフルトレイン「ゆうゆう東海」の姿が、そこにあった。引退するとは聞いていたが、早くも解体にまわされているとは、少々ショックだった。
少しウトウトして、気が付くとすでに新横浜到着目前であった。すでに外は暗くなってしまっている。
新横浜を出て、多摩川を渡るころにはすでに減速モードに入っている。どんよりと雲のたれこめた東京の街は、すでに夜の世界。ネオンがたれこめた雲の下側を照らしていた。
17時14分、「ひかり112号」は定刻どおり東京駅16番線に滑り込んだ。

今回の旅は、自分自身思わぬ形で赴くことになった旅だが、そのなかで、私自身のやりたいことを最大限追求した旅だった。
単独運行の寝台特急「はやぶさ」、そして「グランドひかり」・・・時代の主役として東西を結んできたこれらの列車には、いままでも何度か乗ってきているが、今回の旅で、その置かれた立場の変貌ぶりというのが著しいものだと痛感した。
「はやぶさ」の「さくら」との併結化は12月4日からに迫り、「グランドひかり」の立場も、日に日に後景へと追いやられつつある。とにかく、これらの列車が今後も長く活躍できるよう祈りたいものだ。
<おわり>