(2001・3)
この3月に、東京の職場を退職して九州へUターンすることにしたワタシは、3月下旬に入って、そのUターン計画の橋頭堡を確保しようと、北九州へ舞い戻っていました。

3月24日、ちょっと前々から知人に頼まれていた用事を果たすのと、ワタシ自身の気分転換を目的に、遠出をしてみることにしました。行先は、長崎。昔から異国情緒をはぐくんできた港町、ワタシはこれまで何度も長崎へは足を運んでいますが、今回は往復とも、その流麗なフォルムと高級感漂う室内アコモデーションで多くの鉄道ファンを魅了している885系電車を利用してみることにしました。
まぁ、なんにしろ4月以降、ワタシ自身の活動拠点がこの九州のほうに移るわけですから、今回の旅行記は、半分その「予告編」みたいなものなのかもしれません。

ちなみに、タイトルは映画「長崎ぶらぶら節」とは何の関係もありませんので、念のため。(笑)
朝6時半前、実家から門司駅へやってきました。
さすがに西のほうだけに、日の出が遅く、まだ少し空は暗いですね。
改札を通ってホームへ上がってみると、ちょうど山陰線から乗り入れてくる気動車の普通列車が、2番線に到着するところでした。到着した列車からは、いかにも重そうな荷物を背中に背負ったおばちゃんたちが続々と降り、九州内へ向かう列車への乗り継ぎを待っています。
このおばちゃんたちは、山陰方面の海の幸などを売りにいく行商のおばちゃんたちなんですよね。ほんと、若い人でも下手すると腰が抜けそうに重い荷物のはずなんですが、本当にすごいですよね。(^^;)
ホームの発車案内に、ワタシの乗る列車が表示されました。
特急「かもめ5号」長崎行き。「かもめ」といえば現在は博多から先の運転がデフォルトですので、この「5号」が北九州から1本だけ、長崎まで直通運転する「かもめ」なんです。長らく783系「ハイパーサルーン」で運転されていましたが、昨年3月、「かもめ」に885系電車が投入された際に、885系での運転となった列車です。
「ピンポン」というチャイムが鳴って自動の入線案内放送が流れ、まもなく「かもめ5号」が門司港方から入線してきました。
この885系車両にはこれまで何回か乗っているんですが、これまではいずれも「かもめ」運用ではなく、その「かもめ」の間合い運用で「ソニック」(博多〜大分間)で走っている列車でした。あとで登場しますが、この3月に「ソニック」にはバージョンチェンジした885系の新車が投入されましたんで、この「白いかもめ」形の車両に乗るには、博多〜門司港間の特急「きらめき」1本を除くと、もう「かもめ」に乗るしかありません。

この日の「かもめ5号」に充当されていたのは、885系のトップナンバーである南福岡電車区所属のSM1編成。覚えている方もいるかもしれませんが、昨年10月、JR大宮工場の一般公開時に、九州から遠路関東まで運ばれた編成です。ワタシも見に行きましたが・・・。
そして今回、ワタシ自身初めてとなる、この885系のグリーン席を利用することにしました。
普通車のシートでも、オール本革のシートを採用してしまった列車ですので、このグリーン席ではどのようなことになっているのか・・・。
こちらが、そのグリーン室内です。シートはもちろんオールレザー、です。しかも、3列あるシートが、すべてセパレートタイプ、つまり、「2人がけ」というイスがないんですね。夜行の高速バスなんかではよく見られるスタイルですし、列車でも、ブルトレ「なは」「あかつき」に連結されている「レガートシート」がセパレートタイプですが、昼行特急で、というと、果たしてどうだったでしょうか・・・?
定刻に門司を発車した列車は、グイグイと加速していきます。
このグリーン席は1号車の最前部にあり、しかも乗務員室との仕切りはガラス張り。ということで、グリーン室内からはこうした前面展望が拝めるわけなんです。885系独特の先頭形状と、広い運転室内の雰囲気が、よく分かります。
小倉、戸畑、黒崎、折尾と、北九州市内でこまめに停車する列車。それでも、この「スペースワールド」のそばを通過するときには、120km/hくらいまでスピードが上がっています。右カーブが続いているので振子機構が作動し、車体は右に傾いています。やはり、というか、かなりスピード感がありますよ。
黒崎を出て、並走する筑豊電鉄の線路が見えてきます。
この写真のあたりは、昨年11月に廃止になった西鉄北九州線との分岐点ですが、西鉄線のほうは、昨年暮れに見たときには残っていたレールと架線柱がすでに撤去されてしまい、道床の砂利だけが残っています。写真では流れてしまっていますが、左から複線の線路が右上に向かっているのが筑豊電鉄線、その少し下よりに、茶色い砂利の部分だけが見えるのが西鉄線の跡です。
ちなみに、一番手前の線路はJRの線路で、鹿児島線から筑豊線へ向かう短絡線になっています。
この辺で、ちょっと車内を見てみましょう。
2号車のデッキには、この車両の名物、となったギャラリーコーナーがあります。「白いかもめ」編成ではいずれも、こうした書を飾っていますが、もちろん、これは各編成で内容が違います。

左側に見える出っ張った部分、デッドスペースのようにも見えますが、実はこの出っ張りのなかにトイレが設置されています。そういった意味では、スペースにあまり無駄がなく、しかもゆとりを持って過ごせる空間になっているように思います。トイレは、若干狭いかな、という気がしましたが・・・。
北九州市を抜けると、田園地帯、あるいは住宅街のなかを抜けて、福岡市内へ。
この多々良川を渡ると、福岡にきたなぁ、という気がしてきます。
7時52分に博多着。ここで、透明だった乗務員室との仕切りガラスが白く曇りました。
・・・これなんですが、実は非常ブレーキを使用したときに連動してガラスが曇るように仕掛けてあります。非常ブレーキ、というと、普通は事故防止などのために使うものですが、「かもめ5号」の場合はこの博多で運転士が交代するため、停車中にいったん非常ブレーキを使用するのでこうしたことになるわけです。
朝が早かったせいか、このあたりでお腹がすいてきたので、ちょうど博多から車内販売が乗り込んできて、グリーン車へのドリンクサービスを持ってきた際に、サンドイッチを注文しました。サンドイッチ、とは言いつつも、中にはマカロニサラダなんかも入っているもので、感心しました。ドリンクサービスの缶コーヒーとともに、のんびり車内でいただくことにします。

「かもめ5号」は二日市で先行の普通列車を退避させ、最高速度の130km/hを出しながら、福岡の近郊を驀進します。
列車は鳥栖に着きました。ここからは鹿児島線と別れて、長崎線へと入ります。
ここで4分停車するので、ちょっとホームへ降りてきました。ホームにいる人たちも、やはりこの車両には目を引かれるようですね。けっこうしげしげと眺めていく姿を多く見かけます。
列車は長崎線へと入ってきました。
このあたりで、少し景色がよく見えるようにシートの向きを変えてみますかね・・・とはいっても、180度まわして後を向くんじゃないんです。この885系のグリーン席は、シートをデスクチェアのように回すことが可能なんですよ。
各シートの背面には、このようにシートの下についている3本のレバーの説明書きがあります。左の黄色いレバーは座面の高さを変えるためのもの、真ん中の赤いレバーは回転用、そして、右の青いレバーがリクライニング用、ということになっています。それで、真ん中の赤いレバーを引くと、シートが回転できるように仕掛けてあるんですよね。
列車は佐賀平野のただ中を走っています。このあたりはまだ線形もよく、複線の線路ですので、かなりスピードが出ます。
佐賀平野といって思い出すのが、バルーンフェスタ。世界中から気球が集まって、いっせいに空に舞う光景、一度見てみたいですねぇ・・・。
肥前山口で佐世保線が分岐。長崎線のほうも単線になって、有明海の海岸沿いを走っていきます。
長崎線のこのあたりは、本当に海がよく見えて、眺めのいい区間が多いんですが、こういうところで、先ほどの回転できるシート、というのは、非常に重宝しますよね。
列車はやがて諫早に着きました。柵の向こう、ホームの向かい側では、島原鉄道の気動車が待っていますが、この気動車はJR九州がローカル線用に投入した軽快気動車キハ125形とほぼ同仕様のものですね。
諫早から喜々津までの間は再び複線区間。喜々津から浦上までは、大村湾沿いを走る旧線と、現川経由のトンネルの多い新線とに分かれますが、この「かもめ5号」は新線経由で、ラストスパートをかけます。
写真は、1号車デッキ部にある喫煙スペースから眺めた景色。このスペースには液晶ディスプレイがあり、「白いかもめ」のプロモーション映像を流していました。
浦上に停車し、列車はまもなく長崎に到着です。
左側には、現在も数往復が走る783系「ハイパーサルーン」の「かもめ」です。昨年3月までは、783系が「かもめ」の大多数の列車で使用されていたんですが、いまは完全に追いやられています・・・。
10時4分、「かもめ5号」は長崎に着きました。
門司から3時間20分、それほど長さは感じませんでした。

ここ長崎も、やはり鉄道の街。駅ホームの横には、長崎鉄道事業部(旧・長崎運転所)の留置線があります。ここの車両基地には電車の所属はなく、気動車とブルトレ客車が主体となっていますが・・・。
長崎駅前に出てきました。
往年の三角屋根の駅舎が姿を消し、代わって新しいビルが姿を現しました。
なんだか、味のある駅舎が、どんどん減ってしまうなぁ、と、率直なところ、寂しい思いのほうが強いです。
ここから、ですが、用事を果たすついでに、あちこちぶらぶらしてみることにしました。
まずは、100円均一料金で乗せてくれる長崎市電で、大浦天主堂下へ向かいます。築町で一度乗り換えますが、乗継券の発行を受ければ、追加料金も不要なのです。
こちらが、大浦天主堂です。美しいステンドグラスがあり、観光客の多くが立ち寄るところですが、このときは工事中で、拝観はできるとのことでしたがワタシは今回、見送りました。

そして、さらに登ったところにあるグラバー園へ・・・。
で、グラバー園へと入ってきました。
昔は、階段を通って登っていたんですが、こうした動く歩道ができて、丘の上までお客さんを運び上げる仕掛けができました。
バリアフリーという点では前進なんでしょうが、ワタシとしては、歩いて登るという選択肢も、順路のなかに残して欲しかったですねぇ・・・。
こちら、丘の一番上にある旧三菱第2ドックハウスです。かつては、このグラバー園から見ると港の向こう側にある三菱重工長崎造船所のそばに建っていたものを、この場所に移築したんだそうです。・・・というより、このグラバー園自体が、市内各地に散在していた洋館を移築して集めたところ、なんですよね・・・。

さて、このあと、思わぬ見せ物が登場・・・。
まずは、桜。この日の長崎は、今年になってから最高の23℃まで気温が上がり、桜の花もだいぶほころんできていました。

そして、思わぬ見せ物、というのは・・・。
・・・こちら。そう、秋の「長崎くんち」の祭りのときにしか見られないはずの、「龍踊り」(「じゃおどり」と読みます)の実演をやっていたのでした。ちょうど、10分くらい後に実演をやるという話を聞きつけて、その場でじっと待っていました。
バックの音響はさすがに録音のものを使っていましたが、その音にあわせ、月に見立てた金色の球体を、龍が激しく追う姿、というのは、なかなかの迫力です。かなり動きも早く、そばで写真を撮っているとかなりブレてました。(^^;)
「龍踊り」を見た後、グラバー邸の前へ。
花壇にはチューリップが咲き、すでに春爛漫、といった光景でした。
グラバー邸前の展望所から、長崎市街を見ます。
いい天気で、気温も高く少々暑いくらいの陽気。こんな天気だったら、まだまだ歩きたくなりますよねぇ。
とりあえず、グラバー園を出て頼まれた買い物などを済ませた後、歩いて新地中華街へ向かいました。
そろそろお昼が近くなってきたので、昼食でも、と思ったんですが・・・ワタシが長崎へ来ると必ず立ち寄るお店が、ここのなかにあるんです。
そのお店は、中華料理「江山楼」の新地中華街本店。長崎、といえばちゃんぽんの本場、ですが、そのなかでも、ここのちゃんぽんが一番おいしいと、ワタシは思っています。
お店に入り、「上ちゃんぽん」(900円)を注文。出てきたちゃんぽんは、ご覧のように具沢山。ちゃんぽんの命、ともいえるスープも、非常にきめが細かくて、おいしいんですよねぇ。
麺と具を食べ終わってスープを飲んでいると、お店の方が「お味はいかがですか?」と訊いてこられたので、迷わず「大変けっこうですよ」と答えました。・・・こういうスープですから、ほとんど残さず飲みました。
食後、少し腹ごなしでもしようと歩き始めました。
こちらは、石畳の急な坂道で有名なオランダ坂。とりあえず坂のてっぺんまでは登って、降りてきました。坂の途中からいい景色が見えるかな、と期待したんですが、けっこう邪魔な看板なんかも見えたりして、ちょっとイメージと違ったかな・・・。
オランダ坂を降りて、昼食をとった新地中華街の横をとおり、海の方角へ向かっていくと、そこにはかつて鎖国時代の対外貿易の拠点であった出島がありました。もっとも、現在では周辺も埋め立てられて、すっかり陸地に埋まっている(?・笑)感じですが、最近では当時の建物なんかも復刻されていて、観光地としての賑わいを見せています。
写真の建物は、かつてのオランダ商館の建物ですが・・・。
こちらはその商館横の道路。ちょうど道路の中央部で舗装の色が変わっているのが分かりますか?
実は、この舗装の色の境界の、写真でいうと左側、舗装の色が薄くなっているほうが、かつての出島のエリア、なんだそうです。先述したように陸地に埋まっている格好の出島のエリアを目立たせるために、苦労している様子がよく分かります。
出島のエリアに入っていくと、そのなかにミニチュアでかつての出島が再現されていました。
江戸時代の日本のなかで、唯一海外へ開かれた「窓」だったこの出島、当時の活気が、少しではありますが伝わるような気がしました。
さらに海のほうへ歩いていくと、こんなものが・・・。
実はこれ、かつて長崎駅構内と長崎港の出島埠頭を結んでいた貨物線・長崎港線の廃線跡なんですよね。1982年に廃止されていますが、かつては大陸との交易の拠点であったこの長崎で、国内輸送と国外輸送を連絡するパイプ役を果たしていました。
いまは、線路敷の一部が遊歩道となっているだけで、痕跡はかなりなくなっていますが、記念碑的に残っている、SLのものとみられるスポーク動輪の存在が救いだなぁと感じます。
海のそばまできました。
このあたりは、離島航路の船が出ている大波止のあたりで、海の向こうには、稲佐山が見えます。
一度、稲佐山にも登ってみたいんですが、それはまたの機会にしましょう。
大波止から、海沿いを歩いて長崎駅の方向へ向かいます。
こうした船だまりの光景を見ると、かつて門司港にあった小さな船だまりを思い出します。門司港の船だまりの周辺は、最近では観光地化が進んでしまってこぎれいな感じになってしまいましたが、はしけや漁船など、こういう小さい船がたくさんつながれている船だまり・・・これこそ、本来の港町の姿だよなぁ、と思います。
最近はシーサイド、とかベイエリア、というと、開発されすぎてしまってこぎれいな場所というイメージが強いですが、本来の港町はこうした風景こそがしっくりくる、と、港町出身のワタシは思っています。

長崎駅までは案外近いんですよね、ここから・・・。
長崎駅まで戻ってきました。
この新しい改札からだと、ホームに停まっている列車の姿が見通せます。写真の列車は、ワタシが帰りに乗車する予定の列車より1時間前に発車する「かもめ」です。
しばらく、駅周辺でみやげ物などの買い物をしていました。
その後14時ごろに、ワタシが乗る予定の「かもめ26号」の改札が始まったので、さっさと改札を通ってホームへ向かいます。
こちら、「かもめ26号」となるべく折り返し整備中の885系SM5編成です。
こうして天気がよくて日差しが照り付けていると、この白い車体はまぶしいくらいです。
こちら、さきほど乗ってきた「かもめ5号」のSM1編成との比較で見てもらいたいんですが、SM5編成の2号車ギャラリーコーナーはこのようになっていました。左側の出っ張ったところの書は、大きく「山笠」と書いてありました。
ホームでしばらく写真を撮ったり、缶ジュースを飲んだりしているうちに、早くも発車時間。14時30分、「かもめ26号」は長崎を発車しました。

浦上に停車したあと、諫早へ。ここでは、先に長崎を発車していた大村線経由佐世保行きの特急「シーボルト4号」を待たせていました。
こちらが先に発車するときに、ガラス越しに向こうの車内が見えましたが、春の観光シーズンであるにもかかわらず、乗客の姿はそれほど多くありませんでした。沿線に「ハウステンボス」を抱え、非常に景色のいい大村湾沿いを走る列車なんですが・・・。
さて、諫早を出ると、すぐそばには有明海の一番奥にあたる諫早湾、そして、その干拓のために湾口を締め切っている堤防と水門が見えてきます。いま、有明海のノリの養殖が大打撃をこうむったこともあって、この諫早湾の干拓の継続の是非をめぐって、現地は大揺れになっています。
そうした、まさに時の焦点となっている場所が目の前に見えてきたときは、さすがに、ドキドキしました。
有明海沿いを走りながら、列車は長崎県から佐賀県へ。
途中の里信号場で、下りの885系「かもめ」と行き違いです。ここは小さな湾の一番奥のところにありまして、ここを発車すると、すれ違った下り列車が、湾を回りこんでいくのが右手車窓に見えてきます。思わず、写真を撮るのも忘れて、見入ってしまいました。
こちらは、肥前鹿島駅。商売繁盛や交通安全などの神様として知られる祐徳稲荷神社の下車駅、となっています。
・・・そういえば、ワタシ自身、佐賀県内の観光地にはほとんど足を運んでいません。これは、九州へ戻ってからの宿題、ということになりそうですねぇ。鉄道乗りつぶしとあわせて、九州そのものをきわめてみたいと思っていますが・・・。
肥前山口、佐賀と停まり、佐賀を出たところで、写真のようなものが視界に入りました。
これは、かつて佐賀と、鹿児島線の瀬高との間を結んでいた、旧・国鉄佐賀線の高架アプローチ部の跡です。かつては急行列車「ちくご」も走っていたという路線なんですが、国鉄分割民営化直前の1987年3月に廃止されています。
佐賀駅が、1976年という割と早い時期に高架駅になっているために、このアプローチ部が存在したんですね。
15時18分、「かもめ26号」は博多駅3番線に到着です。
ワタシは、北九州へ戻るために、このあと、隣の2番線に停まっている「ソニック39号」大分行きに乗り継ぎますが、車両はこの3月から投入された「白いソニック」仕様の885系SM8編成。こうして、「白いかもめ」仕様の885系と並ぶわけですが・・・。
車内へ入ってみると、まずシートの色が違うのが目に付きます。こちら「ソニック」のシートは、「かもめ」のオールブラックにたいして、少し赤系の色が入っている感じです。
あと、細かいところですが、窓のさんの部分が、このように斜めに、しかも狭くなっていました。「かもめ」ではもう少し幅もあって、しかも水平なさんがありまして、そこに「KAMOME」のロゴマークがデザインされていたりしたんですが・・・。
ギャラリーコーナーも、書ではなく絵になっていました。
大まかな部分は共通なんですが、まず編成自体が「かもめ」の6両にたいし、「ソニック」は5両。前面のつくりも、違っています。細かい部分では、ここでご紹介したようにけっこう違いが散見されます。
「ソニック39号」は16時25分に博多を発車。沿線や駅で、利用者や住民の人たちの熱い視線を浴びながら、持ち前のスピードでガンガン飛ばしていきます。
気が付いたら、すでに北九州市のすぐ手前を流れる遠賀川を渡っていました・・・。
折尾、黒崎、戸畑という通常の停車駅のほか、スペースワールドに臨時停車しながら、列車は17時10分に小倉に到着。博多からここまで45分、昔と比べるとずいぶんと速くなったもんですね・・・。
この列車、5両編成のうち3両が自由席なんですが、始発の博多からずっと満席で、この小倉で入れ替わりがあったものの、かなり混雑した状態で日豊線へと入っていきました。
冒頭にも書いたとおり、九州移転の予告編的な今回の旅行記、いかがだったでしょうか?
東京を拠点にしてきたこれまでと違って、今後は全国をまたにかけて歩く、といったスタイルの旅行記を量産するわけにはいかなくなりそうですが(爆)、こうした形で、九州を拠点に、この九州の鉄道をきわめることも含め、これまでとは少し違った感じの旅もできたらいいなぁと思っています。
あくまでも、マイペースで・・・。
<おわり>